第6話 「みお」
逆光が眩しい。踊り場から上の階を見上げると下りてくる人の顔はおぼろげに認識できる程度のものだった。
足をさらに上へと進める。階段側の廊から見知った顔が近づいてきたのが見えた。
「こんにちは!」
それは私の声でなければならないはずだった。後輩から先輩に挨拶し先輩がそれに返してくれる、それが日常なのだから。
だが、それは私の声ではなかった。たった今すれ違ったその人、幸村先輩の声だった。
「こ、こんにちは」
と、ただそれだけしか返すことができなかった。突然のことだっただけでなく、挨拶を先輩から、しかも笑顔で、
そんなことになったら動揺を隠せなかった。マスクつけててよかった、と可愛げのないことを考えていた。思わずにやけてしまったからだ。
「ずるいよ、先輩…」
誰にも聞こえない小さな声で
マスクの中でつぶやいた。
気持ちは切り替えられたと思っていた。でも、先輩から笑顔で挨拶される、そんな状況に遭遇し、もうどうしようもなくなった。
やっぱり好きだなぁ。そう思った。
そう思っていても仕方ないのに、それでもやっぱりそう思った。
私は先輩が好きです。
声に出さずに言ってみた。
いつかあなたの目の前で、声に出して
、この言葉を言う時が訪れるのだろうか。
下から声が聞こえる。
美緒、と美緒先輩を呼ぶ幸村先輩の声だった。笑い声も聞こえる。それが少し胸を刺す。この感覚も久しぶりな気がするし、ずっと感じていた気もする。
幸村先輩が呼ぶ、「みお」という言葉にいつも反応しては脳内の漢字変換を急いで「美緒」にする。
いつか私も呼んでもらえる日が来るかな、ごくわずかな期待とでも多くは諦めの気持ちを持ってまた歩き出す。
「未央ー!」
後ろから晴香と恵理が私を呼ぶ声がした。
先輩、私も「みお」っていうんですよ。
あなたが美緒先輩を名前で呼ぶとき、私が何を思っているか知らないでしょう。
まだ今は何も言えないけれど、いつかは…。
「ごめん、おまたせ!今行くー!」
そんな私の勝手な想いは今はまだ胸にしまい、
今日もまた1日が終わるー
あなたの知らない物語 紫月 結乃 @lvlv_alce
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