第5話

 翌日から、二人は予定した通り、町を歩いて調査し、バーで情報を収集した。何日か繰り返すうちに、気になる言葉がちらほらと聞こえ始めた。

「家、アパートなんだけど、隣に住んでる男の人の部屋から、変な臭いがするの。冷蔵庫が壊れて中の肉が腐ってるって言ってるけど、それにしてもひどいわ」

「気味の悪い若造なんだけどな、奴の体や服からは、妙な臭いがするよ」

「ドアの前を通るとね、いつも蝿が飛んでるのよ。本当に不気味だわ」

 何人かの声が集まると、殺し屋は、ビンゴ、と言った。名前と住所を聞き出すと、運転手はすぐにその男の元へ向かおうとした。だが、殺し屋がそれを制した。

「もう少し待とう。相手は人肉コレクションするような奴だ。焦るとヘマ踏むかもしれない」

 運転手は、急いた気持が胸で暴れるのを感じながら、殺し屋の言葉に従った。死体の写真をコレクションしている奴だ、人肉コレクターに自分より近いことに、間違いない。

 二人はそいつがどんな人間なのか聞き出すことにした。そして、ちょうど、彼の職場の同僚だという男を見つけた。恰幅の良い中年男性で、薄手の白いシャツにジーンズという出で立ち。でっぷりと出た腹の部分は、肌の色が透けて見えた。

「奴は障害者だよ。昔は違って、学校でも優秀だったらしいんだけどな。噂だと、親父からのプレッシャーがでかすぎて、いかれちまったらしい。今じゃ、まともにお話しできればいい方だ」

 二人は一瞬見合った。殺し屋の目の中で、驚きの色が輝くのを、運転手は見た。それを察したのか、殺し屋はすぐに目を逸らし、男の方へ首を回すと、聞いた。

「障害者なら、こう、突然切れて暴れ出したりとか、そういうことすんのか?」

 男は笑った。「いや、ないな。いつもうじうじ、うじうじしてるよ。いきなり叫んだりはするけどな。学校は行きたくない、とか、手術してくれ、とか、訳の分かんねえことを。けど、誰も気にしちゃいないさ。慣れっこだし、工場だからな、困りもしない」

 彼はそこで一度言葉を切り、二人を順に見つめた。

「お前らここらでいろいろ嗅ぎまわってるだろ? 例の『食人鬼事件』って話題になってる、あれだろ? 他の連中もな、奴が犯人じゃないかって疑ってたりもするがな、でも、それはあり得ねえよ。あいつは人殺すほどの度胸はない。レンチやドライバー使うのだって、おっかなびっくりやってるような奴だ。情けない、可哀想な奴なんだよ、放っといてやれよ」

「恋人とかいんのか?」運転手が唐突に聞いた。

 男は先程よりさらに声を大きくして笑った。「まさか! 奴に恋人がいるんなら、オレはキャメロン・ディアスとやってるぜ」

 言いながらも止まないらしい笑いは、残酷さを孕んで運転手の腹に響いてきた。ああそうか、というと、彼はそのまま席を立った。背後で殺し屋が礼を言うのが聞こえた。

 バーから出、車に乗り込むと、殺し屋が口を開いた。

「同情するよ」

 エンジンを掛けながら、運転手は顔を向けた。殺し屋は小さく、穏やかな声で話した。

「オレも同じだったからな。模範生でいたのも、成績にこだわったのも、父親から軽蔑されるのが怖かったからだ。いや、『これ以上軽蔑されるのが怖かった』が正しいな。あの人はいつもオレを見下してて、オレが卑小な人間だってことが、なんて言うか、不変の真理でもあるみたいに、接してきた。オレがあの屑の英語教師を殺したって疑われた時も、そんなわけないって言った。庇ったんじゃなく、そんなことできるわけないって、オレを見縊ってたんだよ。そのはずだよ、いつもいつも、そうだったんだからな」

 殺し屋の目には、また、あの時の、初めての殺人を語った時の、あのぼんやりとした光が浮かんでいた。何を見るでもなく、宙空で泳ぐ視線は、はるか彼方へ向けられているようでもあった。少しすると、彼は、ふっと目を伏せ、息をつき、語調を強めた。

「奴が犯人で間違いないな。言い方は嫌だけど、健常者よりも何かしら精神障害負ってる方が、可能性は高いし。けど、オレらが行っても、多分安全だな。やっぱり奴は女しか殺さない。セックスできないから、仕方なしにか衝動的にか、どっちかで殺してるんだ、たぶんな」

「そうかもな」運転手はそう言い、ビックを発進させた。

 彼らは聞き出した住所まで車を走らせた。途中、ホームレスのシェルターの前を左折し、しばらく進んで右折すると、古くて煤けたような住居が立ち並ぶ通りに出た。その中で、身を隠すようにひっそりと、食人鬼の住むアパートは建っていた。

 彼らは車から降りると、すぐ階段を上っていった。足で踏みしめる度、薄くて錆びついた鉄板が、キイキイと嫌な音をたてた。二人がバラバラに歩を進めるため、その音は不協和音みたいになって、ごつごつ耳に響いた。ドアの前に辿り着き、二人は並んでそれを見つめた。そうして寸秒後、運転手は妙な不快感を覚えた。が、すぐにその正体は分かった。蝿だ。まるで暗く湿った禍事にたかり、同時に部外者を偵察でもするかのように、様々に弧を描きながら蝿が飛び交っているのだ。そのうち、運転手の視界の隅で、何かが動いた。目をやると、殺し屋が彼へ顔を向けたところだった。彼は視線で、行くぞ、と合図し、インターホンを押した。運転手の内臓に、ぎっ、と力が入る。

 一時置いて、ドアの向こうから床を踏み鳴らす音が近づいて来、その振動が空気を揺らした。それはすぐそこまで来ると、ぴたりと止まり、代わって、カチョ、と解錠の音がしてドアが開いた。男が顔を出した。

 その男はぺったりとした黒髪に黒い瞳。その目は二人を一瞬捕えたかと思うと、すぐに宙空に向けられ、怯えるようにゆらゆらした。焦点の定まらないまま、彼はか細い声で、こんにちは、と言った。

「こんにちは」

 運転手の脇から殺し屋がゆっくりと言った。

「少し部屋を見せてもらいたいんだけど、いいか?」

「いいよ」

 男はそう言うと、部屋へ入っていった。二人は一度目配せし、お互いの決意を確かめてから、後に続いた。

 部屋に入った瞬間、ムン、と空気の密度が増し、続けてひどい悪臭に包まれた。息を吸う度に濃度の高い毒が口内に侵入してくるよう。運転手は物理的な嫌悪を覚えた。横を伺うと、殺し屋も、やや顔を顰めていたが、それでも、その程度の反応に留められることに、彼はひそかに驚嘆した。本気で殺し屋に感心したのは、初めてだった。

「この部屋、少し臭うな。大丈夫か?」殺し屋が言うと、

「冷蔵庫が壊れてるんだ、冷蔵庫が壊れてるんだ、冷蔵庫が壊れてるんだ――」

 男はそう繰り返した。それしか言葉を知らないかのように、繰り返した。

 運転手は、頭蓋骨の中で、脳味噌が浮かんで漂っているような、ふわふわとした妙な感覚に陥った。例えるなら……起き抜けに頭がぼうっとしているような、あの現実感の無さだ。絶対に殺してやる、今までずっとそう思っていたのに、突然にそれが揺らいだのだ。体の平衡感覚がなくなり、悪臭のせいか目が沁みてきた。彼はその目を庇うように、視線を斜めに下げた。すると――

 その先に見えたものに、彼は内臓が爆発するような衝撃を受けた。息が詰まり、瞬きを失い、乾いた目から熱さが溢れそうになった。そこでは――床に無造作に置かれた鍋の中で、人間の、腕や足や頭部が、乱雑に積み重なり、その周りに管のようなものが――おそらくは腸が、蜷局を巻く蛇ように、絡まりついていた。彼の様子に気付いた殺し屋も、鍋を目にした。そして、次の時、

「オレを手術してくれ! オレを手術してくれ!」

 唐突に男が叫びだした。運転手は心臓を鷲掴みにされた。

「もう女の子を殺したくない! 殺さないような手術をしてくれ! 手術してくれ! 手術してくれ! 手術してくれ! 手術してくれ――」

 運転手も殺し屋も、しばし呆然と男に目を向けていた。その間も、男は叫び続けた。手術してくれ、手術してくれ――

「分かった、これが手術だ」

 そう言い、運転手は男めがけて銃を撃った。

 男の額の真ん中に、黒く丸い穴が開き、数秒後にそこから幾筋かの血が流れ出した。目をぎょろりと剥いたまま、男は一度ガクリと首を前に折ると、そのまま後ろに倒れた。スローモーションのように、ゆっくりと。どさりという音に続けて、


 静寂が、いやに耳に付いた。


「なあ」それを破って、殺し屋が声を掛けてきた。

「この状態なら、殺人犯が自殺したってことで片づけられそうだ。何か疑問点があってもさ、世間もそれ以上のニュースは求めてないだろ」

 彼はそう言い、男の死体に近づくと、手袋をはめた手で、そっと、瞼を下ろした。そして、これで十分だ、と言った。

 それから、運転手の方に向き直ると、

「オレはこれからこいつの親父を探しに行く。お前も一緒に来るか?」

「ああ、行くよ」

 運転手がそう応えると、二人は部屋から出ていった。

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