かみさまクラスタへ、ようこそ!

 トヨがリクのことを想い、星空に手を伸ばしていたころ、リクは風呂に入っていた。


 風呂から上がって居間に行くと、ナオが缶ビールを片手にテレビを見ていた。

 おやすみ、と声をかけようとしたところで、ナオの方から話しかけられた。


「リク、ちょっといいかな?」

「うん」


 リクは素直にそう応えてナオの隣に座った。


 ふと、いつもならこの時間には数本は空けているナオが、少しも飲んでいないことに気が付いた。

 手に持っているビールも、まだ封が切られていない。


 リクの視線に気が付くと、ナオは優しく微笑んだ。


「なんだかリクが最近元気が無いみたいだから、気になってさ」

「そうかな」


 しばらく、テレビの音だけが流れた。


 何処か知らない街で、知らない女が殺されたというニュースが告げられている。


 先に沈黙を破ったのは、リクの方だった。


「母さんは、父さんのこと、今でも好きなんだよね?」

「ん?そうだね。まあ、死んじゃうってのは最大の勝ち逃げだよね」


 そう応えて、ナオは寂しそうに笑った。


「良い思い出だけ残せればさ、後はもうそれだけで完結しちゃうんだから。それ以上悪くなりようが無いというか」

「そうだよね・・・」


 リクはため息をついた。


 ヨウシュウを失ったトヨ。


 み地の中に垣間かいま見えたトヨの姿が。

 リクには、リクの父親を失ったときに見せた、ナオの泣き顔に重なって見えた。


 ナオのそんな姿を目の当たりにしていたことで、トヨの悲しみの深さは理解出来ているつもりだ。


 だからこそ、リクには簡単に割り切ることが出来ない。


 サキチやユイが何を言ったとしても。

 リクはそんなトヨに対する自分の感情に、どう整理をつければ良いのかわからなかった。


 思いつめたようなリクの様子を見て、ナオは目を細めた。


「リク、私はリクの父さんのこと今でも大好きだけど、他に好きな人がいない訳じゃないんだよ」


 予期しない言葉を聞いて、リクは驚いてナオの方を向いた。


「え?そうなの?」

「・・・そんなにビックリすること?」

「いや、だって、今初めて聞いたから」


 今まで、ナオは何度か再婚を申し込まれたことがある。

 リクが知っているだけで数回はあるのだから、実際にはきっとそれ以上の話があったはずだ。


 だが、そのことごとくをナオは断ってきた。


 そのナオに、好きな相手がいるとはにわかには信じられなかった。


「初めてなわけないだろう」


 ナオはリクの額に人差し指を当てた。


「それはあんただよ、リク。私はあんたが大好きだ」

「はあ?」


 リクは鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をした。


「それは、親子ってことで?」

「当然そうだね。結婚とか出来るわけないし」

「母さん、ひょっとしてからかってる?」

「そんなわけないでしょ。私今結構大真面目」


 ナオはにっこりと笑った。


「私は、いつもリクのことを考えてる、リクの喜ぶことがしたい、リクの役に立ちたいと思っている。これは好きってことになるんじゃないのかな?」

「そんなの言い方の問題・・・」


 いつもトヨのことを考えている。

 トヨの喜ぶことがしたい。

 トヨの役に立ちたいと思っている。


 リクは途中で言葉を飲み込んだ。


「好きって言葉には、いろんな意味があるからね。でも、どんなに沢山の言葉を並べるよりも、たった一言「好き」って言った方がうまく想いを伝えられることだってある」


 親子としての好き。

 恋人としての好き。


 その意味は確かに違うが、それをくどくどと色々な言葉で説明したところで、正しく気持ちが伝えられるわけではない。


「好きだった人が死んで、その人のことを嫌いになれっていうのは正直難しいと思うんだけどさ」


 好き、で完結してしまった相手。

 そんな相手を嫌いになる必要など、何処にも無い。


「でもそれ以上に、今目の前にいる人を好きになることは出来るよ。それは私が保証する」


 ナオはリクの目を真っ直ぐに見つめた。


 迷いのない視線。

 ナオは確かにリクのことが「好き」なのだろう。


 だからこそ、今までずっと一人でリクのことを育ててきた。

 誰かの手を借りることで自分の気持ちが揺らぐことを良しとせず、たった一人で愛情を注いできた。


 自分の「好き」はどんな「好き」なのだろうか。


 部屋に戻った後、リクは窓を開けて空を眺めた。

 同じ星空をトヨが眺めていたことなど知るよしも無かったが。


 自分の中にある気持ちを、正直にトヨに打ち明けてみようと、リクはそう決心した。




 翌日、朝早くにリクは稲荷神社にやって来た。


 濡れ縁でサキチが丸くなって寝ている。

 ユイが境内をき掃除をしていた。


「リク、おはよう。今日はどうしたの?」

「おはよう、ちょっとトヨに話があって」


「なんだい、こんな朝早くから」


 トヨは拝殿から出てくると、ぐぅーっと伸びをした。


「トヨ、俺は・・・」

「リク、キミは、傷心の女の子の心の隙間に付けこんで告白してしまおう、なんて、そんな手合いなんじゃないだろうな?」


 トヨに先手を打たれて、リクはすっかり言葉を失ってしまった。


 しどろもどろになったリクの姿を見て、トヨはため息をついた。


「まあ度胸は買ってあげるよ。昨日は私の態度が悪かったし、氏子うじこになって欲しいってお願いしたのも私だ」


 ぼりぼりと頭を掻いて。


「聞かせてくれ、キミの言葉」


 トヨは拝殿の前に立った。


「トヨ、その、傷心のところに付けこむみたいっていうのは、俺もやっぱり気にしてて・・・」

「あー、ごめん、それは言い過ぎたよ。そこは気にしないで」


 トヨが笑う。空気が柔らかくなる。


「色々考えたんだ。本当に、色々」


 リクは大きく息を吸い込んだ。


「ここしばらくとにかく色々なことがあって、トヨにはなんというか、色々と世話になったり、世話したり、まあ、色々」

「色々あったねぇ」


 トヨはしみじみと言った。


 確かにこの数ヶ月は激動の日々だった。


 リクが力を取り戻し、ユイのことを思い出し、忘れていた記憶を取り戻し、サキチや猫たちのことを知り。

 トヨの手を握り、夏祭りではしゃいで、死霊の言葉を聞いて。

 死霊術師に出会い、空から災厄が降りかかり、み地からは封じていた痛みがよみがえった。


 思えば本当に色々なことがあった。


 そういった出来事の中心には、いつもトヨがいた。


 この小さな稲荷神社で、遥かな昔に人々の願いを叶えるために、命を投げ出して神様になった少女。


 リクはトヨの顔を見た。

 いつものように取り澄ました表情をしていたトヨはリクの視線に気付くと。


 ふわっと、柔らかく微笑んだ。


 神様だけど、女の子。


 今ならどんな言葉でも届く。受け止めてくれる。

 リクはてのひらを強く握りしめた。



「トヨ、俺には特別な力がある。トヨに触れる力、この世界のことわりに従わないモノを消す力。この力は、トヨの役に立てることが出来る」


 トヨ自身も、珍しい、強いと評したこの力。


「だから・・・」


 そこまで言って、リクは言葉を止めた。


 この力があるから、なんだろう。

 自分は役に立つから、なんだというのだろう。


「トヨの力になりたい。トヨのために、何かしたい」


 その想いに嘘はない。


「けど・・・」


 それだけなのだろうか。


 自分がトヨに望むことはなんなのだろう。


 トヨのために力を使って、トヨを助ける。


 それを望んでいることは確かなのに。


 リクの中では、そうではないんだ、という思いが強く湧き上がっていた。


「ただトヨの役に立ちたい、とかじゃないんだ・・・」


 こぶしから力が抜ける。

 そうだ、こんな力なんて関係ない。


 確かにこの力があるから、トヨの姿が見える、トヨの言葉が聞こえる、トヨに触れることが出来る。


 でも、それだけだ。


 それはきっかけを与えてくれただけで。


 これからを作っていく力では、リクが求めているものでは、ない。


「いいよ、続けて」


 トヨは目を閉じた。そのまま、リクの次の言葉を待った。




「あの夜、トヨに会ったとき」


 舞い散る桜の花びらと、月明かりの下で。

 リクは、神様を名乗る女の子と出会った。


 それは初めての出会いでは無かったけど。


「すごく、ドキドキした」


 ただ綺麗とか、ただ可愛いとか、そういうことではなくて。


「世界が急に色づいて、頭の中にある霧が晴れて」


 灰色の世界が、魔法のように、あっという間に色とりどりに染まっていき。


 あふれるまばゆい色彩の中心に。


 彼女が、トヨがいた。


「そのときには多分、もうトヨのことが好きになっていたんだと思う」


 自分のことを神様だという、ちょっと生意気で、笑顔が可愛い女の子は。


 リクの願いを聞いて、リクの力に蓋をして。


 そして再び、リクの前に姿をあらわした。


「トヨが、自分の命を捨てて神様になったって聞いて」


 人々の願いを叶えるために、自らの死を受け入れて、神様になる。


 そんなことが出来るトヨのことを。


 リクは、神様であると思うのと同時に。


「すごいな、って」


 家族のために、誰かのために。


 命を投げ出すことの出来る、トヨという女の子。


 それはリクにとっては本当にまぶしくて。


「やっぱりこの子は、トヨは・・・とっても素敵だなって、そう思った」


 リクは自分の掌を見下ろした。


「俺には特別な力があって、トヨがこの力を必要としてくれるのは、すごく嬉しい」


 強い視る力。

 トヨが力を貸してほしいと言ってくれる手。


「でも、もし俺にこの力が無かったら、トヨは、俺のこと、必要としてくれたかなって」


 力は、確かにきっかけになった。


 ただ、それだけが、トヨとの間をつなぐものだなんて。

 そんな、利害だけの関係なんて。


 寂しすぎるし、むなしすぎる。


「そうじゃなくても、そんなものがなくても、俺は、トヨに必要とされたい」


 トヨとの間には、もっと違う、暖かい何かが通ったつながりがあって欲しい。


 触れ合うことが出来なくても、確かな絆があったと言えるのなら。


 それを手に入れるのに、こんな力は必要ない。


「トヨが、消えてしまうかもしれなかった時」


 トヨの切り離された痛みが、トヨ自身を取り込んでしまった時。


 思い出すたびに、リクは今でも胸の奥が苦しくなる。


「どうしても消したくないって。消えてほしくないって、そう思った」


 トヨが消えてしまう。いなくなってしまう。


 その寸前になって、初めて。


「俺にとってトヨは、どうしようもなく大切で」


 当たり前のように、そばにいてくれて。

 当たり前のように、助けてくれて。

 当たり前のように、微笑んでくれて。


「トヨ無しじゃ、もう何も意味が無いって」


 トヨの無い世界は、再び色を失ってしまいそうで。

 トヨを無くしてしまえば、そのまま何もかもを無くしてしまうと。


 痛いほどに。


「思い知らされた」


 トヨの存在は、リクにとっては、なくてはならないもの。


「俺は、トヨがいてくれると、それだけで、とても嬉しい」


 一緒にいるだけで、楽しくなる。

 そばにいるだけで、嬉しくなる。


 リクがトヨにそう感じるように。


「トヨにも、俺のこと、いてほしいって」


 無条件に、ただ純粋に。


「いてくれるだけで嬉しいって、そう、思ってもらいたい」


 力なんかなくても。

 いてくれることを、そばにいることを望まれたい。


「俺にとって」


 リクにとって。


「トヨは、素敵な神様で」


 リクの世界に、人生に眩しい色彩をもたらして。

 みんなを守ってくれる、素敵な神様。


「トヨは、可愛い女の子で」


 リクの手を握って。

 優しく、花咲くように微笑む、可愛い女の子。


「神様で、女の子。その両方のトヨ」


 そんな、可愛くて素敵な、トヨ。


「そんなトヨと、一緒にいて」


 夏の日々を共に過ごして、笑って。


 手をつないで、ぬくもりを感じて。


 夏祭りの夜に、泣き出しそうな顔を見てしまって。


 雨の日に、二人で並んで座って。


 悲しい思い出を持っていることを知って、少し遠く感じて。


 それでも、とても大切だって気が付かされて。


 消えてしまいそうになって。


 無くしてはいけないと、離してはいけないと。


 そう思い知らされた。


 そんな神様に。

 そんな女の子に。


 そんなトヨに。


「俺は、ずっと恋してた」


 神様ってだけじゃなくて。

 女の子ってだけじゃなくて。


 その両方。全部をひっくるめて。


「君の全て、そのままのトヨ」


 一目見た時から、密かに心を奪われて。


 心の奥底で、ずっと恋焦がれてきた。


 かけがえの無い、トヨ。


 リクはトヨに。


 全ての想いを。

 沢山の気持ちを。

 あふれるほどの言葉を。


 たった一つの言葉に載せて。


 余すところなく、打ち明けた。



「好きだよ、トヨ。君のこと、大好きだ」




 少しの沈黙の後で、トヨは静かに目を開けた。


「・・・大丈夫だよ、ちゃんと伝わった」


 そして、あの、眩しい花咲くような笑顔を浮かべた。


「ふふ、ありがとう。素直に嬉しい。こんなに嬉しいのはいつ振りだろう」

「じゃあ・・・」

「でもね」


 リクの言葉をさえぎって、トヨは話し始めた。


「私は神様。普通の女の子じゃない。好きとか、そういう気持ちを持つのはあまり良い結果を生まない」


 人を好きなることを、止められるわけではない。


 ただ、神様と人間では、住んでいる世界が違う。流れている時間が違う。

 そこには沢山の壁があることがわかっている。


 それならば。


「大丈夫だよ、トヨちゃん。トヨちゃんが人を好きになっても」


 ユイが応えた。


「トヨちゃんが幸せになってくれれば、周りもきっともっと幸せになる」


 ふとしたきっかけで、どこか遠くを見る目をしていたトヨ。


 ユイはそんなトヨをずっと見てきた。


 目線の先にいたのは、ヨウシュウの面影であったり。


 リクであったりした。


「それに、そうやって自分に嘘をついて、我慢するのが一番良くないんじゃないかな」


 ユイの言葉に背中を押されたように、トヨは一歩前に進み。


 うつむいた。


「私が、もし仮に、仮に・・・リクを失うようなことがあって正気を失えば・・・また忌み地を作り出してしまうかもしれない」


 失うことが怖い。


 自分の不注意で、力の至らなさで、好きな人を失ってしまった時。


 またあんな悲しみに、痛みに飲み込まれて。

 神様としての自分を見失うようなことがあれば。


 その時は。


「そん時はまた俺らが力を貸してやるよ」


 サキチが応えた。


「あの黒いのが何言ったところで気にすんな。長い間やって来たことだ、今更何も変わんねえよ」


 猫たちは、トヨと共にずっとこの土地を守ってきた。


 たとえまた忌み地が現れたとして。

 サキチにしてみれば、やることには何ら変わりがない。


「俺らはトヨ様の味方だよ。昔から。そして、これからもずっと」


 トヨはもう一歩前に進んだ。

 顔を上げると、すぐ目の前にリクがいた。


 あの時。


 切り離した自分の痛みの中にいたヨウシュウの面影に、トヨはとても大事な言葉を呟いた。


 その言葉は外に出してしまうと、あっという間に広がって、空気の中に溶け込んで消えてしまいそうだったので。


 トヨは、そっとその言葉を飲み込んだ。


 今はまだ、その言葉を口にするべきじゃない。

 まだ時間はある。ゆっくりでいい。


 もっとも、リクの時間とトヨの時間の流れは同じではないから、そこは気を付けなければならないが。


 でも、根拠は無いけれど、それすらも越えられるような、そんな予感がする。


 そう、きっと大丈夫。


「じゃあ、リク、改めて聞くよ?」


 決心して、トヨはリクに問いかけた。


 リクが、トヨを見つめる。



「私の、信者になってくれますか?」



 可愛くて、素敵な、神様。


 リクを、みんなを、自分の命に代えて守ってくれる、女の子。


 そんな神様、そんな女の子のことを。



 好きになってしまったのだから、仕方が無い。



 リクは、手を差し出した。


「もちろん、喜んで」


 おごそかに、トヨがその手を取る。握る。


 そこには。


 確かな暖かさがある。

 想いがある。

 絆がある。


 触れ合った場所から、何かが通うのを感じる。


 トヨが、楽しそうに笑い出す。

 つられて、リクも笑う。

 手をつないで、二人で、笑いあえる。


 それだけで、何かが満たされる。嬉しくなる。眩しくなる。


「もー、トヨちゃん、それは無いんじゃなーい?」


 呆れたようにユイが言う。


「いいの。これで」


 悪戯っぽい笑顔を浮かべて、トヨはリクの手を取ったまま、くるくるとその場でステップを踏んだ。


「リク」


 名前を呼ぶだけで、何かがきらめく。

 この素敵な縁には、きっと楽しい未来が待っている。



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