メイスフィールドの小さな出来事

bounohito

第1話「新任代官の困惑」


「さあ、起きて下せえ、旦那様。もうすぐ着きますぜ」

「……ああ、ありがとう、ディラン」


 うつらうつらと船を漕いでいるうちに、もう目的地が見えていた。


 随分と尖った山に見下ろされた、小さな町。

 その向こうには、森が広がっている。湖も見える。


 つい先日まで暮らしていた王都とは比べ物にならぬほど田舎だが、少なくとも、近隣二十リーグに私の上役となるべき人物はいない。


 ディランの荷馬車はからからと音を立て、緩やかな上り坂を街へと進んでいく。


 おお、新たなる生活よ、願わくば平穏たれ!


 ……などとは口にしないが、考えてみれば悪くない気分だなと、私は自慢の髭をしごきつつ小さく笑みを浮かべた。




 ▽ ▽ ▽




『フン! 貴様のような石頭、俺の部下には必要ない! せいぜい清く正しく生きるのだな!』


『お前、馬鹿だなあ。あんな奴でも上役は上役、二、三年も我慢してりゃ、勝手に出世していなくなっちまうだろうに……』


『ランドルフ・ディーン・ウェンライト、商務府水路局工務部二等書記官の任を解き、イーストオルビー管区メイスフィールド郡の代官職を命ずる。……君は、腐るなよ』





 ……商務府水路局の書記官と言えば、私程度の身分でも就ける下級官吏の中ではそれなりの地位で俸給も悪くなかったが、五年目にやってきた新任の上司が最悪だった。

 あげく、飲めない命令――水路の利権に絡む賄賂授受の手配――を拒否して、この体たらくである。


 まあ、口の悪い友人達に言わせれば、名門伯爵家のどら息子に逆らった私が悪い、ということになるらしい。


 大体だ、昼の日中から職場で賄賂の話を私のような小物に振るなど……そちらは十分すぎる権力で守られているんだろうが、実家が後ろ盾にもならないような貧乏騎士の家の出では、頷いたことが周囲に知れただけでも首が飛ぶのだ。

 せめて、そのあたりの機微が分かる程度の知能は持ち合わせていて欲しかったが、これは無い物ねだりに過ぎるだろう。


 どちらにせよ、破滅に付き合う義理もないし、身分を隠した内務省公安部の犬などどこに潜んでいるか分かったもんじゃない。

 頷いていれば、それこそ収監の上裁判、その後は労役刑……で済めば幾分ましだっただろう。


 つまるところ、私は実利と保身を天秤に掛け、国法を盾にどら息子の無茶な要求を拒否した結果、事態が明るみに出た際に正義と公正で世に知られた人事局長の温情を引き当て、口頭での注意すらない都落ちだけで『済ませることが出来た』のである。

 

 いや、どちらかと言えば、どら息子の影響力から逃がして貰った上での栄転、ともとれるか。

 内務府の二等書記官は中央官職だが、代官の方が官吏としての等級も俸給も余程高い。


 代わりに、思い描いていたような人生の道程はほぼ閉ざされたが、今更だった。


 ちなみにどら息子の方は、私が引っ越しの荷造りや仕事の引継に追われている間に父伯爵が事件をもみ消し、別の部局へと転属していったらしい。元同僚に聞いたところ、今度は父伯爵の直属だそうで、権力様々である。




 ▽ ▽ ▽




 眠い頭を振って余計な考え事を追い出していると、荷馬車はもう町に入っていた。


「よう、ディラン! お客連れたあ珍しいな!」

「おう! なんでもメイスフィールドに御用があって、王都からきなすったんだとさ!」


 市門や市壁などあるはずもないほど、小さな町である。

 住人など顔見知りが殆どだろうと、私も声掛かりに振り返り、帽子を取って軽く会釈した。


 見れば、巡回中なのだろうか、革鎧に半長靴、青いタスキの目立つその姿は、如何にも規定通りの軽装備を身にまとった若い衛兵である。


「こりゃあ、ご丁寧に。俺は……っと、自分はラッドです。ご覧の通り、メイスフィールド衛兵隊の者です」

「新任の代官、ランドルフ・ディーン・ウェンライトだ。今後とも、よろしく頼むよ」

「お、おう!?」

「へ!? し、失礼いたしました、代官殿!!」


 突然の大声に、通行人らも振り返った。

 有事には、衛兵隊は私の指揮下に入る。彼の驚きとこの態度も、仕方があるまい。


 目立ちたくはなかったが、落ち着いて見回せば、視線は……それほど痛くなかった。

 興味はたっぷりと注がれているが、あからさまに余所者を排除しようといったような敵意は感じられない。


 代官という職は、既に一地方の絶対権力者、神聖にして不可侵たる国王陛下の代理人などではなかった。


 そのような時代はとうに終わり、中央の要求と地方の突き上げの間で板挟みにされ、書類仕事に追われ続ける代わりに俸給を頂戴するという、哀れな木っ端役人なのである。


 私はまたもや帽子を取り、周囲を見回して会釈した。




 ラッドの敬礼に見送られて辻を曲がれば、王都の一街区にも満たない小さな街のこと、そこにはもう庁舎……兼用の代官屋敷があった。


「はいどう、どうどう! 到着ですぜ!」

「お疲れさまだ、ディラン」

「へい、毎度」


 こぢんまりとした二階建てで、見かけは同じく立ち並ぶ店舗兼住宅と大差なかったが、夕日に照らされた壁が美しい。

 もちろん、田舎町の代官仕事など、聞いたところでは書架のある執務室兼応接室が一つあれば事足りるそうで、贅沢な造りだと言えなくもなかった。


「しっかし……仕事としか仰られやせんでしたからな、驚きましたぜ」

「仕事には違いないさ。それに……いや、この三日間、実に助かったよ、ディラン。……【浮遊】」


 荷台に預けていた大振りの旅行李を魔法で下ろし、背負い袋を担ぎ、書類鞄を手にする。


「こっちこそですよ、代官様。俺っちは帰りの荷台が満杯でなくても村まで帰るところだったんで……ん? ……多くないですかい?」

「礼だよ。本当に助かったんだ」

「そういうことなら、喜んで!」


 約束した三日分の馬車賃九ペンスに少々色を付け、ディランに押しつける。


 着任前に任地の様子を存分に聞けたのだから、安いものだ。

 ついでに言えば、彼がチーズを卸しに街道沿いのレイトンを訪れていなければ、宿の女将に紹介されることもなく、私のメイスフィールド到着は二日ほど遅れていたことだろう。


 片手を挙げてディランを見送り、まずは……代官屋敷の隣にある衛兵隊の詰め所を訪ねる。


 屋敷の前、目抜き通りに立てば、西に教会、東に詰め所。

 向かいは西から順に町唯一の宿、商工組合、組合の倉庫。


 狭い町のこと、主要施設は同じ通りに集められているのだ。


 衛兵隊長に挨拶をして身分を明かし、保管されていた古い形式の鍵を受け取った私は、宿へと向かった。


 到着の初日、前任者への挨拶は欠かせないと私も思うが……半年前、在任中に発作で亡くなったと聞いている。

 引継に必要な資料さえ自分で集めねばならなかったが、こればかりは私がどうこうできるものではない。


 その日は地元の産だというポッドベリーの果実酒をしこたま飲み、明日からの新しい仕事に備えて気分を調えた私だった。




 しかし、翌日。

 荷物と共に宿を出て、庁舎の鍵を開けようと試みていると、後ろから声が掛かった。


「あの、新しい代官様ですか?」

「……そうだが、君は?」


 振り返れば、にこやかな表情の老人に連れられた少女が、勢い良く姿勢を正しているところだった。

 無論、見知っているはずもないが、老人は町の有力者か誰かだろうか、身なりもいい。

 私も少女を見習い、姿勢を正した。


「わたし、今日から代官庁舎で働くことになりました、クリスティーナ・フレイン、十二歳です!」


 ……何故?


 困惑の余り、老人と少女を交互に視線を送っては、開き掛けた口を閉じる私だった。

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