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 ジェームス君はこんな話をした。

「秋田県に白神山地というところがあって、ブナの原生林が残されている。縄文時代、人々と動物がごく自然に共生していた。犬も飼われていたが、鎖に繋がれることもなく、飼い主が気に入らなかったら山に帰ることができた。縄文人たちは姿を消したが、今も山中には犬たちの王国が存在している」と。

「どうしたら行ける」と訊くと、

「鉄道に沿って真っ直ぐ、真っ直ぐ東に進むんや。途中、米原というとこがあって二つに分かれているが、左を進む。後は日本海に沿って走る鉄路をひたすら北に進めばいい。もし行くなら、昼間は繋がれていない犬は人間に見つかって危険だから、昼間は休んで、夜間行進すればいい」と言ってくれた。


 オイラは決断した。そこに行こうと。キャロラインに打ち明けた。

「私も行きたい。タローさんと一緒に暮らして、可愛いベィービーを産みたいわ」

と言ってくれた。華奢なキャロラインを思うと、「過酷な旅になるけどいいか!」と言ったが、彼女の決意は変わらなかった。で、オイラ達は人間世界でいう「駆け落ち」をしたわけだ。


 ジェームス君の言う通りにして北を目指した。米原を過ぎればそこは雪国で、雪に慣れていないオイラ達は辛い思いをした。寒い夜は肌を寄せ合った。餌は駅、駅には何がしかはあった。オイラは残飯に慣れているが、お嬢様育ちのキャロラインには酷だった。

 ちょっとでもいい食事をと思って、コンビニでパンを盗んだり、家に忍び込んでは追いかけられたり、オイラは大変だった。愛しい彼女のためだ。オイラは頑張った。細い足のキャロラインは長い道のりは堪え、遅れるのを励まして進んだ。雨の日はことさら辛かった。

 でも、二人で暮らせる王国を夢見て進んだ。


 最大の難所『親知らず』に差し掛かった。昔は人さえ波にさらわれたという。今は鉄道のトンネルが出来ているが、それでも海辺の崖を走る鉄路は危険だ。夜は尚更。疲労困憊の彼女はそれでも弱音を吐かなかった。だが、海辺の鉄橋で早朝、足を滑らした。荒波に飲まれ、彼女は浮いたり沈んだりしていたが、やがて姿を消してしまった。オイラはなすすべがなかった。連れて来たことをなんぼか悔いた。オイラは名犬と思っていたがやはりアホ犬に過ぎなかったことを思い知った。彼女がいなくなっては、もはや王国に行く目的もなくなり、もと来た道を帰るしかなかった。


 傷だらけになり、ボロボロになったオイラの姿を見て、意外や、主人夫妻は涙を流し、抱きしめてくれた。あくる日から牛乳、すき焼きの残りと、精をつけよとご馳走だった。しかし、それも1週間でしかなかった。

「向かいのキャロラインもいなくなったが、お前と関係あるのか?」と主人に尋ねられたが、言える訳はなかった。知らぬで押し通した。

もう、オイラは死にたかった。


 また、主人の散歩にお供するようになり、メリーに出会った。もうオイラは彼女に夢中になっちまった。キャロラインが捧げてくれた愛も忘れて、なんと節操もない自分だと思ったが、気持ちは変えられない。王国を目指した気位は消え、ただの、牡の飼い犬に成り下がってしまった。飼い主のことを言えたものではない。


ジェームス君はそんなオイラを軽蔑することもなく、以前通りに付き合ってくれている。


夜見る夢は、荒れ狂った海に落ちていくキャロラインの白い姿だ。夢はオイラを許してくれない。


山の彼方の空遠く幸い住むと人の言う

ああ吾ひとと訪(と)め行きて

涙さしぐみ帰り来ぬ

山の彼方のなお遠く

幸い住むとひとの言う




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オイラは迷犬「タロー」 北風 嵐 @masaru2355

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