高級醤油の存在意義 -俺を使ってくれてありがとう-

星井扇子

高級醤油の存在意義 ー俺を使ってくれてありがとうー

 俺は醤油。

 ホシイ屋の無添加天然醸造醤油だ。

 四百ミリリットルで五百円を超える高級醤油だ。




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 俺は今、店の棚に並んでいる。

 どうやら俺を生んだ工場から運び出され、全国展開している大型スーパーに卸されたようだ。

 今、俺は棚の上段から、醤油を買いに来るお客様たちを見ている。多くのお客様は、俺よりも安い醤油を買っていく。特に売れているのはホシイ屋の特選醤油だ。一リットルで五百円を切るコストパフォーマンス抜群の商品だ。俺からすれば同じ会社から出た商品なだけに妬むような気持は湧いてこない。

 俺は高級路線を売りにしている醤油だ。別に売れなくてもいいんだ。店に並んでいる俺を見て、「今度何かあったら買ってみようかな」とでも思ってもらえればいいんだ。それが俺の役目の一つ。




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 その日も俺は、いつものように店に来るお客を見ていたんだ。すると、腰が曲がったお婆さんがシルバーカーと呼ばれる手押し車を押しながらゆっくりと俺の並んでいる棚の方に来た。

 そのお婆さんは俺の並んでいる棚までたどり着くと、ホシイ屋の特選醤油に手を掛けて、手を止めた。腰の曲がったお婆さんは、曲がった腰を伸ばしながら俺の方に手を伸ばす。それでも、腰の曲がったお婆さんの手は届かない。

 もしかしたら俺を買おうとしているのかもしれない。そう思った俺は、お婆さんに声援を送る

 

 (頑張れ!もう少しだ!頑張ってくれ!)


 お婆さんも手が俺に届いた。


 (あと少しだ!重いから気を付けろよ!)


 俺を掴んだお婆さんは、俺に貼られたラベルを見て、微笑み、俺をカゴに入れた。

 俺は、これから買われていく。

 買われてしまえば、封を開けられ、短い醤油生を散らしていくことになる。

 もう二度と見ることがないだろう、俺は並んでいた棚に目を向けて別れを告げた。


 


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 お婆さんに買われたその日、お婆さんは重い俺をシルバーカーに入れて歩いていた。

 このおばあさんは一人暮らしなのだろうか。旦那さんはいないのだろうか。人には男と女がいて、一緒に暮らす習性を持つって俺を生んでくれた醸造機さんが言っていたんだが……


 


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 お婆さんに連れられ、お婆さんの家に来た。

 お婆さんは早速玄関に買った物を持っていき、生鮮類を冷蔵庫にしまい、俺を見た。

 お婆さんは俺を持ち上げて、俺の封を開けた。お婆さんが匙を取り出した。

 ここまでで来れば俺にもわかる。お婆さんは味見をしようとしているのだ。俺は、とびっきり美味しい一口にするため気合を入れる。


 (俺を買ってくれたお婆さんに喜んでもらうんだ!)


 お婆さんは、俺の一滴を匙に注ぎ、舐めた。


 「こりゃ、おいしいねぇ。買ってよかったよ」


 その言葉を聞いたとき俺は生まれてきてよかったと心から思った。


 


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 俺が買われたあの日から、もう一か月かが経っている。最初は満タンだった俺も残りあとわずかだ。少しでもお婆さんに喜んでもらうために、今日も俺は気合を入れる。


 今日のお婆さんはいつもと違った。

 普段は、昼は早くに納豆とご飯で朝食を摂った後は居間のコタツでのんびりしているみたいなのに、今日はそのまま、台所に立って料理をしている。

 俺には、お婆さんが喜んでいるように見えた。誰か来るのかもしれない。

 俺を使って料理をしているお婆さんを見ながらそんなことを思っていた。


 料理し始めて少し経った後、玄関から音が聞こえた。この家に客が来るなんて、隣の家のおしゃべり婆さん以外に見たことがない。

 料理をやめたお婆さんは、見るからにウキウキしながら玄関に向かった。

 俺は無い耳を澄ます。


 「おばあちゃーん。ぼく、ことしもきたよー!」


 「お久しぶりです。お義母さん」


 子供の声と女の人の声が聞こえた。

 

 「よく来たねぇ。さぁ、ゆっくりしておいき」


 お婆さんの声も聞こえてきた。


 「久しぶりだな、お袋」


 男の人の声も聞こえた。息子夫婦みたいだ。

 

 「久しぶりだね。待ってなさい。今おまえの好きな煮物も作るからね」


 そう言ってお婆さんは台所に戻ってきた。


 「よし。はりきってやるよ!」


 そう言って気合を入れたお婆さんを見て気合を入れる。俺の寿命もあと僅かだ。せめて、お婆さんと息子夫婦たちの思い出に残れれば、これほどいい醤油生はないだろう。俺も気合を入れる。俺のすべてを今日の料理に捧げるんだ!


 「お義母さん!私も手伝いますよ」

 

 「悪いねぇ。じゃあ、これをお願いしてもいいかねぇ」


 手伝いに来たお嫁さんと二人で料理を続けるお婆さん。

 料理中のお嫁さんが言った。


 「この醤油初めて見ました。美味しいんですか?」


 「美味しいよ。少し舐めてみな」


 そう言えわれて、俺を匙に移して舐めるお嫁さん。


 「美味しいですね!これ!」


 「そうだろう。たまたま見つけたんだけどねぇ」


 そう言って、嬉しそうに話すお婆さんを見て俺は暖かい気持ちになった。




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 夜になった。時間のかかる料理も多かったみたいだけどもうほとんどが完成している。

 俺を使った料理も終わり、俺はもうほとんど残っていない。今日出される刺身につけるための醤油として注がれればもう終わりだろう。


 俺は、お婆さんに運ばれて食卓に向かう。


 「じゃあ、食べましょうか」


 ゆっくりと腰を下ろしたお婆さんが言って、みんなが手を合わせる。


 「いただきます」

 

 「いただきまーす!」


 お孫さんの大きな声で食事が始まる。

 

 「お袋の煮物は相変わらずうめーなぁ」

 

 息子さんが顔を綻ばせて言うと、お婆さんの顔に笑みが浮かぶ。本当にうれしそうだ。


 「この醤油が美味しいんだよ」


 そう言って俺を指さす。

 俺は感激のあまり蓋に溜まった醤油を溢しそうになる。俺は何とか踏みとどまった。溢してしまえば食卓が汚れてしまう。一醤油としてやってはいけないことだ。

 

 「おばあちゃん。ぼくさしみがたべたい!」


 「はいよ。この美味しい醤油を使いなさい」


 そう言って俺を傾けるお婆さん。でも俺にはもうそこまでの醤油が残っていない。三人分の醤油でなくなってしまったのだ。

 

 「あれ、もう残ってないのかねぇ。この醤油を食べさせてあげたかったんだけどねぇ」


 俺はその言葉を聞いて、奮起する。俺は、最後の一滴を出す勢いで気合を入れる。


 (これで最後だ!お婆さんに喜んでもらうんだ!)


 俺の気合は届いたようだ。お孫さんの前にある小皿にはちょうど一人分の醤油が溜まっている。

 その醤油に刺身をつけて食べたお孫さんは嬉しそうに言う。


 「おばあちゃん!このしょうゆ、おいしいよ!」


 その言葉を聞いたお婆さんはとても嬉しそうだ。


 (よかった)


 俺の醤油はもうなくなった。

 俺の寿命もここまでだ。

 できる事なら、お婆さんにはもっと俺の醤油を使ってもらいたかった。

 もっとお婆さんを喜ばせたかった。


 でも、ここまでみたいだ。


 俺は、意識が薄れながらも考える。

 俺は本当にお婆さんに幸せを与えることができたのだろうか。

 俺の醤油生は意味のあるものになったのだろうか。


 もうほとんど残っていない俺の意識にいつも聞いていた声が聞こえた気がした。


 「ありがとねぇ、醤油さん。おいしかったよ」


 俺は心地よい気持ちになって思った。


 (俺はこの言葉のために今日まで生きてきたのかもしれない。生まれてきてよかった)


 そんなことを思いながら、俺の意識は消えていった。


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