お品書き③「それでもただの暇つぶし」

 ワタクシ様は猫でございます。

 黒の毛並みを風になびかせ、今日も河川敷の日当たりのいい芝生で日向ぼっこ。これが、ワタクシ様の日課なのでございます。蝉の鳴き声が最も盛んになるこの時間帯になると、いつもやってくる人間の子供たちの遊びを見守ってあげるのも、その日課の一つなのでございます。

「気合いれて行くぞォ!!」

「「「オォォーッ!!」」」

 いつもと同じような事を叫んで少年たちの"遊び"は始まるのでございます。まるで獣のように猛り、単なる"遊び"に必死に打ち込む少年たちをワタクシ様はいつも滑稽に眺めておりました。

 鈍く輝く長い棒を持って立つ少年たちに向かって、なにやら丸いモノを投げる一際大きな少年がいるのでございます。

「おい下瓦しもがわら、お前だけだぞ今日一回も打ててないの!!」

 普段ならワタクシ様もその丸いモノを追ってしまう衝動をグッと抑えるのでございます。ところで、その大きな少年が、少し離れたところに長い棒を持って立つ細身の少年に大きな声を放ったのでございます。

「す、すいませんっ! 次こそは頑張ります!!」

 下瓦と呼ばれた少年は、そう言いながらもその棒を握る両手は弱々しく、脚もガクガクと震えていたのでございます。それはまるで生まれたての仔牛のような、ワタクシ様にかかればひと噛みで仕留めることも容易い、とても人間とは思えない立ち振舞いでございました。

 ああ、思えばあの少年はいつも皆に責められ、その度に頭を下げていたのでございます。

 そんなことを考えた瞬間、ブンッ! と、大きな少年が下瓦に向かって丸いモノを投げつけるのでございました。

「ひ、ひぃっ!?」

 下瓦は、その丸いモノから目を逸らし、長い棒を抱くようにしてしまうのでございました。

「おいビビるな!! 甲子園に行ったら、俺以上のピッチャーなんてゴロゴロいるんだぞ!!」

「は、はいっ!!」

 下瓦は、再び肩をすくめながらも、その長い棒を構え直すのでございました。これは、いつも通りの光景。ワタクシ様は何の感情も抱かず、ただただ暇つぶしにその光景を眺めていたのでございます。

 もう一度、大きな少年は大きく振りかぶって、下瓦に向かい丸いモノを投げつけるのでございました。俊敏な物を仕留めることに特化したワタクシ様も、目で追うのがやっとのこと。

 ヒュンッ!!

 今度は、下瓦の持つ長い棒が振られます。しかしながら丸いモノは、長い棒を掠めもせず下瓦の背後にしゃがむ少年の大きな手に吸い込まれるのでございました。

 これも、いつも通りの光景。ワタクシ様は一度も、下瓦が長い棒に丸いモノを当てたところを見たことがないのでございます。

 どうせ今日も、そんないつも通りの”遊び”が行われ、時間が経っていくことでしょう。

「まだ目を瞑ってる! ボールをよく見て、今よりも少し手前まで引きつけて思い切りバットを振るんだ!」

「はい! やってみます…」

 そこで、ワタクシ様は、下瓦の表情が少し変化したように思えたのでございます。人間という生き物は、同種の顔の些細な動きで相手の心境を察することのできる不思議な生き物でございます。しかし猫であるワタクシにも、それが少し理解できたように思えたのでございます。なにかいつもと違う彼の顔に、ワタクシ様は何故か目を離すことが出来ずにいたのでございました。

 大きな少年がさらに大きく、動物が敵を威嚇するときのように身体を大きくさせ、丸いモノを投げつけようとするのでございました。

 なにかが、いつもとは違う。ワタクシ様の動物的な勘が、そう囁くのでございました。

 鳥肌、というものがございますがワタクシ様は生憎、猫でございますのでその表現はいかがなモノかと思うのでございますが、ワタクシは奮え、全身の高貴な毛は逆立っていたのでございます。

 気付いた頃には、ワタクシ様は四本の美しい脚で立ち上がっており、何故かワタクシ様の心臓は、いつもより少しだけ多く鼓動するのが分かったような気がいたしました。

 その時、ワタクシ様と下瓦の目線が合うのでございました。下瓦は、少しだけ表情を緩め、そして少しばかり笑ったような気がしたのでございます。


 刹那。


 ブォンッ!! と、大きな少年の手から丸いモノが投げられます。今度の下瓦は、目を瞑ったり、目線を逸らしたりは決していたしませんでした。しっかりと、丸いモノを見据え、距離感を掴みつつ、丸いモノを投げた少年以上に大きく振りかぶって、その両手でしっかりと握られた長い棒を、力いっぱい思い切り振るのでございました。

 爽快。その一言に尽きる音が、ワタクシ様の鼓膜を刺激いたしました。

 下瓦は走り、そしてそれを見ていた他の少年たちと笑顔を交えて喜び合うのでございました。

「やれば出来るじゃないでございますか」

 そんな声が聞こえたような気がして、僕はさっき見た黒猫がいた芝生へ目を向けるが、そこには何もいなかった。


「僕、もっと頑張るよ。勇気をくれてありがとう、黒猫さん」


 完

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