詠那の身体がそこにあるようにリアルに見える



『さぁ、首を縦に振りなよ。君が一言、うん、と返事をすれば、それで全ては上手くいくんだ。素晴らしい世界が君を待ってる』



 目の前の、神宮真咲を名乗る人物は言う。



『早く楽になっちゃいなよ』


「そうだね……」



 神宮は、目の前に座る人物の足元に視線を落とした。


 思えば、リアル世界ではいいことなんて1つもなかったな。

 頑張ってリアル世界に還ったって、またあの惨めな生活に戻るだけだ。リアル世界に戻ったら、きっとリア充パリピの詠那たちは僕の相手なんてしてくれなくなるだろう。

 そのリア充たちの脳みそは、きっと僕を視界に入れることすら拒否するだろうし、男としても、人間としても、その存在すら認識してくれないかもしれない。そんな世界に、果たして、どのような生きる意味があるというのだろう?

 それに比べて、目の前にいる僕の名を語る彼がオススメする世界は素晴らしいじゃないか。なんでも僕の好きなように出来るんだ。



『ようやく分かってきたかい?』



 目の前にいる神宮真咲を名乗る人物は、ニヤリと笑ったように見えた。しかし、やはりその表情ははっきりとは見ることが出来ない。



『それにさ、このご時世、もうリアルにこだわる必要はないんじゃない? リアル世界の方では、VRが流行ってきてるでしょ? そのうち、某マトリックスみたいな世界になるよ。リアル女と付き合う必要なんてないし、逆にめんどくさいだけだ。最早、現実である必要はないんだよ。それに、こっちの世界に来れば、死の恐怖だってなくなるんだ。自分の好きな世界で、好きなように、好きなだけ生きられる』



 それもそうだな、と神宮は思った。



 リアル女なんていらない——


 僕は考えていたことがあった。

 今は経済力がない学生だが、社会人になり、一定の纏まった収入を得るようになったら、空気嫁ラブドールを買ってやろうと。それも、めちゃくちゃ精巧に作られたやつを。リアル女と違い、空気嫁は僕の事を馬鹿にしたりしないし、僕の事を否定したりもしないだろう。


 そうだ、この目の前にいる僕の名前を語る人物のいう事は、正しい。



 神宮は、首をコクリと下に振った。













「かはっ!」



 球体から現れた不気味な黒い顔が浮かんでいる真下の、底なし沼のような漆黒の闇から、黒い影が鞭のように飛び出し、跳ね、変態除念士の右腕を切断した。除念士の右腕は、杖を握ったまま吹き飛び、沼に落ち、沈んでいった。


 除念士の、その先にあるはずの腕を失った右肩からは、盛大に真っ赤な血が吹き出している。しかし、除念士はその事実全く気にかけていないように、黒く不気味な顔の前に立ちはだかった。詠那たちを守るようにして。


 詠那、鳳来、サリアは黒い顔に近づくことすら出来なかった。詠那たちのレベルでは、黒い顔の通常攻撃で即死させられる。



「除念士さん!」



 詠那が駆け寄ろうとしたが、除念士が制する。



「近づくな! お前達は、逃げろ」


「でも!」


「いう事を聞け!」



 除念士は、その殺気のこもった剣幕で叫んだ。詠那は、その尋常でない威圧感に言葉を失った。


 再び、落ち着いた声に戻り、除念士は言う。



「いいか。恐らく、ここでわしは死に、あの小僧は奴に取り込まれる」



 サリアの表情が、青白くなる。


 手に持った大鎌が、震える。



「しかし、取り込まれたからと言って、死ぬ訳ではない。いいか、機会を待て。必ず、小僧を取り戻せる。その時が来る」



 除念士は少し間を置いた。必死に、薄れゆく意識を繋ぎとめているように見えた。



「もし小僧を取り戻すことが出来たら、餞別にでも詠那たちの使用済みパンティー例のモノをわしの墓に例の供えるように伝えてくれ」



 それを聞くと、詠那は膝を折り、崩れ落ちた。この絶望的な状況を、理解する事が出来た。



 わたしでは、どうすることも出来ない。




 除念士は、再び黒い顔の方を振り向き、そして笑った。



 こんな魔物と出会えることは、除念士をやっていても人生のうちで1度や2度、あるかないかだ。滅多にお目にかかれないし、普通なら、呪われた瞬間に命を奪われる。


 しかし、あの小僧は平然とした顔でわしのところまでやってきた。


 やはり、あの男、ただ者ではない。



 わしの人生の楽しみは、女と、わしを超える変態を見つけること。




 小僧、ここで死なせるには、惜しい――



「そして、尊いJKのボディーも失うには、惜しい!」



 除念士は、その自らが持つ魔力を左手に集中させ、黒い顔に飛びかかった。しかし、地面に広がる漆黒の沼から、無数の黒い手が飛び出してきて、除念士の身体を掴もうとする。除念士はそれを魔術で払いのける。その老体からは想像出来ない身軽さで、宙を舞う。除念士は黒い顔の真ん前まで来ると、突然、真下に進路を変えた。



 狙うべき敵の本体は、あの黒い球体――


 除念士は魔力の籠った左手の手刀で、球体の表面を割いた。包丁を入れたトマトのように、スッパリと球体が割れる。その割れ目から、真っ赤な血液のようなものと共に、無数の真っ赤な手が飛び出してくる。


 除念士は、魔力を自らの身体の中心に集中させた。



 このまま奴の空間に入り込み、衝撃を与える。そうすれば、空間が歪み、その衝撃であるいは小僧が完全に取り込まれることを阻止できるかもしれない。



 ふっ……、わしがまだ現役の頃なら、こんな戦法はとらずともこの魔物に勝てたのにな。


 まぁ、それも致し方ないことだ。


 一部の種族を除いては、老いてゆくのはこの世界の摂理である。


 大切なのは、それを受け入れて、どう楽しむか、じゃ。



 おそらく、この一撃でわしの身体もろとも小僧が報酬としてくれたJKの使用済みパンティーは消滅してしまうだろう。しかし、あの小僧が生き延びて、わしの墓標に再びお嬢ちゃん達の使用済みパンティーを供えてくれれば、わしはあの世でそれをオカズに好きなだけオナニーし放題じゃ。


 ククク、この世界の女も良いが、現世の女もまた違う魅力があるからの。しかも、ピチピチのJKときた。ククク、それを考えるとますます魔力が湧いてくるわい。


 あ、しまった——もっと盗撮しておくべきじゃったかの。写真があった方が、より興奮する……いや、大丈夫じゃ。あのピチピチのボディはこの網膜に焼き付いておるわい。



 今でも思い出せば脳裏に浮かんでくる、あの詠那という娘のしなやかで健康的な二の腕——そうそう、この短いスカートから覗く、程よく肉のついた太もも。制服のシャツの下に隠れた、主張しすぎない胸。綺麗になびく髪の下に隠れては見える、ペロペロしたくなるような艶やかな頬。フフフ、これが火事場の馬鹿力というやつか、詠那ちゃんの身体がまるでそこにあるようにリアルに見え――



「ほうあっ!?」



 妄想にひたっていた除念士は、驚きのあまり顎が外れ、盛大に鼻水を吹き出した。


 今まさに球体に飛び込まんとする除念士のとなりに、同じように球体に飛び込もうとする詠那の姿があった。


 詠那は球体の切れ目に手を伸ばし、まっすぐに球体の中を見つめている。


 まるで、その中に大切なものを求めるみたいに。







 な、馬鹿な————

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

クインテット・ファンタジー 竜宮世奈 @ryugusena

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ