宇宙への低い低いハードル
ちとせあめ
宇宙への低い低いハードル
「よぉ兄ちゃん、宇宙まで乗ってかんか」
仕事終わりでぐったり疲れて、しかも最終バスを逃した僕はのろのろと歩いていた。家に帰りついたら風呂も入らず泥のように寝てしまおうと考えていたので、その言葉が自分に向けられたものだと認識するのに時間がかかった。
「兄ちゃん!」
「はい?」
振り向くとそこには自転車に跨がった男がいた。男、と一言で済ますのは惜しい。彼の頭は今時珍しいくらいのパンチパーマに剃りこみ、首には金色に光るチェーン、夜の暗がりでもわかるほど極彩色のアロハシャツ、まあ有り体にいえば、やんちゃな人そのものだった。
「なんですか」
僕は呼び止められて苛々した感情を隠さずに言う。決して喧嘩が強いわけではないが、今は疲れが上回っていて早く寝たいという気持ちでいっぱいだったのだ。
「なんですかやないがな。乗ってかんか?」
男はそう言って、跨がっている自転車の後部、荷物を置くリアキャリアを指した。
「宇宙まで連れてったる」
「急いでるので結構です」
僕はそのまま歩き出したが、男は執拗に追いすがってきた。
「宇宙に興味ないんか」
「急いでるんです」
「パッと連れてってパッと帰らすから」
「いやもう、本当に急いでるから」
「帰りは兄ちゃんの家まで送ってやるから、なあ、頼むわ」
ちらりと横目で見ると、男は真剣に言っているようでこちらが哀れになるほど眉を下げている。真剣な方がむしろ危ないこともあるのだが、僕は生来お人好しだったのだ。加えて、自転車の後部に座ったまま帰ることが出来るのは魅力的に思えた。
「本当にパッと済むんですよね?」
「二言はないぞ。ちょいと宇宙行って帰るだけや」
普段なら当然このような怪しすぎる誘いには乗らない。だが前述のような理由と、男の押しに負ける形で、僕は今自転車のリアキャリアに跨がっている。
「今更ですけど、これ違反ですよね」
「走るのが道路やったらな。ほら、しっかり掴まっとき」
男の腰に腕を回す。その時気付いたのが、彼の体温は非常に低いのだということだった。そして、何故か毛布に包まれたように安心することが不思議だった。
振動と、程よい冷たさと、疲れだ。それらが全てない交ぜになって僕を襲い、あっという間に僕は眠りに就いてしまった。
木星を通り過ぎる夢を見た。
「…………起きてください!」
ハッとして目を覚ます。反射的に腕の時計を見ると、最後に見た時から5分もたっていない。
僕が眠ってしまったから、男は走るに走れなかったのだろう。そう思って、謝ろうと顔を上げた。
目の前に見慣れたマンションがあった。
「参ったな、まさか寝てしまうとは思わなかったから……」
パンチの男は先程までの口調とはうって変わって、優しく、しかし困った様子で言いながら頭を掻いている。何となく、小学校の時の校長先生を思い出した。
「あ、すみません……、え? あれ?」
頭が寝起きで上手く回らない。僕が自転車に乗った地点からはいくら自転車を飛ばしても20分はかかる。そもそも寝ている人間を落とさないようにしながら自転車の二人乗りなんて無理だろう。少なくとも僕なら無理だ。でも今は自分のマンションの前にいる。
僕はふらつきながらリアキャリアから降りた。男も自転車から降りて、こちらを向いてにこやかに笑う。
「ここで合ってましたか?」
「……はい、ぴったり、大正解ですね」
自分が何を言ってるのかわからない。そういえば自宅だって教えていないのだ。ここまできて、僕はようやく怖くなってきた。
「あの……」
「怪しい者ではありませんよ。と言っても信じてもらうのは難しいでしょうが、私は嘘はついていません」
何故マンションがわかったのか、何故こんなにも短い時間で到着出来たのか、聞きたいことはたくさんあったが、彼の言葉に引っ掛かりを覚えた。
嘘?
「宇宙に連れていくと言ったでしょう」
僕の疑問を浚うように、男が応えた。ああ、宇宙とか言ってたな。思い出す。……宇宙?
「宇宙って、あの宇宙? ですか?」
「あの宇宙です」
男が指を真上に向けて微笑む。身なりは変わっていないのに、別人に見えた。
信じられるわけがない。だが、5分も経たずに僕を家まで運ぶという、信じられないことをこの男はやったのだ。ふと思い付いてスマートフォンの時計も確認してみる。腕時計の時刻と変わらなかった。
「いま、宇宙に行ったんですか?」
「いえ、さすがに……寝てしまうともったいないでしょう? 途中では起こせませんから、仕方なく家に来ました」
男はとても残念そうに、首を捻りながら言った。何だか申し訳なくなり謝ると、しかし彼は笑顔で「次がありますから」と応えた。
「私はちょっとした能力を持っていまして、宇宙くらいなら自転車で行って帰れるんです。しかし、同じ方を二回乗せる気にはどうにもなれず、すみませんが貴方は今回限りです」
別段宇宙に興味があるわけではないが、そう言われたら眠ったことを後悔するぐらいには好きだった自分に気付く。そして、男の話をすっかり信じていることにも。
「こちらこそ、家まで送ってくれてありがとうございます」
「簡単なことですから……ああ、次は絶対に寝ない人を探そう」
最後は自分に言い聞かせているのだろう。頷きながら男は独りごちた。そしてあっさり去って行こうとするので、慌てて呼び止める。
「あの……何で、そんなチンピラみたいな格好してるんですか」
聞いてみると彼は自転車に跨がりかけるのをやめ、これまた校長の笑みを浮かべた。
「一緒に宇宙に行ってくれる方を探してはいますが、誰でもいいわけではない。いつもの格好で宇宙だとか言ってると、おかしな人ばかり寄ってきてしまうんですよ。だから研究して、宇宙とは縁遠い服装や振る舞いにしてみたのですが、正解でしたね。あなたが乗ってくれたので自信がつきました」
満足げに頭を撫で、男は一瞬で会ったときの表情に戻った。単なるやんちゃな人だ。
「よく休んどけよ、兄ちゃん」
そうして彼が跨がった自転車は消えた。明朗な声だけを残して。
跡形もなくいなくなった男に言ってやれば良かった。その格好では尚更同行者を見付けにくいですよ、と。
2014/5/19 up
宇宙への低い低いハードル ちとせあめ @ameame13
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