第14話 わたしの決意
放課後、病院の中を歩くわたしの足取りは重かった。
手にしている学校の鞄にある包丁が頭から離れない。ばれたりしたら、面倒なことになるので、気にしていた。
荒西くんと会った病室の前に来ると、足を止めた。プレートには名前が書かれていて、扉は閉まっていた。窓ガラスはなく、彼からは見えていない。
わたしは意を決して、作った握りこぶしで病室の扉を軽く叩く。
返事はない。前のときもそうだったので、わたしはゆっくりと扉を開ける。荒西くんはだれが現れてもいいということのようだった。
病室に入ったところで、ベッドのシーツがずれる音がした。
彼はベッドから起き上がり、顔を移した。
「白原さん! 来てくれたんだ!」
「うん……。荒西くんがその、心配しているって聞いたから……」
「心配していたよ。ここ数日、学校に来ていないって、見舞いに来た担任が言っていたから」
「……ごめんね、荒西くん……」
わたしは荒西くんのいるベッドの前で足を止め、頭を下げた。
彼はかぶりを振って、両手を前に出す。
「そんな、謝らなくてもいいよ! ぼくこそ、無理に来てくれみたいなことを言ったみたいでごめん」
「ううん。わたし、心配してくれて、うれしかった。その、荒西くんをけがさせたんじゃないかっていう思いが強くて、家から出る気も起きなくて……」
「そんなに、白原さんが思うようなことじゃないのに。とりあえず、学校は?」
「今日から行きはじめて、今は帰り」
「そうか。にしても、白原さんはぼくのことを、気にしすぎだよ」
荒西くんは言うと、顔を垂れた。なにか考え込みはじめたみたいだった。
わたしは包丁の入っている学校の鞄をそばに置く。近くに丸椅子があったので、おもむろに座った。
いつ、包丁を取り出そうか。脳裏ではそれだけのことがよぎっていた。あきらめたら、台所から盗んできた意味がない。
わたしは彼に視線を向けた。
「荒西くんは、やさしいよね。わたしのことを色々と気にかけてくれて……。一応、付き合っているんだもんね」
「そうだよ! ぼくたち、付き合っているんだよ! だから、白原さんがぼくにけがをさせたことをひとりで抱え込むのはよくないよ! ぼくは白原さんのこと、全然悪く思っていないんだから!」
荒西くんは声を張り上げて、顔を起こす。付き合っているということを意識して、うれしくなったようだ。
わたしは彼の声を聞き、ただ見ているだけだった。
「ねえ、もう、事故のことは忘れようよ! そんなことより、ぼくが退院したら、どこに遊びに行こうとか、そういう色々と楽しいことを話そうよ!」
「そうだねって言いたいんだけど、実は、今日はそういうことをするために来たんじゃないの……」
「えっ? それって、どういうこと?」
彼が言葉をこぼしたときには、わたしは学校の鞄を開けていた。
中から包丁を取り出すと、荒西くんは驚いたような表情になった。
「白原さん? どうしたの、それ?」
「家の台所から、盗んできたの……」
「盗んできたって……、ちょ、ちょっと待ってよ!」
彼は言うと、すぐに慌てたような動きで、ベットの横にある引出しから、ビニールひもを掴み取った。
ビニールひもを前に出され、荒西くんは真剣そうな眼差しを送る。
「このひもはどうするんだよ!? その包丁で、白原さんは目の前で自分の胸を刺すの!? それとも、ぼくのことを……」
「ごめん、荒西くん。身勝手なわたしを許して……。わたし、考えて決めたの。荒西くんを殺して、それから、わたしも後を追うって……」
「そんな、いきなりだよ! なんで、そうなるの!? このひもはぼくに殺してほしいから、持たせてくれたんでしょ? なのに、べつの手段を使ってぼくを殺すなんて、それじゃあ、まるで……」
「道連れだよね……」
わたしは答えると、包丁を強く握りしめ、刃先を荒西くんに向ける。
「こうするしかないの……。わたしはやっぱり、兄のところへ行きたい。だけど、殺してほしいって頼んだ荒西くんは、わたしのことを死んでほしいって思っていないことがわかってきて……。荒西くんと付き合って、ふたりでいることは楽しい。それはわかってる。けど……」
「そうだよ! ぼくは白原さんに死んでほしくないよ! だって、好きだし、ふたりでいる時間がこれからもあってほしいから! それなのに、そんなのって、ないよ……」
「荒西くんはこうなっても、わたしのこと、嫌ったりしないの?」
「嫌ったりしないよ。だって、ぼくは白原さんのこと、好きなんだから……」
彼は言葉を漏らすと、いつの間にか涙をこぼしていた。今のようになったことが悲しくてしかたがないようだった。
わたしも、頬を涙が伝っていることが感じられた。瞳をこすると、手がうっすらと濡れる。
「じゃあ、このひもはどうするの?」
「それは、もう、いらないってことになるのかな……」
「そうか……。ぼくが白原さんとのつながりをたしかめるように持っていたこれは、もう、意味なしか……」
彼は口にすると、両手でひもを引っ張り、切り裂こうとするが、なかなかできない。
わたしは包丁を近くまで持っていく。
「わたしが、切る……」
「切るって……、ああ、そういえば、包丁を持っていたんだね……」
声を出す彼は、包丁のほうへ目をやり、ビニールひもを持つ。
わたしはビニールひもに対して、包丁を当てて、力を入れる。
ビニールひもはふたつに切り裂かれる。
それを、わたしと荒西くんは繰り返していく。
しばらくして、ビニールひもは紙吹雪ぐらいの大きさで、病室の床に散らばった。
「もう、これだと、白原さんの首を絞めることは、できないね」
「そうだね……」
「本当に、ぼくのことを殺すの?」
「うん……。決めたことだから……」
「そっか……。ははは……。せっかく付き合いはじめた女の子に殺されるなんて、思ってもいなかったよ」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
「もう、いいよ。ぼくはその、逃げないよ。今すぐにだれかを大声で呼んだりとかも、しない……」
彼は言うと、ベッドにいたまま、正面を合わせる。
わたしの包丁を持つ手は、震えていた。今さらになって、荒西くんを殺すこと、いわゆる罪を犯すということを恐れはじめたからだろうか。
おもむろに顔を下げて、床に散らばるビニールひもの細切れを見る。わたしが雑木林で渡したものは原形をなくしてしまった。それは荒西くんに絞め殺してくれるためにある、ひとつのつながりが消えてしまったということだ。「好きな人に殺されることが、一番幸せ」ということは、残念ながらだめになってしまった。だけれども、わたしは悲しくなかった。
「好きな人と一緒に死ぬことが、一番幸せ……」
「白原さん、自分勝手だよ」
「そう言って、わたしのやろうとすることを受け入れてくれる荒西くんは、なんでかわからない……」
「そうだね。ふつうだったら、自分や白原さんの命を守るために、包丁を奪ったり、説得したりすると思う。だけど、もういいんだ。それが白原さんにとって一番幸せなことなら、なおさら」
「わたしのこと、本当に好きだったんだね……」
「当たり前だよ。 ぼくたち、付き合っていたんだから。それに、ぼくは授業中に時々見てきた白原さんのこと、そのときから好きだったんだから」
口にする荒西くんは、左右の手を動かそうとしない。自分の身を守ることはしない。まるで、目の前にある包丁を刺してもらいたいかのようだった。
わたしはおもむろに、包丁の表面を手でなぞる。
「わたしたち、両想いだったはずなのにね……」
「そう、だね……」
お互い、言葉を交わしてから、黙り込む。本当にこれでいいのだろうか。今さらになって悩みがよぎるも、わたしはかぶりを振る。引き返す気はなかった。好きな荒西くんと死んで、兄に会えるのだから。
わたしは包丁を握り直した。
「それじゃあ、荒西くん……」
「うん……。後は、白原さんに任せるよ」
彼は返事すると、まぶたを閉じた。
わたしは持っている包丁の刃先を、彼の胸へ近づけていった。
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