第13話 潜入

 電話を切ったあと、しばらく希榛は黙った。

 言うべきことははっきりしているのだが、どう言っていいものか分からない。

「あの、織部さん?」

 しかし、ずっと考え続けるわけにもいかない。

「新也」

「なんですか」

「今日、うちに来てほしい」

「……は?」

 だから、いっそストレートに言うことにした。

「ここではできないことをする。だからうちに来てほしい」

「えっ……えええええ!?」

 思った以上に大きなリアクションが返ってきた。

「嫌か?」

「い、いやいやいや……」

 となると、別の場所を考えなければならない。

「俺の家以外となると……」

「いやさっきの『いやいやいや』って、NOを3回言ったわけじゃないですよ! そうじゃなくて、えーと、順番がすっとんでて……順番って何の? あの、他にもいろいろと……」

 ものすごくあたふたしている。どうやらストレートに言わないほうが通じる話だったようだ。どうしたものか。

「他の場所だとどこがいいだろうか。電源と机と椅子があって、かつ人に見られない場所。だが、ここだと危険な気がする。ここのサーバーが押さえられると困る」

「な、何の話ですか?」

 何の話をしていると思っているのだろう。

 すると理瀬はひとりで納得した顔をした。

「あ、ああ……。仕事の話ですか」

「そうだが」

「なーんだ……。そうですよね。織部さんに限って。しかもこんなときに」

「何かしらんが、仕事だ。予定はあるか?」

 一緒に捜査する仲間とはいえ、個人の時間を削ってもらうのは申し訳ない。

「予定はありません。残念ながら、織部さんにご心配いただくような充実した私生活は送ってないんです……」

「そうか。仕事が忙しいせいだな」

「はい……」

「すまん」

 警察官はなかなか、プライベートを自由に過ごすことができない。ただでさえその状態なのに、さらに希榛に付き合わせるのは本当に申し訳ないが、今回はどうしても理瀬の力を借りる必要がある。

「お気遣いなく。何か、分かったんですよね?」

「まだ確定したことはないが、確かめる方法がある」



 夜、希榛は理瀬を自分のアパートに連れて行った。

 寮から出ておいてよかった。理瀬を連れてくることを考えていたわけではなかったが、門限があったり同業の隣人がずっといたりするような環境では、完全に自由には動けない。

「入ってくれ」

 思えば、自分の家に健吾以外を入れたのは初めてだった。

「おじゃまします……」

 希榛の部屋は、廊下の向こうにダイニング兼居間とキッチンがあり、その隣に寝室。反対側には風呂とトイレが一緒になったユニットバス。

 家具は、居間には木のテーブルと椅子が2脚。寝室にはベッドと机と椅子、そしてパソコン。クローゼットも一応ある。

 以上。

「シンプルですね」

 飾り気もへったくれもない。

 まだ引っ越してきたばかりで、これから本棚くらいは置くつもりではあるが、本当に何もない。

「ちょっと待っていろ。準備する。その椅子にかけてくれ」

 希榛は寝室から、パソコンとギアとマイクつきヘッドセットを持ってきた。

「さて。あんたには今から、Spiegelに入ってもらう」

「あ、以前に私から没収したメモリーカードの。私が、やるんですか?」

「そうだ。というか、これは俺にはできない」

 希榛自身は、Spiegelには拒否されている。自分の世界を壊したからだ。特別措置として、もし仮にログインできたとしても、その瞬間にキハルに見つかって殺される。だから次にSpiegelを調べるときが来たら、他人に協力してもらわねばとは思っていたのだ。

「入るのはあんただけだ。俺は、外からサポートする」

 希榛はヘッドセットをつけて、画面を見ながらマイクで指示をする。音声だけ干渉できるように改造した。

 健吾のように、直接ハッキングはできない。

「ギアをかぶってくれ」



 Spiegelのタイトル画面から、真っ暗な空間へ。そして、白い光の玉が現れた。

『これから、あなたの案内役を務めさせていただきます。私と一緒に、あなたの世界を作りましょう』

 希榛が初めてログインしたときと全く同じ質問をされた。

「好きに答えろ。ここでの活動のホームを作るだけだ」

 そして、好みは都会か田舎か、家はマンションか戸建てか、犬派か猫派かなど、やはり50以上の質問に答えさせられた。

 結果、理瀬は畳敷きの和室に移動することになった。欄間もある、広めの和室だ。

 そして自分の姿をデザインしていく。

 髪型と顔と声、そして名前は現実と同じ。服装は和服だ。白地に、赤い菊の柄。帯も赤と朱で、帯留めはガラス玉。

 案内人は、藍染めの作務衣を着た黒髪の青年だ。歳は同じくらいで、理瀬より少しだけ背が高い。肌は白く、切れ長の目の和風顔。

『リセ殿、お名前を頂戴したく存じます』

 涼やかな声で、笑顔とともにそう言った。

 こういうのが好みなのだろうな、と希榛は思ったが、何も言わなかった。

『んー……どうしようかな……』

「適当に決めろ。俺も適当に決めた。あと、この世界にもできれば名前があるほうがいい」

 希榛は、助言ともいえないような助言をした。面倒くさがって最後まで世界に名前をつけなかったことは棚に上げた。

 理瀬は少し悩んで、案内人は浮雲うきぐもという名前にした。

 世界の名前は、外の景色を作ってからということになった。

 まず天気は晴れ、外は昼にした。

 そして周りは竹林。京都の嵐山のような、手入れの行き届いた竹林を作った。

 屋敷は、瓦葺の大きな屋敷にした。広い庭園と縁側、離れに倉まで作った。

『さすがはリセ殿。品のあるいい屋敷ですな』

 浮雲は柔和な笑みで、主人を褒めた。

『この世界は……夕霧ゆうぎりって名前にします』

 なぜか含み笑いをしながら、理瀬は世界に名前をつけた。あとで検索をかけてみよう、と希榛は思った。

「これで一通りホーム作りは終わった。本番はここからだ。案内人に、他の世界のことを訊いてみてくれ」

 理瀬が浮雲に他の体験者の世界のことを訊くと、他の体験者のパネルを一覧で出現させた。

「《ハッピー・アイスクリーム》という世界はあるか?」

 検索すると、あった。体験者の名前は、《adm_03》だ。顔の画像はない。

『このadmというのは?』

 理瀬が浮雲に尋ねる。

『アドミニスター。つまり管理者のIDです』

 管理者ということは、開発者ということだ。そこは楢崎のぞみの世界で間違いないだろう。

『この世界に行けますか?』

『もちろん行けますぞ。公開されておりますゆえ。――些末なことですが、リセ殿。あなたさまは私の主人なのですから、そのような丁寧な言葉をお使いにならずともよいのですぞ』

『ああ、そうですね……ううん、そうだね。分かった』

 確かに、主人が従者に敬語はおかしい。

「今はどうでもいいが、他の体験者の世界に行くときは、できるだけ世界観に自分を合わせるようにしたほうがいいかもしれないぞ」

 そのせいで、希榛もハイデントゥームでは大変な目に遭った。

『えっと……じゃあこの世界に行きたいな。いい?』

『承知。すぐに転送いたしまする』



 次の瞬間、和室は崩壊して一瞬、真っ白なグリット線だけの景色になり、大きな家の前の普通の街が再構築された。

 洋風の、現代的な一戸建ての家だ。

『ここじゃ、私たちの恰好は浮いちゃうね。洋服に着替えたほうがいいかも』

 浮雲が姿見を用意し、理瀬は白い襟付きシャツに黒い膝丈スカートとパンプス、浮雲は白い襟付きシャツに黒いベストとネクタイ、黒のスラックスに革靴という恰好になった。

『訪問販売の人みたいになっちゃったけど、まあいっか』

 この際、細かい服装には気を遣っていられない。

 チャイムを鳴らす。

『はーい。誰ですかー?』

 幼い女の子の声。

 誰、と言われても説明しづらい。

『えっと……お母さんのお友達、かな』

 怪しさ満点だが、とりあえずそう答えることにした。女の子は、『お母さん、お友達って人来てるよー』と部屋の奥に向かって言ってインターホンを切った。

「不用心な家だな」

 希榛の呟きと同時に、ドアは開いた。

 出てきたのは、なんとあの双子のうちの1人だった。

『か、かなえさん!? いや、たまえさん!? 分かんないや……』

 驚きすぎて、理瀬はどうでもいいことに戸惑っている。

『え? たまえですけど……』

 たまえだった。

『どうして私――というか私たちの名前、知ってるんですか……?』

 よく見ると、髪型と顔の造形はさっき会ったたまえそのものだが、顔つきと服が違う。さっき会ったのは20代前半の女性だったが、今のたまえは10代半ばだ。

「こいつはSpiegel内に設置された人物だ。本物じゃない」

『ああそっか。んーと、ずっと前、お母さんから聞いたんです。双子の娘さんがいるって』

『ああ、お友達なんですよね。じゃあ聞いてるか。お母さーん』

 すると、中からもう一人の同じ少女、つまりかなえが駆けてきた。

『上がってください、って』



 そこは、カーテンと家具が淡い水色と白で統一された品のいいリビングだった。

 驚いた顔で、楢崎のぞみと思われる女性が理瀬と浮雲を見ている。

『あなたたち、もしかして外の私たちのことを知ってるの……?』

『ええ。私は現実で楢崎さんと双子の娘さんたちにお話を聞いてきたんです』

 たまえとかなえが、理瀬と浮雲にお茶を用意した。

『あっ、おきゃくさん?』

 隣の部屋の扉が開いて、双子と色違いのワンピースを着た小さな少女が出てきた。顔は似ているが、髪は大きなお団子を頭のうえで一つ作ってある。

『えっと、この子がももこちゃん、ですか?』

『そうよ。この世界の案内人なの。かなえとたまえは後で作ったわ』

 んー? と首を傾げるももこに、浮雲が優しく挨拶した。

 理瀬がお茶のカップに手を伸ばしたが、掴むことができなかった。

「Spiegelに馴染まないうちは、小さなものを触れない。気にするな」

 希榛もそうだった。何度かログインしているうちに、食事ができるようになったのだ。

『あなたは、まだ馴染んでいないのね』

『はい。さっき、世界とこの人――浮雲を作ったばかりなんです。というか、私がSpiegelを始めたのは、楢崎さんにお会いするためでして』

『私に?』

 理瀬は、自己紹介と現実であったことを楢崎に話した。

『それで……アドミニスターIDの私のところまで来られた、というわけね』

『そうです。私たちは現実の楢崎さんのことを知っていますし、かなえさんとたまえさんも協力してくださるみたいですから、あなたを現実に戻すこともできます』

 楢崎は悲しそうに、双子の姉たちと遊ぶももこを見た。

『私は、自分の心理学者としての知識と、セラピストとしての経験をもとに、誰にでもピッタリなトラウマ治療セラピーのツールとして、このソフトの開発に携わったわ。そしてまず、開発を進めるにあたって自分自身をモニターにすることにしたの。心理療法はとても主観的なものだから。娘たちから聞いているなら分かるわよね。私のトラウマ』

『はい……。ももこちゃんのこと、ですよね』

 ももこは、ちょうど今見ているももこくらいの歳で亡くなった。

『ええ。私はどうしても、もう一度ももこに会いたかった。だから、ももこのいる世界を作ったわ。かなえとたまえには悪いことをしたと思っているの。2人はずっと私を支えてくれた大切な娘なのに、いつまでもももこの死を嘆いて落ち込んで。2人を心配させてばかりだった』

『お2人は、楢崎さんを元気にしたいという思いもあってセラピストになったとおっしゃっていました』

『ええ……。セラピストになると聞いたとき、2人が笑顔でそう言っていたわ。そう聞いたときは嬉しかった……。なのに、結局はこの世界に縋ってしまった。きっとバチが当たったんだわ。この世界から出口が消えてしまったのは、そのせいよ』

 楢崎は開発者なのに、Spiegelから出られず、しかもその原因も分からないようだ。希榛にとって、そこは予想外だった。

 出口が消えた、と言っているのは、いつのまにか案内人のももこがログアウトさせてくれなくなったという意味だろう。

 もう一人の自分に殺されて出られなくなると、そのときの記憶は消える。

『バチなんかじゃありません。これは、ただの構造上の仕様というか罠みたいなものです』

『罠……?』

 理瀬は、希榛が話したSpiegelの本当の目的について楢崎に話した。

『私は、ただのセラピーの道具としてこのソフトに関わったつもりだったけれど、そんな目的があったなんて。強制的に理想の自分になる、なんて、そんなの押し付けに過ぎないわ』

 楢崎は、Spiegelの理念には否定的なようだ。というより、あまり内情を知らされていなかったらしい。

『多分、楢崎さん以外の開発者が設定した部分なんでしょうけれど、そのことを知らせるとあなたが反対するということを予測したうえで、排除する意味で閉じこめたんだと思います』

『もしその話が本当なら、現実には私の体を乗っ取ったSpiegel内の私がいるということよね』

『はい。双子の娘さんたちは、入れ替わった楢崎さんのことを不審に思っているようです』

『そう……。私たちが感づいたことを、もう一人の私に知られたら、あの子たちが危ないわ』

 楢崎はルシリアと違って、現実が心底嫌になって逃げ込んだわけではない。方法さえ分かれば現実に戻りたいとは思っていたのだろう。

『楢崎さんの体は私たちがなんとかします。だから少し、待っていてください』

 楢崎は深く頷いた。

『……おかあさん』

 ももこが、楢崎の服の裾を引っ張った。

『どこかに行っちゃうの?』

 楢崎はそれに答えられず、ただももこを見つめる。

『楢崎さん。騙すのは嫌なので言いますけれど、一度この世界を出たら、多分もう戻れません』

 このことは言わないほうが、決心が揺らがなくていいのだが、隠したまま脱出すれば一生の心残りになってしまう。楢崎の場合は特に、自分が研究して作ったものであるうえに、心から会いたいと思っていた、亡くなった娘のいる世界だ。

『……ええ。お母さん、行かなきゃいけないの』

 だが、楢崎の意思は決まっているらしい。

『やだ、そんなのやだ! このおうちから出たら、もうおかあさん帰ってこないんでしょ?』

 ももこは泣きそうだ。

『でも、行くべき場所があるのよ。そこにはどうしても、お母さんが行かなきゃいけないの』

『おしごと?』

『そうね』

『やだ!』

 ももこは涙を流しながら叫んだ。

『ここにいれば、おしごとなんか関係ないの! おかあさんはここから出るなんて考えなくてもいいって、言ったじゃない!』

 ももこは、楢崎の腕を掴んで振り回しながら泣き叫ぶ。楢崎もまた、泣きそうな顔をした。

「新也、説得しろ。楢崎のぞみがほだされかけている」

 希榛の声で、理瀬ははっとしたようだ。

『楢崎さん! 現実では生きている娘さんたちが、あなたを待っています。ここは停滞した世界。歪んだSpiegelに勝てるのは、私たちと楢崎さんしかいないんです! 私の話を聞いて後悔しながら、死ぬまでここにいるつもりですか!?』

『……分かっているわ』

 楢崎はひとつため息をついた。

『私はここから出るべきなのよ。ここを出て、やるべきことがある。それは私にしかできない』

 自分に言い聞かせるように、静かに言った。

『うう……おかあさぁん……』

 泣きながら母の手を掴んだままの末の妹を、モブである双子の姉たちはただ気まずそうに見ていた。

『お母さん、行くわ』

『どうしても行くの? いつ……?』

『行くわ。でもそれは、今日じゃないの』

 楢崎は、亡くなった末娘を抱きしめ、頭を撫でた。



『行こう、浮雲』

御意ぎょい

 理瀬と浮雲は、楢崎に声をかけずにその家を出た。

 そして玄関の外で、理瀬は物言いたげな浮雲をまっすぐ見て言った。

『ログアウトさせて』

『は。しかし、その前に一つ、申し上げたいことが』

『なに?』

 浮雲は柔和な表情ではなく、引き締まった顔で答える。

『リセ殿は、この世界の構造についてご存じのご様子。私は従者ゆえ刃向うような真似はしたくありませぬが、あまり派手に動き回らぬほうがよいと存じます。私もあくまでこのSpiegelの中の存在。いざとなれば、Spiegelを守るために、リセ殿の敵になるやもしれませぬぞ』

 いきなり仕掛ける前に警告をしてくるとは、浮雲もずいぶん紳士だな、と希榛は思ったが、これにも何かあるかもしれない、とも思った。

『大丈夫だよ浮雲。私は、あなたには何もさせないから』

 対して、理瀬は余裕を見せた。

『それは、大人しくしてくださるという意味ですかな』

『どうかな。それは今後次第。とにかく今はログアウトだよ。早く』

『……は』



  理瀬は、ギアを脱いでため息をついた。

「楢崎さんに会えてよかったです。部屋にあったあの絵の《あいことば》がキーワードだったんですね。でも……」

「でも、何だ」

「楢崎さんのためにも捜査のためにも、彼女を現実に戻すべきなんでしょうけれど、そうするともう、ももこちゃんには会えないんですよね……」

 楢崎は、ももことの別れを惜しんでいた。

「最初から、死んだ娘に会ってなどいない」

「え?」

「あれはフィクションだ。楢崎のぞみの想像と願望と、Spiegelというソフトが作り出した幻にすぎない。そんなことは、開発者である楢崎なら重々承知の上だろう」

 幻だと思えばこそ、現実に戻りたいと思えていたのだ。つまり、ももこのいる世界こそ自分の居場所であるとは、どうしても思えなかったのだろう。それは、患者に患者自身の心象風景を見せて治療するセラピストゆえの感覚だ。

「冷静ですね、織部さんは」

「ああ。あんたにもそうあってほしい」

 理瀬をミイラ取りのミイラにするわけにはいかない。

「疲れました……」

「疲れたか」

「お腹も空きましたし」

「そうか。……ちょっと待っていろ。椅子にかけておいてくれ」

 理瀬にそう言い残し、希榛はキッチンへ向かった。



 まず黒いエプロンをし、冷蔵庫から玉ねぎと鶏もも肉を出した。

 玉ねぎを、目の痛みを無視してみじん切りにし、もも肉を小さく切り、バターと塩コショウで炒める。

「な、何してるんですか、織部さん」

「晩飯を作っている。座っていろ」

 肉の色が変わり、玉ねぎが透明になったら、昨日余らせた冷ごはんをフライパンに投入し、油が回るように炒めていく。

そしてケチャップを入れる。色づきを見ながら足していく。

 チキンライスをいったんボウルにあけ、卵を4つ割って溶き卵にしたら、フライパンを強火にして半分、一気に薄く広げる。

 そこにチキンライスを半分入れてフライパンを煽る――

「あっ……」

 失敗した。きれいに包めなかった。動画では簡単そうに見えたのだが。

 失敗したものを早めにフライパンから皿に移し、また卵を広げた。

 ここまではうまくいく。チキンライスを入れ、再び緊張の一瞬。

「ふ……っ」

 今度は成功。ラグビーボール型のきれいなオムライスになった。

 失敗作と成功の品を並べてみる。成功のほうは、上にケチャップがかかっていたほうがいいだろう。

 何か気の利いたことをしようかと一瞬思ったが、絵心もないし何より慣れていないので、普通に波型にケチャップを勢いよくかけた。

 あらかじめカットされてパックに入ったサラダを2人分盛り付けて、完成だ。

「できた」

「わあ、オムライスですね!」

 きれいにできたほうを理瀬に差し出す。

「いいんですか?」

「いい」

 飲み物は麦茶だ。

「食え」

 希榛も席につく。

「ありがとうございます。いただきます……」

 希榛はぐちゃぐちゃになったチキンライスと卵焼きを同時に口に入れてみた。

 食べられる味だった。

「おいしいです!」

「そうか?」

 特別旨いとは感じない。というより、味に何のこだわりもなく、分からなかった。

「織部さんって、てっきり食べ物に興味ないんだと思ってましたけど、こんな得意料理があったんですね」

「初めて作ったが」

「えっ」

「最近、料理を始めた。固形栄養食と補助タブレットのみの生活から脱しようと思ってな。あんたにも指摘されたし」

「ええっ!? あのときの、私の忠告で!?」

 なぜそんなに驚くのだろう。

「それに、遅くまで仕事に付き合わせたあんたに、固形栄養食みたいな粗末なものは食わせられないと思って。あれはもとは軍用レーションで、市販品は災害用保存食だ。女性に人気がないというのもどこかで見た」

「確かに私はあまり好きじゃないですけど……。だからって料理してくださるなんて」

「おかしいか。……実は俺も、我ながらどうかと思ってはいた」

 自分でも唐突なことをしている自覚はあったが、ここまで付き合わせた礼はするべきと思い、無難なことを選んだつもりでいた。

「いえ、おかしいなんてとんでもないです!」

 なぜか立ち上がって否定された。びっくりした。

「あっ、大きな声出しちゃいました……。大丈夫ですか?」

「大丈夫だ」

 驚きはしたが、怖くはない。

「すごく嬉しいです。織部さんと順調に捜査できて、そのうえ手料理まで食べられるなんて」

「そうか」

 理瀬が座りなおしてオムライスを食べ始めた。希榛も食べる。

 こうして、誰かと夕食を共にしたのは久しぶりだ。寮で同室だった向井は、一度希榛を無理やり外食に連れて行ったりもしたが、他の友達や彼女と食べたほうが有益だろう、と指摘すると、肩をすくめてそれ以来誘わなくなった。

 希榛は寮に帰るまでに歩きながら固形栄養食と補助タブレットの夕食を済ませてしまうので、夕食のタイミングが合ったこともなかった。

 他人と食事するのも久しぶりだが、それより自分の作ったものを他人に食べさせたのは初めてだ。

 黙って食事を終えると、希榛は理瀬を駅まで送った。

 


 自分の家でSpiegelの調査をしたのも、大学時代以来だ。

 役割は逆だが、かつての希榛と健吾に重なった。


 ふと思い出して、《夕霧》のことを検索してみた。

 源氏物語の人物の名前がヒットした。源氏の息子だった。遊び人の源氏とは対照的でまめな性格、生真面目で堅物で恋愛に不器用、とあった。しかし、結婚して不倫して離婚している。

 生真面目で堅物で不器用、までは納得できるが、それにしてもちょっとショックだった。


























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シュピーゲルⅡ 大槻亮 @rosso

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