ウィ・アー・ザ・ワールド

 その思念の総計かずはいかに多きかな

 我これをかぞえんとすれども

 その数はすなよりも多し・・・


 ☆


 この世界は監視者によって監視されていた。

 監視者はどこにでもいて、監視者は全てを覗き見ていた。

 ありとあらゆるものを見定め、ありとあらゆる裁定を下していった。


 あそこに一人の男がいる。


 ニューヨーク市の市長・マイクロフト・ヨー。

 彼には汚職疑惑が浮上していた。市民の税金で至福を肥やし、贅沢の限りを尽くし、豪遊につぐ豪遊に明け暮れていた。彼が税金で購入した数々の物品、絵画、高級車、宝石などは、小さな美術館を開けそうなほどの数だった。


「大変申し訳ありませんでした。市民のみなさんの税金にたいする認識が甘く、私の秘書や会計責任者などに全てを任せていた結果、このような事態を招いてしまいました」

 

 マイクロフトはフラッシュが大量に焚かれる中、深々と頭を下げてその禿げ頭の天辺を衆目に晒し続けたが、彼が心からの謝罪をしていないなんてことは、この会見を目にしている全ての人が知っていた。いや、会見を目にしていなくても知りえていただろう。

 彼はいつだって傲慢であり、常に他人を見下しており、その瞳の奥には大衆を軽蔑するどす黒い光が宿っていたのだから。


「必ず調査を行った後、市民のみなさんに調査の結果をご報告させていただきます。現在調査中ですので、これ以上のお話しはできません。調査中です。調査中、調査中、調査中……」

 

 マイクロフトはこの会見で一生分の調査中という単語を使い果たして、何とか会見を乗り切った。

 

 その一週間後、彼は生牡蠣に当たって食中毒死した。

 

 ☆


 あそこにも一人の女がいる。

 清純派の女優として売っていた女性で、その純真無垢で清楚な容姿と、優等生的な発言や態度で一躍お茶の間で人気なった女性だった。

 その勢いは凄まじく、彼女が主演を務めたドラマは軒並み高視聴率を叩きだし、バラエティなどに出演すれば画面が華やぎ、CMの出演本数は二十本を超えていた。

 誰もが彼女の好感を抱き、多くの視聴者が彼女を応援した。

 しかし、そんな白菊歩美の人生はあっという間に転落していった。

 彼女は今、テレビ画面の中で涙を流して、自身の過ちについて告白をしていた。


「好きになってはいけない人を好きになってしまい、たくさんの人を傷つけ、たくさんの人に迷惑を掛け、そして私を応援してくれるファンの方々を裏切ってしまいました」

 

 彼女は声を震わせながらそう言った。

 今から一カ月ほど前、彼女が妻子持ちの俳優と熱愛をしていることが週刊紙のスクープによって判明した。当初、彼女は熱愛の事実は無く、たまたまホテルのラウンジで出会っただけだと釈明したが、その嘘は直ぐに露呈した。

 次から次へと暴露される熱愛の事実に視聴者の怒りや失望は募り、さらには彼女を応援してきたファンや、テレビ番組やドラマでの共演者、さらにはテレビ関係者までもが苦言を呈するようになった。

 これまで純真無垢、そして清楚なイメージで売っていたことがことごとく裏目に出てしまい、彼女は腹黒で自己中心的な嘘吐きであると烙印が押されてしまった。

 

 週刊紙の撮った一枚の写真――彼女が不倫をした俳優の別荘に遊びに行き、その別荘のベランダで丸裸のまま煙草をふかしている写真は、彼女のこれまでのキャリアや信用を打ち砕いてしまうには十分すぎる一枚だった。

 彼女は泣きながら謝罪を続ける。


「本当に、バカなことをしてしまったと反省しています。恋愛にのめりこんでしまって、周りの全てが見えなくなってしまいました。これまで私が体験したことも、考えたこともない世界に目がくらんで、気持ちが大きく、そして自分が別の誰かになったような気になってしまいました。それに嘘を吐き続ければ、この恋愛が叶うような気がしてしまって――」

 

 そこから先は言葉にならない声だけが漏れた。

 白菊歩美は心から謝罪をしていた。彼女は何も知らない初心な女性だった。

 不倫をした俳優は彼女に何の気もなかったし、少しばかり遊んで楽しむだけのつもりだった。しばらくすれば白菊歩美もそのことに気が付き、自然と彼の元を去るはずだった。

 しかし一度それが露呈してしまえば、その後に待っているのは永遠に終わることも止むこともない非難と誹謗中傷だけだった。

 それはもちろん当然の事だった。

 彼女に怒り、失望し、裏切られたと感じた人は大勢いた。

 

 白菊歩美は復帰のめどが立たずに芸能界を引退し、その数年後に自殺した。


 ☆


 ネットの中に一人のユーザーがいた。

 彼は一人ネットの掲示板に張り付き、延々世の中に対しての怒りや恨みを撒き散らしていた。まるで呪詛のような言葉を吐き出し続けては、井戸の底から世の中の全てを呪いつくように怨嗟の文字を綴り続けていた。


「俺を馬鹿にした奴は全員死ねばいい。会社の同期が俺だけ抜きで同期会を開催してた。高校の同級生がくそブスと結婚してた。地獄だな。笑える。今日コンビニで弁当買ったら箸がついてなかった。店員マジ使えない死ねよ。バカな女子高生が電車で大声喋ってた。日本終わったな。上司に二時間説教。俺のせいじゃねーよ。お前が無能だからだろ。死ねよ。死ねよ。死ねよ。会社も社会も日本も全部死ね」

 

 監視者は全てを見ていた。

 そして、ネットの中で呪詛を撒き散らしていたユーザーは翌日自殺した。

 

 ☆


 路上に一人のホームレスが佇んでいた。

 最低限文化的な生活も遅れない老人は段ボールにくるまり、体中を垢塗れにして、今日という日が早く終わることを待ちぼうけていた。

 明日の朝は炊き出しがある。そのことだけが唯一の救いで、空かせた腹を満たすことができる唯一の手段だった。

 

 しかし、この老人は炊き出しで腹を満たすことなく、この日突然突っ込んできたトラックに轢かれて死んだ。


 ☆


 とある高校にとあるグループがあった。

 彼らは集団で陰湿的ないじめをしており、そのいじめの結果一人の男子生徒を自殺に追い込んでしまった。その残虐かつ狡猾ないじめはニュースで大々的に報じられ、一大スキャンダルとなった。

 いじめを受けていた生徒は再三にわたってSОSを発信していた。しかし、誰一人として彼に手を差し伸べるものはいなかった。

 いじめを受けていた少年は徹底的に無視をされ、無関心を貫かれ、そして透明な存在として扱われ続けた。

 

 しかし少年の死後、どうしてかクラスメイトたちは少年の死に涙し、いじめを止められなかった自分を顧みて後悔の念を口にしていた。

 まるでクラス全体が怪しげな薬を飲んでプラシーボ効果を発揮しているかのように、クラスメイトたちが少年の死に対して大きなショックを受けて喪に服し、いじめを行っていたグループを憎んだ。

 彼ら自身が間接的にいじめに加担し、少年のSОSを無視し続けたにもかかわらず。

 クラスメイトたちはカメラや記者の前で徹底的に悲劇の主人公を演じ続けた。


 このクラスメイトの最後の一人が死に至ったのは、それから数十年後のことだった。


 ☆


 東アジアに独裁国家があった。

 その国はありとあらゆるやり方で国民を苦しませ続けた。高い税金を取り、無理な労働を強いり、子供たちを取り上げて非人道的な教育を行った。

 国民は次から次に飢えて死んでいったが、独裁国家は何一つ政策を変えようとはしなかった。軍事だけを増やし続け、軍備を増強し、延々と軍拡を続けていった。

 軍事国家は世界中に脅威を与え続け、世界中を恫喝し、恐喝し続けた。

 他国民を拉致し、他国に武器を売り捌き、偽札をつくり、人権を無視し、国際条約のことごとくを保護にし続けた。

 

 この軍事国家は、最終的に核ミサイルの雨を浴びてその領土ごと消滅した。

 国家の主席や上層部はおろか、関係のない国民の全てが灰と化した。


 ☆


 未来――

 この星の人類は絶滅するだろう。


 ☆


 監視者は全てを見ていた。

 この世界は監視者によって監視されていた。

 監視者はどこにでもいて、監視者は全てを覗き見ていた。

 ありとあらゆるものを見定め、ありとあらゆる裁定を下していった。

 全ての人類に裁定を下すまで。


 勘の良い読者ならすでにお気づきだろう?


 監視者の正体が――読者である、あなたであるということを。

 読者諸君はこの物語に登場する人物たちに不快感を抱き、怒り、悲しみ、失望し、そしてこう思っただろう。


 こんな奴は、いなくなってもいい。

 こんな奴は、必要ない。

 こんな奴は――


 死んでもいい。


 多くの読者の、そして人類の思念の総体によって――監視者の決定は下され、裁定は行われている。

 しかし、反論を述べたい読者がいるだろうことは理解する。

 自分は登場人物に不快感など抱いておらず、いなくなっても良いなどと、まして死んでもいいなんて思っていないと。

 確かにあなたはそうかもしれない。

 いや、本当そうだろうか?

 まぁ、あなたのことはいいだろう。


 しかし、思念の総体は違うのだ。


 彼らは明確に登場人物に不快感を抱き、こんな登場人物は必要ないと――そして、死んでしまっても構わないと断じただろう。

 故に監視者の裁定なのである。

 監視者の裁定など、いつもこのように曖昧で手軽で、無責任のないものである。総体の決定であるがゆえに、個人個人はその責任を一切負うことがなく、まるで罪の意識すら感じない。

 総体というものは、常にそのようにして活動を続けるのだ。

 インスタントコーヒーを飲みながら、気軽にスイッチを押してしまうかのごとく。


 さぁ、読者諸君――考えてみてほしい。

 自分自身はどうなのだろうと。


 自分の胸に手を当ててみてほしい。

 自分の行いは、自分の行動は、自分の精神は――監視者の目に留まらない誠実で清廉潔白なものであるかどうかを考えてほしい。


 どうだろう?


 あなたは、他人に裁定を下せるほどに誠実で清廉潔白であるだろうか?


 そして読者諸君、頭上を見上げてみて欲しい――

 そこに私たち監視者は存在している。

 常にあなたを見ているのだ。


 今、この瞬間も。

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