一人の男が出会った、読書との出会いと別れの物語

くらむ

無題

至極どうでもいい、私が小説と巡りあった話をしよう。


―――

私が小説に興味を持つきっかけとなったのは、ライトノベルだった。

それは私が中学生の頃に遡る。

手にとったのは「半分の月がのぼる空」であった。

なんとなくタイトルに惹かれたのと、表紙の女の子が可愛いと思ったからだ。

そのタイトルと表紙の絵に釣られる癖は今でも変わらない。

手にとった一冊。1ページ目を開く。

ライトノベルらしいカラーページの挿絵が目に焼き付き、瞬間コレだと思った。

私は、少ないお小遣いであることにも関わらず、迷わず購入した。


その後、家に帰りご飯を食べることも忘れ、夢中になり読んだ。

今、流行りの「無茶苦茶セック○した」のコラ画像かのように、それはもう夢中になり、文章と挿絵によって紡がれる世界に没頭した。


それからと言うものの、私は毎日のように本屋に足を運んだ。

学校から帰宅しては、自転車を漕いで、本のラインナップが代わり映えのしない地元の小さな本屋に入り浸った。

たぶん、顔を覚えられたと思う。その店は回数こそ減ったが今でも通っている。

当時は主にライトノベルになるが、その当時流行っていた数々のタイトルを1冊購入し、2、3日1冊のペースで消化したものだ。

気がつけば部屋は、ライトノベルで埋まっていた。

丁度その頃、読んでいた「週間少年ジャンプ」を購読していたのを辞めた。

ライトノベルを一冊でも多く読みたかったからだ。

ジャンプの関係者さんごめんなさい。私は電撃文庫の子になりました。


そうして、ライトノベルに入り浸っていた毎日であったが、私にも転機が訪れた。それは一般文芸との出会いだ。

そのきっかけ、はじまりはそう、国語の授業の時だ。

「銀河鉄道の夜」

読んだのは、まさしくも名作と呼ばれる一つであった。

また、「銀河鉄道の夜」は、私の最初に読んだライトノベル「半分の月がのぼる空」の作中でも扱われた事があり、非常に親近感を覚えたのだ。

そして無我夢中になり、私は学校の昼休みになると図書室にこもり、何故か三国志とコナンを読んでいた。……当時、流行ってたんです。


その後、私が手にとったのは、またしても名作と呼ばれる一作だ。

「我輩は猫である」

きっかけは、国語のテストに作中のシーンを題材に使われていたからだ。

あまりにも文章が面白い!と思いテスト中であることを忘れその短い文章を読みふけった。

丁度その頃は、お小遣いだけではなく、お年玉を使ってまで本を買っていた頃だ。

私は、その日放課後が来ることがもう楽しみで楽しみで仕方がなかった。

帰宅後は、馴染みの本屋まで自転車を全速力でこぎ、本棚に飾られた古ぼけた一冊の本を探し出し迷いなく購入した。

もう10年以上も前のことだ。その日の事を今でも、鮮明に思い出す。

その日の夜は、3時ぐらいまで「我輩は猫である」を読んでいた。

正確な時間までは覚えていない。なぜなら、気がついた時には朝を迎えていたからだ。

無造作に置かれた、「我輩は猫である」を見てこう思った事も覚えている。

栞、挟まってねぇ。何ページまで読んだっけ。

それから栞を必ず挟むことを覚えた。

その日のテストの結果が散々だったのは、もはや言うまでもない。


それからと言うものの、ライトノベルに限らず、一般文芸も数多く読んだ。

夏目漱石、森鴎外、芥川龍之介、日本の有名な著者だけに限らず、アーサー・C・クラークやアイザック・アシモフ、ロバート・A・ハインラインと言ったSF界の大物達の書物を手にとり、よく胸に期待を踊らせたものだ。

その当時流行っていた、ハリーポッターも読んだ。あの分厚くて重い本をよく持ち歩いていたものだと、今となっては関心する。

お年玉を削り、本に埋もれていく部屋を見て、その当時の私はとても嬉しかった。

まるで、世界の王様になったかのような気分に浸れたからだ。

それに見合うよう本棚も工夫し、たくさんの本が入るようにした。

……あまりの本の多さに本棚が壊れたのも、もはや過去の事。

その当時の私に何か一言伝えられるなら、私はこの一言を伝えるだろう。

「小さい図書館だけど、家から自転車で5分も掛からないよ。目と鼻の先だよ」


そうして、私は本と共に学生時代を過ごした。

一通り落ち着いたかなと思った頃には、ライトノベルや一般文芸に限らず、マルティン・ハイデッガーを主とした哲学書も読み始めた。

もはや手がつけられない。本の虫とは、こういうことを言うのだろう。

その頃には、部屋が本で埋もれ、いつも埃っぽく薄暗かった。

でも、本の匂いでいっぱいで、それだけでお腹も胸いっぱいになれたし、それが当時の私の小さな誇りだった。

それは、本があれば白米が三杯は食べれた頃だ。

いや、本が無くても白米三杯食べれたな。うん。そんな学生時代を送った。


そうした本が好きと言うだけで、ただひたすらに走ってきたが、挫折を迎える。

それはそう、大学受験に失敗し、一年間の名ばかりの浪人生活を送った頃だった。

私も何か発信したい。私も本が書きたい。とその時思ったのだ。

無我夢中で、起承転結もない文章をただ書き続けた。

もちろん、ちゃんと勉強しているよと親に嘘をつき、家にいるのが嫌だったから、学費を稼ぐからと言い訳をし、古本屋でバイトを始めた。

バイトをしている間も、ひたすら自分の書く物語の事を考えていた。


そうして完成した作品は、とても物語とも呼べない、酷く幼稚な物であった。

でも確かな自信を持っていた。私もこれで発信者になれる!と勘違いをしていた。

その当時行っていた、小さな文学賞に応募した。

一次予選で落ちた。少し泣いた。


今度は付け焼き刃だが、文法や物語の作り方と言うものをネットや指南本を駆使し学んだ。ネット上で、50人程度の小説家を目指すコミュニティで表現が一番上手いと褒められた。

連載小説も行っていた。あまりにも恥ずかしくて、その頃に書いた小説は消した。

今度は行ける!俺が文芸界をあっと言わせてやるぜ!と訳の分からない自信を持っていた。

正直、天狗になっていた。

天狗が描く付け焼き刃の物語ができた。

また、小さな文学賞に応募した。

二次通過者の欄に私のペンネームは無かった。

その時始めて、実感した。

50人程度のコミュニティの中で、天狗になっていただけのサル山の大将だったのだと。

世の中に対して、自分はこの程度の力のない人間なのであると言うことを実感したのだ。


そうして、私は物語を書くことを諦めた。

文芸界を変えてやるぜ!と思っていた自分は、嘘かのように綺麗さっぱり消えて、熱意が無くなったからだ。

それは正しく真っ白に燃え尽きたと言う表現がバッチリ当てはまるであろう。

今となっては、それが世間と言うものに触れた最初の一歩だったのだと思う。

馬鹿だったと思う反面、その熱意があった頃が羨ましく思う。

毎晩遅くまでディスプレイの中の文章とにらめっこして、なぜあそこまで頑張れたのだろうかと。燃え尽きてしまった今となっては、そう思わざるを得ないのだ。


それからと言うものの、私は今でも読者として時たまに本を手に取っている。

読書のペースは落ちているが、文学は私の中で確かなモノとなったのだ。

ジャンルは変わらず、ライトノベルが中心だが、一般文芸や哲学書も読んでいる。


もう、自分の手で何かを作り、変えて行くんだ!と思うまでの熱意は今はない。

私の中で創作や読書と言うものに対しての考え方が変わったのだろう。

悲しくも、今となっても、その考え方を言葉にするような術は持っていない。

所詮は、にわか仕込みのアマチュアとも呼べない物書きになれなかった、くず鉄のような存在だからだろう。


今は小さなブログと言う場で表現するだけで、自由に肩の力を抜いてだらだらと述べるだけで、それだけで十分だ。


読書を通して、一つ自慢したいことがある。

それは「半分の月がのぼる空」の作者さんのサイン会に行き、私の本名でサイン本を一冊書いてもらったことだ。

その時に話してもらった事も、一字一句忘れたことはない。

この本と思い出は、他の何物にも代えがたい、私の一生の宝物である。

―――



これは一人の男が出会った、読書との出会いと別れ、言うなれば折り合いをつける為のくだらない物語だ。


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