透之丞の話

あさき まち

透之丞の話

 私の夫は透之丞すけのじょうという。その名の通り、体が透けている。私と結婚した時はまだそこまで透けてはいなかったのだが、年々夫の体は透けてきた。今では透けて向こうの景色がよく見えるほどである。服を着ていれば、夫がどこにいるかはわかるため、あまり困ることはないのだが、これ以上透けて、夫の顔が完全に見えなくなってしまっては寂しいと思う。


あるとき私は夫にこう言った。


「おとっさんよ、いつかその体がすっかり見えなくなってしまう日がくるのではないのかね。」

夫は、薄ら笑いながら言う。

「まあまあ、おっかさん。見えなくなったっていいじゃないの。この世から消えるわけじゃあるまいし。私はおっかさんと一緒にいられるだけで幸せだよ。」

「消えるわけじゃないって言ったって、おとっさんの顔が見えなければ寂しいじゃありませんか。どうかもう一度医者に掛かってみてくださいな。」


 夫はまた薄ら笑いながら、おっかさんが言うのであれば仕方が無いと言い、家を出て、町の医者のところまで歩いていった。遠めで見れば、その様子は歩くというよりも、着物が独りでに、すい、と動いているようである。私からして見てもこれは矢張り不気味である。

 私も夫のために何かしてあげられれば、と思い、夫が帰ってくるまでの間、丹精を込めて料理を作った。いいものを食べればきっとそのうちよくなるだろう。


「ただいま帰ったよ、おっかさん。」

「あらあら、お帰りなさい。夕食の支度はすでに整っていますよ。」

 夫は、夕食を食べながら、医者の言うことを私にそのまま伝える。

「これは、病気というより、どうやら体質らしい。年々透けていくのは防ぎようがないのだそうだ。」

「そんな。それでは、おとっさんはこのまま体が透けていくのをただじっと受け止めるほかないのですか。そんなことありますか。どうか、他の町の医者にも見てもらってくださいな。」

「まあまあ、おっかさん。この町の医者もなかなかこれで気が利くのだよ。いい方法を思いついたから、また来週にでも来るといい、と言われたよ。」

「あら、そうでしたのね。それでは、来週まで待ってみましょうか。」

 私と夫は、この話題を一旦ここでやめにして、食事を続けた。夫が食べたものは、夫ののどを通り、着物の中で見えなくなる。私の前でも夫は着物を脱ぐことはない。夫の体の中が気にならないわけではないが、夫が隠したいと思っているのであれば、無理に見る気はおこらない。


 夫が前に医者に見てもらったときから、明日で一週間である。夫の体はこの間に、また少し透明になったように思われる。いや、そんなに急に透明になることは、今まで無かったのだから、今回もそんなわけはないだろう。そう思いなおし、もう一度、夫のほうを見る。

 灯が夫の体を不気味に照らしている。いや、その光は夫の体にとどまらず、夫の着物と体を屈折しながら通り抜け、床をぱらぱらと照らしている。私は、夫に「そろそろ、寝ますよ。」と言い。布団に入る。

 夫の腕が私の腕に触れた。いつか、夫を触っても通り抜けてしまうのではないかと怖い。私は夫の手を握りながら眠りに就いた。


 目が覚める。今日は、夫が医者に診てもらう日。どうか、よくなって欲しい。

身支度を済ませた夫は、まだ朝早いというのに医者のもとに出かけた。私は不安で仕方がなかったのだが、一緒に医者のもとまで付いて行くことはしなかった。その代わりに、私は、夫が帰ってくるのを家の前でじっと待っていた。


 夫が帰ってきた。いや、これは私の夫なのだろうか。肌は真っ白、髪と眉と目玉は真っ黒に、口は真っ赤に塗られている。その顔は、子供がするいたずら書きのように不恰好に塗られ、とても人間のものだとは思えなかった。しかし、その男の着物は私の夫が朝着ていったものに他ならず、私の目の前に立っている男は私の夫に違いなかった。夫は、満足そうな顔をして、私にこう言った。

「おっかさん、これで私のことがよく見えるだろう。」

私は、町の人間に、夫と一緒にいるのを見られるのが恥ずかしく思え、夫を家の中に連れ込み、扉を閉めた。家に入ると、立ったまま私は夫に言った。

「それは、なんの冗談ですか。」

夫は答える。

「冗談なものか。医者が塗ってくれたこの顔料は、一ヶ月は持つらしい。一ヶ月経ったらまた、あの医者のもとに行けばよい。そうすれば、これからもずっと私の体には色がのったままだ。」

「あなた、自分の顔をよく見ましたか。」

「いや、まだそれがあまり見てはいない。医者がよい出来だ、と言うから私はすっかり嬉しくなって飛び出してきてしまった。」

そう聞くと私は手鏡を持ってきて、夫に渡した。

夫が鏡の中で見たものは、矢張り人間には見えない顔であった。これならば、透明なほうがまだましなほどであった。

 自分の顔の塗りの出来のひどさに驚いた夫は、真っ白に塗られた顔を真っ赤にしそうな具合に、恥ずかしそうに鏡から目をそらした。

「おとっさん、今日は家の中にいなさいな。私が医者から顔料を買い取って、私がおとっさんの顔を描いてあげますから。」


私は夫にそう言うと、医者の処まで早足で出掛けた。


「顔料を買いに来ました。」

「私は医者ですから、そのようなものは扱っておりませんが。」

「どうして、そんなことがありますか、体が透明なことに悩んでいる私の夫は、あなたに面白おかしく顔を塗られる辱めを受けました。早くその顔料を、夫の顔を塗った顔料を売って下さい。」

「いやいや、ちょっと待ってください。確かにそのような患者の方は先週いらっしゃいました。私は、ここでは対処ができないので、他の病院をあたって下さいとだけその患者の方に告げました。今日はその患者の方は私のところにはいらしておりません。」

「そんなことありますか、実際私の夫は真っ白な顔をして、」

そう言いながら、夫の顔を思い出す。子供が書いたような顔の着色の出来の悪さ。ああ、そういうことか、と納得がいった。

「失礼しました。」

と私は医者に言い、ゆっくり、一歩ずつ地面を踏みしめるように家に帰った。


「すまない。」

夫は私にそうとだけ言った。

「いや、謝らなければいけないのは私のほうですよ、おとっさん。まだ顔料は残っていますか。私がもう少し上手くやってみせますよ。」

「ありがとう。」

夫は泣いているようだった。夫の透明の涙は、目玉に用いた黒色の顔料と混じって、夫の白い肌の上をなぞる。夫が用いた顔料はどうやらどこでも買えるような顔料であった。涙一粒で落ちてしまう普通の顔料であった。

夫は顔を洗い、涙でひどい具合になった顔料を落とした。


私は、夫の顔に白い顔料に赤い顔料を少し混ぜたものを塗る。

夫の顔は少しだけ人間味を帯びたものとなった。

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透之丞の話 あさき まち @asagakurustie

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