第14話 穴

  ★

 暗闇の向こうで音がする。

 例の本の詰まった洋間からそれは聞こえてきた。ふらふらと火の玉のように揺らめくものはどうやら懐中電灯の光のようだ。数人の抑えた話し声と荒い息遣い、ざくざくと土を掘り返す音が部屋の中に充満していた。

「……おい、どうだ? 何か見えるか?」

「いや。本当にここなのかよ」

「ああ、あのじじいだって死にかけている時に嘘なんかつかないだろうが」

「……なあ、いい加減、疲れたぜ。今夜はもうこのくらいにして帰ろう」

「だめだ。明日あたり古本屋が来て、ここの本、全部持って行ってしまうんだよ。そうしたら、この家は空っぽになって、取り壊される。解体が始まったら……みつかっちまうだろ、ここに何があるのか」

「何があるのかな?」

 不意に知らない声が会話に割り込んできた。全員がぎくりとして動きを止める。

「だ、誰だ……?」

 誰何すいかする声を上げるのと同時に照明がついた。部屋に佇む五人の青年たちは突然のことに、眩しそうに目を眇めつつ、声の主を見る。

「……何だ、お前、誰だよ?」

「古本屋です」

 短く答えて、にやりと笑う。そして、藍士は彼らの足元に目を落とした。

「で、君らは何を発掘しているんだろう? 答えてもらっていいかな? 岩田恵斗くんとその仲間たち」

 ぐっと恵斗たちは口をつぐんで、お互いの顔を見る。

 彼らの立っている辺りの床は力任せに剥がされ、積まれていた本は部屋の隅に邪険に放り出されていた。彼らは手に大きなスコップを持ち、床下を掘り返している最中だった。

「君らは」

 藍士はゆっくりと彼らに近づく。

「田代貴之さんを殺して、ここに埋めたんだよね?」

「ち、違う!」

 一瞬の間の後、悲痛な声で恵斗は言った。

「あ、あいつを、あのヘルパーを殺したのは俺じゃない、じいさんなんだ!」

「きっかけを作ったのは君だろう?」

 冷たい声音で藍士は言い放つと、底光りする目で彼らを見渡した。

「おそらく貴之さんは、家に訪れては岩田さんの蔵書を持ち出し、それをたたき売って遊ぶ金を捻出していたあなたたちの所業をとても憎んでいたのでしょう」

「お前、古本屋って言ったな。その古本屋がここに何しに来たんだ」

「あなたたちに貴之さんがどんな人だったか教えてあげようと思って、ここで待っていたんですよ」

「どういう意味だよ……」

「貴之さんも一時はあなたたちのように定職に就かず、遊びまわっている人でした。家を飛び出し一人になって、彼はようやく自分の愚かさに気が付いたのです。勉強をして介護の資格を取りました。そして元々好きだったお年寄りの介護をするヘルパーとして介護の会社に就職し、働き始めました。一人前になったら、いつか家族の元に帰るつもりだと、彼は会社の同僚によくそんな話しをしていたそうです」

「そんなこと、知らねーよ!」

「そうだよ、何なんだよ、お前は」

「黙りなさい。私の話しを君らは聞く義務がある。何故なら君らが貴之さんのそんなささやかな望みを簡単に壊してしまったのだから」

 藍士は厳しくそう言うと恵斗を睨んだ。その圧に屈して彼らはたちまち口を閉じる。静かになったところで藍士は話しを再開した。

「……そんな彼がある日、誰にも何も言わず、仕事をすっぽかして会社の寮にも戻らず、姿をくらましてしまいました。会社の上司は、不良上がりのやることだからと気にも留めません。勿論、警察にも届けを出すこともありません。君らには幸運なことでしたね。……ですが彼と親しくしていた同僚はおかしいと思っていたそうです。皮肉っぽいところもあったそうですが、本来思いやりのある優しい人で、仕事に熱心だった彼が担当のご老人を見捨てて、いきなりいなくなるわけがない、と。それでも会社の方針には、一従業員いちじゅうぎょういんである彼は逆らうことができず、何も言えなかったそうです。我ながら不甲斐ないと、悲しそうにしておられました。……このことは私が貴之さんが働いていた会社に直接出向いて、話しを聞いてきたことなので間違いありませんよ」

 藍士はそう言うと、彼らの足元に空いた黒々とした穴を覗き込んだ。

「貴之さんはもしかしたら、かつての自分とあなたたちを重ねて見ていたのかもしれませんね。自分のしてきた行いを後悔した分、今のあなたたちへの怒りは大きかったのではないでしょうか。・・・・ああ、そうだ。せっかく頑張って掘ってくれたのに悪いけど、もうここに貴之さんはいませんよ」

「……は? 何?」

「私たちが一足お先に、救い出しました。元々、それが私の頼まれた仕事でしたので」

「ど、どういうことだよ?」

「気味の悪い奴だな。……おい、恵斗、どうするよ?」

「こいつ、うるせえな。さっきから訳の分からねえことばっかり喋りやがって」

 暗い目で恵斗は藍士を睨んだ。

「あのヘルパーの話しなんてどうでもいい。あんな奴、自分が悪いんじゃねえか。他人の家のこと、何かと口を挟みやがって。馬鹿じゃねえの。自分の仕事だけしてりゃいいんだよ。本を持ち出そうとしたらいちいち邪魔しやがって。何がじいさんが悲しむだ。あんな偏屈じじいが何だってんだ。うぜえから、あのヘルパー、ちょっと殴ったらぐったりしてよ」

「ちょっと殴ったら? どうせ、ここにいる全員で一人を寄ってたかって殴ったのでしょう?」

「け、恵斗だよ」

 一番、後ろにいた男が慌てて言った。

「俺たちも確かに面白がって、あのヘルパーを突いたり、蹴ったりはしたよ。でも、頭を殴ってぐったりさせたのは恵斗だよ。俺たちは別に……なあ?」

「おい! 裏切る気かよ! みんなでやったんだろうが!」

 一斉に他の四人が恵斗から目を逸らす。その様子に彼は憤慨して鼻を鳴らした。

「ちっくしょう! だいたいあのヘルパーが悪いんだ! でしゃばるから殺されることになるんだよ!」

「あ。今の、自白と受け取っていいですか?」

「う、うるせえ! 俺が殺したんじゃないって言ってんだろうが! 俺はちょっと殴っただけだよ。ヘルパーは倒れたけど、でもまだ生きてた。とどめを刺したのはじじいだ。『殺したのは俺だ、お前じゃない』とか言ってよ。あのヘルパーもおとなしくじじいに殴られてやんの。馬鹿ばっかりだ」

 吐き捨てるように恵斗は言った。

「その後、俺たちはすぐ家を出たから、ヘルパーの死体をどこにやったのか知らなかったんだよ。死にかけている時にじいさんに聞いたら、この部屋の床下に埋めたって言ったんだ。だから俺は……」

「証拠隠滅にいそいそ訪れた、と」

「う、うるせえ!」

「死体を掘り出してどこかに隠そうとしたのなら、君らにも罪の意識はあるということだよね。その気持ちがあるなら、その足で警察に出頭しなさい。罪を償う。それが貴之さんとそして君をかばってくれた岩田さんの供養にもなる」

「罪の意識? お前、何言ってんの?」

 鼻で笑うと恵斗は言った。

「俺たちは殺してないんだ。罪なんてねえよ。ただ、厄介なことになるのは嫌だったから、死体を始末しにきてやったんだ。死んだじいさんの殺人を隠してやろうっていう孫のいじらしい愛情だよ。お前、それが分かんねえの?」

「……愛情?」

「そうだよ。でも、まあ、死体がここに無いならそれでもいい。お前がどこに隠したにしろ、俺には関係ないことだ。俺は殺していないんだからな。証拠はどこにもない。今、ここにいるのはお前と俺たちだけだ。俺が何を言おうと誰も聞いてない。そんなもの、自白の内に入らねえよ。なあ、そうだろ」

 不意に仲間たちは勢いを取り戻し、そうだ、そうだと口々に囃し立て恵斗に加勢した。そして揚句には、こいつもやっちまおうぜ! と叫び出した。

「……そうだよな、こいつをやっちまえば俺たちは安泰だよな。ヘルパーの死体を移動させるための用意はしてきてるんだ。お前にそれを使ってやるよ。喜べ、立派な死体袋だぜ」

 手にスコップを持ってじりじりと自分に近づいてくる五人の男たちにまったく臆することなく、藍士は穏やかに言った。

「仕方ない人たちだな。できればこんなことはしたくないのに」

「何言ってんだよ?」

「足元、気を付けた方がいいよ」

「……あ?」

 彼らは言われるまま、揃って足元を見た。そこで気が付く。ぽっかりと空いた穴からじわじわとしみだしてくる黒いものに。彼らの目には黒い霧がゆっくりと這い上がってくるように見えた。

「何だよ、これ……」

「おい、体が動かなくないか?」

「この霧みたいなの、体に這い上がってくるぞ! ……穴の中に引っ張られる!」

「ああ、それはね」

 藍士はパニック状態の彼らに柔らかく微笑むと言った。

「君らの空舟うつほぶねだってさ」

「うつほ……ぶね? な、何だよ、それ」

「化け物とされる不浄のものをあの世に送る舟のこと。……お客さま、足元にお気をつけください、とうちの弟が言っていたよ。……もう遅いかな?」

 五人は絶叫と共に、暗く深い穴の中へと引きずり込まれていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る