終章

神様のために出来ること。

 秋の気配が色濃くなってきたころ、リクは稲荷神社にやって来た。


 濡れ縁に座ったユイが、サキチと何やら話をしている所だった。


「リク、どうしたの?トヨちゃんならまだ帰ってこないよ?」


 神無月、トヨは神様の集会に参加する為に出雲に出かけていた。

 今年は報告することが山のようにあるということで、なんだか妙に張り切っている様子だった。


「そういえば、トヨちゃんのお願い、どうするか決めた?」

「ああ、あれか」


 トヨからのお願いは、なんだか拍子抜けする様な話だった。




「リク、キミに氏子うじこになって欲しいんだ」

「氏子?」

「今時氏子とかってあんまり意味を成してないんだけどね。ああ、お金出してくれる氏子さんはそれはそれで大事だけど」


 トヨが言っているのは、リクがトヨや神社の面倒を見ることをどういう立場でおこなうのか、ということだった。


 リクが神社の雑事をおこなおうとしてくれていることは、トヨにとってはありがたいことではある。

 しかし、それがリクの善意によるボランティアであるなら、あまりそこに甘えたくない。


 けじめをつけておきたい、ということだった。


「今すぐ結論を出す必要はないから、ちょっと考えておいてよ。丁度神無月の集まりにも行かなきゃいけないしさ」




 正直、氏子になること自体は別に問題無いつもりだった。


 ただ、どうもトヨの態度がよそよそしいというか。

 何処か事務的な感じがしたのだ。


「トヨが帰ってきたら、直接返事をするよ」


 ふてくされたようなリクの横顔を見て、ユイがふふっと笑った。


「リク、トヨちゃんのこと好きでしょ?」

「な、んで?」


「バレバレです」


 リクはため息をついた。


「バレバレですか」


 そんなつもりは無かったが、見る側からすればそんなものなのかもしれない。


「そりゃもう。見てるとこっちがやきもきしちゃうくらいには」

「色々考える必要はないだろう。トヨ様もお前のことを好いているようだし」


 サキチが退屈そうに言った。


「サキチさーん、ダメだよトヨちゃんがいないところでそんなこと言っちゃ」

「まだるっこしい。大方ヨウシュウのことが引っ掛かっているのだろう?」


 サキチの言う通りだった。


 リクの中では、トヨとヨウシュウのことがずっと気になっていた。

 お互いに触れることすら叶わないのに、二人の間には確かな絆があったと思わせる。


 そのことが、リクにはどうにも胸の奥につかえていた。


「まあ好きにしろ。ただし、お前の時間はトヨ様の時間よりもはるかに短い。良く考えて行動するんだな」


 サキチはひらり、と身をひるがえすと、何処かに行ってしまった。


「俺の、時間」


 リクは自分のてのひらを見つめた。


 自分にある視る力。

 トヨの手を取ることの出来る力。


 リクはトヨに触れることが出来るのに、トヨとの距離はヨウシュウよりもずっと遠い気がした。


「お二人さん、こんにちわ」


 顔を上げると、マナがこちらに歩いてくるところだった。

 どうやらサキチはマナの気配を察して退散したようだ。


「マナさん、今日はどうされました?」


 ユイが応対する。


 マナはあの後、色々と後始末を手伝った関係上、ユイとそこそこ仲良くなったようだった。

 ユイはむしろ死霊術師に向いているんじゃないか、とリクは思ったが、流石にそれは口にしなかった。


「調べものが終わったので、そろそろこの地を離れようかと。最後に皆様にご挨拶をと思ったのですが、そういえば神無月でしたね。すっかり失念していました」


 み地、ヨウシュウのいおり跡。

 ヨウシュウが熱心に調べていたという文献。マナがこの地を訪れた理由はそれだった。


「それで、どうでした?」


 リクの問いに、マナは首を横に振った。


「残念ながらハズレでした。もう少し踏み込んだものだと思っていたのですが、あれではダメですね」

「そうですか」


 ヨウシュウが最後に成しえたかったこと、それは確か、トヨの魂を込められる人形を作ることだったはず。


 では、マナの目的とはなんなのか。

 リクの考えを読んだように、マナはリクに向かって微笑んでみせた。


「そうですね、色々と協力していただきましたし、リクさんには特別に」


 マナはリクの右手を取ると、その掌をそっと自分の胸の上に置いた。


「え、ちょ、え・・・」


 柔らかい感触にリクが戸惑っていると、マナは静かな声で言った。


「落ち着いてください。その奥です」


 奥、と言われて、リクは改めてマナの手と胸の感触、そして感じ取れるものに違和感を覚えた。


 そこには鼓動が無い。脈動が感じられない。


 命の温かさが、無い。


「言ったでしょう、私は死霊術師です」


 マナの言葉に、リクはゾッとした。


 この死霊術師は、自らの魂ですらその力で操る対象としていた。


「この身体はプロトタイプを使っています。人間の魂ならこうやって問題なく定着させられますが、神の魂となると、これがなかなかたやすいことじゃない」


 リクと一緒に普通に街中を歩き、喫茶店にまで入ったマナの肉体は、まがい物だった。


「私にも神様がいます。神様のために、出来ることをしているのです」


 驚いているリクの顔を見て、マナはにっこりと笑う。

 その笑顔ですら作られた物だとは、リクにはとても信じられなかった。


「あなたも、自分の神様のために出来ることをしてあげてください」


 それでは、とマナは軽く手を振って神社を後にしていった。


 猫たちは彼女のことを良くないモノだと言っていた。


 確かに、硬直したままのユイに何の説明もせずに去っていってしまう辺り、実に良くないモノだとリクは実感した。




 神無月が終わり、トヨは元気に帰ってきた。


 しきりに疲れた疲れたを繰り返していたが、何やら祝いの品を色々頂いたと言ってすっかりご機嫌だった。


「トヨも神様として一皮むけたなーとか言われて、なんかもう毎日のようにお祝いとか来ちゃって、ひょっとしたらこんなに色々してもらったの初めてかもしれない」


 神として一皮むける。

 その言葉は、確かあの黒い神も言っていた。


 リクはなんだか胸の奥がもやもやとした。


「ああ、あの黒いののことは考えても仕方がないよ」


 リクのそんな様子を察して、トヨは明るくそう言った。


「トヨはアレを本当の神って言ってたけど、神ってあんななのか?」

「そうだねぇ。この宇宙そのものを「視て」いる存在にとっては、私みたいなちっちゃい神様とか、人間なんて割かしどうでもいい存在なんじゃないのかなぁ」


 気にしても仕方がない。


 宇宙という単位で世界を俯瞰ふかんしている存在からすれば、本当に気が向いた時くらいしかこちらを見てくれることはない。

 そもそも本当の神にまみえるということ自体が非常に稀有けうな経験であると、トヨは語った。


「それに、結果として忌み地は消えて、この土地には平穏が戻ったんだ。あの黒いのにしてみれば、そのやり方は何でも良かったんだろう。広い視野で見れば万々歳だ」


 あっさりとそう言われてしまうと、リクもなんだか毒気を抜かれたような気分になってしまったが。


 それでも、わだかまりは残る。


「やれやれ、納得出来ないかい?」


 納得しろ、と言われて納得出来るほど、リクも人間が出来ているわけではない。


 最後の最後に顔だけ出して。

 種明かしして水を差して。

 嘲笑って去っていくなど、趣味が悪すぎる。


「それにしてもリク、私が止めなかったら、キミはあの黒いのをどうするつもりだったんだ?殴って消せるとか、まさかそんなことを考えていたのかい?」


 リクはそう考えていた。

 そのことを告げると、トヨは呆れてため息をついた。


「あのね、リク。確かに君の力は強い。でもそれは人間の中では、ということであって、神様の次元にはまるで通用しないよ」


 外の宇宙から来たモノたちは、この世界にって立つものが無い。

 だから、リクのことわりに縛られ、簡単に飲み込まれ、消し飛ばされることになる。


 だが、例えばトヨの場合で考えれば、たたり神ではない今の状態のトヨを、リクの力で消すことはまず出来ない。

 トヨがリクと同じ世界のことわりの上に存在している、ということもあるが。


「私には、ユイや、猫たちや、信仰してくれる沢山の人たちがいる。そういうものがたばになって私という存在を支えている限り、キミ一人の視る力程度で私を消したりは出来ないよ」


 リクが一人でトヨという存在を否定しようとしても、トヨには拠って立つ無数の後ろ盾がある。


「私は私一人でトヨウケビメノカミという存在を作っているわけじゃない。そうだな「かみさまクラスタ」って感じかな。それを全部キミ一人で消し去れるって言うのなら、話は別だけどね」


 トヨは優しく微笑んだ。


 トヨの笑顔を見て、リクはとても安心した。

 色々とあって悩んでいるのではないかとも思ったが、吹っ切れたというか、なんだか以前よりも明るい様子だ。


 久しぶりにトヨに会って、話して、リクは自分でも驚くくらい嬉しかった。


「そういえば、トヨ、氏子の話なんだけど」


 リクがその話を切り出した途端、トヨの顔から笑みが消えた。


「リク、ごめん、その話はちょっと待ってくれないか」


 有無を言わさずに、トヨはその話題を打ち切った。


「私からお願いしておいてなんだけどさ、ちょっと、待って欲しい」


 今までの笑顔が嘘のように消えて、急にうつむいたトヨに、リクはどう言葉をかけて良いかわからなかった。


「ホントにごめん」




 夜、トヨは境内で夜空を眺めていた。


 サキチがひらり、とその横に座った。


「リクのヤツ、なんかヘコんでたぞ」

「うん。私が悪いんだ」


 そう応えるトヨも、浮かない表情だった。


「いいじゃねぇか。あいつはトヨ様の氏子になるって言ってるんだから」

「うん。そうだろうね。なってくれるだろうね」

「そんなに悩むくらいだったら、いっそのこと魅入ってしまえば良いじゃねぇか。その方が色々言い訳付けやすいだろ」


 魅入る。

 神様の力で、相手の意識を束縛し、自分の方を無理に向かせること。


 視る力の強いモノを縛るときに良く使われる力だ。


 トヨにとって、リク程度の力を持つ者を魅入って言うことを聞かせるなどたやすい。


「そんなこと・・・出来ないよ。私はリクをそういう風にしたいんじゃないんだ」


 トヨは首を横に振った。


「じゃあどうしたいんだ?」

「どう、って。私は・・・」


 トヨはぼんやりと星空に手を伸ばした。


「私は、どうしたいんだろう・・・?」


 トヨが祟り神になったとき、トヨを引き戻したのはリクだ。

 リクの強い想いが、リクの掌から伝わる熱が、トヨを支えた。トヨを、トヨでいさせてくれた。


(でもその想いは、熱は・・・)


 トヨの中で、小さな火種がくすぶっている。


「・・・本当に、私はどうしたらいいんだろうね?」


 星空に向かってトヨは問いかけた。


「ねえ、教えてよ、リク」

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