第2話入り口、壊れた扉

「で、結局こうなるんだよな………」

 ぼんやりと呟く僕は山奥の廃屋、その玄関の前にいた。

 二日後である。

 T駅から新幹線で一時間。そこから鈍行に乗り換えて、乗り継いで、山に入ってからは徒歩で二時間。

 時刻は昼過ぎ、既に傾いてしまった日を見上げて僕はため息をついた。

「ホラー映画で良く夜に行くのはこういう理由だよな………」

 そんな電車とバスで簡単に行ける所に目的地は無いのだ。早朝に出てもこのくらい、日のある内に探索するには夜の山道を越えなくてはならなくなる。それはそれで現実的な危険を伴ってしまうのだ。

「ま、早く済ませるか」努めて明るく呟くと、僕はドアに近づく。「鍵は………それどころじゃないな」

 山奥の廃墟というのはお化けよりも不良チンピラの溜まり場になりがちで、人為的に荒れてしまう。

 ここも例外ではないのか、ドアは片側が半壊、もう片側に至ってはドアごと無い。一応板を打ち付けてあるが、潜れば簡単に通れる。

「ラッキーと、思うべきかな」

 呟きに答える人間はいない。不法侵入を咎める人間も。

「行くか」

 覚悟を決めるために僕は呟くと、板を潜って邸内に侵入する。

 目的は、一つ。この廃墟にあるという逸品、【読めない本】を読むためだ。



 場所を突き止めるのに、それほど時間はいらなかった。帰った後でネットを探ると、直ぐに答えは出てきた。

「で?俺にどうしろって、お前」

「休みたい、明日明後日。でも加藤のは必修だし」

「代返かよ」悪友は軽薄に笑う。「古いなあ、考え方。今時出欠、カードだぜ?」

「だからやり易いだろ。入口にかざすだけだ、一手間ワンタッチだ」

 僕は財布から学生証を取り出すと友人に渡す。奴は片手で受け取り、手を引っ込めなかった。

 何か催促するように指を揺らす悪友に、僕はため息と共に千円札を握らせた。

「へへ、毎度」悪友はそれらを仕舞い込むと、不意に真面目な顔で僕を見た。「けど、お前なんでそこまでするんだ?」

「………人の一生で、如何程の本が読める?二千か、三千か?どう考えたって、今ある本すら読み切れない。だったら大事なのは、だ」

 僕もまた真剣に答える。僕の夢、いや野望を。「だから僕は貴重な本が読みたい。古書の多くはそうだけど、【読めない本】なんて代物には負ける」

 世界で一冊だけの本を読みたい。否、

「ふん、まあ解るような解らんようなだ。欲なんて人各々かもな」

「だろうな。僕もお前の趣味は理解できないし」

「うるせえ」

 チャイムが鳴り、講師が入ってきた。悪友は前に向き直り、ふと思い出したように首を巡らして尋ねた。

「ところでその本、何て題名タイトルなんだ?」



「The Fear from Knowledge………既知故の恐怖、とでも言うべきか」

 無かったドアは、館に入ってすぐに倒れていた。埃と泥にまみれたその表面に刻まれた文字を読み、僕は呟く。

 それは、僕が調べて知った【読めない本】の題名タイトルと一緒だった。

「館の名前だったのか、それとも本の題名を館に付けたか………」ぶつぶつ言いながら僕はドアを見下ろし、頷く。「恐らく、本が先なんだろうな」

 文字はドアに刻まれていた――

 噂を聞き付けた誰かが、悪戯に刻んだのだろう。この館自体が、読めない本の装丁だとでも言うように。



「中は………思ったほど、汚れてはいないな………」

 勿論廃墟と呼ばれるに相応しい荒れ具合ではあるが、所謂不良の溜まり場になっているようには見えない。窓ガラスは割れてしまって其処らに散らばっているが、壁や床にスプレーで落書きされてもいないし、カップ麺やスナック菓子の袋、酒の缶等が転がってもいなかった。

 それが不自然な迄に【雰囲気有り】で、僕は少し冷水を浴びせられた気になる。贅沢な話だが、ここまでお誂え向きだと造られた感が出るのだ。

 一歩踏み込む。床板は耳障りに鳴ったが、一先ずその用途は果たしてくれそうである。安堵しながら、僕は更に中へと踏み込んだ。

 途端に舞い上がった埃に、僕は思わず咳き込んだ。余計な人間がいないのは良いが、生活感がないとこういう点で不便だ。

 片手で口元を押さえつつ、僕は懐中電灯を取り出す。まだ明るいことは明るいが、一応用意はしておくべきだ。

「………しかし、不思議な造りだな………」

 玄関が広くなっているのは所謂玄関ホールだろうが、そこから通じるドアが一つしかないのはどういう訳だろうか。

 西洋建築に詳しくない僕の判断材料は主に映画だが、普通廊下や階段、そうでなくとも幾つかドアはあるのではないか。でないと玄関にいくのに必ず部屋を二つ通ることになって面倒だと思うのだが。

 まぁ、いい。

 家は人を表すという。そして世の中奇人変人は星の数だ。特にこういう曰く付きの家は、得てして珍妙な造りになりがちである。

 蜘蛛の巣に気を付けながら、僕はドアに近付いた。

 ホールの奥には窓がなく、手前から差し込む光が届き辛いドア付近はやや薄暗い。早速懐中電灯を点け、ドアを照らす。

「………これは、3かな?」

 汚れてはいるものの壊れてはいないドアの中央には、玄関のものと同じように引っ掻いたような傷が縦に三本刻まれていた。単なる傷かもしれないが、一応記憶に留めておく。

 軽く触れると、ドアは軋みながらも滑らかに動作し、開いた。

 もしやとは思ったが、中には窓がないらしい。真っ暗な室内を、僕は懐中電灯で照らした。

 そして、息を呑んだ。

 その部屋は、数えきれぬほどの本で埋め尽くされていたのだ。

 壁という壁には本棚があって、床という床にはそこからこぼれた本が散らばっている。

 投げ出された本の上に積もる埃。

 ………。

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