スメルズ・ライク・ティーン・スピリット
女の子って何でできてる?
女の子って何でできてる?
お砂糖とスパイスといろんなステキ
女の子って、それらでできてる。
女の子が何でできているのか――
僕はずっとそれを知りたいと思っていた。
それは僕がどれだけ一生懸命に考えても分からないもので、永遠にたどりつくことができない答えだった。
僕は叶わない恋をしていた。
永遠に届くことがない恋をしていた。
まどかは僕の全てで、まどかだけが僕を満たしてくれた。
けど、まどかはそのことを知らないし、僕の気持ちは絶対に知られてはいけないことだった。
「アオ、なんでアオはいつもめそめそしてるの? ほら、みんなと一緒に遊ぼうよ」
幼稚園が一緒だったまどかは、いつも運動の隅ほうで一人小さくなっている僕を誘ってくれた。
「いいよ、みんなと遊んでも楽しくないし。ここで砂をいじっている」
僕はいつだってまどかを困らせるようなことを言って、彼女の気を引こうとした。
心の中では、まどかがみんなと遊んだりしないで、僕だけと一緒に遊んでくれることを期待していた。
まどかはニッコリと笑って僕の隣に腰を下ろした。そして一緒に砂をいじり始めた。
「ほんと、アオはしかたないなあ。じゃあ、二人でオママゴトしよう。私が旦那さん役をやるから、アオは奥さん役をやって」
「うん」
本当は僕が旦那さん役をやりたかったけど、まどかはいつも旦那さん役を引き受けてくれた。
その頃から、僕はいつかまどかとオママゴトのような関係になりたいと思っていた。
本当の夫婦に。
でも、それが叶わない願いなんだってことは直ぐに気がついた。
だって、僕には女の子が何でできているのかが全く分からなかったから。
☆
小学生に上がると、まどかはどんどんと眩しくなっていった。活発で、社交的で、魅力的になっていった。クラスではいつだって人気者で、クラスの男子の全員がまどかに恋をしていたんじゃないかって思う。
僕はいつも気が気じゃなくて、少しでもまどかのそばにいようといつもまどかの背中にくっついていた。
「おい、アオ虫がまたまどかにくっついてるぞー」
「アオ虫は邪魔だからあっちいけよー」
クラスの男子はまどかにくっついて歩く僕を、そんなふうにからかった。
僕はいつも泣きべそをかいた。
「こらー、アオをいじめるんじゃないわよっ。もうあんたたちと口きいてあげないからねっ」
まどかはいつだって僕を庇ってくれた。
でも、本当は僕がまどかを守ってあげたかった。
僕はいつも心の中で考えていた。
泣きべそをかいたまどかが僕の胸の中に飛び込んできて、僕が彼女を抱きしめて、彼女の頭を撫でてあげる、そんなことを。
まどかの黒絹のように綺麗な髪の毛を撫でて、まどかの黒い真珠のような大きな瞳からこぼれた涙を拭ってあげる、そんなことをいつだって僕は感がえていた。
でも、それは永遠に叶わいことなんだ。
「アオさー、いつも私の後ろにくっついて、いつもメソメソしてばかりいたらダメだよ? 私だって、いつもアオのことを見ててあげられるわけじゃないんだからさ?」
「うん。分っているけど、僕は、まどかと一緒にいたいんだ」
「私だってアオとずっと一緒にいられたら楽しいけど、そうもいかないでしょう? クラスだって離れちゃったし。休み時間の度に私のところに来るんじゃなくて、少しはクラスの友達とお話ししなさいよ」
「うん、でも、僕――」
「いつまでも僕なんて、言わないの。ほら、しゃっきりする」
小学生の高学年になると、まどかは僕を自立させようと世話を焼くようになった。
僕はいつだってまどかのそばにいて、いつだってまどかに僕を見ていてほしかったけど、それが無理だってことは分っていた。
本当はもっともっとまどかを困らせたかったし、本当はもっとまどかに世話を焼いてほしかった。いつだって「しょうがないわね」、「仕方ないんだから」といって、僕の頭を撫でて欲しかった。
でも、いつまでまどかを困らせるわけにもいかなかった。
僕はまどかに嫌われたくなく、て少しずつしっかりするようになっていった。
☆
中学生に上がると、まどかはもう別の女の子になっていた。日に日に大人っぽくなって、日に日に女の子から女性になっていった。
まどかはテニス部に入り、僕は吹奏楽部に入った。
まどかはラケットをふり、僕はサックスを吹いた。
クラスも別々になり、今までよりも一緒にいられる時間がぐっと減ってしまった。
だから、僕たちは中学校のテニスコートの近くにある裏庭で、時折顔を合わせて話をした。僕が裏庭でサックスの個人練習をしていると、まどかがひょっこりと顔を出してくれたのだ。
「やってるやってる」
「まどか?」
「アオ、どんどん上手になるね」
まどかと僕は裏庭のベンチに座って会話をした。
「テニス部の調子はどう?」
「けっこういい感じだと思う。先輩とかコーチは厳しいけどね」
「うちの部もそんな感じだよ」
僕はそんなとりとめのない会話をしている時間が最高に幸せだった。
テニスをする時、まどかはいつも髪の毛をポニーテールにしていて、細くて綺麗なうなじを見せていた。
まどかのうなじには大粒の汗がしたたっていて、僕はどうしてかまどかの首筋をおもいきり噛みたい衝動に駆られていた。まどかのうなじに舌を這わせて、まどかの汗のにおいをかいで、彼女の膨らんだ乳房に触りたい、そんな欲望に苛まれていた。
こんなのおかしいって分ってた。
だって、こんなのおかしいよ。
こんなこと考えちゃいけないって分ってた。
でも、考えずにはいられなかった。
僕は自分の体の中が日に日におかしく、いびつになっていくのを感じながらも、それをどう扱っていいのか分からずにいた。
☆
「アオ、これ聞いてみて」
中学二年生になると、まどかはもう僕の知っているまどかじゃなくなっていた。まどかは色々なことに興味を示して、色々なものを自分の中に取り入れて言った。
少しずつ羽を広げ、大空に飛びたつ準備をしているかのように。
この日は、テニス部の先輩に教えてもらった海外のバンドを僕に聞かせてくれた。
「ニルヴァーナの『スメルズ・ライク・ティーン・スピリット』って言うんだって。かっこいいよね?」
僕は片方ずつ分けたイヤホンから流れてくる音楽に耳を傾けながら、この最悪の音楽をまどかに紹介した先輩を呪っていた。
しゃがれた声の音痴が訳の分からない英語をがなり立てているだけの歌は、本当に最悪だった。演奏も下手くそで、そもそもチューニングがあってないような楽器を弾き鳴らしているみたいだった。
でも、肩が触れ合う距離で、まどかと同じ音楽を共有しているというこの時間と空間だけは、本当に最高だった。
まどかからは花のように甘い香りが漂ってきて、僕はその匂いをずっと感じていたいと思った。
それは十代の女の子の匂いだった。
いつまでもこんな時間が続けばいい、僕はそんなふうに思った。
この裏庭に、まどかと二人。
永遠にそんな時間を続けばいいと思った。
僕はそんな日々を焦がれていた。
僕は恋い焦がれ続けた日々が、この裏庭にはあった。
ここは僕とまどかだけの楽園だった。
でも、そんな楽園が壊れてしまうのはあっという間だった。
「アオ、今日はアオに大切な話があるんだ」
まどかは少しだけ緊張した面持ちで口を開いた。
まるで何度も練習してきた言葉を口にしたみたいな硬さが、その言葉にはあった。
「私ね、テニス部の先輩に告白されたの」
その瞬間、僕の心は激しく乱れた。
まるでロールシャッハ・テストで出される絵のようにめちゃくちゃになってしまった。訳の分からないぐにゃぐにゃの形になってしまった。
「こっ、告白って、まどかが?」
「うん」
まどかは気まずそうに頷いた。
「そっ、それで、まどかはどうするの?」
「私ね、先輩とお付き合いしてみようと思っているの」
「付き合うって、嘘だよね? そんなの、やめた方がいいよ」
僕は自分でもどうしていいのか分からなくなって、取り敢えず思いついた言葉に飛び付いた。
「だって、どんな人かなんて分らないし、もしかしたら遊びでそんなことを言ってるだけかもしれないよ? きっとまどかがかわいいから、それで、まどかのことをいやらしい目でみてるだけかも」
「やめてよっ」
まどかは声を荒げて僕の言葉を静止した。
「先輩はいい人よ。優しいし、真面目だし、私のことを考えてくれてる。知りもしないアオにそんなこと言って欲しくない」
まどかは僕を真っ直ぐに見つめて言った。
「ごめん、でも、僕――」
僕は泣きそうになりながら言った。
いや、もう泣いていた。
「アオ、昔の癖が出てるよ」
まどかはそんな僕を見ながら、優しく言って僕を抱きしめた。
「私ね、アオのことが心配なの。私だってアオのことが好きよ。いつまでだって一緒にいたいって思ってる。でも、私の好きと、アオの好きは少し違うと思う。アオの好きは、私には乗り越えられない好きなんじゃないかって思うの」
「まどか?」
まどかは僕の気持ちを言い当てるように言った。
まどかは僕のことを抱きしめたまま頷いた。
まどかの胸のふくらみが僕の胸のふくらみにあたって、僕たちはお互いの心臓の鼓動を感じることができた。
「ごめんね。なかなか気がついてあげられなくて。私、良くわかってなかったの。でも、だんだんそれに気がついて、私どうしていいのか良く分らなかった。でも、アオは私の一番大切な友達だから、正直に言うね。私はアオの気持ちには答えられない」
「それは、僕が女の子だから?」
僕は、僕の心の中で揺れる天秤の傾きにしたがって、僕の本当の気持ちを吐露した。
まどかは涙で濡れる僕の頬に手を当てて、僕の顔を真っ直ぐに見つめた。
まどかの黒い大きな瞳からも大粒の涙がこぼれていて、まどかの瞳の中に僕の情けない顔が映っていた。
泣きはらした短い髪の毛の女の子が。
「アオ、わからないよ。女の同士だからだめなのかなんて、私、わかならない」
「じゃあ、僕が男の子になったら、まどかは僕のことを好きになってくれる?」
僕は縋りつくように言った。
まどかを困らせるように。
幼稚園の頃、一人砂場で遊んでいたころのように。
「ごめん、アオ。アオが男の子になっても、私はアオのことを好きにはならないと思う」
「そっか」
僕は頷いた。
「僕、男の子に生まれたかったよ。青子なんて女の子に生まれるんじゃなくて。そうしたら、まどかと――」
僕のその言葉を聞くと、まどかはたまらない表情を浮かべて今まで以上に大きな声で泣いた。
彼女の泣き顔を見ていると、僕は少しだけ気分が晴れてきた。
今までとは、少しだけ立場が逆転したみたいだったから。
「まどか、ごめんね。まどかを困らせて。私、まだどうしていいかわからないけど、でも、もうまどかを困らせた入りしないよ」
僕はそう言って、まどかを諦める決心をした。
でも、これからまどかと付き合うことになる先輩が憎らしかったので、僕は最後に意地悪をすることにした。
僕はまどかの唇に自分の唇をそっと重ねた。
まどかは驚いたような顔で僕を見つけたけれど、僕はにやりと笑みを浮かべてやった。
「まどかの初めての相手は――私だよ」
それだけ言って、私はまた泣いた。
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