お品書き⑤「キリサキ姉妹とカレーの匂い」

 1


 私は城谷しろたにキリ。とある街の、とある高校に通い始めたばかりの一年生。

 私には双子の妹がいて、その子もまた同じ高校に通っている。幼いころからすごくヤンチャで、女の子なのにも関わらず中学校では喧嘩に明け暮れ、男子とばかりつるんでいた。

 私はいつか、そんな『強い』彼女に対して少し心の距離を置いていた……。


 俺は城谷サキ。俺には双子の姉貴がいる。頭が良くて、皆に信頼されていて。そんな姉貴と俺はいつも比べられていた。俺はそんな世間の声に反抗すべく、中学時代はかなり荒れていた。

 何もかも俺より優れている『優しい』姉貴が、俺は大嫌いだった。


 彼女ら二人は、車の通りが活発になった大通りを歩いていた。

 お互いの心の間にできた深い溝が、通りを歩く二人の距離に良く表れていた。見た目は全く同じなのに、中身がまるでコインの裏表のようだ。同じ家から出発して、同じ学校に向かっているはずなのに、その間には一言も言葉が交わされない。はたから見れば少しだけ違和感を覚える。そんな彼女たちの、ちょっとした日常が始まる。


 2


 あれから結局二人の間に言葉が交わされることなく学校へとたどり着いた。二人はそれぞれ別のクラスに所属するので、一緒に歩くのは昇降口まで。お互い挨拶も交わさずに廊下の突き当たりをそれぞれ違う方向に曲がって進む。キリはそんな状況に表情を曇らせながら、自らのクラスの扉を引く。

 クラスはすっかり馴染んでいた。ここにいる皆は入学してまだ二ケ月近くしかたっていないというのに、ここまで暖かい雰囲気を生み出せるクラスは珍しいのではないか、とキリは思った。

 キリはそんな空気に少しだけ馴染めないでいる。とりあえず、鞄の中身を机へと移すことにする。

「ん? いつもより浮かない顔してるな、お前」

 中学が一緒だった男子がキリに話しかけてくる。

「そんなことないわよ。これでもいつにも増してテンションだだ上がり状態よ」

「あ、それは逆にドン引きするわ」

「その差は一体何なの……」

「まあ、なに溜め込んでんのかは知らねえけど、吐き出せるときに吐き出しとかねえと後で破裂すっからな」

「………、ありがと」


 3


 一方サキは、スカートのポケットに手を突っ込みながら上履きを翻して廊下を闊歩していた。

 自らの教室の前にたどり着くと、乱雑にその扉を開け放つ。すると教室が一瞬静まり、クラスメイトの視線がサキに集中した。

「(あれ…? 城谷さん、学校辞めたって聞いてたけど)」

「(相変わらず、すっげえ態度。あそこまで近寄ったら殺されるオーラ出せる奴そういないぜ?)」

 コソコソとそんな声が飛ぶが、サキはイヤホンをしているせいもあって、周りの視線が集中しているのは気にも留めなかった。

 そしてクラスの皆が驚くのにはもう一つの理由があった。彼女、城谷サキは、ここ数週間、入学して間もないというのに滅多に学校に来なかったのだ。そのため彼女は完全に周りから孤立していた。それは入学してまだ二ケ月近くということもあるが、周りのレッテル以外にも彼女自身がこの状況を作り出していた。

 自分の人生に不要なものは一切を拒絶し、やりたいことだけをやって生きる彼女自身が。


 ここからは何もかもが『いつも通り』。キリが数学の難問を解いて先生に高い評価を受けるのも、サキが授業中机に突っ伏しているところを先生に注意されるのも、何もかもがいつも通りだった。

 こうして、同じ顔をした少女の全く違う日常が、終わりにさしかかろうとしていた。


 4


 日が落ちるのが遅くなったとはいえ、まだこの時期だと午後四時は多少の薄暗さに包まれる。そんな空の下、少し人通りの少ない裏路地を今朝と同じ距離を保ちながら二人の少女は歩く。

 キリは普通に歩いているが、サキの方は校則で禁じられているパーカーを制服の中に着こみ、そのフードをかぶっている。第三者が見れば、おそらく一人の少女の後ろをついて歩く不審者のように取られかねない状況なのだが、サキはそんなことを気にするような人間ではない。

(うーん……、今日の晩ご飯はどうしようかしら。…、サキに聞こうにもあんな周りを遮断してたら話しかけづらいのよねえ)

(あああああああああああああああ、腹減った。今日は姉貴が晩飯つくる係だったな…。なんだか今日は無性にカレーが食べたいな。でもなんか話しかけずれえ……)

 さすが双子、というべきだろうか。心の距離は離れているはずなのに、考えていることが似通っている。

 …、と、そこの曲がり角から、三人の男たちが現れ、その一人がキリとぶつかってしまう。

「ってて……、オイオイねーちゃんどこ見て歩いてんだァ?」

「あっ…、すみません」

「すみませんじゃないんだよねぇ、すみませんじゃ」

「おりょ? キミよく見たら可愛いね。本当に謝る気あるなら、ちょっと俺らと遊ぼうぜ」

「あ、あの…、困るんですけど」

「あ? オイオイなんだよその目は。お前、女だからってあんま調子のんじゃねえぞ」

 一人の男が、キリに掴みかかった。それを背後で見ていたサキの目が、いつものつまらない日常を見つめる濁った瞳ではなくなる。

 光が、宿る。

「おい」

「あ?」

「なーにしてんだテメェ」

 キリの肩を引き自らがまるで盾になるように、サキはキリの前に立つ。

「また女か…、お前には関係ねえよ。今オレらはお取り込み中なんだ。見て分からねえかなぁ」

「そういうベッタベタな三下の台詞を吐くヤツは大抵『強い者の引き立て役』にしかならねえんだ……よッ!!」

 サキはしびれを切らして、一番大柄の男に思い切り殴りかかった。

 真正面から力のこもった拳を受けた男は、怒号と共によろめく。すると、その衝撃でサキのフードがはらりと脱げた。

「あ? なんだテメェら。双子か? 気持ちわりいツラしやがって」

 別の男が警戒を強めながらサキの前に立ちはだかるが、先程殴られた大柄の男が牽制する。

「テメェ、よくも殴りやがったなこのアマァ!!」

「ッハ。三人でかかってきな。五分で終わりにしてやんよ」

「や、やめなさいサキッ―――」

 キリの声はむなしく、今のサキには一切届かなかった。

 細身で小柄な少女が、三人の大男とぶつかる。しかし次々と倒れていくのは男たちの方だった。それはとても異様で、とても恐ろしい光景だった。

 しかしそれは当然といえば当然な光景で、サキはこう見えて中学時代からこの町一帯で名の通った不良グループのリーダーをしていた。並みの男では手も足も出ないのだ。


「ね、ねえあれやばくない?」

「ちょ、流血沙汰はさすがにまずいだろ! 誰か、警察呼べッ!!」

 しばらくして、野次馬が集まり、誰かが通報したのであろう。遠くからパトカーの音が近づいてくるのが分かる。

 サキは少し傷を負った顔を袖で拭うと、地面に転がる三人の男たちには目もくれず、足早にその場を立ち去った。キリはサキと三人の男たちが乱闘を繰り広げている中、野次馬の一人に連れられて避難させられていた。


 5


 あれからどれだけの時間がたったのだろうか。サキが家に着くころには、空はすっかり黒に塗りつぶされていた。

 サキは、何も言わずに玄関の扉をあける。そして靴を脱ぐ頃には台所からいちもくさんに駆け付けた姉・キリの力強くもたよりない抱擁を受ける。

「姉……、貴?」

「もうバカ。ほんとバカ。あんな…、あんなことして、もしアナタになにかあったら……」

「とか言って、真っ先に家に帰ったじゃん」

「…、私、弱いから。アナタみたいに誰かを守れる力がないから。あの場にいたら余計アナタを高ぶらせてしまっていたかもしれない。それに、サキが強いこと私知ってるから」

「…、そんで、先に帰って俺のためにカレー作ってくれてたってことか」

「相変わらず鼻がきくのね。これが私からの精一杯の償いよ。私には所詮、こんなことしかできないから。でも、これだけは約束して。今後、私のために自分が傷つくようなことは絶対にしないで」

「はぁ? なーに言ってんだよ。別にアレは姉貴を助けようとしてやったんじゃない。久々に喧嘩したくなっちまっただけだっつーの」

「もうっ!!」

「わーったわーった。とりあえず離れようぜ。アツい」

「……、ごめんなさい」

 キリはゆっくりとサキから腕を離すと、サキも靴を脱いで改めてキリと向き合う。

「それにしても、よく俺がカレー食べたいっての分かったな」

「分かるわよ。だって私達、双子だもの」

「それもそうだな」

「さ、早く食べましょう。冷めちゃうわ」

「……、そう、だな」

 二人は温かく微笑み合う。

 まるで親子のように、キリがサキの口にスプーンを運ぶが、サキはそれを照れくさそうに拒否してスプーンを受け取り、自らカレーを口へと運ぶ。

 頬の切り傷が少し痛むが、今ではキリが施してくれた絆創膏がとても心強かった。

「「ごちそうさま」」

 こうして二人の、ちょっと違った一日が終わりに近づく。二人は就寝の準備をしてそれぞれの部屋へ入ると、別に打ち合わせをしたわけでもないのにそれぞれ自分の部屋の窓辺へと身を寄せる。窓の外には、都会の明かりに塗りつぶされて真っ黒になった夜空が広がっていた。


「あの子は荒っぽい性格だけど、しっかりと自分の守りたい人を守れるほどの力がある。私は、そんな彼女の強いところがうらやましくて、それでいて妬ましかったのかもしれない。でも今日みたいに、その強さに頼っていてはだめ。これからは私が強くなって、あの子を守っていかなくちゃ」


「姉貴は普段なんでもできるように見えるけど、本当は弱くて、窮地に立たされたら自分が何をしていいのかも分からなくなるくらい思い悩んでしまう。だけど俺のために手当をして、俺のために晩飯を作って待っていてくれた。俺はそんな姉貴の優しさが少し苦手だったんだな。…、これからはちょっとだけそれに習って皆に接していったら、少しは姉貴に近づけるかな」


 互いが互いを補って、互いは互いを支えあう。近くも遠い二人の心は、少しでもその距離を縮める事ができたのでしょうか。これから彼女たちは様々な困難に出会い、立ち向かい、苦悩することになりますが、それはまた、別のお話。


 完

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