幽月邸の夜

ハギわら

第1夜 三十木 器(みぞぎ うつわ)

 第一夜

 私は三十木みそぎうつわ。ある決意を胸にある場所を目指していた。


 都市伝説となっている『幽月邸ゆうづきてい


 私には、どうしてもそこにいかなければならない理由があった。


 草木も黙る丑三つ時、時間でいうと午前2時過ぎ。今日は満月である。私は東京都青梅市にある、旧吹上トンネルを前にしていた。山の中で、辺りは街灯がなく、月明かりだけが頼りである。異様な静けさがあったが、その静けさが風の音をより鮮明に聞かせていた。


 そのトンネルを抜けた先に、都市伝説の『幽月邸』がある。


 私はトンネルの入り口にある、虎ロープが張られたガードを跨ぎ、トンネルの中を進んでいく――


 トンネルの中には、小さな水たまりがあり、歩くと水を踏む音がした。ピチャ、ピチャと。あと聞こえるのは、トンネルを吹き抜ける風の音だけだった。


 段々、視界はトンネルの闇に奪われていく。私はどこを歩いているのかわからなくなりそうだった。どこが上なのか。下なのか。果たして、まっすぐ進めているのだろうか……。


 辺りは闇で覆われ、自分の居場所がはっきりしない。だが、私にはやらなければならないことがある。


 その、強い想いが私の足を一歩一歩、確実に前に進ませた。


 時間にすれば、10分程度だったのだろうか。だが、暗闇の中にいた私にはそれより長く時間を感じた。少しづつ、明かりが見えてくる。


 あそこが、目的の場所なのだろうか?


 歩を早めるでもなく、一定の間隔で私はその光を目指した。


 トンネルを抜けると入り口に戻ったのではという感覚に囚われた。


 辺りは山、空には満月。街灯はなく、風の音だけが耳を伝う。


 光によって、見えるようになった視界を動かす。山の中を見渡す。


 洋館を探して。



 違和感を感じた方に目を向ける。一人の若い着物姿の女の子が月明かりの中、こちらを見ている――私を見ていた。


 髪は黒髪でショートカットというのか、血色がよく、元気そうな子である。


 この場所は有名な心霊スポットでもある。大学生が遊びで訪れることもあるであろう。だが、彼女は一人だった。そして、この場所に似つかわしくない、着物姿である。


 私を見ている。彼女は、少し笑みがこぼれているように見えた。


「おじさん、もしかして、『幽月邸』をお探しかい?」


 彼女の問に、私は答える。


「どうしても、幽月邸に行きたいんだ。私には、そこに行かなければいけない義務がある」

「じゃあ、あたしについて来て♪」


 彼女の案内に促されるまま、私は後をついて歩いていく。山の中を。落ちた小枝を踏みしめながら、一本道を歩いていく……。私の胸は、苦しさを増していく。目的の場所が近づくにつれ。


 私の緊張を悟ってなのか、彼女は意気揚々と後頭部で両手を組みながら、足を大げさに振り歩く。そして、私にはなし始めた。


「私は篠宮しのみやおとぎ。おじさん、名前は?」

「私は三十木器」


 彼女は、私の名前を噛みしめながら、次の話を始める。


「そうか。……幽月邸をどこで?」

「都市伝説だ……」


 篠宮おとぎは私の答えに、歩みを止め、腹を抱えてケタケタと笑っている。


「まじで!! ウケるんですけど!! その年で、都市伝説とか。ハハハ。おじさん、正気かよ?」


 私はその仕草を、冷たい目でみながら、彼女に答えを返した。


「……正気の人間は……あんな場所を目指したりはしない……」


 私の答えを聞くと先ほどまで大笑いしていた、彼女は表情を一変させる。


 私の目を直視し、顔を近づけ、真顔で答えた。


「よく、わかってんじゃん。合格だ。」

「試験か何かだったのか……?」

「いいや、私が気に入っただけだ。ただ、それだけ」


 彼女の話には重みがない。しかし、先ほどまでの、胸を締め付ける感覚が和らいでいたのは、事実だった。コロコロ表情を変える、和服の元気な娘のまるで重みがない話によって。


 篠宮おとぎは、つかみどころがない。まるで、ネコのような人間だった。だが、この月夜の暗い山と着物姿の彼女の存在は、何かを思わせるものがあった。都市伝説というものが、実在するような。そういう、錯覚を思わせるものが――確かにあった。


 どのぐらい歩いたのだろう。もう、時間も定かではなかった。ただ、私は目的の洋館までたどり着いた。篠宮おとぎのおかげで。


 洋館は古めかしく、蔦のはで覆われていた。ヒビらしきものも散見される。明かりひとつ灯っていない洋館。


 私の胸はまた強く締め付けられ始めた。


 篠宮おとぎは、着物の間に手をいれゴソゴソまさぐり始めた。洋館を前にして、何かを探しているようだった。都市伝説を前に私ができることなどないだろう。私はその様子を眺めていることしかできなかった。


「確かっと……あった、あった」


 おとぎは胸の間から鍵らしきものを取り出す。そして、扉に差し込んでいた。暗くて良く見えなかったが、おそらく鍵だと思われる。


「じゃあ入るぜ、おっさん」

「頼む……」

「では、1名様ご案内~♪」


 彼女らしい合図とともに、扉が開いていく。


 そして、洋館の中が視界に映る。


 外観とは似つかわしくない、綺麗な赤いじゅうたんが敷かれていた。


 私はそこでふと気づいた。


 じゅうたんが見える? 


 明かりは外からは見えなかったのに……。屋根があり、月明かりは入り口を照らすことはなかった。洋館の中は明かりがついていた……。


 都市伝説だ。何でもありだろう。そういうことでないと、私は困る。命すら取られてもいい、一度は失ったはずの命。目的を果たせれば。


 それだけが、私の望みである。


 私は臆することなく、篠宮おとぎが開けてくれた扉の中に入っていく。歩を止めることなど、今日はないだろう。


 洋館の中に入ると、扉が篠宮おとぎによって、閉められ。中には、一人の男が立っていた。


 気品がうかがえる、立ち姿だった。彼の特徴は、黒いマントに身を包み、髪が立っており、八重歯が二本ほど生えている。身長は190cm程度と大柄だった。


 西洋でいうバンパイアというものを模したような男だった。


「私は当館の支配人、アインツと申します。今日は、よくぞいらっしゃいました」

「金ならいくらでも払う。十和子とわこに会わせて欲しい!!」

。」

「えっ?」


 アインツの答えに私は、何を言われたのかわからなかった。


 対価など一つも支払った覚えがない。何も彼にも篠宮おとぎにも渡していなかったのだから。


 私は一人困惑していたが、アインツがそれを振り切るように「私に、ついてきてください」といった。扉の前で、篠宮おとぎは手を振りながら笑顔で私に「生きて帰って来いよ♪おっさん」と別れを告げていた。その姿を見ている余裕は私には、もうなかった。


 ここまで、来た理由に他ならない。思考が止まる。アインツの後をついて行けば、都市伝説どおりなら……きっと……十和子に会える。


 アインツの後を歩き、赤い階段を上り、赤いじゅうたんが敷かれた廊下を歩いていく。


 その間、私の思考は停止していた。ただ、彼の後をついて行く。


 それ以外、私の脳は一切の情報を受け付けなかった。


 アインツがある部屋の前で止まる。


「では、これより、今宵の宴をあなたの為に送りましょう。ささやかですが、どうぞお楽しみください」

「宴……?」

「はい♪」


 にこやかな表情をしたアインツが部屋の扉を開ける。私の思考は、宴という言葉を皮切りに動き出す。


 おい、待ってくれ。都市伝説と違うじゃないか。私は楽しみたいわけではない。ただ、十和子に十和子に……会いたいだけなんだ。それが、私の望みなんだ……。


 思考は動いていたが、私の口は動かなかった。


 アインツに促され、部屋にある白いクロスが敷かれたテーブルの席につく。アインツが引いてくれた、席に腰かけ座った。


 だが、とてもリラックスできる状況ではなかった。


 部屋の雰囲気は普通だったが。そうではない。


 私は心の中で、何度も違う違うんだと、叫んだ。



 違う、違う、違う、違う。違う。違う。


 違う、違う、違う、違う。違う。違う。


 違う、違う、違う、違う。違う。違う。


 違う、違う、違う、違う。違う。違う。



 これは目的と違う。おかしい……。いつもそうだ……。あの時もそうだった……。私の想いは、いつも空回りして、違う結果を導き出す。


 私は泣きそうな表情でアインツを見つめていた。アインツは、私に笑顔で返し、告げてきた。


「大丈夫です。安心してください。あなたの望みはすぐに叶いますよ」


 アインツの優しい表情と声は、私に落ち着けと伝えている様だった。


 だが、不安や失望といったものが私の心を駆け巡る。


 どうか……十和子……十和子に会わして欲しい。それが私の望みだ。


 音楽が奏でられる。バッハの『主よ人の望みの喜びよ』だった。


 音量が大きかったため、音楽がいやでも耳に入ってきていた。宴などは望んでいないのに。このあと、フレンチのコース料理でも来るのか……。失望を考えながら、私の意識は少しづつ、薄れていった。音楽が段々、遠のいていく。音が小さくなっていく。


 目が自然と閉じていった……。また、トンネルと同じ暗闇に私は戻る。




 私の閉じたまぶたに光が差し込んできた。


 たまらず、閉じていた瞼が開いていく。ぼんやりとした、視界の中、私は目的を果たす。


 まるで、雲の上にいるような景色の中、目の前には、十和子の変わらない姿があった。そして、変わらない優しい声が。


「随分、老けたわね……器」

「お前は……変わってないな……十和子」

「そうね」


 25歳の十和子の笑顔がそこにはあった。どうしても告げたいことがあった。私はこの告白を十和子に告げなければならない。そして、懺悔しなければならない。ぬぐえぬ罪というものが世界にあるとすれば、それは私の罪であろう。


 私の再会の喜びの時間はすぐに終わりを告げる。


 十和子に伝えることをたくさん考えてきた……あの日から。私は言葉にして、彼女に伝えようとするが……。何故だろう……。何故、こんな言葉しかでなかったのだろう。


「十和子……ごめん……ごめん、……ごめん……誓いを果たせなくて……俺がお前を殺したんだ……ごめん……ごめん」

「器……」


 泣きながらそう十和子に伝えるのが精いっぱいだった。


 40歳になった私は、あの日と変わらず臆病なままだった。


 何もできない……何も果たせない……愚かな罪人である。



 ***



 私と十和子が出会ったのは、大学生1年生の時である。


 まだ、18歳だった。


 私は幸福論なる講義を受けていた。一般教養という科目名ながら、どう考えても一般的か怪しい。ただ、単位がなければ、卒業できない。それだけの為の、退屈な講義であった。


 階段上の座席の中、遠い席から豆粒の様な教授を眺めていた。退屈な講義に嫌気がさしてくる。私は豆粒にばれない様、机に身を低くし、眠りの態勢に入ろうとしていた。


 安寧の暗闇に身を預けようと……。


「だめですよ♪」


 頭の上から声が響いてきた。声の主は十和子であった。にこやかな、いたずらっ子という表現が正しいかはわからない。ただ、笑顔に近い表情の十和子がそこにいた。


 私は、人生初の一目惚れを彼女にした。そのいたずらっこの笑顔に。


 それ以来、幸福論の講義は、正に幸福であった。


『一瞬の快楽で得る幸福は、一貫性のある幸福に負ける』


 教授の存在が日に日に私の中で大きくなっていく。偉大な教祖である。お布施というの名の授業料を払っていたが、それでは足りないかもとすら、感じるほどに。


 ただ、その幸福の中心には、十和子の存在があってこそだった。彼女がいなければ、教授の存在は成り立たない。お布施は十和子に払うべきだな。なんて、若い私は、まじめに考えていた。


 毎度、十和子の隣の席は、私の指定席となっていた。


 十和子に溜まりに溜まったお布施を払うために、意を決して私はデートに誘うことにした。


「あの……武利むりさん、もしよろしかったら……その……今度、映画でも見に行きませんか!!」

「え?」

「いや……映画がお嫌いだった……コーヒーでも!!」


 十和子の気のなさそうな返事にも負けずに、私は畳みかけることにした。そもそも、引き際がこの時は若さゆえにわからなかった。十和子は私の強引なアプローチにいつしか、コーヒー程度なら付き合ってくれるようになっていた。


「三十木はいつも急ね♪ 誘い方が」

「じゃあ、来週の日曜デートしよう!!」

「そういうところが急なのよ。うふふ」


 十和子の笑顔は太陽だった。私にとっては。何物にも代えがたい。とびっきりの太陽。これなくしては、氷河期に突入してしまい、私の身と心は震えあがって凍死していただろう。太陽の存在を知ったら、これからは逃れない。


 そして、日曜は映画デートを迎える。


 西洋の騎士がかっこよく活躍する作品だった。最後、姫の手の甲にキスをし、忠誠と愛を誓う。私は若かったゆえにその騎士に憧れを持った。


 そして、騎士と同じく勇敢であろうと映画デートの帰り際、公園で十和子の前でひざまつき、永遠の愛を誓うキスを手の甲にした。


 十和子も快く、私の愛の誓いを受け入れくれた。


 なにもかもが幸せな日々だった。ずっと、永遠にこの日々が続いていくと思っていた。若かった私は……。



 私が20歳になった時、彼女を両親に紹介することにした。永遠の愛とは、結婚を前提に付き合っていることを誓ったのだ。


 大人になった私はけじめをつけようと思っただけだった……今思えば、全てが軽率だった……。浅はかで底の浅い人間だった。私というものは。もっと、自分を理解していれば、未来を変えられたのだろうか……今となっては過去であるが……


 私の家はとても裕福な家庭だった。親が貿易関係の会社を経営しており、日本には不釣り合いの洋館が東京の一等地にでかでかと建っていた。


 私は十和子の手を握り、自宅の門の前で緊張する十和子を落ち着かせていた。


「十和子、落ち着いて」

「だって、器。こんなお屋敷なんて、聞いてないわ!!」

「言ってなかったね……あまり……家のことは話したくないんだ……裕福ってだけで、目の敵にされるから」

「けど……大丈夫かな。緊張するな」

「きっと、十和子なら大丈夫だよ♪」


 私は、自宅の食卓で両親と十和子の四人で並んで、昼食を食べていた。この時はなにもかもがうまくいっていた。両親と十和子は楽しそうに話をしていた。共通の話題である私の話などを交えながら。


 数日たって、状況は一変する。


 自室にいた私のところに父親が訪ねてきた。


「おい、器!! いますぐ、十和子さんと別れなさい!!」

「え……父さん何を言ってるんだ?」

「色々調べさせてもらったが、あの子の家は、とても貧しい」

「なんだって……貧しい? それが、どうしたんだ? それがどうして、別れる理由になるんだ!!」


 私の怒りは、父の軽率な言葉に沸騰した。父の胸倉をつかんで、私は父に言い放った。


「あなたが何を言ってるか! 俺にはわからない!!」


 私は、父に反抗したことはそれまで一度もなかった。父の言われた高校に行き、父の言われた大学に行き、全てが父親のレールに敷かれた人生を歩んできていた。謂わば、父が車掌であり、私は彼の運転する電車だったのかもしれない。


 電車が車掌に逆らえば、車掌も怒る。


 私が父という人間を理解できていなかったのが、原因だった。


 彼の恐ろしさを……。


「器……私に逆らうというのか? 息子であるのに」


 この時の父親の表情は、私には鮮明に記憶に残っている。まるで興味をなくしたような、人ではない虫を見るような目に寒気を覚えた。私の怒りはこの表情によって、かき消され、胸倉をつかんでいた手を離してしまった。


 静かな声で父親が私に告げた。


「器……お前の名前がどうして器か説明していなかったな。私にとって、お前は器なんだよ……私の理想を注ぎ込むための。お前が私のいうことを聞かず、器としての役割を放棄するというのなら……私にも考えがある。あまり、私を怒らせないことだ」


 ぞっとするようなセリフだった。


 実の息子に向けて、親が放つ言葉としてはあまりに重すぎた。父という人間の底知れない闇を垣間見た瞬間だった。


 その日を境に父の私に対する行動が変わっていった。


 私は、父からの小遣いを断たれバイトを始めた。コンビニでのバイトだった。


 今までバイトは禁止されていたので、父の束縛から解放され揚々としていた。


 20歳になったのだ。もう、大人だ。これで、社会への一歩を踏み出していた気になっていた。


 労働というものが性に合っている気がした。働くことは嫌いではなかった。憧れもあったのかもしれない。


 そして、稼いだバイト代で十和子とのデートを重ねていた。


 ある日、大学の事務から私は呼び出された。何のことかわからず、言われるがまま、事務室までついて行った。


 机を挟んで、申し訳なさそうに事務員が語りかけてくる。


「あの……三十木さん……学費が振り込まれていないのですが」

「えっ!?」


 私は学費は親が払うものだと認識していた……。甘かった。お小遣いを止めるだけで、私の父が終わることがないことを早く気付くべきだった

 。

 あの人のことを何も理解していなかった。


 思わず、事務員に金額を確認してしまった。


「いくらですか!?」

「40万程です……」

「よ、よ、よん十!!」


 私のバイト代などでは、たかが知れていた。月数万程度である。この時、貯金などということはまったく考えていなかった。全てをデート代や雑費に使っていた。父の言葉の意味をしっかり理解していなかったのだ……逆らえばどうなるかということを。


 私は家に帰り、父に詰め寄った。


「学費を止めるなんて、やりすぎだ!!」

「お前がいうことを聞かないのであれば、私に払う義務はない」

「な!?」

「お前があの女と別れるのであれば、学費は払おう。これが最後通告だ……よ~く考えろ」


 母親の顔を見るが、目をそらされる。


 母はいつも父のいいなりだった。この家は、全てが父の言いなりだった。誰も父に逆らわなかった。私が初めての反逆者だったのだ。独裁政治の王は、反逆者に対しての扱いは非道たるものこの上なしだということを学んでおくべきだった。


 私は夜のうちに家を出ることを決意した。


 これが、悲劇の始まりだった。何も考えず、何もわかっていない男が……


 彼女を殺す始まりだった――


 私は十和子が一人暮らししている、1Kの家に上がり込んだ。十和子からは、家に帰るよう何度も言われたが、私は意固地になっていた。まるで、鉄の意思でもあるかのように断り続けた。十和子は諦め眠りにつく。


 翌朝、十和子が大学に行ってる間、私は大学に行かず考えていた。家に帰るなら……十和子と別れることになる。多分、父親が認めることはないだろう。あの家には味方もいない。


 母親も父の言いなりだ。誰にも助けを求められない。


 だが、真相を話せば十和子が傷つくだろう。


 彼女の家が貧乏だからという理由で、全てを否定されるのだから。


 私は彼女を守る騎士であることを誓った。ここから、先は何があろうと彼女を守ろうと。浅はか、底なしの浅はかさである。


 大学から帰ってきた十和子に、私はまとめたことを話し始めた。小さいテーブルを間に挟み、畳の上で話しを始めた。


「十和子……俺のことが好きか?」

「器のことは好きよ……けど、お家に帰った方がいいわ」

「家に帰ったら……俺は二度と十和子と会えなくなる」

「えっ!?」


 十和子は驚いていたが、私は話を続けた。


「俺は十和子と結婚したい!!」

「な、な、」

「お前以外考えられないんだ、十和子!! だから、俺と一緒に遠くへ引っ越そう。金ならある」

「ちょ、ちょっと。え、え?」


 私は実家で泥棒のようなことをした。家の箪笥を開け、中から現金を盗んできたのだ。100万ほど手元にあった。


 驚いている、十和子を抱きしめながら何度も説得をした。


 そして、私と十和子の逃避行が始まった。


 逃避行と書いたのには、意味がある。


 正に逃げただけだったんだ。脅えて逃げて……。


 勇敢な騎士に憧れた私は、単なる盗人であり、臆病ものの世間知らずだった。


 大事な人ひとりを守れない。愚かな。


 初めは東北へ逃げた。そこで、仕事を探し、狭い部屋で質素な暮らしをしていた。

 十和子は家で家事をこなし、私は新聞配達や土木関係の仕事をし、日々過ごしていた。


 体力的にはきつかったが、いつも家に帰ると十和子がいた。


 それだけで、部屋は明かるさを増していた。だって、太陽が部屋にあるのだ。

 明るいに決まっている。十和子は大学をやめることになるが、それでも私を信頼して付いて来てくれたのである。


 バカな男を信頼して……。


 東北に来て1年が過ぎようとしたころ、父は動き始めていた。探偵を雇い、私たちの住処を見つけ、私たちを引き離そうとしていたのである。


 父の執念深さを何も知らなかった。


 異変に気付いたのは十和子だった。家の前に黒い服を着た、変な人たちが来ていると。私は、それが父の雇ったものであることになんとなく直観を覚えた。十和子を連れて、逃げるように家をあとにする。幸い家具などはほとんどなく、逃げるには衣服を鞄に詰めれば済む程度だった。


 貧しかったが、貯金も少しずつしていた。私も十和子もそこまで、お金を使うほうではなかったのである。


 そして、同じことを繰り返し、東北から、関西へ、そして四国。


 私と十和子の逃避行は実に4年も続いた。そして、25歳の年に私は彼女を殺すことになる。


 私と十和子は、段々逃げることに疲れてきてしまっていた。生活が貧しいのは耐えられた。だが、家の前にまた、あの黒い服の男たちがいないか。それに脅える毎日に私たちは疲弊していたのである。


 私は間違えを犯す。


 十和子と相談してしまった。あの時、なぜ……その選択をしたのか。一生拭いきれない過去を背負うことになる。


 十和子と夜に私は話をする。


「十和子……もう疲れたよ……」

「私もよ……静かに暮らしたいだけなのに」


 二人とも疲れた声で話していた。髪もボサボサだった。何も手を付けられなかった。仕事にすらいけなかった。精神的にダメだったんだ。早く気付くべきだった。

 精神が病んでいることに……。正常な判断ができなかった。


 私は十和子に言ってはいけないことを話してしまう。


「天国なら……俺たちは静かに暮らせるのかな? 誰も来ないで、脅えないで、十和子と一緒に……」

「そうね……天国ならそうかもね」

「お前と一緒なら、どこでもいいよ。俺は」

「私もよ……」


 これが決め手となった。


 私と十和子は無理心中をはかる。場所は四国の足摺岬という、自殺の名所を二人目指した。


 崖を前に海が広がっていた。外は晴れていた。


 気持ちいい日であった。こんな晴れた日に死のうとするなんて。


 でも、あの時はそれですべてが楽になれる気がした。天国っていうところに近づいてる気がした……何もかもが間違っていた。


 海が下に見える崖を前に私と十和子は笑いながら話していた。二人で手を握りながら。


「十和子……あっちで一緒になろう」

「器……絶対に会いましょう。天国で」

「十和子、一緒になれるようにおまじないをしておこう」


 私は、跪き彼女の前に頭を下げる。そして、告白の時と同様、騎士の誓いとして、彼女の右の手の甲にキスをした。笑顔の十和子を見上げながら、私は語り掛けた。


「ずっとそばにいるよ……」

「えぇ、ずっと一緒よ」


 そして、手を握ったまま、私と十和子は天国へ旅立とうとした。


 ――海の中にある、先の天国へ飛び込んだ。







 私が目を覚ました時、見たことのない天井が見えた。


 波の音が聞こえる……。


 ベッドの上にいた。白いベットの上に。


 私はぼんやりする頭を働かせながら、顔を旋回して状況を整理した。


 着ている服、白いベッド、白い天井、そして包帯。病院だった。死に損なったのだ。私は。天国にすらいけなかった。現実という地獄に閉じ込められた気がした。


 絶望した。


 だが、数秒すると頭をよぎるものがあった。


 そうだ。十和子は……。十和子は、どこにいるんだ!?


 私は体を無理やり動かす。おそらく痛みなどがあったはずだが、感じなかった。慌てて、病院の中を歩き回る。徘徊した。


 彼女はどこに……。彼女は……。


 廊下まで行き、ナースを見つけ、私は両肩をつかんで問いかける。


「十和子は! 十和子は!!」

「痛いです! 落ち着いてください!!」


 私がどんな表情だったがわからない。ただ、ナースがひどく脅えていたのは覚えている。そこから、私は病院で従事している男性達に取り押さえられ、記憶が途切れる……。


 もう、そこからは思い出せない。


 十和子が死んだ事実を知ったのは覚えている。


 説明されているが、何が何なのか理解できなかった。


 呆然自失して、肩に力が入らず、言葉も耳に届かなかった。


 ただ、心の声は聞こえた。自分の。


 殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。


 殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。


 殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。





 僕が殺した………………


 その後、私は実家に連れ戻された。



 ただ、私は、もぬけのからのように、何もできなかった。


 ただ、息を吸っている。


 ただ、何かを見ている。


 ただ、生きている。


 何もなかった。中身がなにも。



 父も私の姿に完全に失望したようで、なにも私に命令しなかった。レールを敷くのをやめた。存在を扱わなくなった。ただ、餌を与えるだけのペット以下の存在として。

 私は何も話しかけられなかった。



 10年がたち、私は35歳になった。中身がないまま。


 そして、父と母が他界する。不意な事故だった。父と母が乗っていた乗用車が交通事故に遭い、二人はこの世を去った。私を残して。新聞にも小さく、父と母の死が載った。


 父の遺産が手に入った。莫大な金額だった。だが、中身がない私になにもできない。私は食事もとらず家にこもっていた。ある人物が訪れるまでは。


 家を訪ねる人物が現れたのだ。


 中身のない、私の元を訪れた女性が。


、謝ってください!!」

「君は……」


 私はその姿に目を奪われた。それは君に似ていたからだ。


 十和子。


 そして、今日という日を迎えた。


『幽月邸』で君と会う日を。



 ***


 私の前にあの心中をした時の姿のままの十和子が立っている。私は泣きながら、十和子に謝罪を告げた。


「僕は愚かで、臆病で、永遠の愛を誓ったのに……守れなかった。君を殺したのは僕だ。あの日、僕が君を殺したんだ。許してもらえるはずもない。約束も誓いもなにも守れなかったんだ、僕は!!」

「器、落ち着いて……」

「僕は……永遠の誓いすら破る。愚かな男だ。許されてはいけない男だ。もし、罰をうけるなら、君の手で僕を殺して欲しい」

「バカを言わないの!!」


 十和子の怒声に私はびっくりして、泣きやんでしまう。


 十和子は優しく私に語り掛ける。


「ちゃんと見ていたわ。あなたのこと」

「えっ?」

「何度も、何十度も、何百度も、私のお墓の前で謝り続けてきたじゃない。私はちゃんと見てたし、聞いてたわよ。あなたが、私をどれだけ愛していたかも」


 十和子が照れくさそうに話している。お墓というのは、死者と会話ができるとされているが迷信だろう。ただ、この時はそれが本当のように思えた。


 私は十和子にオウム返しをしてしまう。


「見ていたのか?」

「見てたわよ。ちゃんと……ずっと。」


 その一言に私はまた、涙がとまらなくなる。十和子は死して、なお、わたしとの誓いを果たしていた。私は、君を裏切っていたのに。


「ごめんよ……本当にごめん……」

「あなたが生きていて本当によかったわ。私は、あの崖から飛び降りた時、走馬燈を見たわ。あなたとの楽しい思い出がいっぱい駆け巡ったの。だから、私は、あなたに生きていて欲しいと思ったの。必死に助けようとした。あなたを。神様はちゃんとお願いを聞いてくれたわ」

「えっ……?」


 私は、飛び降りてからの記憶がない。十和子が何を言っているのかが理解できなかった。ただ、あの時……私が助かったのは、十和子のおかげであると思えた。


 十和子が私の前に跪き、私の右手をとり、手の甲にキスをする。


「これから幸せになってね。見ているから。これは誓いの証よ。相手を不幸にしたら承知しないからね……」

「十和子……」


 十和子の表情は、初めてあった時の、にこやかないたずらっ子の表情だった。


 光に十和子が包まれていく。私の瞼は光に負け、閉じていった。



 私の瞼が開いた時、私は旧吹上トンネルの入り口前に立っていた。外は明るくなっていた。


 目の前には、みたことがある虎ロープと虎柄のガードがあった。


 私は、『幽月邸』に行った実感はあったが、確信がなかった。


 少し、目を下に落とした時にそれは確信に変わった。


 思わず、その証拠の右手を額につけ、空に向かって笑いながら、泣いていた。


 右手にはキスマークが残っていた。十和子の。


 私は乗ってきた車に向かって歩き出す。


 私を救ってくれた人のもとへ行こう。私が『幽月邸』に来れたのは、彼女のおかげだ。5年前彼女が来なければ。


 さぁ、彼女を迎えに行こう。を。


 今度、今度こそは永遠の誓いを果たそう!!



 ***


 私、篠宮おとぎは『幽月邸』の案内人をしております。


 おとぎは、支配人のアインツと話す。


「無事に生きて帰ってこれたな♪ 三十木のは済んだってところだな♪」

「そうですね。対価はちゃんとお支払い頂きましたし♪」


 都市伝説となっている『幽月邸』。


 そこは死者に会える、不思議な館。


 お金などのお支払いは結構です。


 但し、入館するには、が必要です。


 望みがないと入館できませ~ん♪



 ≪完≫

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