お品書き⑥「滑稽な宝探し」
1
毎朝見かける人。囁くように擦れ合う街路樹の葉。何気ない友の笑顔。黒板に訳のわからない数式を書き込む教師の口からは、無機質な言葉が淡々と吐き出される。
全く違う、しかし全く同じ毎日が繰り返されていく。俺達は、七回でリセットされる日常をひたすらに彷徨い続ける。
俺は今まで、自分のタメに生きてきた。自分のタメに勉強をし、自分のために友を創り、自分のために遊び、自分のために歩んで来た。そんな自己中心的な人生を歩んでいた俺はある日突然、ふと思った。
自分のためとはなんだろう?
俺は朝、妙な夢で目が覚めた。そこは本当に暗い世界だった。笑顔なんて一切ない。ただ、『愛』を無くした人間達が、いつも通りの日常を過ごしていく。ただそれだけで、俺の気持ちは全くガラっと変わってしまった。
フライパンの上で油が弾ける音と、ほのかな味噌の香りが漂う朝。俺は、暗い物で埋め尽くされた頭をふらつかせながらリビングの椅子に座る。
「早く食べちゃいなさい。学校に遅れるわよ」
「…………」
「どうしたの?」
「母さん、俺、しばらく学校休むわ」
「…え?」
俺はそんな運命に少し抗おうと思った。
2
俺が学校に行かなくなり、早一週間が経った。その間は、学校に行かないという事以外は普段と何ら変わらなかった。学校を休む代わりに家ではそれなりに勉強したし、家事だって買い出しだって部屋の掃除だってした。
母は何故か俺が不登校になることをあまり反対せず、普段通りに接してくる。学校へ行けとうるさく言ってくる事もないし、見捨てられる事もなかった。
俺は今、夕飯の買い出しを終えて帰宅するところだ。目に付くのはいつもの光景。小さな店舗がいくつも並ぶ商店街。オレンジ色に染められた道を一歩ずつ歩く。
しばらく歩いていると、俺の住むマンションが見えてきた。
ちょうど、その時だったと思う。
やけに強い風が、どこかで吹いたのだ。俺は辺りを見渡すと、ある場所で目が止まる。それは、人ひとりがやっと通れるほどの路地。この時間帯、薄暗いはずなのにその路地からは全く危険などが感じられない。
俺は平凡な日常に飽きていた。買い物からの帰路を変えたところでその日常が変わらない事くらい分かってる。分かっているのだが、俺の足はその路地へと向かっていた。
建物と建物の間から差すオレンジ色の淡い陽射しを浴びながら、俺はどこか懐かしい匂いのする路地を進んでいく。
すると光が見えた。路地の終わりか。なんだつまらない、そう思って足の進むスピードが少しずつ落ちていった。そして俺の足がピタリと止まる。それは引き返そうとしたのではなく、目の前に現れた一つの影に視線を奪われ、進む事さえ忘れてしまったからだ。
小さな三毛猫だ。子猫でも成人猫とも取れない絶妙な大きさの体型をしているその猫は、路地の真ん中にポツンと座り、こちらを見ている。
まるで何かが起こりそうな予感がした。それだけで、俺がその場から動かないのに十分な理由になった。
「……、クヒ」
声が聞こえた気がした。しかし後ろへ振り返っても誰もいない。
「アッハッハッハッハッハッハッハッハ!!」
俺は自分の目を疑った。しかしそれは、猫が人間のような声を発してケラケラと笑っている事に対してではない。その猫が宙を舞い、俺の目と鼻の先まで飛んできたのだ。
「……ッフ、最近の猫は空も飛べるようになったのか」
「いやいや違うよ全くだよ全然だよ。こんなの君たちが箸を使って物を食べるのと同じ事さ」
「…で、そんな『極普通に』飛んでる君は俺に何か用か?」
「んー? んーんーんー? おかしな事を言うね君。僕に用があるのは君の方じゃないのか」
「俺が…?」
「そう。アンタが」
「!?」
俺は背中を強く押されたような気がすると、勢い余って路地の出口へ踏み出てしまっていた。
3
気がついた時、俺はもうそこにはいなかった。いや、なんて表現したらいいのか分からないが、踏み込んだその場所は、路地ではなかった。
俺の家。昔懐かしい風景がそこには広がっていた。俺が小さい頃に壊したはずの人形が、日差しの差し込む窓際の椅子に座っている。
「驚いたか? これから君にはいくつかの光景を見てもらう。それらは全て、君の過去にまつわるモノだ」
「過去? 俺の? お前は一体何者なんだ」
「それもいずれ分かる事さ。君には今から、その光景に『足りないもの』を見つけ出してもらう」
猫は俺の周辺をゆらゆらと、まるで俺を馬鹿にするかのように舞い、何度も俺に囁いてくる。
「ほら来た」
猫が何か言葉を発すると、目の前の光景がまるでそれに呼応するように組み替えられていく。
現れたのはまだ幼い頃の俺。昔の俺は本当に興味本位で、椅子に置かれていた人形の腕を引きちぎってしまった。
『コラ! なんて事するの!!』
『えー僕なにもしてないよ? コイツが勝手に壊れたんだ!』
後ろで作業をしていた母親がそれに気づいて怒声を発するが、俺は誤魔化すように言い訳をする。
「見覚えあるだろ? なんたって本人だしね」
「あれは…、俺があの人形を壊したところか」
「その通り。だけどあの人形ここで壊された後、どうなったか知ってるか?」
「え…」
『僕、外で遊んでくる』
『コラ待ちなさい!』
「あのガキ…」
「まあ抑えて抑えて。過去の自分の行いに憤りを感じたところでなにも出来はしないんだ」
「…、でも、このあとあの人形を見た記憶はなかったような」
「君の母さんが捨てたとでも?」
「違うのか?」
「そんじゃ見てみよう。ちょっと時間を進めるよ」
俺は再び淡い光に包まれた。目を覆っていたマブタをゆっくりと開くと、そこは夕暮れのリビング。先ほど昔の俺が人形を壊したところだった。そこで、母はなにやら作業をしていた。
「何をしているんだ?」
「猫である僕に聞くより、人間である君が直接確かめた方がいいと思うけど」
「あれは…、
「そのようだね。どうやら君の母さんは、君が壊した人形を直しているようだ」
「そんな…、じゃああの人形はどこに…」
「ほら、修繕が終わったみたいだ」
「あれは…、押し入れ? なんであんなところに仕舞ってるんだ」
「さあね。しかも随分と奥の方に仕舞ったモンだね。あれじゃあ見かけなくて当然だよ」
確かその後昔の俺は人形の事など微塵も忘れ、泥だらけで家に帰ってきた。母の厚意を知らない、幼き頃の俺は今日までの人生をのうのうと過ごす事になる。
「さてさて序章はこれで終わりだ。次いこ次々!」
4
目の前の光景が、組みかえられていく。まるでごく普通の出来事のように次の光景へと組み立てられていく。
「ここは?」
「自分の記憶に聞いてみな」
「小学校、か」
「しかも、運動会」
『位置について…、ヨーイ―――』
乾いた音が空に響く。俺がそちらへ視線を移すと、どうやら徒競走がスタートしたらしい。
昔の俺を含め五人の走者が横に並んで全速力で走っている。一人、また一人と追い抜いて俺は一位へと躍り出る。しかし本調子だったのもそこまで。俺は地面に転がっていた小石に躓き、壮大に転んでしまう。一人、また一人と追い抜かされ、次々と皆がゴールしていく。
しかし、ゴール手前で一人の少年が立ち止まって、地面に転がった小学生の頃の俺の元へと駆け寄ってきた。
「あれは……」
「君の親友だったっけ? 今も同じ学校に通ってるんだろ」
『ほら、早く立てよ。みっともねーぞ』
『…、おう』
『さ、行くぞ』
その親友が、地面から立ち上がろうとする昔の俺に手を差し伸べてきた。引き寄せられる勢いで起き上がり、その親友と一緒にゴールテープを切る。
「まあ、たったこれだけの滑稽なシーンな訳なんだけど」
「この中で『足りないもの』…?」
「さあ次行ってみよー」
5
俺の体はまた光に包まれる。三度目のソレには、あまり驚きはしなかった。手に入れたと思った非日常が、一瞬のうちに日常へと溶け込んでしまう。
「次は…、中学校か」
「そうそうそう。懐かしいね」
「懐かしい?」
「ほら、始まるよ」
この頃は確か、自分が自分のために過ごしてきたと自覚し始める時期だった。他人の事なんてどうでもよかったし、他人が自分の人生に干渉してくる事を強く拒んでいた、そんな時期だ。
校庭の隅に植わっている樹木の葉が青々と茂っているところをみると今は夏らしい。ということは、『あの頃か』と直感する。
場面が、校庭から教室へと移り変った。そこでは皆が席に座らせられ、担任の男教師が真剣な表情で生徒達に語りかけているところだった。
「今日は皆に悲しい知らせがある。さっき、佐藤の靴がごみ箱に捨てられていたのが見つかった」
俺は一時期、イジメを受けていた。しかしこの一件でそれは途絶え、今後される事はなかったのだが。しかしそんな状況に陥って尚、俺には関心がなかった。今日まで自分のために生きてきた俺からしては、どうでもよかった。
「冷たいね。担任の先生が君のために頑張ってんのに君は一切無関心か」
「…、俺はそういう人間なんだよ」
「フン。君がこんなにつまらない人間だと思わなかったよ。さてそろそろ気付く頃じゃないかな? 『君に足りないもの』が」
「俺に…、足りないもの」
「それじゃあ行こうか。最後の光景に」
6
この光にももう慣れた。目を完全に閉じる事もなくなり、薄目でその光景が変わるのを待っていた。
そこは、黄昏時の中学校だった。
「さあ。最後の光景だ。君に見つけられるかな? これまでの話に、そして君自身に共通する『足りないもの』が」
さっきとは取って代わって校庭の隅に生える樹木の葉は枯れ落ちて地面を茶色く覆っていた。校舎裏には、昔の俺の姿と生まれて数日だと思われる小さな小さな猫がいた。おそらく、親猫に見捨てられたのであろうその猫を、昔の俺は学ランの中に収めていた。
「寒いね。冬真っただ中ってとこか」
「…、なんで最後が『ここ』なんだ」
「この場面で分かるはずだ。君に『足りないもの』が」
しかし、この後あの猫は確か………。
「場面を変えるよ」
その声に答えるより早く、俺の体は光に包まれる。
気がつくとそこは、自宅のマンションだった。過去の俺は母親に黙って自分の部屋に子猫をかくまっていた。小さなタオルで即席ベッドを作り、そこに子猫を置いてミルクをやる姿があった。
「この場面に足りないモノ…、心当たりが多すぎる」
「そうかい?」
夜になり母が帰宅すると夕飯の支度をし始める。カレーのいい香り漂う中、俺は小さな息をついて眠る子猫をずっと眺めていた。
夕飯を食べ、風呂に入り、眠る支度を整えると再び部屋に戻ってくるが、子猫はまだ寝ていた。俺と猫は、そんな場面を眺めながら一言も発さずにその時が来るのを待っていた。
部屋の電気を消し、過去の俺がベッドに就くと猫が再び光景を変える。そこは、朝になった自分の部屋だった。部屋のデジタル時計を見ると七時ちょうどを差しているのが分かる。すると、アラーム設定されたデジタル時計が鳴り響いた。それを合図に過去の俺がベッドから体を起こす。過去の俺は、視線を横にやり、タオルの上で眠っていた子猫の様子を伺う。
しかし、子猫はピクリとも動かない。呼吸をしているのならゆっくりと動いてもいいものだが、それすらもない。それが意味するのは、ただ一つの結果。
「あまり、この光景は見たくなかったんだがな」
「うん、そうだね」
その後の光景は、とても悲惨なものだった。子猫の死を受け入れると、大粒の涙を流す過去の俺。その様子を察したのか、母親が部屋に入ってきて何も言わずに事情を把握する。
「…、もう、分からなくなったわ。なんだ、俺に『足りないもの』って」
「それさえ分かれば、君が不登校になった理由でもある、つまらない日常が、少しでも面白くなるんじゃないかな」
「今までの光景に『足りなかったもの』…」
母親の厚意、友人の厚意、先生の厚意、今までの光景にはどれも、誰かの厚意が関わっていた。その厚意は全て、俺自身に向けられたもの。しかしその厚意を受けた時の俺はどうだったか。その厚意を素直に受け入れただろうか?
「フン。どうやら、気付いたようだね」
「…、俺に今まで『足りなかったもの』」
俺は今まで、何に関しても俺のためだけに過ごしてきた。そんな人間が感謝なんてするわけがない。
「ま、それに気付けた君は人間の中でもマシな部類に入るだろうさ」
すると、俺の体がゆっくり、ゆっくりと光に包まれていく。そして俺の周りが完全に光に包まれると、猫がその光の中で俺に語りかけてくる。
「あの時、僕は夕方に息を引き取るはずだった」
「何を言ってるんだ?」
「たった数時間だった。しかし、僕にとっては貴重な数時間だった。美味しかったよあのミルク。温かかったな、あのタオル。あの空間はまるで、君のぬくもりに包まれていた」
「お前…、まさか」
「『ありがとう』。君は僕に希望をくれた。だから僕は、希望を失いかけた君の元へ現れた」
「…、あ、あの時は」
「おっと。その言葉はもうこの世界にはいない僕に言う事じゃないよ。これから接する……、いや。これからも接していく人達に向けてあげるべきじゃないのかな」
「………」
「それじゃあおしまいここまでだ。滑稽な喜劇は終わりにしよう」
「あ、待てッ!!」
俺の声に、猫は答えなかった。俺の手は、猫には届かなかった。光は今までよりはるかに強くなり、俺の目を完全に覆った。
まるで意味のない昔話は、静かに幕を引いたのだ。
7
意識が正常に戻った時には、俺は自分の住むマンションの前に立っていた。オレンジ色の日差しが、さっきまでの眩い光を緩和する。
俺は自分の家の扉へと駆け足で戻った。買ってきた物を適当にリビングに放ると、俺はそそくさと『あの押し入れ』を開け、その奥を漁る。
思っていた通り、ちぎれた腕の部分が修繕された人形が出てきた。
「あった。本当にあったんだ」
俺は、その人形を自分の部屋の棚の上へと置く。それをしばらく眺めていると、自然と一言零れおちる。今までの感情を全て乗せた一言が。
「ありがとう」
とある一人の少年は、いつも通りのつまらない日常を歩む。しかしそれは、今までとは全く違う『ありがとう』のある日常だった。
そうして人間は再び、つまらない人生を淡々と歩いていく。
アナタも、つまらないと感じた時は『ありがとう』を探してみてはいかがでしょうか?
完
一話完結短編集!「キママニ」 荒咲琉星 @Arasaki_Ryusei
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