ACT. 3 戻れない場所
冷たい風が吹き抜けて、静まりかえったこの場で、ライとミクはお互いをじっと見つめていた。
それはけっして熱い眼差しなのではなく、むしろ緊張感さえあり、目をそらすことが躊躇われるほどだ。
その容姿からライは女性と見間違えられることはよくある。様々な理由から実際に女性の振りをしたこともある。きちんと説明すれば男と理解してくれる人もいた。だから目の前の少女がライを女性と勘違いしていても別に不思議なことでも驚くことでもない。
なぜならそれはよくあることだから。
(……だが)
真剣な表情のミクを見る。本気なのだとわかる。
ライは笑顔を張り付けたまま、おもむろに少女の頬に手を伸ばした。
「……いひゃいです……リルさん……」
思っていたよりも柔らかい少女のほっぺを軽く引っ張る。少し不満そうに見上げられるとその手を離した。
「もう。なにするんですか!」
頬をさすりながら訴えるミクにため息を一つつく。ライは笑顔を剥がし、じと目を送った。
「流石に正面きって貧乳と言われたのは初めてだよ」
「……えっ?! あ、そうですね。気にしてたんですね。すみません、女の方にしては余りにも膨らみがなさすぎるというか、ぺったんこと言うか……ああ、でもそういう女の人もいますよね。胸だけが全てじゃありませんよ!」
本気で女性に対して発言しているのなら余りにも失礼過ぎるミクの物言いに、男のライでも思わず呆れてしまう。しかしライのことを女性と勘違いしたままなのだということは分かり、勢いづくミクに制止と訂正を告げることにする。
「あー、とりあえず言えることはだ。おれは男だ」
「……はい?」
何をいっているのか分かりませんといった表情で、眼鏡の奥にある瞳を瞬かせる。それにライはもう一度、はっきりと真実を告げる。
「おれは男だ」
「…………………………」
時が止まったかのように、たっぷりと沈黙の時間が二人の間に流れた。
お互いがお互いを見つめて、どれぐらい時間が過ぎただろうか。
ミクは目を見開き、ぽかんと口を開く。そして瞬きを一つしたあと、案の定、その口から絶叫が発せられた。
「え、ええええええええええっ?!」
予想以上に大きな声は周囲に木霊する。思わず耳をふさいで顔をしかめるライだが、目の前の少女はそんなことお構い無しにおののきまくる。
「え?! うそ……だって! そんなっ……!! えっ?」
声のボリュームを下げることなく驚きの様子を見せるミクに、ライは少女のことよりも周囲が気にかかり咄嗟にその口を己の手の平で塞いだ。
「んんごふぉんごご……!」
「なに言ってるか分かんないけど、とりあえずうるさい。あんまり騒ぐと変異種に気づかれるだろ」
この辺りは只でさえ変異種がよく出没するとされているのだ。下手に騒いで居場所を嗅ぎあてられて襲われては堪ったものではない。
ライの危惧していることが理解出来たのかミクはもごもごするのを止め、不満そうに、否、むしろ恨めしそうに睨み付ける。
とりあえず静かになったので手を離した。自由になったミクは一歩、ライから引き下がる。
「……騙したんですね」
先程よりも幾分も低い声で、ぽつりとミクは言う。その人聞きの悪い物言いに、ライは心外だとばかりに眉を寄せた。
「そっちが勝手に勘違いしたんだろーが」
「そんなこと……いえ、でも! 言ってくれればいいじゃないですか!」
上がりそうになったトーンを無理矢理抑えて、それでもミクはライを睨むことを止めない。
少女の頑ななその様子に、ライからするとなぜ、と思わずにはいられず、無意識にため息をついていた。
「なんで聞かれもしないこと、いちいち言わなきゃならないんだよ? つーか、男でも女のでもどっちでもよくね? 狩りが出来たらなんの問題もないと思うけど?」
「いいえ、いいえ……! 問題大有りです!」
大きく頭を振り、わなわなと震えながらミクはライを指した。
「私、は、男の人、が、苦手、なん、です!!」
「……はあ?」
一言一言を区切り、重大なことを宣言するかのごとく言い放つとミクは大きく息を吐き出す。
「き、君が男の人だと分かっていたら、も、もっと別の方法を……!」
「別の方法? ってなに?」
「それは……! いえ、とりあえず君と二人で行動するという選択肢はなかったはず……!」
どんだけ嫌なんだと思わなくもないが、それよりもこの事態が面倒だと思わざるを得ない。
「今さらんなこと言ったってどうしようもないだろ。じゃあなに? このまま引き返すか?」
「それは……」
「ちなみにおれは行くからな。街まで送り返す優しさは期待しないでくれ」
「むう」
来てしまったものは仕方がない。ミクにどういった事情があるかはこの際知ったこっちゃないのだ。
ミク自身もそのことは十分承知しているのだろう。しばらく押し黙ったあと、意を決したようにライを見る。
「……背に腹はかえられません。このまま行きます」
「んじゃあ……」
「ただし! あまり私に近づかないで下さい!!」
「はいはい」
「あと、リルさんではなくライさんと呼ばせていただきます!」
「……好きにしてくれ」
女性ではないと認識したならば、呼び方も変えるつもりらしい。しかしもはやライとしては本当にどちらでもいい。
一先ず続行と決まったならあとは進むだけだ。余計な時間をとってしまったことに苦く感じ、ライは気を取り直して山の更に奥へと進んでいく。ミクも以後特に文句を言うこともなく、黙々とあとに続いた。
「……おっと」
先頭を歩いていたライが突然足を止めたので、同じようにミクも立ち止まる。
「どうしました……って崖ですね」
「結構急だな」
見下ろすとそこだけ切り取られたように地面がなくなっている。しかし底が目視できることからそれほど深くないことが伺えた。
「確かA級変異種の生息地はこの崖の先です」
「だな」
予め得ていた情報に相違がないことを確認すると、ライは周囲を見渡す。どこも似たような崖が続いており、そのなかでも比較的降りるのに適していそうな場所を見つける。
「ここ降りるけど、いける?」
「……大丈夫、です」
どこも足場が悪いことに変わりはないが、まだ岩や木が所々にあるので、それらを支えにしながらなら降りれなくはないだろう。
ライはこういった場所に慣れているためさほど苦なく滑り降りて行く。躊躇するかと思われたミクも、ライの指示に従いながらなんとか下へ続き、最後はライの手を借りて地面に降り立った。
「ライさんって……」
「なに」
繋がられた手を見て、ミクは不思議そうに首を傾げる。
近づくなとは言われていたが、手助けをしたので、文句は勘弁してほしいところだが、そんな感じでもない。
とりあえず手を離せば、眉根を寄せた少女に覗きこまれた。
「ライさんって、本当に男の人ですか?」
「……おまえ喧嘩売ってんのか?」
ライは思わず頬をひきつらせて言い返すのだが、ミクはそれでもなお、不思議そうに首を傾げたままだ。
「いえ、ね。ライさんに触ってもなんともないから」
「はあ?」
「そういえば知らずとはいえ、一緒に行動していても気づかなかったし……なんでだろ?」
最後は自分自身に問いかけているかのようで、ライのことなど見てもいなかった。
「なんでかなんて知らないし、そもそも苦手っていうのが治ったか勘違いなんじゃないのか?」
「それはないと思います。そして正確に言うと、男の人と二人っきりというのが苦手、というか無理なんです。悪寒がします。でも大勢でいる分には何も問題ありません。しかしライさんといても何も感じない……だから不思議に思いまして……? ね?」
問われたところで、ミクの細やかな事情など知るよしもない。これ以上不毛な問答を繰り返す意味も見いだせないのでさっさと切り上げることにする。
「おれからすると、そんなこと知るかって、話だ」
「まあ、そうですね」
「時間が惜しいからもういいか? この話に必要性を感じないけど」
「それもそうですね。問題ないならそれでいいです。さあ行きましょう」
あっさりとした返事をすると今度は何事もなかったかのように歩みを進める。ライとしては、そんな少女の態度が一番不思議に思えるのだった。
◇◆◇
崖沿いを進んだ先は川沿いの道と繋がっていた。上流から続く水はとても清く澄んでいる。この流れの行きつく先は最終的には海となるのだが、その前に近隣の街の食料水となる。ここ以外にも水脈は多数あり、おかげでライ達が滞在していた街は水に困ることはないそうだ。
「水の国、か……」
透明度の高い水を手ですくい、一口含むとライは思い出したように呟いた。
「どうかしました?」
「いや、ニホンは昔そう呼ばれていることもあったって何かの資料で見たことあるなあってな」
流も緩やかで浅く、人の足で対岸に渡ることも出来そうな川を眺めながらライは記憶を辿る。この島国に到着する前に一通りの情報には目を通していた。
「ライさんは日本にあまりいたことがないんですか?」
「昨日が初めてだよ」
「あら、そうでしたか」
つまりまだ四十八時間も経っていないのだ。
一度終焉を迎えた今の時代で、水が豊富な地域はとても珍しい。閉ざされた不便な国だと思い込んでいたが、街の様子やこの水質から、案外恵まれた国なのかもしれないと思い直すことは出来る。
「私はこの国、何度か来たことがあります。最近の研究じゃあ、水質は一昔前に比べると遥かによくなっているそうですよ」
「へえ」
「もちろん、もっともっと昔、想像も出来ないぐらいの過去と比べると、全然なんでしょうけど」
それは終焉を迎える遥かに過去の時代だ。まだ人々が欲望に世界を染めなかった時代、今とは全く違う景色が広がっていたという。
しかし世界が終わったと思わされた直前まで、本当に世界は壊れていたのだから、その時と比べると今の水質がよくなっているとされても可笑しくはない。
人類は生存の危機に接しているが、この世界は生まれ変わろうとしている節がある。皮肉なはなしだが、人類が潰えてしまったほうが世界にとってはいいのかもしれないと思うこともある。
ライは違うが、実際にそういう思想を持った団体が世の中にはいることを知っている。その考えが分からなくもないが、納得は出来ないので、やはりライも世界の流れに抗う一人なのだ。
「変異種はなんで生まれたんでしょうね……」
「は?」
唐突に言われ、ライは顔をしかめる。変異種が誕生した理由を知る者は今のところ存在しない。
「私はよく、なんで、って考えます」
「なんでだと思うんだ?」
「……今はまだ、答えが出せずにいます。でも……」
そこで言葉を切り、ミクは口を閉ざし少しだけ表情を険しくする。下流を見つめる先にライも目をやると、その理由がすぐにわかった。
「ライさん、あれ……」
「ああ。A級変異種、か……?」
ここからだと少し距離があるのではっきりと判断出来ない。二人は気づかれないように足を忍ばせて近づく。
肉眼でその姿形がはっきりと確認出来ると、確かにそれは依頼書に記載されていた特徴と相違ない。
赤褐色の羽に包まれた胴体は光を発して脈打ち、体は人間の子供ほどの大きさだ。そこから伸びる長い尾、赤く光る鋭い嘴、怪しい輝きをもつ金色の瞳、そして明らかに凶器となる鈎爪。
山に住まう何らかの鳥が変異を起こしたのだろうが、その見た目から本来の愛らしさは微塵も感じられない。
「おかしいですね……」
息を潜めて観察していたミクは違和感を覚えて小さく唸る。それにライも思うところがあり、頷いた。
「群れで行動していないことがか?」
「それもあります、が……あっ!」
一瞬目をそらし、再び目を向けた時、バッチリと変異種の金の目と合った。ミクが焦るのと同時にライが手を引きその場を離れる。一瞬後、勢いに任せた変異種が飛びかかってき、広げた翼の風に周囲を吹き飛ばした。
「とりあえずこいつをどうにかしないとな」
気づかれてしまった以上、応戦するしかない。ライは双剣を抜き飛び出すと、そのまま地を蹴り変異種に向かって飛びかかる。
離れた場所で様子を伺うミクは手を握りしめ、さらに表情を険しくするのだが、ライが気づくことはない。
ただ目の前の変異種に集中する。気を抜けば殺されるのは人間の方だということを十分理解しているからだ。
上空から獲物を睨む変異種にライも狙いを定める。このままでは絶対的にライの剣は届かない。一瞬の機会を逃さないように神経を、研ぎ澄ませ腰を少し落とした。
対峙したのは数十秒。突如変異種はライ目掛けて急降下する。その勢いで鋭い嘴か鈎爪に襲われれば致命傷を負いかねない。
だがライもそれを予期していたかのごとく、数歩前進し対の剣を上空に突き出しながら地を蹴り高く飛び上がった。
変異種の爪はライの数センチ横を掠めるが、彼自身が傷を負うことはない。一方でライの双剣は変異種の腹を大きく切り裂き金色の血飛沫を散らす。
苦しそうにもがいた変異種はなんとか体勢を整えようとするが上手くいかず、そのまま地に落ちていく。
「え、うそ!」
「やばっ!」
運が悪かったのだろう。変異種の落下地点が少女の近くだった。慌ててミクは飛び退き、下敷きにならずに済んだが、まだ息のある変異種は翼を広げなおも目の前の人間に襲いかかろうとする。
すぐに予期したライはもちろん駆け出すが、それより速くミクはもう一度飛び退き、咄嗟に銀色のものを投げ放った。
ミクが投げたものが翼の付け根に突き刺さり変異種は呻いてその動きを一瞬止める。同時に駆け寄ったライは止めを刺す為に大きく剣を振るい、最後に胴体に突き刺した。
「はあ……」
大きく息を吐きながら突き刺した剣を抜くと、その勢いで中から赤い核も転がりでる。
核を手にし、ふと翼の方を見るとミクが投げた銀色の正体が分かった。
「これ……」
銀色のものを抜き出し掲げる。それはライも見覚えがある小さなナイフだ。
「あ、すみません。つい投げてしまいました」
「ついって……まあ、いいけど。持ってて良かったな」
咄嗟に投げ飛ばせるだけの判断が出来ることに驚きつつ、ライは川の水でナイフを洗うともう一度ミクに手渡した。
「役に立つなら持ってた方がいいだろ?」
「……そう、ですね。ありがとうございます」
なぜか神妙な顔をされたが、ライは気にすることなく己の剣についた金の血も水で洗い流した。
「それにしても、やっぱりおかしいです」
改めて力尽きた変異種を見てミクは唸る。なかなかグロテスクな光景だと思わなくもないのだが、少女から全く気にする素振りが見られないことは、さすが
下手に騒がれるよりかはマシだと思い、ライも変異種を見た。
「群れでいなかったことか?」
情報ではこの変異種は群れで行動をしているはずだ。それがこの一羽だけというと気になる。
「それだけじゃありません。明らかに……この変異種は小さいです。本来ならこれよりも一回り、いえ二回りは大きいと思うのですが」
少なくとも人間の大人と同じぐらいの大きさはあるという。
ライとしてはあまり気になる点ではないのだが、
どちらにしろ依頼内容は群れの狩りである。これでは達成したことにならない。
「とりあえずもう少し周辺を探るか」
「……」
ずっと首を傾げたままのミクにその声は聞こえていないようで、ライは肩を叩きもう一度伝えた。
「聞いてる?」
「え、あ、わかりました」
「そんなに気になるか?」
ミクが釈然としていないのは一目瞭然だ。返事をするも変異種から視線を外すことはない。
「そうですね。もしかして……」
「もしかして?」
「……いえ、憶測を言ったところで意味がありませんね。行きましょう、ライさん」
考えを振り払うように軽く頭を振る。ミクに促されたライは肩をすくめて、その場をあとにした。
UTOPIA~last hope~ 緋色 @hinoiro
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