お品書き④「たんぽぽ」

 1


 耳を澄ませば、小鳥のさえずりが心地良い朝の風を運んでくれる。こんな朝は呑気に散歩にでも出かけたいものだが、あいにく俺は学生である以上、学校に行かなければならない。

 おっとすまない。いきなりそんなことを言われても、お前は誰だと思うだろう。偉そうに語り部を担当する前に、まずは俺がどこの誰でなにゆえこんな話をするのか、それを知ってもらった方がこの物語を読みやすいと思う。

 俺の名前は倉橋くらはしアキラ。驚かないで聞いて欲しいのだが、俺はこの世界の人間とは少し違う一面を持っている。しかし期待しないでもらいたい。別に吸血鬼の幼女と運命を共にしたり、タイムマシンで過去に戻って幼馴染の死を回避するために死力を尽くしたり、はたまた右手にあらゆる異能の力を打ち消す能力を宿しているわけでもない。

 俺は、『物語の中の人間だ』ということを自覚しているのだ。いつそんな自覚が芽生えたのか、はたまたどのような内容の物語の人間なのかまでは分からないが、これだけは確信を持って言える。

 俺は、誰かの創った物語の中の登場人物なのだ。

「そうそう! 昨日もらったアレがすっごく毛深くってさー!」

「だよねー。毛深いよねー」

 例えばあの女子高生たちを見てみよう。あの子たちがあそこでああして他愛のない世間話を交わしているのも、俺が登場するこの物語の演出の一部にすぎないのだ。言うなれば、モブキャラである。

 それにしても悪いな。こんな俺なんかが主人公の物語のモブなんて任せちまってさ。つくづく俺も罪な男だ。

 ん? 「なぜ俺が主人公なのか」だって? そんなこと決まっている。このような、普通の小説や漫画の主人公じゃ有り得ない『自覚』を得てしまっているんだ。こんな特別な状況にいるのだから、俺が主人公じゃないはずがないだろ?

 まあ、それは置いといて………。

 この物語の作者が、俺にそのような自覚を与えたということは、必ずなんらかの意味があるに違いない。俺は日々、その意味を探しつつこうして与えられたシナリオ通りに行動してやってるわけだ。


 2


 ざわざわと他教室の生徒たちの話し声が雑多となって響く学校の廊下を、俺は歩く。

 そうだ! まずはこの物語のジャンルを見極めよう。例えば、そうだな……、もし恋愛ものだったとしたら、俺が教室に入ればたちまちヒロイン達が俺の周りにわんさかと―――

「おっす倉橋」

「こんな早く来るなんて珍しいな」

「どっちかって言うと遅刻組なのにな」

 そう。

 俺のクラスは九割が男なのである。しかも、残り一割の女子はその全員が『違った愛の形』を嗜む方々なので、こんな場所で恋愛ものなんていう展開はあり得ないし、あってはならないのである。その展開はいくら作者が超売れっ子のBL作家でも断固として拒絶する。

「ねえねえ聞いてよ貝谷かいたにくん! 昨日食べたアレがすっごく毛深くってね」

「ははは、なんだよそれ。お前昨日わざわざその写メ送ってきたじゃん」

「私がこの前行ったあそこも相当毛深かったよ」

「お前らマジ毛深すぎだろ」

 変な会話をしながら、俺の背後を男女が通り過ぎていく。さっきから何の話で盛り上がっているのか分からないし今はそんなことに興味はない。

 というか、なんだこれは!! これじゃあまるで俺がモブキャラじゃないか! 完全なる背景。完全なる物語の一部でしかない! くそう…、こんなのは納得出来ない。この世界の主人公は俺なんだから!


 そんなことを思っていると、授業開始のチャイムが鳴り響いた。

 淡々と決められたシナリオ通りに数学が始まり、俺は勉学に励むふりをして今朝と同じこの世界のジャンルの見極めに取り組んでみる。

 もし、ファンタジーものであればこの物静かな授業中に突然魔法少女が飛び込んできたりしてもいいが、それはない。かと言って、男の友情を描くような青春ものだとしても、それには付き物とも言える『不良少年』がこのクラスには一人もいないのだ。これはおそらく現代の学校では珍しいのではないだろうか。

「えー、ここの問題の解き方はxに10を代入して……」

 教師が淡々と黒板に意味不明な数式を羅列させていく。

 ハハ、その行動もこの世界を創った作者がそうさせているとも知らずに愚かな奴め。もう一度高らかに笑ってやろうハッハッハッハッハ!!

 おっと、本題に戻るとしよう。

 そういや、日常系っていうジャンルもあったな……。

 そんな感じなら、まずこんなふうに授業には耳をかさず、窓の外を見ていれば、ただそれだけでイベントが起きるものだ。例えば、先生に注意されて皆に笑われる、とかな。

「おいそこ!!」

 ほーらきたぞ。

「佐藤。お前授業中に弁当なんか食ってんじゃないぞ!」

「す、すいませんっしたぁ!!」

「「「ハッハッハッハッハッハ!!」」」

 はい大爆笑……、って違う!!

 だから!! おめえじゃねえんだよ!! 俺なんだよ、この物語の主人公は!! モブはおとなしくしてろってのぉぉぉ!!


 3


 あれから放課後まで、なにも起きなかった。

 昼飯は学校中、どこもかしこも男女仲良く食べていたし、午後の授業もこれといって俺が主人公らしい展開には至らなかった。

 もしかしたらこれはホラーものなんじゃないかとも思い、放課後の良い感じの夕陽が射すまで教室で一人、何もせずに外を眺めていたが、とくに見知らぬ少女が屋上に向かっていくわけでも、学校の玄関が塞がれているわけでもなかった。しかし、さすがにその程度で諦める俺ではない。その後はそういった『展開』を求めてうちの学校に伝わる七不思議を元に学校を探索することにしたのだ。…、まあ七不思議をフルコンプしても全くなにも起きなかったわけだが。


 うーむ。今日一日、俺にスポットが当たることは一切なかった。しかしどうしてだ? 俺は『主人公』のはずだ。なのにどうしてなにも起きない? こんな物語、普通じゃ全く面白くない。

 待てよ…、いくらなんでも変だ。今朝、教室の前で俺が恋愛ものだと思った途端に、俺の後ろをまさにそういう系統の『物語』に生きる男女が通った。数学の時間だって、魔法少女や不良少年は登場しなかったものの、ふと日常系の物語だと思った途端に、授業中に弁当などというまさにそれっぽい『物語』が発生した。これは偶然か? あるいは、昼休みも、放課後の校舎でもそのとき俺が頭に思い描いた『物語』がどこか俺の知らないところで展開されているのだとしたら………。


 …………………………。

 ……………。

 ……。


 気がつくと俺は、ガードレールのたもとに咲く一輪のたんぽぽをじっと見つめていた。この雑草は、『俺の物語』のごく一部、触れられないレベルの『背景』でしかない。

 しかしそんな中でも堂々と、綺麗な黄色い花を咲かせていた。このたんぽぽが草むらではなくアスファルトの切れ目から生えているのも、様々な『物語』が重なった結果だ。脇役、背景、モブ、様々な『物語』を彩る、様々『たんぽぽ』達は、その一輪一輪がまた、『物語』の主人公なのだ。

「アキラ? あんたこんなところでなーにしてんの」

「んあ、母さん? アナタこそなにしてるんですか」

「ああ、今から夕飯の買い出しに行こうと思ってたんだよ。ちょうどよかった。今晩、何食べたい?」

「んーそうだな……、今晩はチャーハンの気分かな」

「おっしゃ。母ちゃんに任せときな」


 そう。『これ』が、俺の物語。

 他のヤツの物語じゃモブ扱いだって別に構わないじゃないか。

 そんなことにこだわるくらいなら、この人生を精一杯生き抜いて、胸はって最期を迎えるようになりたい。

 力強く、生きていこう。

 誰かの物語をちゃんと彩って、綺麗な華を咲かせられるように。


 完

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