第12話 ハッピー・アイスクリーム

 2階のロビーで待っていたのは、希榛よりも年下に見える2人の女性だった。

 黒髪ロングヘア、少し濃いめの水色のワンピースで、希榛と同じくらいの身長。2人とも全く同じ体格と服装と顔つき。

 つまり双子だった。前髪の分け目だけが逆で、並んでいると左右対称に見える。

「「初めまして、楢崎ならさき××えです」」

 声を揃えて、緊張ぎみに発した言葉は途中でバラついた。

「えっ」

 理瀬は肝心な部分が聞き取れなかったようだ。

「そちらがかなえさんで、こちらがたまえさんですね」

 2人同時に自分の名を名乗ったのだと、希榛には分かった。

「「はい」」

 希榛から見て右がかなえ、左がたまえだ。

 声もほとんど同じだがほんの少し違う。希榛はそれぞれの声の方向で聞き分けた。

 さきほどまでいた《のぞみメンタルクリニック》で、セラピストとして楢崎のぞみの下で働いている双子の娘たちだった。

「「××××で、××××とき、××××ので、こちらから伺いました」」

 また2人で微妙にバラバラなことを言われた。

「……『さきほどの取調べで、お2人を見たとき、思い出したことがあったので、こちらから伺いました』」

 かなえから聞き取ったことを言うと、かなえが頷いた。

「……『うちのクリニックで、お2人がいらっしゃったとき、気づいたことがあったので、こちらから伺いました』」

 たまえから聞き取ったことを言うと、たまえが頷いた。

「あ、あの……織部さんは異様に耳がいいので聞き分けられるみたいなんですけど、私は普通なのでさっぱり分かりません……。できればお1人ずつ喋っていただけると嬉しいんですが」

 理瀬が遠慮がちに口をはさんだ。

 希榛としても、いちいち聞き取ったことを確認するのが面倒なのでそのほうが助かる。

「「じゃあ、××えから」」

 同時に譲り合って、2人でわたわたと慌てているが、また同じことになってしまう。

 希榛はその奇跡に素直に驚き、理瀬は挙手して発言した。

「では、かなえさんから。その後でたまえさん。この順番で会話しましょう。ね」

「……はい。すみません。私が楢崎かなえです。えっと、思い出したことっていうのは、母のことなんですけど。お2人が何をお訊きになったのかは分かりませんが、警察の方がいらしたってことは、何かの事件のことなんですよね。それには、母が……関わっているのかと思って。ね、たまえ」

 促されて、たまえが頷く。

「うん。あの……母が、何かしたんじゃないかって思ったんです。よく考えたら、最近はなんとなく母が変わったような気がしたから。で、でも別に、悪いことをしてるところを見たわけでもないんですけど」

 強く印象に残るようなエピソードはないが、希榛たちが来たことで、なんとなく覚えていた不安がはっきりとしてきたというような様子だ。希榛は続きを促す。

「変わった、とは?」

 双子が顔を見合わせ、アイコンタクトを取ったあと、かなえが口を開いた。

「まず、うちのVRセラピーなんですけど、前世療法とVRを組み合わせたのって、母の独自開発なんです。そのシステムをうちで使い始めたのが、ごく最近のことで。研究は前から続けていたんですけど」

 たまえが続ける。

「その研究には、私たちも協力していたんです。同じセラピストとして。でもある時期から、母は私たちを研究に関わらせてくれなくなりました」

 理瀬が眉をひそめた。

「何かトラブルがあったということですか?」

 双子は同時に首を横に振った。

「「いいえ、喧嘩したわけじゃありません」」

 声が揃ってしまい、また慌てる双子。しかし理瀬の言葉を思い出したのか、たまえがかなえに先を譲る。

「ええと、あくまで研究だけ遠ざけられただけで、仲はいいんです。というか、よりよくなったんです」

「よりよく、ですか?」

 理瀬の質問に、双子は同時に頷いた。かなえが微妙な笑顔で話を続ける。

「研究から外される前後から、母は以前より元気になり、笑顔もたくさん見せてくれるようになりました。私たちとの親子の時間も増えて、とても嬉しかったんです」

「いいことじゃないですか」

 たまえの表情は暗かった。

「そうなんですけど……母はずっと元気がなかったんです。研究がうまくいったおかげで元気になったのかなって思ったけれど、その中身を私たちに見せてくれないので分からないんです。自分が元気になるようなセラピーの開発ができたなら、母としてもセラピストとしても、私たちにその成果を見せたくなるものじゃないかと思うんですけど、機嫌のいいときに研究について訊いても、はぐらかされてしまって」

 そこで、黙っていた希榛が口をはさむ。

「……VRセラピーの開発が一気に進み、クリニックで実用化したのも最近。しかし発表は学会だけで大した宣伝もせず、知らない人間からは他の治療法とどこがそれほど違うのかも分からない、という状態では?」

「そ、そうなんです」

 かなえが驚いて目をみはった。

 さらに希榛は踏み込んだ質問をする。

「差支えなければ、なぜお母さんの元気がなかったのか教えてください。というか、それを知らないと対策できません」

 双子は暗い表情になり、言いよどんだ。しかしここに来たということは、警察に相談するような心当たりがあったということなのだ。

 最終的にたまえが譲り、かなえが話し始める。

「実は、私たちの下にはもう一人、《ももこ》という妹がいたんです。私たちとは3歳違いでした」

 過去形だ。それが示すものは――

「ももこが産まれた直後、父親は私たちを捨てて消えてしまいました。それから母は3人を一人で育ててきましたが……ももこはもともと心臓が弱く、10歳のときに死んでしまいました。今からちょうど10年前のことです。私たちも泣きましたが、やっぱり一番落ち込んだのは母でした。母は、結婚する前からセラピストでしたので、ずっと研究と臨床を続けていましたが、なかなか自分の心を癒すことができず、10年間元気がないままでした」

 たまえが続きを引き継ぐ。

「私たちがセラピストになったのは、母の背中を見てということもありましたが、その母をなんとか元気づけたいと思ったからというのが大きかったです。時代が進んでVRセラピーが確立され、その研究をしているとき、これで母の元気も取り戻せるのではないかと思ったものですが、なかなかうまくいっていませんでした」

「「しかしそれが突然、大きく前進したのです。しかも私たちの知らないところで」」

 双子の声がまた揃った。またもまごついてから、かなえが続ける。

「母は元気になりました。ももこが生きていたときのような笑顔を見せるようになったのです。それはもちろん喜ばしいことです。新しい技術の開発で、課題がクリアされたということなのですから。でも、そんな素晴らしい技術から私たちを遠ざける理由が、どうしても分からないんです」

 希榛も少し考えてから、相変わらず低い声で切り出す。

「妹さん――お母さんにとっては娘さんの死を乗り越えることは、容易ではない。が、それは達成されたように見える。しかしその直後に警察が来たということは、お母さん自身かその新技術による、何らかの違法行為の結果ではないかと思われる、ということですか」

 双子はぎこちなく頷いた。

「……俺たちは別に、楢崎のぞみさんが何らかの事件を起こした疑いがあるから話を聞きに来たわけではありません。しかし、現時点で全くのシロだと決定することもできません。実は、お2人の疑いにも心当たりがあります」

「お、織部さん……?」

 いきなり何を言い出すのだ、と言いたげな理瀬を、希榛は手で制した。

「直接話を聞いただけでは分からない部分が多いと思っていたところです。そこで、家族の協力はぜひほしかった。――お母さんの身の周り、とくに研究室を調べてほしい」

 双子は戸惑い、顔を見合わせる。

「お母さんの机の周りや中、あるいは部屋全体に、何かが隠されているかもしれません。もしくは、ももこさんが生きている間からお母さんの元気が戻るまでの間に頻繁に会話に上がっていた言葉や、お2人にとって強い印象のある思い出なども手がかりになる可能性があります」

「「わ……分かりました」」

 双子は全く同じ神妙な表情で頷いた。

 希榛は双子と連絡先を交換し、無理はしないようにと伝えてから別れた。



「あの協力依頼って、何だったんです? いきなりびっくりしましたよ」

 希榛にとってはちょうどいいことだった。

「俺が気にしているのはSpiegelのことだ。開発者たちは正体を隠している。だから自分の娘といえど、関係がなければ隠すだろう。だが、探られることを想定していなければ、手がかりを完全に隠しているということはないかもしれない」

 希榛は、もうひとつの可能性を疑っていた。それについては、娘たちが回答を示すだろうと思った。



 翌日、さっそく大量の画像が送られてきた。

 研究室の机の周りの壁には、たくさんのメモや写真が貼られている。一応、全ての壁や床や天井に至るまで、部屋じゅうを撮影した画像があった。

 理瀬はその中でも家族写真に注目した。

「真ん中に写っているのがのぞみさんで、左右には双子の娘さん。で、左の、顔がちょっと違う小さい子がももこさんですかね」

 周辺には、楢崎が書いたと思しきメモが貼られている。図やその説明、忘れてはならない予定などのようだ。

「その写真の横のメモは……なんだ? 他のと字が違うようだが」

 画像を拡大してみるが、写真の真横のメモだけ雰囲気が違う。

「字が汚い……読めない」

 紙も古い。

「これは、お母さんへの手紙、だと思います。えっと、おかあさんへ。ももは、おかあさんと、お、おねいちゃんたち――と……うーん……。見たことないひらがなが多いですね。思い出の手紙なんですよ。織部さんも書いたことないですか? お母さんへの手紙」

「覚えてない」

 希榛の母親は、あまりに無口で表情に乏しい息子を心配していた。笑いもしなかったし泣きもしなかった。思い返してもあまり心温まるエピソードの記憶がない。ずいぶん親不孝なことをしたものだ、と思う。

「こっちは絵ですね。うーん、察するに、これはかなえさんとたまえさんと、ももこさんの絵のようです」

 幼児の描いた絵だ。全く同じ服装と髪型の2人と、それより小さな1人が描かれている。

「この双子っぽい子たちが、お互いに何かを喋っているところに、ももこさんが話しかけているって感じですかね? あ、あいことば……とあります。んー?」

 さすがに字が汚すぎて、肝心の中身が分からない。

「まあこれは、思い出のものなんでしょうけど、それより研究の中身ですよね」

 希榛と理瀬はメモや置かれている書類などを見ながら研究の中身を推測しようとしたが、専門的すぎて細かくは分からなかった。

 分かったこととしては、Spiegelのコンセプトを取り入れることで、セラピーとして理想の仮想世界を作り、患者個人によりマッチした癒しの形を考えることができるということだった。

「楢崎は心理分析家としてSpiegel開発に携わっていたのかもしれないな。自分の知識と経験で発達させたSpiegelを、今度はセラピーに逆輸入した」

「それってすごいことですよね。とても画期的です。なのに、この技術を大々的に宣伝しなかった。どうしてなんでしょう?」

「開発者は、あまり表に出たがらない。実際には大きな影響力があるSpiegelも、その仕組みが無関係な一般人にまで知られると、とたんに胡散臭いものだと露見するからな。Spiegelが完全に浸透してしまえば、その存在を知らしめる必要自体なくなる」

 Spiegel側がわざわざこちらに姿を見せることはない。あくまで、自発的な体験によって広まっていくものなのだ。

「それにしても、『あいことば』か。この絵が敢えて机の真上に貼られていることにも、何か意味があるかもしれない」

 希榛は、電話をかけて確かめることにした。

 双子のどちらにするか少し迷ったが、どちらでも同じだと思い、かなえに連絡した。

 希榛は絵のことと、そこから読み取った『あいことば』という記述について話した。

『ああ、その絵ですね。ちょっと待ってください、こっちでも確認します。――えーと、多分これはももこが5歳ぐらいのときの絵だと思います。うーん……。あ、思い出しました。これは、私とたまえとももこが会話をしている場面なんですけど、そのころからよく言葉がハモってました。いつもはたまえとハモるんですけど、たまに3人でハモることがあり、そのときは合言葉を最初に言った人が他の2人に何かしてもらえるっていう遊びをしていました。おやつを余分にもらえる、とか。で、その言葉は、《ハッピー・アイスクリーム》です』







 






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