二日目:新多という女
写真の少女、新多の通う高校が高峰高校だということは制服を見て直ぐに分かった。何せ23年前には自分も通っていた母校だ。その距離は駅から歩いて10分ほど、途中に大きな川に架かる橋は色褪せる事なく当時の面影を残している。
平日の放課後ということもあって、校内では部活動に励む学生が見受けられた。ここに来る途中に見かけた学生に尋ねてみると、その生徒は偶然にも新多と同じクラスだった。聞いてみると新多は幸いまだ学校にいるらしい。
学校に着く頃には夕方の四時を回っていた。正直なところ、昨日のカミサマと名乗った少女の情報は半信半疑だ。どういうつもりでこの写真を渡したのかは分からないが、しかし新しい情報はないよりは良い。時間はある、寄り道したって構わないだろう。
しかし、やはり俺の人相の悪さにはほとほと呆れてしまう。一番初めに声を掛けた学生にはいきなり半泣きにさせてしまうし、校内に入る許可を得ようと校庭にいた教師に声を掛ければ「不審者だ!」なんて軽く騒ぎにされてしまう始末。話を聞いてもらいなんとか誤解は解けたが、これでは話を聞く前に疲れてしまう。
「……努力はしてるだがなぁ」
尿意をもよおしたのでトイレで用を足した後、洗面の鏡を見てそう思った。人相悪し、声は低めでガタイ良しとくれば自然と怖い人の出来上がり。笑顔の練習はしているつもりだが、結果は悲しいものだ。
背広を直して、最後に鏡に向かって笑顔を見せた。
なんとか許可を得た俺は、真っ直ぐに南校舎の屋上に向かっていた。友達との帰りを楽しむ生徒もいれば、部活動に勤しむ生徒もいる放課後。二十数年経っても変わらない制服と校舎に懐かしさを感じながら、放課後の賑わう廊下を歩いていく。色褪せたタイルの廊下も教室の引き戸も、青春時代のままだった。道中目新しいものがあったと言えば、冷水機が廊下に設置されていたことだろうか。あれは俺の頃には無かったが、今じゃ中学校にだって当たり前のようについている。夏場の暑苦しい日なんかには強い味方だろう、時代は変わっていくんだなあ。
「ん?」
屋上の手前の扉の前につくと、立て札がしてあった。これも俺の頃にはなかった。そこには〝屋上へは立ち入り禁止〟
と書いてある、がドアノブを回すと、抵抗もなく扉は開いた。
「……おお」
屋上に出るとこれもまた懐かしい眺めだった。二メートルのフェンスの向こうには半田舎なためそれほど高いビルが建っておらず、そのおかげでこの屋上からは高峰町の景色を一望出来る。さっき渡ってきた成瀬橋もよく見えるし、高峰駅も確認出来る。まだ四時だからそれには早いが、夕陽が沈んでいく光景をここから見える絶景のスポットだ。
「なっつかしいなぁ……」
景色もそうだが、昔はこの屋上でボール持ち込んでドッジボールなんかして遊んだものだ。もうあれから二十年以上……今じゃ人の親になったということもあって歳を感じる。
「……ん?あれは」
フェンスの向こうに広がる景色を見渡していると、屋上の端のフェンスに持たれて座っている生徒が目に入った。見た所女生徒のようで、何やら真剣な表情で手元の何かを見ている。もしかして例の新多さんだろうか。
胸ポケットから例の写真を取り出して、近づいてみる。
「……?」
写真の少女だと視認出来る距離に来たころには、あちらもこちらの存在に気付いたようだ。顔を上げてじっとこちらを見ている、どうやら本を読んでいたようだ。
「君が、新多さんかな?」
恐がらせないよう、なるたけ笑顔を心掛ける。
「……どなたですか?」
左目に眼帯と肩甲骨まで伸びた黒髪、顔つきも写真の少女と同じだ。
「怪しいもんじゃないさ」
警察手帳を見せて、理解に努めてもらう。理解したのか新多さんは読んでいた本を閉じるとスカートを叩きながら立ち上がった。
「警察の方が、私に何か?」
「ちょっと聞きたいことがあってね」
見た目と同様に、落ち着いた話し方だ。
「先日……四日前かな、駅前にある喫茶店で火災があったのは知ってるかな?」
「……ええ、ショカンでしょ?交差点越えたところの」
どうやら話は耳にしているようだ。なら話は早い……が、思わず言葉に詰まる。カミサマの話では彼女は今回の火事について何かしら知っていると言っていたが、それが信用していいものか悩みどころだ。といいつつも、結局ここまで足を運んでしまっているのだから、俺自身もそうであってほしいと心のどこかで思っていたのだろう。
「ああ、その喫茶店だ。その事についてなんだが、何か知らないか?」
「……?私が?」
新多さんはキョトンとしている。ある意味想定通りの反応だが、ここは一か八か。
「新多さんなら何か知っているんじゃないかと聞いてね」
「申し訳ないけれど、心当たりはないわね。なんせ私、その日はショカンに行ってないもの」
真っ直ぐに俺を見るその目は、どうやら嘘はついていない様子。分かってはいたものの、いざその言葉を聞くと虚しい。
「そうか……」
思わずそう呟いてしまう。
「……私からも聞いていいかしら」
「ん?」
気がつけば敬語が抜けている、と思ったのは一瞬で、大人びた雰囲気の彼女には抜けていても不思議と違和感はなかった。
「その写真は?」
細い指が指したのは、俺の手でひらひらと風になびいていた彼女の写真。ああこれは、と続ける。
「ああ、君の知り合いから貰ったんだ。君の写真だよ」
「……知り合い?」
一瞬、彼女の眉がピクリと上がったのが分かった。それに気付かない素振りをして、俺は続ける。
「ああ、カミサマって言ってたよ。ピンク色の髪の毛の子なんだけど」
「……神様?」
またピクリと眉が上がる。貸して、と半ば強引に写真を手に取ると、それを暫くじっと見ていた。角度を変えるわけでもなく、じっと。その間、俺は何故か話し掛けることが出来ず、彼女の言葉を待った。
「この写真を、その〝神様〟から?」
「あ、ああ」
「……警部さん。残念だけど私の知り合いにそんな人はいないわ」
「……え?」
「髪の色がピンクで、ましてや自分の事を〝神様〟なんて呼んでしまう痛々しい子なんて私は知らないわ」
「……」
反応は、思っていたよりも斜め上のものだった。……というより、少しばかり辛辣な気もする。
いや、それよりもどういうことだ?彼女は少女の事を〝知らない〟と言った。カミサマはまるで新多さんの事を知っているような素振りだったからてっきり知り合いだと思い込んでいたが、なら、この写真を渡してくれた〝カミサマ〟とは一体誰なんだ。
「ほ、本当に知らないのか?」
「ええ、断言するわ。……というか、その子の名前は?」
「え?」
「名前よ名前。まさか神様が名前じゃあるまいし」
「いや、だが……」
名前は分からない。カミサマと名乗って一方的に写真を押し付けられて、いつの間にか消えてしまっているのだ。
「名前を聞いてないの?まさか、本当に神様ってのが名前だと思ってるのかしら」
気のせいだろうか、彼女の目つきが先ほどよりも険しいように見える。
「素性も分からない人からの情報なんかを頼りに、私を探しに来たのかしら」
「ま、まぁ……そうなる、のかな」
「ふん」
軽く鼻で笑うと、持っていた写真を自身のポケットに入れてしまった。思わず「あっ」と声を漏らす。
「な、なんでしまうんだ」
「申し訳ないけれど、これは没収させてもらうわ」
「はあ!?」
「こんな盗撮写真、誰かにまた見せられちゃたまらないから。それじゃ」
新多さんは俺の横をすり抜け、屋上を後にしようとする。「お、おいっ!」と制止を求めるが届いていないのか無視をしているのか、彼女は歩みを止めることなく扉の方へと向かう。
「待ってくれって!」
咄嗟に掴んだその肩を半ば強く握り、グルンとこちらに振り向かせる。
「な、何か誤解していないか!?」
「誤解?何を?」
その声は冷たい。先ほどまでの対応とは雲泥の差だ。
「まさか私の知らない人からこの撮られた覚えのない写真を貰ったことを、信じろとでも言うのかしら」
「……事実、その写真はその子から」
「その子が何者か知らないけれど、どのみちこれは盗撮されたもの以外の何物でも無いわ。そして貴方はこれを見せて私の元に辿り着いた。警察の方なら勿論ご存知だとは思うけど、盗撮は立派な犯罪、そうよね?」
「……」
それ以上は、何も言えなかった。確かにこれが盗撮かもしれない可能性はある、が逆も然り。しかし彼女がカミサマの事を知らないと言っている以上、追求するのは命取りだ。ましてやこの件に関しては無断で捜査している、この事が署にバレれば面倒なことになる。
「ごめんなさいね、力になれなくて」
それだけ言い残して、新多は今度こそ屋上を後にした。
「……はぁ」
予想していた事態……よりも事は深刻になってしまった。藁もすがる思いであの少女の言葉を信じてきたというのに、現実は思っていたよりも厳しい。
「ふりだし……か」
物憂げに空を見上げながら、無意識にタバコに手が伸び誰もいないのを良いことに、ため息まじりに煙を吐いた。
「はろー!」
「……お、お前は!」
その日の夜、実家に戻り寝る前の一服と玄関先でふかしていると、そいつは突然目の前に現れた。昨夜と変わらない、ワンピース姿のそいつは呑気に手を振っていた。
「どうどう?捜査の方は順調?」
嬉々として近づいて来るカミサマを、俺は無愛想に迎える。
「……何の用だよ」
「新多ちゃんから話は聞けた?」
「聞けるわけないだろ。お前なぁ、盗撮はよくないぞ」
今日のことを一通りカミサマに話すと、カミサマは「あれれ?」とわざとらしく小首を傾げた。
「おっかしいなぁ。絶対知ってるはずなんだよ、新多ちゃん」
「その自信はどこから来るんだ」
「んー……勘かな!」
なんと清々しい答えだろう。本当なら怒鳴り散らしてやりたいところだが、この夜更けにそれはならない。それに非は自分にもあるので、ここは諭すだけにしよう。
「まあ、力になろうとしてくれたのはありがとな。だけどもう盗撮なんかするなよ?誰だって勝手に撮られて良い気分になるわけな」
「じゃあさ、他の人に聞いてみようよ!」
俺の言葉を遮って何を言いだすかと思えば、どうやら観念していないらしい。
「聞くって、誰に」
「付いてきてー!」
「お、おいっ!」
突然、カミサマは俺の手を引き夜道を走り出した。時刻は夜中の十一時を回った頃、住宅の明かりもちらほらとしかついていないその道を、カミサマはぐんぐんと進んでいく。
「おい!どこに行くんだよ!」
「いいからいいからー」
振り向いて見せたその表情は、また笑顔だった。無邪気な笑みは我が子を見ているようで、不思議とその手を振り払うことが出来ない。裸足のワンピース姿の少女と寝間着とおっさんは、静かな夜道を駆けて行った。
アウターフォール〝緋色の少女〟 泉紅葉 @voled
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