お断りだよ!太助くん

伊達隼雄

お断りだよ!太助くん

「帰って」


 言われたことはただそれだけだった。

 しかし、星屑太助ほしくずたすけは拒絶されたわけではない。


(あの子の目は優しかった! あの子の顔は険しかった! あの子の手は震えていた! あの子の足は、だけど踏ん張っていた!)


 螺旋階段を不格好に駆け下る太助は先程までの光景を頭の中で繰り返していた。その意味は分からなかったが、ここでそうしなければいけないという強迫観念が彼の機能を動かし続けていた。

 横を向けば、空が茜色に染まる兆候を見せていた。綺麗だった。そう認識した瞬間、彼は足を止めた。

 きっかけであると思えた。


 * * *


 いつものように登校し、いつものように授業を受け、いつものように帰ろうとした。友達と喋りながら教室を出た。太助はいつもと何も変わっていなかった。ただ、校庭の真ん中に差し掛かった時、なんとなく校舎に振り向いただけなのだ。


 屋上に、何かがあった。

 血のように赤い雲の渦から伸びた、白銀に輝く螺旋階段だった。


 自分の周囲にあったはずの世界が、急激に遠のいた気がした。ただひとり、果てのない荒野へ放り出されたかのような孤独と虚無が十六歳の少年に芽生え、そして、急激に現れた興奮という名の希望に摘まれた。


「おい! あれ見ろ、あれ!」


 異様に盛り上がった太助の言葉に、友人たちが振り向いた。


「どうしたのさ、太助」

「校舎がどうかした?」

「幽霊でもいたんか? 太助ちゃん怖がりだかんなぁ」


 冷めたものではない。普通の反応だった。しかし、太助との温度差は激しい。

 血が喚きだし、太助の声は上ずった。


「ち、違うって! 階段だよ、階段!」

「怪談? やっぱり幽霊か?」

「この学校って変な噂とかあったっけ?」

「七不思議でもありゃあ面白いんだけどね」


 向いている方向は全く同じだが、温度差は広がる一方だ。

 太助は、結論に達した。


(見えてないんだ……! あの階段が、みんなには見えてないんだ!)


 恐怖と興味が同時に沸き上がった。自分は、何か特別なものを見ている。狂ったわけではない。あれは確かにあそこに見えている。あそこにある。それが、友達には見えていない。一人で宝物か普通とは違う店を見つけたときの、隠し通したいという欲望が顔をもたげた。向き合えば、太助は笑顔で応じてしまう。


「悪い! ちょっと行ってくる! お前ら、先に帰ってていいぞ!」

「え、ちょっと、太助ちゃーん!?」

「マジか? マジで何かあんの?」

「太助ー、俺たち校門で待ってっからなー。早くしろよー」


 見送りを受けながら、太助は鞄を背負い、出たばかりの校舎へと舞い戻った。昇降口で靴は放り、急いで上履きに履き替えたら、あとは駆け足である。途中、何度か注意を受けたし、人にぶつかりかけたが、太助は走り続けた。

 階段を駆け上るのは、疲れた。運動は嫌いではなかったが、太助には男子高校生の平均的な身体能力しか備わっていない。一階から屋上までを駆けきったとき、酸素が切れかけて喉が痛かった。

 ギロリと屋上への最終関門であるドアを睨むと、太助は勢いよくそこを開けた。


「やっぱり、ある」


 螺旋階段は輝きを放ってそこにあった。

 輝きは煙のようにふわふわとしており、手すりの格子にまとわりついている。


(まるでドライアイスだ)


 螺旋階段に近づき、太助は膝をついて一段目を触ってみた。ひんやりとしている。感触には覚えがあった。大理石だ。


(どこへ、続いているんだろう? 天国とか?)


 見上げてみても、赤い雲の渦の、その先は全く分からなかった。ただ、天国のような、どこか清いイメージは抱けなかった。

 太助は、階段を駆け上る決意を固めた。

 手すりを掴み、慎重に一段目。コツン、と確かな踏みしめの感触がある。

 二段、三段――徐々にスピードを上げながら、太助はぐるぐると上り続けた。見える景色がどんどん遠くなる。落ちれば、どう考えても助からない。手すりを掴む手が力む。

 上に、上に。興味のままに、目指した。

 ――三十分は走っただろうか。最初は飛ばしていたスピードは、緩やかになり、そこでようやく、太助の心と身体は恐怖の支配を受けることとなった。もうじき、赤い雲の渦だ。地上が小さくなっている。泣き出しそうなほどに、危ない。


(だけど、もうすぐだ――)


 汗まみれになった太助は、ゆっくりと螺旋階段を上り続け、ついに赤い雲の渦に到達した。

 規則的な回転を繰り返している渦の中央は黒く、階段はその先へ続いており、向こうは見えない。

 太助は鞄からペンケースを取り出し、鉛筆を一本持つと渦の中央へ突っ込んでみた。運動の中心のはずだが、なんの手応えもない。鉛筆を戻して確認してみても、特に異常は見当たらなかった。


(行っても大丈夫そうだな)


 階段とは、繋ぐものである。これはどこに繋がっているのだろうか?

 唾を飲み込み、太助はまず手を伸ばした。今いる場所よりは暖かい。

 高鳴る心臓に潰されそうになりながらも、太助はついに渦の先へと螺旋階段を上って行った――



 結論から言えば、そこは天国などではなかった。


「……なんだ、これ?」


 空の向こうには、また空があった。晴天には雲がぷかぷかとたゆたっている。

 視線を落とせば、荒野が広がっている。人の手が加わった後で年月をかけて荒れ果てたようであった。少し離れたところに、壊れた西洋風の城が見えた。

 先ほどまであった高揚感が冷めていくなか、太助は上りきると荒野の大地に立った。弱々しい風が流れ、太助にぶつかり分かれていき、再び一つとなって抜けていく。足元を見れば、渦は地面にべったりと張りついていた。

 奇妙な解放感があった。空を、果てない大地をかき抱けば、スウッと身体の芯まで通るものがあった。


「どこだよ、ここは」


 誰が答えよう。太助はぐるりと見回したが、何も見当たらない。

 確信ではないが、分かっていることがあった。太助は今、あらゆる意味で一人なのだ。それを自覚すると、空の上で空を見上げる自分のおかしさがいよいよ不思議に満ちてしまう。だが、この不思議の先にあるものを太助は見たいとも思っていた。

 目立つ城に一歩、足を踏み出す。くしゃりと草を踏み、また一歩。

 荒野には争いの痕跡が見つかった。抉られた土、燃えた草花、そして――


「これって――」見つけたそれを拾い上げ、目の前に持ってきながら太助は呟いた。「槍、だよな」


 二メートルほどの長さで、薄汚れた鉄の柄の先にボロボロに折れた刃があった。

 なぜ、こんなものがあるのか? 誰かが使っていたのだろう。争いの跡といい、槍を使って殺し合いでも行われたのだろうか?

 太助の背筋に、寒いものが走った。直感が、ここを離れるべきだと告げている。慌てて槍を放るが、それでも小走りで先へと進んでいった。あちこちに、同じようなものが続いて見えた。

 辿り着いた廃城には、人の気配はなかったが、奇妙な生活の跡が見つかった。不似合だが、石油ストーブがあったのだ。


「なんでこんなものがあるんだ?」カチ、カチと着火を試みる。「おっ、ついた、ついた」


 ボウ、と燃える火が熱を呼んだ。

 ついやってしまったが、別に寒いわけではない。太助はすぐにストーブを消し、廃城を巡った。すっかり壊れ、寂れている。風通しが良すぎた。

 太助の興味を引くものは沢山あった。ズラリと並べられた剣、映画でしか見ないような銃火器の類、道中に見たものと同じ鉄の槍、箪笥、クーラーボックス――中世風のものから現代風のものまで勢揃いである。

 その中でも、もっとも興味を引いたのは、鞄であった。学校指定の鞄である。

 太助は、喜びを感じ、鞄を高く掲げた。誰かが、いる!


「……やっぱり、まずいよな」鞄の中身を確認したくなったが、流石に気が引け、やめておいた。「けど、どうしてあるんだろう?」


 考えられたのは、自分と同じようにここへ上ってきて、鞄を置いてどこかに行った。

 しかし、物騒に思えるここの、どこへ、何をしに?

 太助は鞄の持ち主を安全を祈りながら、元あった場所に鞄を戻した。

 城の上へ行くための階段は、途中で崩れ去っていたが、外壁が壊れていたおかげで、でっぱりが多く、そこから登ることはできた。


「おお、やっぱり見渡せるっていいもんだ――」


 かつては誰かの部屋であっただろう場所から外を見た時、遠くで火の手が上がるのが見えた。太助は前傾になり、目を凝らす。


(何が起きた?)


 次いで、土煙が上がった。轟きと共に、何かが廃城に向かってくる。火柱、土煙――空へ放たれる、光線。

 太助の脳裏に、壊れた槍が浮かんだ。


(何か、誰かが戦ってるのか?)


 だとすれば、ここにいるのは危ないと理解できた。離れるべきだったのだろうが、太助はしかし、正体を確かめんと目を凝らし続けた。

 土煙の中から、何かが飛び出してきた。真っ直ぐに廃城へ飛び跳ねてくる。


「やべっ!」


 咄嗟に逃げようと、太助は来た道を戻り、廃城を抜け出そうとした――


「最終防護壁、発動!」


 妙に粘っこい声と共に、廃城が薄い緑の光の膜に包まれた。

 太助は目の前に現れた緑の光に立ち止るが、これも渦と同じようなものだろうとそのまま突っ切ろうとし、


「イヤァァァァ!?」


 火花と共に全身に痺れが走り、その場に仰向けになって倒れた。目がやけにぱちぱちする。


「――嘘っ!?」


 パタパタと、足音が太助に近づいた。


(ああ、日本語――?)


 馴染んだ言葉の主は、太助の顔を覗き込み、驚いていた。

 太助もまた、驚いた。教室で見る眠そうな顔よりは、少しハッキリとしているが、薄緑の髪色といい、ふんわりした雰囲気といい、間違いなかった。


「……花咲はなさき?」痺れがとれず、呂律が少し悪くなったままではあったが、彼女の名をしっかりと呼べた。「花咲はなさき鈴梨すずり、だよな? 変な格好してるけど」


 花咲鈴梨の格好は、太助の言う通りおかしかった。制服の太助に対し、彼女は、テレビの特撮ヒーローが着ていそうな硬質の鎧風のパワードスーツに、フリルの施されたドレスを思わせる薄緑の布地が組み込まれたものを着ているのだ。


「……えっと……ク、クラスの…………あっ……」鈴梨は、迷っているようだった。「……い? ………う? …………え?」

「俺の苗字の頭は『ほ』だから、まだ先……」

「ほ……? ……分かった、星屑だ」

「正解。ところで、あの、俺をなんとかしてください。痺れて動けないの……」

「ごめん。いると思わなかった」


 鈴梨は太助の額に片手を添え、もう片方の手にプログラムのような文字列を立体で浮かび上がらせた。


「なにそれ?」

「古い治癒術を解読したプログラム。私は魔法の才能に乏しいから、メカニックの力を借りないと魔力制御できない。……これでよし」


 痺れはとれたが、鈴梨の言ったことの多くは理解できず、太助は頭を押さえながら起き上がった。鈴梨は心配そうに見守っている。


「……花咲鈴梨、なんだよね?」


 格好と状況が重なり、再確認せずにはいられなかった。

 少女はコクリと頷く。


「……そういう君は、星屑」

「そう」

「星屑」鈴梨は、繰り返した。

「……」

「星屑」再び、繰り返された。

「……」

「星」

「太助。星屑太助だよ」

「ごめん。正直、クラスメイトは苗字ぐらいしか分からない」

「クラスメイトでそれなら、他のクラスはどうなっちゃうんだ?」


 不敵に笑ってみせた鈴梨に、太助は思わず(こいつ、大物だな……)と感じ入ってしまった。


「星屑、どうしてここにいるの?」

「俺としては、花咲の格好が気になって仕方ないんだけど。

 校舎の屋上に、螺旋階段が見えたんだ。気になって上って、空まで辿り着いたと思ったら、また空だった。そして、この城が見えたから、入ってみた」

「度胸ある迂闊者だ……」呆れて、鈴梨はそうこぼした。

「花咲はどうして……ここで、何やってるんだ?」


 何をしているかについては、太助は既に目撃していると確信していた。飛び跳ねてきたのが、おそらく花咲鈴梨であろうと。

 鈴梨は、頭を掻きながら少しのあいだ迷い、太助を廃城のてっぺん――そこより上が壊れてなくなった、玉座の間へと案内した。案内といっても、先導したわけではない。両手で持ち上げられると、トランポリンでも使ったかのように大ジャンプが行われ、あっという間に玉座の間に到達したのである。

 太助は、同い年の女子があっさりと凄まじいことをしたことに大変驚いた。


「は、花咲!? 今、何やったの!?」

「私がやったというか……アーマーの力。聖人ザザーカの作った衣とプレリニウム製の強化外骨格を合体させた。友達の自信作」


 その場で鈴梨は誇らしげに回ってみせ、アーマーを見せつけた。やはり太助には言葉の意味は分からなかったが、友達から貰ったもので、きっと大切なのだろうということは理解できた。


「私自身は、学校にいるときと何も変わらない。ただの女子」少し間を置き、親指と人差し指で欠けた円をつくり、その空間を示して「ちょっとだけ、魔法とか使えるし、メカに強くて、戦える」と付け加えた。

「戦えるって、やっぱり、さっき向こうで火があがったのは花咲が何かやったから?」


 鈴梨は首を横に振った。


「私は、ビームを出しただけ。火は、あれがやった」


 指がさされた方に、太助も目をやると、そこにはこれまでで最も奇妙なものがいた。

 見た目は二足歩行で直立したトカゲだった。しかし、それをただそう呼ぶには――


「デッカイ……!」

「二メートルある。ムキムキだけど、頭もそんなに悪くない。鎧も着てるし、武器も粗末じゃない、立派なツーハンドソード。口からは火を吐くほか、舌から毒の液体も出す。階級章とかつけてないけど、小隊長クラスであることは間違いない」

「なるほど。よく分かんないが、ヤバいのか?」

「超ヤバい」

「俺に分かるヤバさで伝えて」

「授業中に寝て起きたら目の前に生徒指導の先生が立ってた」

「ヤバいな……」

「超ヤバい……」


 頷き合うが、状況はそれどころではないと、鈴梨は続けた。


「私は、あいつの部下を全滅させた。それがいけなかった。あいつの興味を誘ってしまった。根城にしてたこの廃城まで追い詰められた」

「全滅って……それは怒らせるよ」

「怒ったんじゃない。私に興味を持っただけ」苦々しく、鈴梨は言った。「奴らの行動ラインから外れた村が襲われてた。隔壁も防衛システムも全部突破されてたし、何度も襲われてたみたいで、人手も足りてなかった。助けるしかなかった。必死だった。村はなんとか守り抜いたけど……奴は、強かった」


 太助は、段々とではあるが、鈴梨がやってきたこと、自分が来たここのこと、それぞれを理解していった。


「花咲、ここは、どこなんだ?」


 最大にして、他の疑問全てに繋がる問いを、太助は出した。

 鈴梨は、空を見上げて、語りだした。


「地球とは違う世界。剣と魔法が歴史を作ってきた、トーリの世界」

「花咲、機械使ってるんじゃ……?」

「機械工学ぐらい、時間が経てばどこでもできる……」ムッとして、鈴梨が言った。「もっと時間をかけて、魔法を全部解読できていれば、奴らに荒らされることもなかったのに」

「奴らって、あのトカゲか?」

「あれは兵の一人。私たちは、あいつらを『常夜の鬼とこよのおに』と呼んでいる。いつ、どこで発生したかは分からないけど……もしかしたら、トーリの始まりから、ずっといたのかもしれない。ある日、突然、兵を率いて世界に宣戦布告し、次々とどこからか呼び出して戦力を増やし、十年間、戦争をして……この世界の、覇者になった。長い歴史を持ったトーリの国々は、押され続けて、剣も、魔法も、負けて……こうなったらしい」

「らしい?」


 鈴梨は玉座におさまり、遠い目をした。


「私は生まれてすぐ、地球に落とされたから。この目で見たわけじゃない」

「落とされたって、なんでさ?」

「分かんない。両親が、何かを察知したのかもしれない。確かに、地球の方が安全だったもん。平和に暮らしてたけど……私のお姉ちゃんっていう人がやってきて、事実を全部教えてくれたんだ。あんまりにも不憫だからって。それで、こっちのことも知って……居ても立っても居られなくなって、こっちに来た。中学に上がった時だよ。未練もあったから、学校行きながらだけど……」


 少女は、あまりにも違っていた。自分とも、普段学校で見せる姿とも。

 太助が記憶している花咲鈴梨の姿とは、授業中も休み時間も、いつも眠そうで、やる気がなさそうだった。悪い人間ではない。よく優しくされているし、本人も他者に優しくしている。ただ、ひたすら眠そう――それが花咲鈴梨の全てだった。

 それが、目の前にいる少女はどうだろう? 顔こそ少しゆるいが、疲れと悲哀は禁じ得ない。出生に秘密があり、それを知り、生まれ故郷を守ろうと飛び出した。そして、今も戦い続けている。

 戦い。そう、戦いだ。

 星屑太助は、戦いとは無縁の世界で生きてきた。日本という国に生きる多くがそうであるように、命をかけた文字通りの戦いは、どこか遠い別の世界の出来事だと思っていた。それは違うということぐらい、知識で知ってはいるが、実感できずにいた。ある意味、幸せなことなのかもしれない。

 しかし、ここに太助が、いや、おそらくは地球の多くが知らないであろう、別の世界がある。自分のクラスメイトが戦っている。

 平和を謳歌していた、学校の屋上から繋がったこの世界で、命はいつもかけられ、そして、おそらくは――散っていったのだ。


「……螺旋階段、上ったんでしょ? あれはお姉ちゃんから教えてもらった、二つの世界を行き来する秘術の一つ。私、ちゃんとしめたと思ったんだけど……今日は、ちょっとゆるかったみたい。それに加えて、多分、星屑が見えちゃったのは……」何かを言いかけ、鈴梨は言葉を止めた。

「俺は、何なの? 魔法の才能あるとか?」僅かな期待があった。

「……知ったらがっかりする」目を合わせずに、鈴梨はこれ以上聞かない方がいいと付け加えた。

「教えてよ。気になる」


 食い下がった太助に、鈴梨はとうとう観念した。


「星屑は多分、バカなんだと思う」

「え?」突然の侮辱に、「え?」思わず二度反応した。

「サンタクロースとか、いないって分かってるけど、実はやっぱりどこかに本気でいるとか思ってるのかも」

「いやいや! サンタは流石にもう信じてないよ! サンタ的なのは、どこかにいるかなーとか思ったりはするけど、流石に!」


 必死の抵抗であった。「お前はベイビーなんだよ!」と言われたも同然なのだから。


「魔法は見つかってないだけでどこかに隠されてるとか」

「あったじゃん!」

「アメリカにはスーパーヒーローがわんさかいるとか」

「映画見てるけど……」

「つまり、星屑はまずは信じてみようとしちゃうタイプの人間で、その思いが人一倍強いんだと思う。今あげたのは、例の一つだけど……」再び間をおいて、「予想だけど、星屑は隠された悪意とかあまり見抜けない。頼まれればすぐ行くタイプ。利用されても、何か事情があるのかなとか思っちゃう、ダメなタイプの甘ちゃん」

「け、けなされてる?」わなわなと震えながら太助は言った。

「少し」鈴梨はそんな太助がおかしいのか、笑みを見せ、「だけど、褒めてもいる。星屑のそういうところは、大切にした方がいい。ちゃんと怒ったりすることもできるならだけど、それは星屑の美点になると思う。今回は、その信じる力のせいで、螺旋階段まで見えちゃったみたいだけど」


 そこまで話すと、鈴梨は立ち上がり、太助の目の前まで歩いてきた。

 互いの視線が一瞬、絡み合う。


「これが、今日、星屑に起きたことの全部。分かったら、帰ろうか」

「帰るって……」太助はトカゲの方を見た。廃城を囲む膜に苦戦しているらしい。「あれは、どうするの?」

「倒すよ。……頑張る。応援はあと三日は来れないから、私がなんとかしなきゃ」覚悟と決意が、普段のゆるやかな表情を上回りつつあった。「だけど、星屑は無関係だし、危ないから、急いで帰った方がいい。これから、防護壁をはずして、あいつの足を止める。そうしたら、星屑は真っ直ぐ逃げて。来た道を戻れば、大丈夫。時間は絶対に稼ぐから」


 太助は、頷けなかった。危ないと分かっている。鈴梨が正しいと分かっている。しかし、頷けなかった。それを見て、鈴梨はより――頑張って――表情を険しくした。


「手伝うとか、考えないで。死んじゃう。守れないと思う」

「嘘だ」それは直感だった。「……俺が残ると、多分、花咲は俺を守って死ぬかもしれない」


 せっかく作った険しい顔が、一瞬消え、きょとんとした。


「花咲の話を聞くだけでも、分かるよ。誰でも分かる。花咲はいい奴だ。ガンガン身体張っちゃうぐらい、いい奴すぎるんだ」

「……それほどでも」眠そうな顔だったが、照れていた。「……ううん、違うよ。多分、違う。だけど、もしそうだとしたら、余計に星屑はここにいちゃいけないよね?」


 それが全てにおいて真実だった。

 星屑太助がここにいてできることなど、何もありはしない。悲しいまでに、無力だった。握りしめた拳など、役にも立たないだろう――


 鈴梨は、そっと、太助の拳を解いた。


「星屑――帰って」互いにしっかりと向き合い、険しい顔で、言った。


 それでも、太助は頷けなかった。拳を解いた際の鈴梨の手は、震えがあった。瞳が慈愛に溢れていた。


 だが、何ができるのか――考えたところで、答えはでなかった。


「防護壁、とるから。下がって。そっちの階段と、外壁をつたえば外だから」


 スタートが告げられれば、もはや、太助にできることは逃げることのみである。それしかない。それが最善だった。

 太助は、とぼとぼと歩き出した。自然と歯を食いしばっていた。わけもわからず、涙さえ流れていた。何かが胸の奥を突き破ろうとしていた。自然と前傾姿勢になっていた。

 ――きっと、鈴梨は、死を覚悟しているだろう。太助にはそう思えてならなかったし、事実、そうであろうという確信があった。

 階段に差し掛かった時、太助は振り返り、あらん限りの力で叫んだ。


「また明日! 学校で会おうよ! 明日、絶対だ! 明日学校で! 来いよ! 授業中寝ててもいいから! 絶対来てよ! 約束してくれ――」

「……寝るのを、代わりに先生に謝ってくれるなら、約束する」


 ――花咲の背中が、大きかった。グッと、立っていた。

 そして、薄緑の膜が、消える――


 * * *


 太助は、下を見た。学校がある。町が広がっている。

 彼女は、確かにここで生きていたのだ。

 親しかったわけではない。

 しかし、花咲鈴梨は、学校になくてはならない存在だった。クラスメイトは苗字しか分からないと言っていたが、友達と一緒のところを太助は何度も目撃している。誰もが知っている。眠たげな、やる気のなさそうな、少女を。

 手すりを砕きそうな勢いで、手に力が込められた。


(……何をしているんだ、俺は)


 怒りか。正義か。友情か。愛情か。憎しみか。それとも――

 星屑太助は踵を返し、再び渦へと走った。

 

(何をするかだろう!)


 握った拳は震え、ますます役立たずになっていた。食いしばった歯は互いに砕けそうなほどである。涙が再び溢れた。

 トーリへ戻った太助の目に飛び込んできたのは、燃え盛る廃城だった。


(始まってる!)


 足がすくむ。二度、三度叩き、「動け! 動け!」と願いを込めた。ようやく前に進みだしたとき、廃城から光線が空へ伸びた。鈴梨が戦っているのだ。

 向かう先は確かに恐怖だが、行かなければならない。鈴梨一人には、どうしても、しておけなかった。

 太助は走った。強く、速く、不格好であっても。


(なぜ走る!? 花咲を放っておけないからだ!)


 自問自答は、鼓舞するためでもあった。


(何ができる!? 何かをするんだ!)


 あらん限りを考える。太助は今日このとき、人生の全てをかけなければならなかった。

 生きてきた中で、きっと、今が一番生きている。生命の炎がごうごうと燃え立ち全身の細胞が唸りをあげていた。灼熱の温度に達したかのように、血が熱くなる。


「花咲ィっ!」


 叫び、荒野を駆ける。未だ知れぬ大地に、少年は思い一つを抱いて舞い戻ったのだ。



 * * *


 戦いは圧倒的に不利だった。根城である廃城まで追い込まれた時点で、選べる手段は自爆ぐらいのものである。

 防護壁を解除してすぐに、目の前の敵――ルゴ・マスと名乗った――に飛びかかった。いかに優秀なアーマーであっても、世界を統べた軍団の小隊長クラスとはよくて互角であると鈴梨は知っていた。小隊を全滅させた際に力を使いすぎ、疲労も溜まっていた。村から引き離すと決めた時、既に勝負は決したものとも思っていた。

 ルゴ・マスは鈴梨の狙いを見抜いていた。力尽くで押し出し、廃城から引き離す。それは、城に蓄えられた武器をまず守り、使うためであった。そのため、ルゴ・マスは鈴梨ではなく、真っ先に城に火を吹いた。

 鈴梨は、城を狙った際に賭けに負けたと思ったが、その一瞬の隙を逃さずに攻撃を加えることができた。氷雪魔法プログラムでルゴ・マスを氷漬けにしようとするが、力が足りず、肩を一瞬凍らせるだけに終わった。しかし、そこからアーマーの主兵装であるビーム兵器を打ち込むことができた。これは効果的であった。


 距離をとりあった両者は、しかし拮抗とはいかなかった。元より不利であった鈴梨はどんどん追い詰められていった。聖人の衣は流石の耐久力だったが、アーマーの方は耐久力の限界に達しつつあった。

 鈴梨は、アーマーに備えられた最終手段、自爆を考えた。

 ――せめて、助けがすぐに来てくれるところにいたのなら。

 一瞬過ぎったその考えは、あまりにも理想にすぎ、夢想であった。トーリの人々は、ただでさえ追い詰められているのだ。わがままは言えない。できるところで、できる範囲で頑張らなければならない。


「どうした、廃城の戦士さんよ!」


 ルゴ・マスの攻撃はますます激しさを増す。鈴梨は四方から襲う剣の鋭さに、腕力に、毒に、炎に追い詰められた。


「まだ、まだだから……!」


 防御魔法プログラムを展開し、自身を魔力の衣で包むと、鈴梨はそのまま突っ込んだ。白兵戦に持ち込む。アーマーの格闘機能は通用すると踏んでいた。事実、そうなった。しかし――


「こっちも、まだなんだよなぁ!」


 ルゴ・マスはこれまでと白兵のノリを変えてきた。アーマーが対処しきれず、鈴梨は蹴り上げられた。


 空が、目の前に広がる。

 不意に、学校が思い出された。

 鈴梨は、クラスメイトの名前は、本当に苗字だけしか覚えていない。顔の一致が怪しいのも多い。


(ああ、だけど、苗字を忘れたことはなかったな……)


 どんなに眠くても、覚えたことは忘れないようにしていた。一致しなくても、顔は覚えていた。

 あの日、姉が来て、全てが変わった。飛び込んだのは自分だ。そうしなければならないと思えたからそうした。

 それでも、育った家を、住んだ町を、通った学校を、大切に思わなかったことなど――

 今また眠たげになった目から、涙が零れ落ちた。


(ああ、そっか。こんなに好きだったんだ。地球……私の育った故郷)


 小さな世界で生きてきた。鈴梨は小さな存在だった。トーリに来て、戦える力を持ったが、それでも……花咲鈴梨が、普通の高校生であるということも、事実として存在している。何よりも、本人の中で。


 ――また明日! 学校で会おうよ!


(嬉しかったぁ……また、戻りたいなぁ)


 戻れないと分かっていた。

 鈴梨は、決意した。

 飛び込んだからには、最後まで、戦って――


(お姉ちゃん、みんな……先に逝くね)


 鈴梨は、アーマーの自爆プログラムを呼び出し――



「花咲ィィィィィ!」



 ――その声に、振り向いた。


 * * *


 ルゴ・マスにとっては、まったく無防備の状態で食らってしまった、予想外の一撃だった。あるいは、これが廃城の戦士が用意した策なのかもしれないとさえ思った。

 炎に包まれた廃城から飛び出してきたのは、見慣れぬ服装の少年だった。槍を持って突撃してきたその男に、腹を突き刺された。彼の経歴からすれば、大した傷ではない。

 しかし、それでも、彼は怒りを覚えた。

 目の前の少年が、震えていたからである。泣いていたからである。槍の構えもまるでなっていない。


「戦士じゃねぇな……! てめぇなんざ、殺す価値もねぇんだよ!」


 腕の一振りで、その少年は吹き飛び、炎の中に落ちた。


「星屑!」


 廃城へ舞い降りた鈴梨は、血を流し、腹を押さえ――それでも立ち上がろうとする太助に駆け寄った。炎のせいだろうか、揺らいで見えた。


「どうして戻ってきたの!?」

「戻らなきゃならないって、思ったからだ」槍は手放してしまったが、拳は握られていた。「君を絶対に、学校に帰す……! そうしなきゃならないって思った!」

「星屑じゃ無理だから、戻って――」

「答えは、NO! お断りだ!」

「無理なんだって! お願い――」

「無理だからできないじゃダメなんだ!」血と涙と土に汚れた顔で、「だって、花咲もそう思ったんじゃないのか!? できないじゃすませられないって、そう思わなかったのか!? やろうと決心したから、どんなになっても諦めないって、そう思ったんじゃないのか!?」太助は吠えた。


 ――鈴梨は、諦めかけてはいた。だが、一つだけ、確かなこともあった。ルゴ・マスだけは絶対に道連れにするという、闘志だけはどんなに追い詰められても消えなかった。

 しかし、今や、その先を示されたと思った。


「帰ろう、花咲! あいつを倒そう!」


 その瞳は燃えていた。あまりにも熱く、あまりにも強く。

 そして、あまりにも純粋に、花咲鈴梨を信じていた。


「なんだぁ? てめぇ、邪魔だよ。俺はそっちの女と遊んでんだ――」

「うるさい! 俺も相手だ! お前なんか、絶対に倒してやる!」

「あぁ?」不機嫌を前に出し、ルゴ・マスは凄んだ。

「遊びなんかじゃない。花咲は、見ず知らずの人たちのために、戦うって決心したんだ! その決意が、お前なんかに潰されてたまるか! 俺は絶対に潰させない!」


 太助に治癒術プログラムをかけながら、鈴梨は、心がスッと軽くなるのを感じた。


(気づいて、ないのかな?)


 特に親しくもない自分のために戻ってくれた。

 この世界に自分と――二人だ。鈴梨は、そう思った。太助がこの世界にいるという事実が、何よりも強く、優しかった。


(――この、世界?)


 鈴梨は重大なことに気づいた。自分は元々、トーリで生まれた人間である。この世界の存在である。しかし、太助は違う。別世界の人間なのだ。

 別世界の存在を呼び出す『召喚術』は、この世界に存在している。それで時折、幻獣や、他の人間が訪れることがある。彼らは皆、巨大な力を持って世に貢献し、去っていった。その力は、元々あった力が、この世界にくることでより強くなったものとされている。

 なぜそうなるのか?

 異世界の存在は、本来相容れないものである。世界という概念と対立しあう形になる異世界人は、その対立による作用で、トーリにおいてより高い力を操ることができるのではないか、というのが召喚術の専門家の有力な仮説であった。


 では、呼び出されるという段階を踏んでもいない、別世界から、信じる力だけでやってきたこの少年はどうなっているのだ?


「星屑! 信じて!」

「大丈夫、花咲を信じてる!」

「違う! 自分の力を信じて! 夢想と笑われてもいいから、何か、力を信じて! 実現する何かを!」

「ちょっと待って、何それ!?」

「いいから! 頼むね! きっとできる! 信じてる!」


 鈴梨は、力を振り絞り、ルゴ・マスに立ち向かった。


「そうこなくっちゃ!」歓喜に震え、獲物を狩るため、ルゴ・マスは暴力を振るう。


 戦いが再開されたが、太助は少々の混乱に陥っていた。鈴梨の言葉がいまひとつ理解できなかったのだ。

 信じる? 何を?


(今、信じること。勝つこと。生きること。あいつを倒すこと……)


 力を、信じる? どんな力を?


(この状況を逆転できるような力? そんなの、あるのか?)


 太助は、周囲を見回した。

 燃え盛る、廃城――


(……お城、かぁ。見つけやすかったよな。でっかくていいよな。あんなトカゲよりずっとでっかいよな――)


 考えれば考えるほど、余計なことも含まれ、そして、単純化していく。


(でっかい……でっかい……力……でっかい……)少年は、固く握られた拳を見た。


 信じることが、一つあった。

 ならば、信じよう。互いに信じよう。

 少年の目は、ここ一番の澄み具合を見せていたが、戦士と怪物にはそれを見ることは叶わなかった。



 そして、世界は動いた。



「終わりだ!」


 炎をまとったツーハンドソードが、体勢を崩した鈴梨に迫る。

 しかし、鈴梨はすんでのところでビームの反動を利用し、紙一重で攻撃を避けた。


「ちっ! だが、もう限界らしいなぁ!」

「だけど、負けられない――」



「花咲ぃ! いっくぞぉぉぉぉ!」



 二人は、何よりも、驚愕した。

 燃えていたはずの廃城は、姿を消していた。代わりに、バチバチと電気を放ちながら組みあがっていく、巨大な岩の拳があった。


「なんだありゃあ!?」


 状況をまったく飲み込めないルゴ・マスは驚きのあまりすべての行動を止めて叫んだ。

 しかし、鈴梨は違った。


 ――召喚された者は、力の強化もあれば、その延長で特殊な能力に目覚める者もいる。


(物質操作、いや、違う――アルケミスト!)


 あるものを変質させる――

 錬金術は、トーリでも使われている技術だ。しかし、太助のそれは桁も質もまるで違う。城が拳になるイメージを信じ切ったのだろう。そのイメージだけで、錬金術の過程を全て終え、実現してしまったのだ!


(だけど、お城を拳に作り替えるなんて――なんて――バカなの?)これから起こることの巻き添えを食わないよう、鈴梨はサッと回避行動に入った。

「食らえぇぇぇぇぇぇ!」


 当人も、それをどう行っているかは分からないだろう。しかし、本能は知っていた。巨大な拳のイメージが全身を伝い、城に届いた時、全てがつながったと感じた。どこから出ているのか、拳を組み立てた放電現象は伝達のためにあるらしい。

 太助は、勢いよく、握り続けていた拳を振り下ろした。


「ぎゃあああああああ!」


 気づいたときには、もう遅かった。圧倒的なスケールに、ルゴ・マスは回避が遅れ、轟音と地響きと共に、元お城の質量の下敷きになっていた――


 * * *


「お城、なくなっちゃった……」

「ごめん!」両手を合わせ、太助は謝り倒した。他に何も思い浮かばなかったとはいえ、鈴梨の根城を武器にしてしまったのだから。

「いいよ。どうせ燃やされちゃってたし。ただ……」

「あっ、鞄は大丈夫だよ、ほら」


 太助は、それだけはと思っていた鞄を鈴梨に押しつけた。


「おお……気が利く。これ、着替えも入ってるんだ」

「着替え……」

「制服。こっちのスーツは……置き場所は、新しく考えなきゃ。寝床も、しばらくは地球の実家だなぁ」


 着替えを取り出した鈴梨は、ジッと、太助を見た。


「……着替えてるところ、見る?」

「うっ……み、見ません!」

「うん。ありがと」


 巨大な岩の拳に隠れて、鈴梨は戦士から女子高生に戻る。


(制服……星屑が着せてくれたようなものだよね)


 その事実は、確かな喜びとなって鈴梨の中に残り続けた。


 * * *


 螺旋階段を降りる時、夕陽が見えた。町は優しく照らされていた。二人はその光景に一度立ち止まったが、やがて、朱に染められたように表情を柔らげながら屋上へと降り立った。

 鈴梨は螺旋階段を消すと、背伸びをした。


「眠い……」

「眠たげなのって、いつも頑張ってたからなんだな」

「だから許して」

「俺が許しても先生がなぁ」

「謝ってくれるんでしょ?」


 いたずらっぽく笑い、鈴梨は太助の前に回った。


「また、明日。学校に来れば」

「約束だもんな」


 並んで歩く二人は、明日のことを考える。学校のこと、トーリのこと。


「俺、明日からも手伝うよ」

「……大変だよ?」

「だけど、やるだけやる。花咲がまた学校に来れるように」

「……勝手にやるといいよー」


 今の笑みだけは、太助に見せたくないと、鈴梨は小走りになった。

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