最終話 心臓を刺した包丁
朝の日差しは学校の廊下に差し込んできている。
わたしはしばらくの間歩いてから、自分の教室へ入っていった。
中はまだ時間が早いのか、クラスメイトは数えるほどしかいない。本を読んでいる人やふたりで話をする人もいる。
わたしはもうひとり、席に顔をうつぶせにして座っている人のところへ向かった。昨日話した香織だった。
「おはよう……」
わたしが声をかけると、彼女は顔をわずかに起こす。まぶたはまだ半開きで、目が覚めてはいなさそうだ。
「あれ? もしかして、昨日のこと、教えに来たの?」
「うん……。実はその、包丁で、刺して……」
「包丁で、刺して? えっ、なにを?」
「香織、まだ半分寝ているんだね……」
わたしは小声で漏らすと、それ以上、言葉を続ける気は起きなかった。香織はきっと、わたしが夢に出てきているとか思っているのだろう。だから、わたしが言ったこともすぐに忘れられてしまうかもしれない。
彼女は手でまぶたを擦りはじめた。
「あれ? もしかして、えっ? 今、教室にいるの?」
「わたし、そろそろ行くから……」
「行くからって、ちょっと、そんないきなり、『包丁で、刺して……』なんて、言われても」
「じゃあね、香織」
わたしは言うと、香織から離れて教室を出る。今ごろは起きて、周りに顔を移しているかもしれない。
わたしが再び廊下を歩いていると、近くで立ち話をしている二人組の女子がいた。同じ階だから、同級生だろう。
「ねえ、本当なの? 昨日回ってきた連絡網で言っていた、亡くなったって話」
「本当よ。わたし、さっき職員室で偶然耳にしたんだから」
「でも、そういうことって、どうなのかな……」
「どうなんだろうね。わたしには、そういうことできないよ」
「まさか、目の前で包丁を刺して自殺されるなんて、思ってもみないよね」
お互いに難しそうな表情をして、目を合わせている。わたしは耳を傾けて、そばを横切って行く。
昨日、荒西くんが目をつぶったとき、わたしは途中で刃先をどうするか戸惑ってしまった。
これでは、後で死ぬとはいえ、単なる人殺しと同じ気がする。
加えて、叔母の言葉が頭に浮かんだ。
「心配してくれる荒西くんっていう男の子、彼は大事にしたほうがいいかもしれない」
わたしはそんな荒西くんを殺していいわけがないと感じた。大事にしないといけないから。
悩んだ末、わたしは包丁を自分の胸へ刺していた。ためらいはなかった。死ぬという怖さは、目の前にいてくれる荒西くんを見て和らいだ。どこか安心した気持ちにさせてくれた。
もしかしたら、好きな人の前で自殺することが、わたしにとって、一番幸せなことだったのかもしれない。
刺してからのわたしが目にした記憶は、まぶたを開けてなにかを叫んでいる荒西くんだった。言葉は、意識が薄らいでいく中だったので、聞き取れなかった。ただ、涙をこぼして、口を動かしている姿は悲しそうだった。倒れたわたしの体を左右の手で揺すり、懸命にどうにか助けようとしているようにも見えた。
わたしは荒西くんのそばで、息を引き取った。偶然にも、包丁は心臓のほうへ刺さっていたようだった。
今、わたしは教室のある校舎を出て、職員室のある新校舎をつなぐ渡り廊下にいる。
自然と、わたしの体は宙に浮く。さらに、渡り廊下の手すりを越えて、空のほうへ昇っていく。
香織は私の声を聞いたことに驚いているだろうか。または、寝ぼけていただけと割り切ってしまうだろうか。どちらにしろ、荒西くんと会って、どうなったかだけは伝えた。
わたしは授業中に荒西くんと見た夢と同じように、透き通った体で上へと昇っていった。
ビニールひもと包丁とわたし 青見銀縁 @aomi_ginbuchi
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