第15話 抱きしめる

 ★

「警察には言われた通り、通報しておいたよ」

 水色の作業服を着た若い男女ふたりは岩田家から少し離れた暗い路地に止めた車の中で、後部座席に乗り込んできた藍士を振り返ると早速、声を掛けた。

「ご遺体は仏壇のある部屋に運んでおいたけど、それで良かったよね?」

「うん、ありがとう。助かったよ」

 藍士は優しく微笑むと言った。

「さすがに俺一人じゃあの短時間で貴之さんを助け出すことは難しかった。君たちが手伝ってくれたおかげで上手くいったよ。……それにしても君たちは変わっているね。死体を見ても顔色一つ変えないなんて」

「職業柄、とだけ言っておきましょう。だけど、変わっていると言えばあなただって」

「そうそう。死体を見ても顔色一つ変えないのはお互い様よ。だいたい挙動不審。一度帰ったはずなのに、夕方になってこっそり戻ってきて家の様子を伺っているんだもの。泥棒かと思ったわよ。あたしたち、そろそろ帰ろうかってところだったのに」

「それを思うといいタイミングだったね。もう少し遅くあなたが来ていたら僕たちは帰った後だった」

「帰ったら良かった。何が悲しくて遺品整理業者が死体を掘り出す手伝いをしなきゃならないわけ? 犯罪よ、まったく」

「ご、ごめんね」

 藍士が恐縮して謝ると、男の子が苦笑して女の子に言った。

「蜜美ちゃん、きついって。事情を聞いたら放って置けないだろ。ことは殺人なんだから」

「分かってるけど」

 ぷっと頬を膨らませて蜜美は言う。

「だけど、結構、危ないことしたんだよ、あたしたち」

「そうだね。……でも、どうしてあの孫が犯人だって分かったんですか?」

「あと、洋間に死体が隠されているってことも」

「うーん。孫自身の告白によると、彼は殺してはいないらしいんだけどね」

「信じるんだ?」

「嘘は言っていなかったと思うよ。遺体を動かそうとしたのは厄介事から自分たちを守るためだろう」

 藍士は憂鬱そうに溜息をついた。

「いろいろ話しを聞いているうちにたどり着いた結論なんだけど。順を追って言うとまず、気になったのは顔が見えないことなんだよ」

「顔?」

「ある古本屋に聞くと、あの岩田さんの孫はとんでもない奴で、岩田さんの蔵書を勝手に持ち出しては売りさばいて遊ぶ金を作っていた。で、隣の篠原さんという婦人に話しを聞くと、やっぱりしょっちゅう孫は来て、おじいさんと喧嘩しては本を盗んでいた。ところが篠原さんは妙なことも言うんだ。そのとんでもない孫は友達と来るとおじいさんと喧嘩して、本も盗んでいく。けど、一人で来ていた時は穏やかで喧嘩もしないし、本も盗まない。変だよね? どっちが本当の孫の顔なんだろう? まるで顔が見えない」

「まるで二人いるみたいだね」

「二人いたんだよ」

 にこりとして藍士は頷く。

「篠原さんは、岩田家に週二、三回通っていたはずのヘルパーさんを見たことがないと言っていたんだ。老人介護のヘルパーだというから女性を想像していたのかもしれない。ところが、岩田家で雇っていたヘルパーさんは若い男性、つまり貴之さんだった。篠原さんは若い人はみんな同じ顔に見えると言っていたから、貴之さんが岩田家に入るのを見て、ああ、岩田さんの孫が今日は一人で来たんだなと思っていたみたいだ。

 孫の恵斗くんは、岩田さんが生きている時も、亡くなった後も、性懲り無く現れて家にある本を持ち出して売っていた。どうしようもない孫は健在だけど、篠原さんのいう穏やかな孫の姿が消えた」

「その穏やかな孫っていうのが貴之さんなんだ。篠原さんが孫の恵斗くんと勘違いしてた」

「そういうこと。岩田さんの息子の恵一さんに連絡を取って、貴之さんが務めていた介護会社を教えてもらった。そこに行って話しを聞くと、貴之さんは岩田家に仕事に行ってそれきり行方不明になってしまったことが分かったんだ。それ以降の足取りはつかめない。と、いうことは彼は岩田家から出ていないということになる。なら、岩田家のどこにいるんだろう? 残念ながらもう生きてはいないだろう。そう考えて家の中を観察すれば、怪しいのはあの洋間だ。洋間には種々雑多な本が詰め込まれていた。どうやら岩田さんがボケて手当たり次第に買い込んだと思われる本があの部屋に置かれているようだった。古本としては価値のない新刊の本もたくさんあったから。でも、それだけじゃない。かなりいい値の尽きそうな本もいくらか置いてあったんだ。恵斗くんは相変わらず本を盗んで売っている。でも、素人目でも一番いい状態にある洋間の本には何故か手を付けていない。そしてよく見ると、あの部屋の床は古いうえに本の重さのせいで弱っていた。つまり、床を剥がして床下に何かを埋めるのにはもってこいの状態だったわけだ。例えば老人一人の力でも」

「なるほど。それで死体はそれほど深くは埋まっていなかったんだ。老人にしては体力のある方だとしても一人では深く埋めることができなかったんだね」

 遺品整理業者の男の子は納得して頷いた。

「ついでにあの大量の本を置くことでカモフラージュにもなったと」

「そう。それを亡くなる寸前に岩田さんから聞いていた恵斗くんは、さすがにあの洋間にある本を盗み出そうとはしなかったんだ」

「おじいさん、どうして死んだんだろう」

 不意に蜜美が悲しそうにつぶやいた。

「息子さんが言っていたけど、おじいさん、歳は取っていたし、最近はボケの症状も出ていたけど、でも体は昔から丈夫で病気らしい病気はしたことなかったって。それが、急に衰えて寝たきりになって、あっさり亡くなってしまった、信じられないって。・・・寝込み始めたのが亡くなる一週間くらい前だって言ってたけど、古本屋さんの話しでは貴之さんがいなくなったのはその少し前でしょ。やっぱり、孫のことを思い悩んだせいで衰弱して・・・亡くなってしまったのかな」

「愛情のせいかもね」

 緩い口調で男の子が言った。

「その重みに耐えられなかった、のかな。そのせいでボケちゃったのかも」

「岩田さんはボケてはなかったよ」

「え? でも、息子さんがボケたって言ってたわよ」

「ボケたと思われた原因は、古書収集家だった岩田さんが、急に手当たり次第、本なら何でもいいって具合に買い漁り始めたからだよ。でも、岩田さんがそうして本を買っていたのは」

「例の洋間を本で埋めつくして死体を隠すためだよね」

「そう。その行為が岩田さんをおかしいと思わせたんだ。ボケているってね」

「でも、変よね。だって、どうしてわざわざ買うの? あの家には洋間以外にもたくさん本があったわ。その本を洋間に移動させた方が楽じゃない」

「うん。ここからは俺の推測になるんだけど、きっと恵斗くんは殺人が起こるまではあの洋間の本にも手を付けていたのだと思う。そのせいでかなり本が減っていて、岩田さんが一人で貴之さんを床下に隠すことも容易だったんだろう。だけど、隠してしまった後、不安になった。床の異変に気が付いて誰かが死体を発見するんじゃないかと。そこで本を床の上に置いてカモフラージュしたいが、洋間の本の数は減っている。それでは、他の部屋にある蔵書をここに置こうか。いや、それは駄目だと岩田さんは思ったと思う」

「どうして?」

「恵斗くんの性格だよ」

 困惑したように笑って藍士は蜜美に言った。

「彼は貴之さんのことがあった後でも、平然とこの家に来て相変わらず、本を盗んでいた。そういう孫の性格を岩田さんは分かっていたんだ。だから、洋間の本には手を付けさせないため、新刊の、売っても大した値にならないだろう本をわざわざ買って洋間に詰め込んでいたんだ。まあ、洋間に死体があると分かってからはさすがに恵斗くんも洋間の本には手を出さなかったけどね」

「ふうん。厳しいおじいちゃんかと思っていたけど、所詮、おじいちゃんは孫に甘いか。だったら自分がやりましたって自首すればいいのに。そうすれば死体遺棄なんてしなくて済んだでしょ? それは嫌だったのかな?」

「・・・事実として貴之さんの命を奪ったのは岩田さんだったとしても、自首することで孫も警察に調べられ、殺人に至った経緯がばれてしまうだろう。そうなれば岩田さんは情状酌量で罪は軽くなるかもしれないけど、恵斗くんはそうはいかない。厳罰に処される可能性が高い。岩田さんはそんなことも考えて、苦渋の決断で貴之さんを床下に隠すことにしたんだと思う」

 溜息交じりに言った後、藍士は吹っ切るように明るく二人に笑いかけた。

「二人とも、どうもありがとう。厄介事に巻き込んで悪かったね。それじゃ、俺はそろそろ行くよ」

「はい。お疲れ様です」

 男の子は車の外に出る藍士に微笑んで手を振る。それに笑顔で答えて歩き出そうとした藍士だったが、ふと、足を止め、振り返った。

「ねえ、君。名前を聞いていなかったね。教えてもらっていい?」

「ああ、そうか」

 窓から顔を出すと、男の子は言った。

「僕は渡雪比呂わたりゆきひろ、こっちは五百倉蜜美いおくらみつみ。ともに十八歳です」

「十八。若いな」

 苦笑する藍士に、少し表情を改めると雪比呂は言った。

「あの、あなたの弟さんに言っておいてください。嘘をついてごめんなさいって」

「嘘?」

「はい。僕はアルバイトだって言いましたけど、本当は経営者です」

「え? 社長なの?」

「意外でしょ」

 ころころと隣で笑う蜜美の頭を軽く小突くと、雪比呂は改めて藍士を見て言った。

「それから空船うつほぶね。ええ、確かにあなたの言う意味の空舟だとお伝えください」

「そう、なのか」

「でも、僕らの空舟は乗るものを闇へと送る空舟じゃない。光へと運ぶ空舟です」

 光。

 じゃあ、と手を上げると雪比呂は車内に引っ込み、すぐに車を発進させた。夜の彼方へと消えていく白いバンの後ろ姿をしばらく見送った後、再び、藍士は歩き始めた。けたたましいサイレンの音が岩田家の方から聞こえてくる。

 みつけてくれたかな。

 藍士はかすかに微笑んだ。

 洋間の床に空いた穴の中に、折り重なるように倒れて失神している五人組を警察はみつけるだろう。そして、仏間に横たわる孤独な青年の遺体も。

 心から溜息をつくと、藍士は夜空を見上げた。

 美しい夜空に慰めを求めてみたが、見えるのはわずかな星の瞬きだけだ。

 こんな星空じゃ慰めにもならない。

 藍士は困って、前髪を指先でごしごしとしごいた。


 ★

「これで君は満足なのかな」

 頼は静かに尋ねた。目の前に座る青年は優しげに微笑む。

「愛情はやっぱり重かったよ。潰されてしまったな」

「……他人の愛情に潰されてどうする」

「本当だ。でもさ、悪くなかったよ、他人の愛情も」

「……いきさつを聞いてもいいかな? どうして君の絵本が岩田さんの孫の手で売られることになったのだろう?」

「岩田さんが古い本が好きだって言うから、僕にもおばちゃんから貰った絵本があるって見せたんだ。岩田さんはシュールなところがいいって気に入ってくれて、手元に置きたいと。だけど大事な絵本だからあげるわけにはいかない。しばらくの間ならと、貸しあげたんだ。それを恵斗とかいう孫が他の本と一緒に絵本を持ち出して古本屋に売ってしまったんだよ。岩田さんはすごく怒った。他人様の本にまで手を付けるとは何事だってね。それで大喧嘩。……僕も、何度も本を持ち出そうとするのを止めたことがあるけど、彼は駄目だ。まったく聞く耳を持たない」

 深い溜息を青年はついた。

「その大喧嘩に居合わせた僕は当然、割って入った。みんな、熱くなっていたから今までと違って今回は激しい取っ組み合いになってしまってね、僕は五人がかりで殴られた。恵斗がどこから持ってきた置物のようなもので僕の頭を殴りつけ、そこで意識が飛んだ。次に目を開けた時、ぼんやりする視界に映ったのは、泣きながら僕をその置物で殴ろうとする岩田さんの姿だった。孫のためだ、許してくれ。あんな孫でも殺人者にはしたくないって。・・・僕は抵抗しなかったよ。というか、出来なかったかな。恵斗に殴られたのが既に致命傷だったから。どうせ、死ぬならこの人の孫への愛情のために死ぬのも悪くないかってそう思ったんだ」

「……甘いな」

「ありがとう」

 青年は差し伸べた手で頼の頬をそっと撫でた。

「君には抱きしめてくれる人がいる。だから、こっちにはなるべくゆっくりくるといい」

 頼は何か言おう唇を開きかけたが、そこで目が覚めた。


 ★

 顔を上げると、目の前に藍士の心配そうな顔があった。

「寝ていたか」

「……な、何?」

「いや、もう目覚めないかと思った」

「何言ってるの……」

 ソファーから体を起こすと、頼は顔を両手で撫でた。藍士の自宅のソファーで、彼の帰宅を待っているうちに眠ってしまったようだ。胸に抱いていた絵本『顔のない夜』をそっと体から離す。

「……済んだの?」

「うん。今頃は警察が来て後始末をしているよ。あの五人はしばらくは支離滅裂なことを言って警官を悩ませるだろうな」

「得体のしれない古本屋がいた、とか?」

「そんなとこだ。信じてくれる人が警察にいるかな? ……ところであの床下の『穴』は放って置いてもいいのか」

「いいよ。ちょっとこちらと向こうを繋いだだけ。放って置いても自然に塞がる」

「それならいいが。ああ、それから、あの遺品整理をしていた二人だけど」

「手伝ってくれたんだ」

「何で分かるんだ?」

「秘密」

「可愛くないなあ。……彼から伝言があるんだけど」

「嘘をついたことは許さないから謝られても困るよ」

 ぐっと言葉に詰まって藍士は黙り込む。その微妙な表情をじっくりみつめてから頼は言った。

「貴之さんを殺したのはおじいさんだったよ。殺された本人がそう言うんだ。……つまらない結末だね」

「頼? 大丈夫か?」

 手を伸ばして頬に触れようとする藍士の指先を、顔をそむけて頼は拒否する。

「疲れるよ、まったく、どいつもこいつも」

「……コーヒーでも飲むか」

 微かに笑って、キッチンに向かおうとする藍士の背中に頼は言った。

「この絵本……貴之さんの絵本、山瀬さんに返しなよ」

「ああ、分かっている。残念な結末になってしまったけどな」

「そうだけど、大丈夫。少なくとも、貴之さんという人は想いを遺して誰かを苦しめたりはしないよ。山瀬さんに言っておいて。貴之さんを……この絵本を抱きしめてあげてくれって。それが彼の望みだよ」

「分かった。……優しいな。お前の言葉とも思えない」

「僕も甘いらしい」

「うん? どういう意味だ?」

 頼の傍に戻ってきた藍士に、頼は顔を伏せた。そして、小さく言う。

「ねえ、藍士」

「何だ?」

「少しだけ、ここにいてくれないか」

「ずっと、ここにいるよ」

 隣に座る気配がした。きっと彼は微笑んでいる。また口がアヒルになっているに違いない。少し楽な気分になって、頼は顔を上げる。


(おわり)

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顔のない絵本 夏村響 @nh3987y6

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