やっぱりお断りだよ!太助くん
見渡す限りに乾ききった土地である。かつては人の色があったのだろうが、今はただ味気のない土色であった。
だだっ広い荒野に、学生服を着た少年と少女がいた。
切り取られて平らにされた岩石をテーブルに、木の小箱がポツンと置かれている。それに向かって、少年は右手の平を極限まで開いていた。
気合の入った表情である。太陽の照りつける下、汗を流しながら歯を食いしばり、全神経を右手に集中していた。
それを座りながら眺めているのは、眠そうで、ふんわりとした雰囲気の少女である。左手には篭手らしきものをつけている。規則正しく口を開けて、少年の応援をしていた。
「ぬぬぬ……」
『頑張れ、頑張れ、頑張れ』
「ふぬぬ……」
『頑張れ、頑張れ、頑張れ』
「花咲、喉渇かないの!? もうずっと言いっ放しだよ!?」
「渇か」『頑張れ』「ない」『頑張れ、頑張れ』
「あれ!? 声が二重で聞こえるよ!?」
『頑張れ』「気に」『頑張れ』「しないの」
篭手に追加されている高機能録音再生装置(魔力変換型)が吹き込まれた『頑張れ』を発するタイミングと合わせるつもりもなく、花咲鈴梨は眠そうな顔で星屑太助に応じた。清々しさと大物の風格さえ感じさせかねない、見事なまでの手抜きであった。
プッと、太助はクラスメイトの変わらないゆるやかさに笑みを漏らした。笑みは脱力を呼び、全開になっていた手の平は少し閉じられた。無駄な力の入らない、丁度良い具合に――
パサッ――
「「あっ」」『頑張れ、頑張れ、頑張れ』
録音された鈴梨の単調な応援が流れる中、二人は粉になった元小箱を凝視し続けた。
「これは……成功じゃないよな。人形に組み替えるつもりだったんだし」頭の中に強くイメージしていた木人形は、呆気なく粉々のイメージに変わってしまっていた。
「組み替える途中で力尽きたパターンだね。一気に分解されちゃった」掴んだ粉をサラサラと弄びながら鈴梨は言った。
ドサリ、と太助は腰を下ろした。澄みきった空に向かって大きく息を吐くと、渇いた眼の痒みが今になって気になってしまう。
「あ~~~! 前みたいにうまくいかないなぁ!」目を擦りながらだったので、少し涙交じりに太助は叫んだ。前とはすなわち、鈴梨と共に脅威と戦った日のことである。星屑太助という少年はあの日、異世界の戦いと、クラスメイトの闘いと、自分が持つ「錬金術の力」を知った。
「火事場の馬鹿力」
「え?」
「この前の星屑の凄い錬金術はやろうと思ったってできないんだよ、きっと」立ち上がり、太助の前に動きながら鈴梨は言った。「自分のイメージを錬金釜にしてその場にあるものを組み替え変質させる。これだけでも凄いのに、星屑は巨大な廃城にそれを実行した。そういうことができるアルケミストとして覚醒するのは珍しいことじゃないと思うけど、桁が違うんだよ。星屑がよっぽど特別で、ギリギリのところで……」
「ギリギリのところで……?」太助は息をのんだ。
「……」
「あの、花咲?」
「……」
「ギリギリのところで、何なの? ねぇ、花咲?」
「……つまり、火事場の馬鹿力。この一言で納得しよう。一から十を知ろう」
「なるほど、火事場の馬鹿力か」説明がまとまらないのを誤魔化したということは太助にも悟れた。
「落ち着いて、今日みたいに少しずつ練習していけば、うまくできるようになると思う」
「うん。うまくならなきゃね」空に手をかざしながら、太助は確認するように紡ぐ。「力があったって、使うのは俺なんだ。宝の持ち腐れ、猫に小判のままじゃいられない」
ほう、と鈴梨は感心する。大それたことをやっておきながら、太助は驕らないでいるのだ。自分がやるべきことが力の大きさに隠れてもいない。その心根の真っ直ぐ立った性質は美点であろう。
同時に、不安にもなった。頑張りすぎてしまう危険もまたあったからだ。これまでの決して長くない戦いの経験には、しかしそのような人々が苦い記憶としても残っている。
「ほどほどにね。どんなに優秀な鉄だって鍛える途中で――」篭手からビームが放たれ、岩石が砕けた。「こうなることもあるから」
「は、はい!」
明日の我が身の、最悪なパターンを見せつけられた少年は、上ずった声と共に苦笑した。
石を投げ込めば確かな反応を返す、水面のような男である。自身もそれに浮かんでいるのかもしれない――少女はクスっと笑った。
* * *
その螺旋階段は、普通ならば見えることはない。天高くと学校の屋上とを繋ぐ、白銀の煙を纏った架け橋を二人は降りて行った。戦いの世界から、平和な日常を営んできた世界へ。
花咲鈴梨は育ちこそ地球であるが、生まれは異世界トーリである。戦うために生まれ故郷に戻ってはいるが、そこに住む姉から、元の世界との繋がりを断ってもいけないし、ゆるめてもいけないと言い含められていた。それが自分のためになるし、生き残るための切り札にもなると。
太助にそのことを話した時は、「いいお姉さんだよね。いつか会える?」と賞賛を受け、妹は姉を誇った。
「今日も疲れたけど……もっと、こう、色んな所にいって何かしなくていいのかな? 俺は戦うのはまだ厳しいだろうから、今のように地道に自分を鍛えるのがいいんだろうけど、他のことならできるんじゃ?」
「あんまり派手にやりすぎてもいいことないよ。前の私より、もっとひどい目に合うかも。今は、しっかり計画を立てて、自分を鍛えた方が星屑のためになるし、巡り巡ってこれから会う人たちのためにもなる」――星屑ならそうなると、私は信じている。それだけを心で呟き、鈴梨は気合十分の少年の胸を小突いた。
「そっか。そうだよな。自分にできることを精一杯! それができなきゃな!」
屋上へ降り立ち、二人はあたりを伺いながら校舎の中へと戻った。時刻は既に夕刻。部活で残っていた生徒達も帰り始めている。
「聞かれたら、分かってるね?」神妙な顔で鈴梨。
「おうともよ!」勢いよく太助。
階段を降り、柔らかな朱が差す廊下に入ると、二人は絵の具に塗れたジャージ姿のクラスメイトに出くわした。
「あれ? お前ら屋上で何してたの? まさか――」
「「野鳥観察部の活動でーす!」」ハモリながら、作り笑いと早歩きで少しいやらしい追及を潜り抜ける二人であった。勿論、野鳥観察部など存在しない。嘘である。しかし、人が良いのか二人の普段ゆえか、問うたクラスメイトは「そんなものか」と納得していた。
野鳥観察部(偽)の日常は、平凡な学生のそれである。太助はいつもと同じように家を出て、友達と騒ぎ、勉強に向かい、そして放課後を迎える。鈴梨もまた、家を出て、机に突っ伏し、苗字だけ覚えている友達と何気ない会話をし、机に突っ伏し、友達に起こされ、机に突っ伏す。だいぶ違う日常を送る二人だが、同じ学園生活である。
最近よくつるむようになったと言われるようになり、それは意外性を持って周囲に受け入れられた。特に関わりがなかったし、共通点があるわけでもない。星屑太助と花咲鈴梨は人間関係の妙を周囲に知らしめたかのようであった。
二人が行っている戦いを知らなければ、無理からぬことである。
(本当に、苗字だけ覚えてるんだな)
グデッとしたまま友人たちとコミュニケーションをとる鈴梨からは、下の名前が出ることはない。それは周囲も了解しているらしく、不満が出ている様子はなかった。うまくやっているな、と感心するとともに、自分はどうだろうと太助は考える。
親しい人たちについてはフルネームで覚えているが、そうでない人たちにはどうだろう?
(苗字だけでも、覚えてるってのは凄いことだよな。俺のことも苗字分かってたし)
それで何かがあるわけでもない。
しかし、彼女にとって、それはとても大切な事なのだ――
単純で、強力な敬意がある。太助はそれを大切にしたいと望んだ。
* * *
「あれ? 太助今日も残んの?」
「うん。部活始めたからな」
「野鳥観察部だっけ。太助ちゃんも妙なもん始めたよね。信じちゃないけどさー」
「騙されといてやるけど、困った時は白状してゲロしろよー」
「え? 太助騙してんの?」
「騙してるよ、超騙してる。見なよ太助ちゃんの目を。困ってる。俺たちは邪魔で仕方ない、早く愛しい彼女と会いたい、ああ、日本の税率はどうなるんだろうって目だ」
「俺たちは税率の心配だけしてりゃいいんだから、行くぞ。太助、うまくやれよなー」
学生らしい邪推も含む見送りに、太助は全てを話せないでいることを多少苦しく思いながらも、屋上へと走る。
見送る男子生徒数名は、しかし彼の後姿が変わらぬ晴れ晴れとしたものであることに安堵を覚えた。
屋上では鈴梨が待っていた。
「花咲、お待たせ」
「ううん、ぼくもいまきたところだよ。きょうもかわいいね」なるべく口だけを動かし無表情で、鈴梨は言った。
「何言ってるの?」
「初めてのデートで気合を入れた男子を演じてみた」
気合の入っていない顔で待ち合わせを演出し、サッと立ち上がると、鈴梨はそのまま螺旋階段を上りだす。太助もそれに続いた。
光の舞う階段の果て、赤い雲の渦の向こうは異世界トーリに繋がっている。
気の遠くなるほどの荒野で、ここ最近は太助の訓練が続いていた。
鈴梨は以前の戦いの結果、頼りのアーマーを修理に出す羽目になったので、代用品を受け取っていた。代用品には聖人ザザーカの衣もプレリニウム製の強化外骨格も使われていないが、中々に多機能である。空だって飛べる。攻撃方法こそ純粋な魔力兵器になったが、追加で渡されたサポートプログラムのおかげで前のアーマーほどではないにせよ魔法プログラムは使えるし、格闘能力はこちらの方が上らしい。
鈴梨もただボーっと太助の訓練に付き合っているわけではない。代用品を早く使いこなせるようになっておくために、常に篭手だけでも身に着けている。
「うぬぬ……」
「ミュージックスタート」
この日も『頑張れ』コールが鳴り続ける中、太助の特訓が始まった。
それを眺めながらも、鈴梨は地球へ行っている間に送られてきたメッセージを確認する。篭手から立体映像が立ち上がり、そこに鈴梨宛のメッセージが表示される。電子メールのような感覚で使えるが、使われている技術はトーリで発達した魔力を用いるものだ。
(この程度は、サポートプログラムなしで使いこなせるようになりたいな)
太助の訓練に差し障りがないよう、自分への苛立ちは顔には出さず、鈴梨はメッセージフォルダを開いた。まず確認するのは『姉』からのものである。その日の世界情勢を的確に知らせてくれるし、行動の指針も与えてくれるのだ。
内容はいつもと大差ない。情勢は良くない。常夜の鬼への反攻作戦は未だ実行に至らず。制圧領域が増えないだけまだマシという状況である。そんな暗い知らせを和らげるためか、メッセージの所々には姉の崩れたコメントが添付されていた。
そんな気遣いに和みつつ、鈴梨は次の文面に目を見張らせる。
そこにあったのは、明確な指示だった。姉がこういうものをよこすのは珍しい。それほどに切羽詰まっているだろう用件であると読めた。
「星屑、ちょっといいかな?」メッセージの映像を閉じながら、鈴梨は話しかけた。
「ん? なんだ花咲」
「やっぱり今日は出かけよ」
「どこに?」
「いいところ」
* * *
「ふんぬぬーーー! おぉぉりゃああああ!」
「兄ちゃんのくせにだらしがねぇなぁ。荷車ぐらい俺だって引っ張れるぜ」太助よりいくらか年下と思われる少年は、太助が引っ張っているそれよりもはるかに重いタンスが乗った荷車をテンポよく引いていった。
太助と鈴梨は拠点から西方の農村・フォアムへ飛んでいた。鈴梨の姉からの知らせで、この周辺が近いうちに常夜の鬼による作戦領域に含まれることが判明し、住民には避難指示が出されたのである。鈴梨たちは近くにいたため、避難の手伝いに駆り出されたのであった。
村では既に知らせを受けた人々が必要なものを各々荷車に詰めており、慌ただしさの中に家を離れなければならない哀しみとやるせない怒りが滲み出ていた。
太助に割り当てられた役割は、荷物運びである。引っ越しの手伝いをしたことがあるため、そのノリで挑んではみたが――
「ほらほら、兄ちゃん、鉄道まではまだ距離あるよ」
「お、おう!」
必死の形相で家具の乗った荷車を引くが、速度も安定感も、併走する少年の足元にも及ばない。貨物車両が待つ線路までは片道三十分――これは、歩いた場合の距離である。重く、揺れに気をつけなければいけない荷車を引いては、より時間がかかる。疲れが溜まればスピードは更に落ち、安定感も失われて余計に効率が悪くなる。これを、村全体分こなさなければならないのだ。
(甘かった! 甘く見ていた!)
村人全員がこの避難のための荷物運びに駆り出されているわけではない。残された作物の対処にも回らなければならないし、周辺警戒も欠かせない(鈴梨はこちらに行っている)。役場も大慌てである。
必要なものだけ運ぶことになってはいるが、村全てとなればその量はかなりのものになる。貨物列車も何度か動かなければ運びきれないほどだ。
結局、この日の終わりは足腰がガタガタになるまで運び続けた荷物が貨物列車に乗って遠くに消えていくのを見送ることで締められた。
空っぽになった荷車に寄りかかり、身体に疲労が広がるのを感じながら、太助は弱々しい呼吸を続けていた。
「ありがとうよ、お兄ちゃん。これ、レタス」
「ああ、どうも……」レタスこっちにもあるんだ――そんなことを思いながら、太助は農夫のおじさんから丸のままのレタスを受け取った。薄緑の瑞々しい玉である。剥くと透き通った音が出た。
シャキリ――
歯ごたえと共に水分が歯の間から飛び散る。ほんの僅かではあるが、一瞬で渇きが消えたように感じられた。
「プハッ……うっめぇ」
「全部食っていいぞ。どうせ使えないやつだから」
「えっ? こんなにおいしいのに――」
「うちから出してる野菜だとそれは規格外だ。避難中に売るのはもっと別なのを用意してある」
十代の日本人男子高校生である太助よりも遥かに逞しい農夫は、汗と土に塗れた身体を夕陽に晒しながら、村の方を見やった。太助もそれにつられる。地面には荷車を引いたあとが残っていた。何度も何度も往復した、今日の活動の結果である。
訓練は何日も続けていたが、ここまで疲れ果てることはなかった。結果を見れば、それも納得である。村一つ、いなくなろうとしているのだから。
「……うまい」
再びレタスにかじりつき、太助は思う。
畑一つ作るのに、どれほどの苦労があるのだろう。農業に携わる生徒ならばあるいは知っているのかもしれないが、普通科生徒の太助にはその知識などありはしない。
今ここで聞こうと思えば、聞けるのかもしれない。しかし、それはできなかった。どこか哀しくも強い眼差しを村に向ける農夫にそれを聞くのは、彼にあの地の畑を諦めろと言うのに等しい。そんなことは絶対にできなかった。
強い、と太助は思った。
「またレタス作るのかなって顔してるな」
「……うまいです」
図星を突かれ、うまく答えられなかった太助に、農夫は笑いかけた。
「作るよ。どこ行ったって、大地さえありゃあなんとかなる! ――なんて、甘くはないけどよ。うまくいかないところだってある。俺たちの村だって、長い年月をかけて農村になったんだ。失敗を繰り返し、それでも土に手をかけてきた。そこから離れるのは悲しいことだ。帰ってこれないわけじゃないにしても、だ。
しかし、お兄ちゃんよ、見渡せばそこいらに土はあるんだ。この世界は恵みをくれる土壌を持ってる。俺たちはそれを借りて、そこから先は俺たちの力で作る。鬼の連中が何をしてこようが構うもんか。俺たちはやめねぇぞ。作って作って、食って、売って、稼いでやる。
――世界から土を返してって言われても、返さないけどな」
長く喋る農夫の表情には、次第につらいものが色濃く見えてきていた。それは自分自身に関する鼓舞でもあったのだろう。
(借りた先は、自分たちの力か……)
太助は、我が身のことと考える。
アルケミストの力を使いこなそうと頑張ってはいるが、自分は所詮、自分でしかない。
(どんなに自分のだって言ったって、この力は、あくまで借り物の力なんだ)
事実、能力を使えるのはトーリにいる間だけである。
使いこなさなければならない。そうでなければこの先に待つものに対して、力が足りない。
しかし、結局は世界に与えられた力である。それに甘えきってしまうのは、違うと思えた。
手に収まるほど小さくなったレタスは、美味しかった。
村に戻る途中、太助は警戒から戻ってきた鈴梨と合流した。特に怪しい動きはないが、姉からのメッセージで、数日中には周辺に向かって常夜の鬼が動くとのことである。そうなる前に村の避難を完了しておくように、とのことだった。
「お姉ちゃんたちの方でもこっちに人を急がせてるけど、ギリギリかなってとこ」
「そっか。じゃあ、俺たちも頑張って、大移動しなきゃな!」
レタス片手に元気な太助の表情は、いつの間にか他の農村の連中と同じようにきらきらと輝いていた。
手伝いに来てから、鈴梨はずっと彼らの明るい顔に驚きっぱなしだった。鬼たちが来るというのに、生まれ育った村を離れなければならないのに、彼らからは時折哀しみが漏れるだけで、あとは明るいものである。
いいな、と鈴梨は思う。負けない姿勢は何よりも武器になる。
「星屑、そのレタス貰ったの?」
「うん。報酬。花咲も食べる? 疲れただろ? 美味しいよ!」
「ケチャップ持ってきてないからいーや」
村へ戻った二人は明日のことを話し合い、この日はお開きとなった。
* * *
翌日、疲労が抜けきらなかった太助は学校でもそれを指摘され、授業中に眠気に襲われる始末であった。
螺旋階段を上る際には、流石の鈴梨も後ろについていっていざとなったら支えるつもりでいた。
「星屑、今日も頑張るから落ちたらダメだよ」
「だ、大丈夫。受け身は取れる」
「ダメそうだ……」
鈴梨の心配は見事に的中した。
この日の太助はまるで役立たずであった。村人たちはこの日も気合十分に働けていたが、太助の作業効率は遥かに下がってしまっていた。
「おいおい兄ちゃん、役に立てないなら休んでていいぞ」
「大丈夫です! 頑張ります!」
昨日併走した少年から心からの心配を受け、太助は意地になって身体に鞭打った。敬語だったが。
身体能力の差は仕方がないのかもしれない。太助は普通の高校生として生きてきたが、少年の方は農家として働き続けてきたのである。身体の経験値がまるで違っていた。
「――それにしたって、君の荷物ブレないよなぁ、です」
「積み方ってもんがあるんだよ。噛み合うように積めばいいの。兄ちゃんのそれは安定感に難ありだ」
「へぇ、積み方」
「生活の知恵みたいなもんだよ。どれ、俺が積み直すから」
私生活でも何か役立つかもしれないと、太助は少年の手際、崩れない積み方を目に焼きつけ、そのコツをしっかり聞きこんだ。
「――あっ、プラモみたいなものか」
大事なのは噛み合わせであると何度も言われ、よくよく見れば荷物同士がうまい具合に互いを支え合う位置がある。それは、部品をはめる作業と同じだった。これならば理解は容易い。
最後の方では太助がうまく荷物を積み、再び走り出した。これが足の休憩にもなったのだろう、少しではあるがスピードは戻ったし、荷物の安定感も手伝ってより力が入る。
走る、走る。荷車を引く手に力がこもる。木の取っ手が食い込む。踏みしめる大地、流れる汗、吹き抜ける風、あらゆるものが生命を伝えた。
生きている。
凄く、生きている。
太助の感想は、単純にそれだけだった。
「星屑!」
感動に浸る間もなく、太助は頭上からかけられた声に足を止めた。そこにいた少女の表情はいつもと違う。かつて見たのは、そう、初めてこちらに来た日の事――
「花咲、どうした!?」何かよからぬことが起きたということは明白であった。
「大変なことになった。鬼が一匹、こっちに向かってきている。多分、偵察じゃなくて、戦力持ちの厄介な奴」
キッと目を鋭くし、太助は頭の中でここ最近の訓練を振り返った。何もうまくいってはいない。しかし、やるべき時が来たのである。
「そいつ、ヤバいの?」
「この前の小隊長クラスより、上」
「どれぐらい上?」
「地方大会で負ける野球部と、甲子園に毎年出てくる野球部」
「高校野球って強さの幅がよく分からないぞ」
「ボクシング日本チャンピオンと世界チャンピオン」
「凄い差があるぞ!?」
「警戒に出てた人たちは村に戻した。このまま列車に乗っていってもらおう。お姉ちゃんたちの援軍はまだ来れないから、私たちで足止めするしかない」
力強く頷き、太助は荷車を少年に任せ、迫りくる常夜の鬼の迎撃に走った。
不安も恐怖もあった。また前のような痛みが来ると思うと、行きたくないという気持ちも出てくる。
それでも、太助は走った。共に行く鈴梨が躊躇なく、真っ直ぐに目の前を向いていた。村人たちは強い目を村に向けていた。自分もまた、見よう。その一心で、太助は走った。
* * *
――一時間後、太助は地面すれすれを飛んでいた。その腹には黄色い魚が噛みついており、血が流れ出ている。数秒後には村の中に突入し、道のど真ん中に転がっていた。ごろごろと転がる身体は地面にぶつかるたびに激痛を身体に与え、視界を混沌とさせていった。土が口の中に何度も入り、血と共に吐き出される。
「ゲフゥゥゥ!」
転がる途中で魚ははさまれて潰され、太助から離れたが、服に空いた穴からは肉に突き刺さった結果の血が流れ出ている。転がる太助は途中で減速していき、最後に大の字になって止まった。
「ぬおおおおお!」
大声を上げて身体に活を入れ、太助は必死に身体を起こす。その視界に、上空から地面に向かって吹き飛ばされた鈴梨が入る。
「花咲っ!」
受け止めようと、太助は地を這うが、あえなく墜落して転がった鈴梨に轢かれる結果に終わった。
揃って地に伏した二人の前に、翼を広げた巨大な魚が舞い降りる。その背から、以前戦ったルゴ・マスとはまた違う、スマートなトカゲが降りた。
「ふむ、ここは……逃げている最中、といったところか。お前たちはここの護衛らしいな。いい装備だ」
身に着けたローブを引きずりながら、トカゲ――ヤムールと名乗った――はじろじろと二人を見た。
鈴梨は村の外で足止めするつもりだった。その隙に、人の避難だけでも終わっていてもらおうと。結果的にそれは成功したと言える。確かに、現在村には人がいなかった。予想外だったことは、やってきた常夜の鬼が『強襲タイプ』だったことである。
強襲タイプと呼ばれる常夜の鬼は、単体で動くが、単体ではない。体内に無数の戦力を抱えた厄介な存在である。その説明を太助にし終える前に、二人はヤムールが放った魚の群れに襲われ、太助は怯んだ一瞬で蹴られて吹き飛ばされた。鈴梨はアーマーの力で魚を振り払いはしたが、空中戦で単純な力量の差を見せつけられ、多くの武装を回避された挙句にヤムールを乗せていた翼の巨大魚に突撃されて叩き落とされてしまった。その時に見たヤムールと魚の動きは実によく訓練されているのだろう、流れるように美しかった。その上――明らかに慣れていた。同じようなことを何度も何度も繰り返したということが無慈悲な攻撃から伝わっていた。
「農村か。使い道は色々あるな。村人がいないところを見ると、俺たちの接近を知って逃げたというところか。察するに、お前たちはそのための時間稼ぎをしたというわけか」
ヤムールは鈴梨の頭を掴み、強引に身体を上げさせた。
痛みで少女の顔が歪む。それを見ていた少年は足腰を必死に動かすが、再び一蹴されてしまった。
「見ろ」ヤムールはそれを指しながら言った。「村人や家畜の移動先は地面の跡を見れば分かる。この先には何がある? 俺が得た情報が正しいなら、鉄道だ。あれはいいよな。少しずらしてやるだけでみんな死ぬ」
「――おっ、まっ、え!」
鈴梨は口早に詠唱し、アーマーに働きかけた。
次の瞬間である――
「ぐお」
ヤムールの片腕が何かに貫かれていた。痛みで開かれた手から鈴梨は脱出し、太助を抱えて距離を置く。
僅かとも経たなかった。鬼は、苦悶の表情から一転、冷静な顔を取り戻した。
「――空気の刃か。いい装備だな」
「……うわ。ご名答」
ポーカーフェイスを作れず、歯噛みして鈴梨はじりじりと下がった。
代用アーマーの武装の一つ、格闘戦の切り札ともいえる装備だった。風の魔法プログラムで空気を圧縮し、至近距離ではあるが必殺の刃を打ち出す――それは、強襲タイプに傷を負わせたという意味では、なるほど、よくできたものだった。鈴梨はこれを作ってくれた友に心から感謝すると同時に、それで決着をつけられなかったことにまた詫びた。
ヤムールの傷口から魚がぼとぼとと零れ落ちる。太助を見れば、そのことに驚いているが、鈴梨もまた驚いていた。結構な時間、常夜の鬼とは戦っているが、空を泳ぐ魚を出してこられたら、地球育ちの鈴梨は驚かないわけがない。
「花咲……」
「星屑、喋らないでいい。もうみんな逃げてる。私たちも逃げなきゃ。列車とは反対方向に奴を引きつけながら――」
「あの力、使えるかな」
答えはなかった。
答えられなかった。
この問いかけがくることは、予想できたことだった。
「あいつ、ここでなんとかしなきゃ。あいつは俺たちを追ってこないと思う。あいつ、あいつ、言ったろ? 簡単に言ったろ? みんな――死ぬって」
歯ぎしりの音。震えてぶつかる歯の音。震える身体は痛みだけのものではなかった。
「あいつは絶対に村の人たちを狙う。そんな口ぶりだ。ここから追い出して倒さなきゃならない」
「……星屑はまだ力を使いこなせてない」
「分かってる。必要な時に、必要な事ができない――」
だから、逃げた方がいい――鈴梨は、そう願っている。太助がそう思うことを願っている。
確かに、太助の錬金術が使えれば――面で攻撃できる。ルゴ・マスを倒した時のように、圧倒的な質量で押し潰されれば、目の前のより強い敵も同じ目に遭うだろう。しかし、それができない理由がいくつかあった。
何よりも大きなのは、博打であるということだ。前と同じ力が発動しなければ意味がない。訓練はまだ途中なのだ。使いこなせない力を使わせるわけにはいかなかった。それはやがて、太助の死へとつながってしまうのだから。
だから――
「――そんなのは、ごめんだ。やらなきゃいけないんだ。やりとげるぞ、花咲! せっかく借りた力なんだ――無理してでも使って使って使い切って、有効活用してあいつをぶっ倒す!」
不思議だった。
花咲鈴梨は、あまりそういうノリは似合わないと思っていた。
でも、なぜか――である。
燃え立つ心が目に見えるようだった。全ての世界が輝くようにさえ見える。
花咲鈴梨が浮かべた表情は苦々しいものでもなければ、ポーカーフェイスでもない。
笑顔だった。
「星屑、死ぬかもしれないよ」
「死なない! 死んでたまるか!」
「ボロボロじゃん」治癒術プログラムを互いにかけながら、鈴梨はつっこんだ。
「俺がボロボロになるのはいい。痛いけどいい。よくないけどいい。守るぞ、花咲!」
サッと、一人で立ち、太助は魚を引き連れるヤムールに向かった。
「そちらのお前は、何をするのかな?」一発で叩き伏せた相手に、ヤムールは最低限の警戒を解かずに尋ねた。
「レタスになる!」
「は?」思わず、鈴梨は間の抜けた声を出した。
「じゃなかった、レタスを作る、じゃなくて……えっと……俺はレタスだ! うまいレタスになる! じゃなくて、作る、かな? えっと……」
まとまらない言葉に微妙に混乱していき、太助はブンブンと頭を振った。
思い出さなければならない。訓練を。成功を。失敗を。
自分の力に必要なのは、イメージである。
(あいつを倒せる形――形――形――!)
思いついたのは、やはり『拳』だった。前と同じように、圧倒的な質量で相手を叩き潰す拳。
しかし――
(あっ――)
太助は、気づいた。
「花咲! 材料がない!」
「そうなんだよねー。どうしようね、これ。とんでもないよね」
村には鉄が不足していた。とてもではないが、残された農具や木々などをかき集めたところで、ヤムールを押し潰せるようなものは作れそうにない。
(何より、俺はなるべく村をこのままにしておきたいし――)
悩む太助の横で、鈴梨はヤムールを目で牽制しながら、一手を考えていた。
鈴梨は太助の能力については、ある程度の予測もあった。うまくいくための手段として、少しあとになるが、訓練でやろうとしていたことがあった。
(多分、星屑は対象が大きい方が、うまく錬成できる)
以前、廃城を拳にした時の事である。その拳は、とても雑に作られていた。雑ではあるが、巨大であるがゆえに成り立っていた武器なのである。
今回もそれをやるためには、大きいものを作る材料が必要だった。それも、鉄が望ましい――
「――レタスの奴、何かしないなら、そろそろ死んでもらおうか?」
ヤムールは魚を放った。空気を切り裂き、牙が迫る。
光が引かれる。
鈴梨はビームで魚を一掃すると、太助に決断を迫った。
「こうなったら一か八かだ。村全部を錬金術で――」
「いや、ダメだ! 村は残しておきたい! 人が住んでいたところだ!」
「もう避難は済んだよ! ここまで来たら必要じゃ――」
「そんなのお断りだ! 大切なものは必要とかそうじゃないとかで分けちゃダメなんだよ! なんとか――」
ふと、太助は今の言葉を頭の中で繰り返す。
避難は済んだ。
それなら――あるいは――と。
「花咲、俺に考えがあるんだけど、これってできるかな!?」
太助は自分のプランを手短に鈴梨に伝えた。
それは、博打であることに変わりはなかったが、鈴梨が考えるよりはうまくいきそうだった。
「――できる。このアーマー、いい装備だから、できる」
「じゃあ、やろう、花咲!」
鈴梨は頷くと同時に、太助を抱えて鉄道の方へ飛び去った。ヤムールがそれを追う。
風を切って迫る魚の数々は鈴梨が装備で追い払っていた。それを掻い潜るものは、太助がボロボロに噛みつかれながらも振り払う。痛みに慣れることはなかった。命が燃えていた。
ぐんぐん迫る線路に、既に列車が走り去ったあとであることを確認すると、鈴梨は地に落ちた。既に飛行システムは稼働限界だったし、ここまで来れば用済みの代物である。太助は、線路の上に立つ。そして、二人は反対方向へ走り去った。
「二手か――それならば、こっちからだろうな」
ヤムールは太助に魚を何匹か放ちつつ、鈴梨を追った。男の方はあとからでも十分と判断できたためである。何より、女の方が持つスーツは厄介な性能だと感じていた。
鉄道上の戦いが始まった。
ビームを乱れ撃ちしながら後退する鈴梨に向かい、ヤムールは巨大魚を繰り返し放った。そのすべては撃退されたが、距離を詰めることには成功していた。
グンと近づく両者は、互いの接近戦が可能な距離に入るや否や、空気の流れを打ち破る猛攻を互いに繰り出す。
鈴梨は格闘技の覚えは特別にはない。こちらに来てから少しずつ学んだ程度だ。それでも、代用アーマーのプログラムのおかげで、目の前の鬼とやり合うことができている。
ヤムールにとっては、思わぬ苦戦であった。二度三度攻撃しても、同程度のものが返ってくる。元より、ヤムールは格闘戦は得意ではない。
「得意なのは、こっちでな!」
口から長いウツボのようなものを吐き出し、鈴梨の身体を拘束する。
「こういうの、趣味じゃない」
空気の刃はもう使えなかったが、ビームでなんとかウツボをバラバラにする。
その隙を、ヤムールは見逃さなかった。
「では、こっちはどうだ?」
ヤムールの胸がバリバリと裂け、中から胴体の半分まで口が広がっている――その中には鮫のように獰猛な牙が見える――魚を連射した。
(あっ、ヤバい)
防御プログラムは、間に合った。
しかし、バリアは次々と激突する魚にとうとう破壊され、鈴梨は連射攻撃の終わりあたりをもろに食らうこととなった。アーマーが防いでくれてはいたが、痛みは大きい。
「ぐっ……」
「さて、トドメと行こう――」
最後は、自分の手で。ヤムールはそう思い、覆いかぶさるように立ち塞がった。
それを見て、鈴梨は――ポーカーフェイスだった。
「ねぇ、さっきのウツボっぽいの、趣味? 縛るの?」
「いたぶるときにはやるな。そして、それも終わりだ」
「そうだね、終わるね――」
線路を、一瞬、電気が走った。
「なっ――!?」
「後方注意」
気づいたときには、遅かった。
それは、大車輪だった。線路が巻き上げられて作られた大車輪だった。
カタカタと音を立てながら巨大になるそれを、ヤムールは避けることで回避しようとする。
一瞬、鈴梨から目を離したのは、失敗だった。
やったことは単純である。単なる足払いである。紙一重で線路の上から離れた鈴梨は、ヤムールが巻き込まれたことを確認した。
「線路の上で遊ぶのは危険。常識だよね」
丸まっていく線路には、電気がまとわりついていた。その放電は遠く向こうへ繋がっている――その先には、魚に噛みつかれて血まみれだが、確かに立っている星屑太助がいた。ちなみに、魚は踏みつけられている。
太助がやったことは、線路の一部を変化させることだった。これが最大の博打だった。うまく断ち切り、パーツをはめるように――荷車に荷物を積む時を思い出しながら――イメージした線路を繋げる。そのあとは、簡単にイメージできた。くるくる回るタイヤをイメージして、ただ地面から引きはがしていくだけでよかった。動かす力を込めるだけでよかった。巻き取りながら線路は巨大な質量を得て、ヤムールを巻き込んだ。
「花咲ーーーーーー! いっけぇぇぇぇ!」
遠くの声援は、確かに届いた。
鈴梨は線路の巻き取りが止まると同時に、巻き込まれたヤムールに向かって、的確にビームを打ち抜いた――
* * *
「村の人たちはみんな大丈夫。逃げ切ったよ」
「よかったぁ……」
大の字になった太助は、治癒術プログラムを受けながら、笑顔を浮かべた。
「……線路、直さなきゃな」
「んー……それは、お姉ちゃんたちの方でなんとかしてくれるかも」
「俺、頑張るよ。明日からの練習はこれ。こういう形で借りたものは、ちゃんと返す」
「……星屑はさ、何かに逆らってると強いよね」
何かを、断って、何かを押し通すとき――それが、星屑太助が力を発揮する時なのだろう。鈴梨には、そう思えた。
「そうかな? 俺は、普通にやってるだけだよ。花咲だってそうすると思う」
「そうかなぁ……じゃあ、今のこれは普通じゃないよね。普通にしよう」
鈴梨はそう言い、太助の頭を自分のももの上に導いた。
お断りだよ!太助くん 伊達隼雄 @hayao_ito
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