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主人の散歩が最近また長くなった。散歩の帰りにたまに立ち寄っていた喫茶店で、「僕、最近小説書いてます」と、ノベリスト北風嵐と書いた名刺を差し出した。そのご婦人が、「SNSで見ています。北風さんの作品はとっても素敵」と褒めたのだ。それで、散歩コースがそこのお家の前を通るコースに変えられたのだ。お陰でメリーちゃんにまた逢えることになった。
「やー」と挨拶したら、メリーちゃんは金網の傍まで寄ってきて、「どうしてたの?逢いたかったワン」と言ってくれた。メリーちゃんは育ちがいい。そして、セクシーだ。飼い主の奥さんは何でも会計士らしい。
主人は喫茶店で褒めてくれたご婦人の家の前を行ったり来たり、ウロウロ、ご婦人が出てこないかと待っているのだ。たいていは空振りだ。どうも、不倫願望があるみたい。そのくせオイラの恋愛には理解がない。いい年こいて、また夫婦バトルが始まらないかと心配だ。
奥さんが息子さんの家に行っていた2年の間に、女子大生を下宿させたとかで大きに揉めた。何でも住まわせていた部屋の押入れからパンティーが出てきたとかでバレたらしい。お陰で、バトルの間、食事もろくに与えられなかった。動物虐待で訴えてやろうかと、ジェームス君に相談したほどだ。
さて、次はいよいよ本題に入る。オイラの恋物語だ。涙なしでしか語れない悲しい話だ。
向かいの家は橋下さんという。インテリア・デザイナーとかで、一昨年越してきて、すぐにお家をリホームした。出窓にテラス、その外装の洒落ていること。きっと中も素敵なんだろう。もっと素敵なのが「キャロライン」ちゃん。華奢な細い足、白いフサフサした毛並み、切れ長な目、一目見て、惚れちまった。そんな下品な言葉はいけない。恥ずかしいけど「愛の虜」になってしまったのだ。
一日でも見えないと、風邪を引いたのではないかと心配したり、朝、散歩に行くときに玄関で出会って、「お早う」なんて言われたら一日中ご機嫌なのだ。
キャロラインちゃんは家では鎖に繋がれていない、お部屋で一日を過ごすらしい。食べるものも、おウチの人と同じものだそうだ。あるとき、ジェームス君のとこに行ったらキャロラインちゃんがいた。何でも橋下御夫妻がフランスに旅行だとかで、3週間預かることになったと、ジェームス君は嬉しそうに語った。
「なんで、ウチやないねん」と思ったが、「飼い主を見たらそら隣になるわ」と納得するしかない。「まー、いいや、隣なら毎日逢えるもん」とルンルンになった。
「ジェームス君のことどう思う」と探りを入れたら、「私、むつかしい理屈言うワン様は好きでない」とキャロラインちゃんは言った。
その3週間でオイラとキャロラインちゃんとはすっかり仲良くなった。ジェームス君はさすが年長の哲学者だ。妬くこともなくオイラ達を祝福しているように見えた。
ある晴れた日、犬小屋にいると、縁先で主人が奥さんに何やら話している。聞き耳を立てているとこんな話が聞こえて来た。
「向かいのメス犬が隣に預かって貰っているのだが、ウチの犬が日参しているようだ。あいつは頭が少し足りないが、色気だけは十分のようだ」
「あなた、子供でも生まれたら大変よ。橋下さんになんと言われるか。裁判所に訴えられるかもよ。急いで去勢手術をしなければ、ね、あなた」
「そうだなぁー。まだしていなかったなぁー」
「なんと、なんと、恐ろしいことをおっしゃいますか。犬権蹂躙もええとこや」。
オイラの夢、願望を絶とうというのだ。さっそく、ジェームス君にこのことを打ち明けた。
「こんなことが許されていいのか」と言うと、
「牡の飼い犬はたいていそうだよ」と答えた。
「君はそんな理不尽に黙っているのか」と言うと、
「いや、僕もそう思って主人に言ったよ。主人は動物愛護において進歩派教授で通っているからね。鯨の捕鯨にも、イルカ漁にも反対しているぐらいだ。主人は『お前たちサカリのついたオス犬を放置しておいたらどうなるか』とおっしゃった。僕も言ってやった。『犬だけですかね』(人間様も五十歩百歩という意味を込めて)と。教授はどう答えたと思う?」
「どう言ったの?」
「人間は一度に生むのは原則一人だ。お前たちメス犬は何匹生む。放置していたら人間はお前たちに取って代われてしまう」と言われれば、返す言葉がなかったと、ジェームス君は悔しそうに答えた。
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