第2話「クリスティーナ嬢」


 クリスティーナと名乗った少女は、スカートの裾を摘んで踵を引くという随分と古風な挨拶をしてから、またにこりと微笑んだ。

 彼女の足元には、小さめの旅行李が鎮座している。


「ご丁寧な挨拶、痛み入る。私はこの度、イーストオルビー管区メイスフィールド郡の代官職を賜ったランドルフ・ディーン・ウェンライトと申す者。……以後お見知り置きを、レディ」

「は、はいっ!」


 ……子供から示された礼節を無視するなど紳士的ではないなと、私も帽子を取って胸元にて返し、左手を軽く払うという古い礼を返した。


 何やら満足げに頷いていた老人とは略式の挨拶を交わし、握手だけで済ませる。


「儂は先代の組合長、マンセル・ピアースと申します。先週、新任の代官殿が赴任されるとレイトンの管区庁舎より報せが届きまして、この子の祖父、ビリンガムの村長から万事よろしく頼むと一筆ありましてな。

 そのご様子では、いや、王都のご出身であれば東部の慣習まではお詳しくはない、とは思いますが……」

「寡聞にして存じ上げないな。すまないがマンセル殿、少し詳しくご説明願えますかな?」

「ええ、無論。メイスフィールド郡では、庁舎の勤め人を郡より差し出すことになっておりまして――」


 マンセル氏の説明をまとめると、メイスフィールド郡に限らず、東部地方には王国と交わされた古い約定があり、例えばメイスフィールドなら郡内の一町三ヶ村から合計八人を税の一部、つまりは労役負担として差し出すのだそうだ。

 クリスティーナ嬢以外の残りの七人はと言えば、衛兵隊で兵役に就いているという。


 また、東部に於いては小さな農村が多くて現金収入が少ないという側面を補い、なおかつ人口密集地への人の移動を促すので文化面、経済面での効果もあり、王国側からも中央から派遣する官吏や軍人を減らし予算を圧縮させる効果が認められていた。


 各人ともに給金は不要だが、彼らの衣食住は代官庁舎、あるいは衛兵隊の予算から公費として賄われる取り決めになっておりますと、マンセル氏は締めくくった。


 確かに、兵役や労役による税の納付は、希ではない。

 王都にあった水路局でも、街区の代表が取りまとめた労役奉仕者を水路整備の作業夫として使うことは、よくあった。


 しかし、これは……。


「……ふむ」


 税の代納となれば、私の勝手でいらないと断るわけにも行かないが、わずか十二歳の少女に官吏と同等の仕事ぶりを求めるのも筋違いだった。


 第一、子供を酷使するような糞代官など……批判を浴びせる対象としては、特上過ぎて笑いも出ない。


「よし、クリスティーナ嬢」

「はい、代官様……じゃなくて、ランドルフ様?」


 笑顔がまぶしすぎて、どうにも……やりにくい。


 それに人を雇うかどうかも含めて、メイスフィールドの現状の確認を済ませた上で、人数や期間を調整して管区庁舎に申請を出そうと考えていたので、すぐに与えられそうな仕事もなかった。


 しばらくは、連れ回すことになりそうだが……いや、それ自体を仕事としてしまえばよいのか。


「ああ、うむ。実はこの数日、町の顔役や各村長に挨拶回りをする予定で、庁舎も荷物を放り込んでまた閉めるつもりだった。

 そこで君には最初の仕事として、私の案内を頼みたい。……今日のところはメイスフィールドの町の方々を行き来するだけの予定だが、大丈夫かね?」

「はい、大丈夫です! 頑張りますっ!」


 挨拶回りの案内なら、仕事は重要にして負担も軽く、不自然ではない。

 この数日中に、税の代納という名目を過不足なく満たしつつ、兵役中の七人も含めた住人より不満や批判が出ないよう、適度な仕事でも捻り出すか。


 望み薄だが、前任者の日誌でも残っていれば、参考にしたいところである。


「くれぐれも、よろしくお頼み申します」

「うむ、主神に恥じぬよう努力すると、誓わせてもらおう」


 マンセル氏とはここで分かれ、荷物を屋敷に放り込んだ後、まずは近い場所からと組合の建物へと向かう。


「こちらです、ランドルフ様。

 ……ブランドンさん、いらっしゃいますか?」

「おう!? その声、クリス嬢ちゃんか! どした? ほう、新しい代官殿!? こりゃどうも、組合長のブランドン・ハーリーです」


 万事この調子で初手をクリスティーナ嬢に任せ、昨日挨拶を済ませた衛兵隊長以外の顔役達にこちらの顔を売っていくのが、今日の仕事だ。


「新たに代官職を賜ったランドルフ・ディーン・ウェンライトだ。組合長殿には税務などの助言で、今後世話になると思う。宜しく願いたい」

「ええ、そりゃあもう!」


 今の段階では、込み入った話はしない。

 私が危険を孕んだ異物ではないと、認めて貰うことが重要なのである。


 クリスティーナ嬢はその点、非常に優秀な案内役だった。


 彼女は組合長、司祭、自警団員ら顔役達に名を知られており、彼らの緊張を解き、私への態度を軟化させるという役目を見事に果たしてくれたのである。


 お陰で昼には、本日分の予定が全部終わっていた。


「え、あの、いいんですか?」

「マンセル殿も口にしておられたが、君の衣食住は私の責任だ。

 無論、食事もそれに含まれるが……活躍の礼にポッドベリーのパイをご馳走して悪いということもないだろう?」


 代官屋敷向かいの宿は食事処も兼ねており、私も彼女も昼抜きとはならずに済んでいた。




 だが同時に、若干の不安も感じている。


 いや、彼女のことではない。


 顔役達と話す内、この町の人口は八百人ほどであり、三ヶ村を合わせたメイスフィールド郡全体でも千五百人少々と、私が王都で示された五年前の資料よりも若干というには多い百数十人ほどの減少と、聞いたからである。


 その理由は数年前、東方を襲った流行病であり、私も当時、その噂を存分に耳にしたことを思い出していた。




 ▽ ▽ ▽




「では、探検だ。……【灯明】」

「はいっ!」


 昼からは空いた時間を使い、代官庁舎の把握に努めることにした私だった。


 挨拶回りが落ち着くまでは宿暮らしのつもりだったが、クリスティーナ嬢のこともある。せめて本日中に、寝床だけでも使えるよう努力をしたいと思う。


「わ、埃が……」

「……クリスティーナ嬢、一旦退散だ。先に雑貨屋へ行って装備を調えよう」

「はい!」


 朝も多少埃っぽいとは思ったが、想定以上の酷さであった。


 数軒向こうの雑貨屋にて、ほっかむりと面覆いに使う二人分四本の手ぬぐいに加え、探せば出てくるのだろうが何処にあるか分からない箒とはたきを手に入れ、再度立ち向かう。


「窓を全部開けるか」

「大掃除と一緒、ですね」


 指輪を掲げて【灯明】の明かりを点し、荷物を除けてまずはホール……にも成っていない玄関口へと足を踏み入れる。


 中途半端な大きさだが長椅子があり、待合いを兼ねていると分かった。

 手前に扉が二枚、階段を挟んで突き当たりにも扉がある。


「奥の扉は執務室だろうが、こちらは……ああ、倉庫か」


 見て分かる梯子や測量棒や担架はともかく、積み上げられている木箱の類もいずれ、中を確かめねばなるまい。

 窓がないのは当然だが、さぞや片づけ甲斐があるだろう。


「もう一つの扉はたぶん、厨房です」

「ここに来たことがあるのかね?」

「二回ぐらい、だったと思います。二階は上がったことありませんけど」


 彼女の言葉通り、もう一つの扉の奥は作りつけのオーブンまで備えた厨房で、内輪向けの食堂と休憩室も兼ねているのか、大きめのテーブルと六脚の椅子があった。


 どうやらよくある店舗兼住宅の表と裏を返し、店の部分に執務室、内向きに厨房などを配置した構造に近いと想像が付く。


 予算の都合かはたまた初代代官の好みか、あるいは元々あった店舗兼住宅を買い上げてから改築したのか。


 どちらにせよ、遠方から来た上客の接待などには宿屋を使うになりそうである。


 階段脇にも扉を見つけたが、こちらは厠であった。


 そして、一番長居することになるであろう執務室だが……。


「こっちは広いですね」

「執務室は応接室と共用か……」


 執務室は確かに広かったが、代官用の広い執務机の他に事務机が二人分、ついでに古びたソファと応接机まで備えた、まことに使いでのある配置となっていた。


 書棚や物入れ戸棚は作りつけではなく、後から持ち込まれた物のようだった。


「今日は埃を追い出すだけで精一杯になりそうですね」

「うむ、まったくだ」


 掃除は後回しにして二階にも上がってみたが、代わり映えのない個室が三つにベランダ、屋根裏部屋があるきりだ。


 やはり、元からあった店舗兼住宅を買い取るかして、改築したに違いない。


「ランドルフ様、厨房に手桶がありました! 水、汲んできますね」

「クリスティーナ嬢、私も行こう。井戸の場所を教えてくれ」

「はい!」


 今日一日では終わらないなと二人で頷き、夕方までは魔法も駆使しつつ、私達は掃除に専念した。


「ほう、クリスティーナ嬢は四人姉弟なのか」

「はい、みんなまだ小さくて……」


 臨時に数人雇えればもう少し楽を出来たかもしれないが、思いついたのは宿屋の女将に二人分の湯を頼んでからのことだった。

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メイスフィールドの小さな出来事 bounohito @bounohito

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