第13話 のっぺらぼうの顔
「こんにちわ」
「あら、こんにちわ。……あ、あの、あなたたちは
目を眇めて、警戒するように婦人は言った。こちらの返答次第ではいつでも逃げ出せるようにと、わずかに腰を引いている。
「ケイトくん? ああ、岩田さんのお孫さんのことですか」
「あら、ごめんなさい。違ったようね。恵斗くんのお友達を何度か見かけたから」
あからさまに彼女はほっとして言った。
「良かったわ。実はちょっと怖かったのよ」
「そのお友達に私は似ていますか?」
「ええっと、どうかしら? 最近すっかり目が悪くなっちゃって。まあ、どちらにしろ、若い人たちはみんな同じような格好で同じような顔をしているから見分けがつかないのよねえ」
「ああ、なるほど。分かります」
にこにこと応じて、藍士は言葉を重ねた。
「実は私たちは古本屋でして、ここのお宅の蔵書を拝見しておりました。篠原さん、ですよね? 恵一さんから伺っています。岩田さんと親しくされていたとか。お世話になったと感謝されておいででしたよ」
「まあ、そうねえ。それなりにお世話させていただいていたかしら」
まんざらでもないように相好を崩すと婦人は言った、
「この辺りでは、うちと岩田さんが一番古い住人だから、古いもの同士、それなりには仲良くさせてもらっていましたよ。特に、息子さん夫婦が出て行かれてからは何かと気を配っていたつもりです。……こんなことになってしまいましたけど」
「お孫さんはこちらにはよく来られていましたか?」
「そうねえ、週に二、三回くらいかしら。一人で来たり、お友達と数人で賑やかに来たり、いろいろね」
「岩田さんは喜ばれたのではありませんか?」
「とんでもない」
婦人は苦い顔をして首を振った。
「一人で来た時はそんなことないんだけど、友達を引き連れてきた時は大抵、大喧嘩。岩田さん、歳は取っていたけど体は丈夫だったからね、若い子にまだ負けていなくて・・・もう外にまで怒鳴り声が聞こえて来てすごかったわよ。本泥棒とかなんとかって叫んでいたわ。恵斗くんは恵斗くんで悪態ついて、友達は面白がって囃し立てて……」
「お孫さんたちはそれで悪態だけついて何もしないで帰ったのでしょうか?」
「友達と一緒にダンボールや紙袋を抱えて車に乗せて出て行ったわねえ。多分、中身は岩田さんの本だったと思うわ。持ち出して売っていたんじゃないかしら。ほら、だから本泥棒って、岩田さん、怒っていたのよ」
そこまで言うと、憂鬱そうに婦人は溜息をついた。
「恵斗くん、昔はあんな子じゃなかったんだけどねえ。優しい子だったのに。きっと、友達が悪いのよ」
「そうなんですか?」
「だってね、恵斗くんが一人で来た時は、喧嘩なんかしないもの。その時は穏やかなのよ。やっぱり、友達が悪いのよ」
「ここからいつもご覧になっていたのですか?」
「え? ええ。でも、仕方ないじゃない。お隣さんの大きな声が聞こえてきたら気になるでしょ? ここから様子は見えてしまうんですもの。覗いていたわけじゃないのよ」
顔をしかめる婦人に慌てて藍士は言った。
「勿論、覗いていたなんて、そんなふうには思っていません。篠原さんは岩田さんと親しかったわけですから、自然と情報も入ってきますよね。恵斗くんとは直接、お話しされたりもしていたのでしょうか?」
「いいえ、お話しなんてできるわけないわ」
「どうしてですか」
「怖いもの」
「え? 一人で来た時もですか?」
「だって、大喧嘩している時の声を聞いているのよ。怖いじゃない。一人でいようが、友達といようが、怖いものは怖いわ」
「ああ、そうでしょうね」
藍士はよく分かるというように頷く。
「あの、岩田さんのところにヘルパーさんが来ていたと聞いたのですが、その方の連絡先をご存じないですか?」
「ヘルパーさん? 知らないわね。見かけたことないわよ」
「そうなんですか?」
「ええ。恵一さんに直接聞かれたらどうかしら? 恵一さんの連絡先はご存知でしょう?」
「……あ、聞き忘れました」
「ええ? そうなの?」
婦人は不審そうな顔をしたが、すぐに仕方ないわねえ、とぶつぶつ言いながら、メモに電話番号を書いて渡してくれた。藍士はメモを受け取ると礼を言って、婦人から離れ、後ろで見学していた頼を促すと、帰るべく門に向かって歩みを進めた。
「良かったね、ああいうお節介おばさんがいてくれて」
「こら。聞こえるだろ」
藍士は頼をたしなめると、少し考えてから言った。
「……なんとなく見えてくるものはあるな」
「へえ、何が?」
「
頼は小さく息を吐いた。そして、言葉を重ねる。
「あるいは、のっぺらぼうの顔とか?」
「のっぺらぼう……?」
「だって、誰の顔も見えないじゃない。まるでその絵本みたいだ」
藍士は黙って紙袋に入った絵本を見下ろした。顔のない絵本を。
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