闘争とはなにか。個人と個人の争い、階級闘争、民族紛争、国家間の争い、宗教戦争──およそ人が二人以上存在する時、そこには利害の衝突が生じ、人の相克が生み出される。それは人の持つ多様性の必然的な帰結であり、人の歴史とはいわば闘争の歴史なのだと言える。
そしてその闘争のもっともプリミティブにして純粋な様式。それこそが『じゃんけん』なのである。
この物語は闘争の物語である。
じゃんけんという純粋闘争様式を軸として、異能、知謀、単純暴力、達人技、兵器、そして欲望。ありとあらゆる手段を駆使し、超人たちが相争う。
それが面白くないわけがない。面白いに決まっている。実際、この物語は破格の面白さなのである。
そして──。
その闘争の果てに、人は傷つき、愛すべき人々を失い、そして苦しむ。そこからの救いは果たしてあるのか。人はそれを超克できるのか。それが、この物語の裏のテーマでもある。娯楽として最上でありながら、それに留まろうとしない。作者の志の高さを感じさせる。
もし『闘争』という言葉が少しでもあなたの心の琴線に触れるのであれば。あなたが今読むべきマストの作品、それがこの『鏖都アギュギテムの紅昏』なのだ。
じゃんけんに負けると頭が爆発する。
確かにこのムチャクチャな事象は作品のキモであり、読み手を興奮させる要素のひとつだ。単なるトーナメント・バトル小説ではないことがわかる。
だが『鏖都アギュギテムの紅昏』の魅力はそれだけではない。
なぜか。それは、この戦いが運否天賦の「じゃんけん、ぽい」だけで勝負がつくような単純でナマッチロイ話ではないからだ。
命を賭けて舞台にあがる十六人の罪人の多くは、『相手が何を出そうとしているのかを察知できる』。そして、それぞれが常人離れした『身体能力』と、神器の如く凄まじい特殊能力を秘めた武器『神聖八鱗拷問具』を持っている。
すると何が生まれるのか。
直接暴力(殴るし、斬る)だ。そして拷問具の能力を軸にした究極の読み合い、騙し合いが生まれる。
「じゃんけん軸 × 暴力軸 × 拷問具軸」による壮絶な戦いだ。
さらには、死合の舞台の外であっても平気で行われる諜略の数々。
陰謀渦巻く牢獄で催される暴力と知恵の極限勝負。そういうことだ。
じゃんけんバトルなどと甘く見てはいけない。
そんな狂った死合に挑む、十六人の罪人の個性も素晴らしい。
誰が見てもヤバイ奴。それが十六人もいるのに、全員にそれぞれ違うヤバさがある。
そして、そんな狂った世界を創る、作者の筆力と超絶的な語彙力。
アギュギテムの世界そのものが、必ず読み手の心を掴むだろう。