狐こんこん、妖怪退治

刀綱一實

第1話 ロールシャッハ

「のう、一茶(いっさ)よ。いんたーねっととやらで、面白いものを見つけたぞ?」


 俺がゆっくりと夜の楽しいティータイムを楽しんでいたというのに、同居人の少女がしきりにシャツの裾をひく。シャツがズボンから飛び出し、その気持ち悪さに耐えきれなくなった俺は渋々腰をあげた。


「蔡(さい)、何だよ」


 俺の問いに、いたずらを仕掛けた彼女の耳が上下にぴくぴくと動いた。最近は慣れてきたものの、目の前で狐の耳が大きく動くとやはりまだびくりと体が反応する。


 色々あってうちに居候している蔡というこの少女、なんと妖狐と人間のハーフなのである。顔面は完璧に可憐な少女なのだが、しっかり狐耳としっぽは生えている。まあ、中途半端に鼻だけとか目だけとか狐が遺伝しなくてほんとによかった。


「これじゃこれじゃ、お主には一体何に見えるかのう?」


 蔡がうきうきしながらパソコンのディスプレイを指差す。彼女の可憐な指につられて覗き込んだ俺は、すぐに「なあんだ」と落胆の声を漏らした。


「な、なんじゃその冷たい反応は」

「ロールシャッハテストだろ? これ」


 パソコンには、黒いインクを紙に落とした左右対称の図形が浮かび上がっていた。心理学でよく使う検査で、この図形がどう見えるかで深層心理が分かるとか分からないとか。とりあえずゲームとしては面白いので、最近流行っていた。


「むー」


 俺の反応がよくなかったせいで、蔡があからさまにむくれる。そうなると途端に、罪悪感が沸いてくる。まあ、惚れた弱みだわな。仕方ない、真面目にやってみるか。


「えーっと、これは…マントを広げたドラキュラかなあ」

「そうかあ? これは油揚げじゃ」

「蔡はなんでも油揚げに結び付けようとするから……」

「見えるものは仕方があるまいて!」


 狭い室内で、蔡と顔を寄せ合ってああでもないこうでもないと話をしていた。そんな至福を、一本の電話が打ち破る。無粋なやつめ、と眉間に皺が寄るのを感じながら俺は電話をとった。


「はい、結城(ゆうき)よろず事務所ですが……はあ、お仕事。今から。ファイナルアンサー?」


 電話の相手は、いつも仕事を回してくれるお得意さんだった。行きたくなかったが、依頼主がクソ真面目に「ファイナルアンサー」と言いかえしてきた。はっきり依頼されてしまったからには、断るわけにもいかない。


「蔡、出るぞ」


 俺がそう言うと、蔡はちょっと残念そうに画面を閉じ、支度を始めた。




「一茶よ、今日の怪異はなんなのじゃ」

「住宅街の坂に、火の玉が出るんだそうな。今のところ死人は出てないが、住民が不安がっているらしい。人払いしとくからしっかりやれとさ」


 俺は依頼人からもらったメールを蔡に見せる。事件の概要はこれを読めばつかめるはずだ。


「わりと原因がはっきりしておるな。この近くの民家で一カ月前に女が自殺しておる。手首を切ったはいいが、死にきれず道路に出てきて車に轢かれたとか」


「なかなか悲惨な死に方だ、化けて出てもおかしくはない。浮気の疑いをかけられて夫が失踪したくらいでそこまで思いつめなくても」


「それは女にとって一大事じゃ。しかも、調べてみれば浮気などしておらんかったそうではないか。嫉妬した同僚の嘘でそんなことになっては、やりきれなくなっても無理はあるまい」


 蔡に叱られ、俺は無神経な発言を撤回した。ここで死んだ彼女の精神の天秤が、『死』の方に揺れてしまったのはいつだったのだろう。今となってはもう分からないが、俺たちにしてやれることはひとつ。安らかに眠れる場所へ誘導してやることだけだ。

 



 空気が急に重苦しくなり、今まで明るかった街灯が急にかき消えた。俺は目が慣れるまでしばらくかかるが、妖狐の血が入っている蔡は動じない。


「出たな」


 ようやく闇に慣れた俺の目に、蔡が一歩前に進み出る姿が映る。母狐から受け継いだ、霊力のたっぷりこもった札を構えて彼女は火の玉と相対していた。


 赤く丸い火の玉がゆらゆらと空中をたゆたいながら、蔡に近づいていく。時々二重の目が炎の中に浮かび上がり、ぱちぱちと不気味なまばたきを送ってくる。


 火の玉がゆっくりと上空に飛んでいく。空中で緩慢だった火の玉の動きが、一気に加速した。


「逃げた?」

「いや、フェイクだ」


 油断するな、と俺が蔡に言った次の瞬間、火の玉が蔡の真後ろに現れた。無防備な彼女の背中にとりつこうと、距離をつめてくる。俺はスーツのポケットに手を入れ、黒光りする拳銃に手をかけた。


 火の玉に向かって、迷いなく引き金を引く。妖怪用に開発された特殊な弾丸は、火の玉の中心を確実に貫いた。


「よし!」


 蔡の札ほど威力はないが、火の玉程度ならこの拳銃で十分だ。現に、撃たれた火の玉はふらふらとその動きを止め、地面に落ちる。俺はさっさと仕事が終わったことを喜び、蔡に向かって笑いかけた。しかし、蔡は笑うどころか地獄の形相で俺を睨んでいる。


「目をそらすな阿呆がッ!」


 俺はその一言ではっと正気にかえる。しかし遅かった。銃を持った手に激痛が走り、俺は唯一の武器を道路に落としてしまった。続いて、俺の体もコンクリートの地面に叩きつけられる。


 受け身が取れなかったため、体全体がじんじんと痛む。無防備な俺の首に、熱いロープのようなものが巻き付いた。みるみるうちに、酸素がなくなり呼吸が苦しくなってくる。


(くそ、首を絞められた……。俺と火の玉がほぼ一体化してるから、蔡の札も使えない!)


 蔡が俺の名を呼んでいる。泣いているのか、彼女の声は震えていた。蔡を残して、ここで死ぬわけにはいかない。俺は最後の力を振り絞り、重い瞼をあけた。


(ん?)


 俺は改めて火の玉を見て、かすかな違和感を感じた。何かが違う、さっきと違う。もうあれこれ試している余裕はない、この一回に賭けることにして、俺は腹にぐっと力をこめた。


「お前、……だろう」


 力を振り絞ってそう言った瞬間、急に首の拘束がゆるくなった、肺に一気に空気が流れ込み、ごほごほと派手に咳きこむ。俺は何も言えなかったが、蔡は降ってわいたチャンスを逃さなかった。


「呪の壱、縛!」


 俺の頭上でまばゆい金色の光がはじけ、辺りが昼間のように明るくなる。ふらつく頭をなだめ、ようやく俺が立ちあがった時には全てが終わっていた。金色の鎖がじたばたともがく火の玉にがっちりと食い込み、完全に動きを止めていた。


「蔡、すまなかった」

「心配させおってからに!」


「泣かせるつもりはなかったんだがなあ」

「これは汗じゃ!」


 分かりやすい強がりを言う蔡をなだめながら、俺は火の玉に向かって歩いて行った。蔡も頬をふくらませながら、俺の横に並ぶ。


「しかし、二体ともよう似ておるの」


 蔡がぽつりと漏らす。金色の鎖の中には、彼女の言う通り大きさも色もそっくりな、二つの火の玉がとらえられていた。


「一体は自殺した女だとして、もう一体はどこから来たんじゃ? やけに女の魂を庇っておったが」

「……失踪した、彼女の夫だ」


 俺が蔡の疑問に答える。さっき俺が火の玉にかけた一言でえらく動揺していたから、まず間違いないだろう。


「夫? まさか」

「そのまさかだ。彼は失踪してたんじゃない。妻の不貞に悩んで悩んで、とうとう命を絶ったんだろう。だいぶ夫の方が彼女に焦がれ続けて結婚したみたいだから、衝撃が大きかったんだな」


 死体がまだ発見されていないが、この近辺をくまなく探せばきっと見つかるだろう。川で死んで、死肉が魚にでも食われてしまっているのかもしれない。


「いつ気付いた」

「火の玉に浮かんだ目がな、二重から一重に変わっていた。それで別の個体じゃないかと思ったんだ」


 とっさにようやった、と蔡が褒めてくれる。ありがたく受けつつ、俺は二つの火の玉に向かって話しかけた。


「なあ、あんたら、良かったとは言わねえよ。理不尽だ、今回のことは本当に理不尽だ」


 俺の言葉に反応して、火の玉が二つともぶるぶると震えた。まるで受けた屈辱を思い出しているようで、俺も心が痛む。でも、最後のこの一言だけはどうしても伝えたかった。



「だが、お互い好き合ってた。それだけは、ほんとだったんだぞ」



 火の玉に浮かんだ二組の瞳が、くるりと動いた。ようやく、二つの魂の視線が合う。余計な言葉はなにもなく、じっと見つめ合った後、二組ともにっこりと目が笑った。


 二人には、それで充分だったのだろう。向かいあったそのままの姿で、すうっと薄くなっていき、やがて完全にかき消えた。俺も蔡も、彼らの魂の安息を願って無言で手を合わせる。


 さようなら。悲しくはあったけれど、美しく命を燃やしきった人たち、さようなら。





「……嘘を吹き込んだ同僚も、まさか二人も殺すことになるとは思っていなかったみたいだね。僕が報告したら、随分取り乱してた。ま、自業自得だから死ぬほど締め上げてやったがね」


 後日、依頼人が礼がてら俺と蔡を訪ねてきた。ソファにどっかと腰を下ろし、俺がいれた茶を飲みながら話し続ける。


「彼女からみれば、旦那さんはそんなに奥さんを愛しているようには見えなかったんだって。新婚当初の熱が冷めたところにデマを吹き込めば、きっと怒って離婚を申し出るだろうくらいに思ってたんだろうね」


「勝手ですね。特に夫婦なんて、外から見ただけでどうこう言えるもんでもないでしょうに」

「それでも人は、自分が見たいように見て、信じたいように信じるのさ」


「あのテストと同じじゃな」


 今まで黙って茶をすすっていた蔡がぽつりとつぶやく。確かに、人の見方はさまざまだ。インクの染みですら意見が分かれるのだから、生きている人間の思考など読み切れるはずがない。


「間違いたくない時は、どうすればいいですかね」


 俺は依頼人に聞いてみた。蔡とは、できればあんなすれ違いをしたくない。その一心だった。依頼人は俺の思考を読んだかのように、にやりと笑って口を開く。


「簡単さ、相手に聞いてみればいい。何のための口だい、言葉にしなけりゃなにもわからないよ」

「……そうですね」

「今度の二人だって、腹を割って話し合えば自殺までしなくてよかったかもしれぬな」


 俺と蔡は同時にうなずく。依頼人はそれを見て、満足そうに笑いながら腰を上げた。


「ま、君らは大丈夫だろう。おじさんは邪魔になるから帰るわ」 


 そう言い残して、引きとめる暇もなく彼は帰って行った。取り残された俺は、どういう意味だと呟きながら茶碗を盆にのせた。


「のう、一茶」

「なんだ。蔡も片づけ手伝えよ」

「……じゃ」

「あんだって?」


 蔡がぼそぼそと何か言ったが、食器同士のぶつかる音にかき消されて俺には何も聞こえなかった。聞きかえすと、何故か彼女は真っ赤になっている。


「な、なんでもないわ! 油揚げが食べたいぞ!」

「今更言うようなことかよ」


 ため息をつきつつも、俺の口から自然と笑い声が漏れる。好きな相手がいて、話しかければ返事がある。それがどんなに幸せか、今の俺には身にしみた。


「じゃあ行くか、買い物」


 いつもよりちょっと優しく俺が言うと、蔡の尻尾が大きく揺れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

狐こんこん、妖怪退治 刀綱一實 @sitina77

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ