アウターフォール〝緋色の少女〟
泉紅葉
第1話 一日目:音無拓郎
寝耳に水とはまさにこの事だ。
還暦を迎えた親父は、つい先日まで快調だった。自前の喫茶店は三十年経った今でもその人気は衰えない。小洒落た内装は老若男女を魅了し、遠方からも通うお客さんが多いという。全盛期は当時登場したカツサンドが人気を博し、喫茶店には珍しく長蛇の列を作るほどの連日大賑わい。瞬く間に口コミが広がりテレビや雑誌の取材が後を絶たなかった。
そんな喫茶店『ショカン』には、俺は人生で二度訪れたことがあった。
一度は俺が警察学校に入学した際、お祝いで親父が挽いた豆の珈琲をご馳走してもらった時。
二度目は妻、由里子を紹介した時だ。
血の繋がった親の店にも関わらず三十三年という長い年月の中で二回しか訪れなかったのは、大した理由ではない。仲が悪かったわけでもない、ただ単に親父の淹れる珈琲が好きではなかったからだ。渋みが強くクセのある、飲む人を選ぶ変わった珈琲。匂いすら嫌いになってしまった俺は、幼い頃から店に顔を出すことはなかった。
それでも温和な親父はその事に不快に思う様子は無く、穏やかに笑っていた。
警察学校に入ってからは寮生活ということもあり、家族と顔を合わせることがなくなっていった。そのまま勤務先も実家から遠く離れた都心に移り、そのまま疎遠になっていった。元々お互いそういったことには淡白で、どちらからも連絡を取ることはなかった。
警察学校を卒業し晴れて警察官になって十数年、自己主張の強い俺は上司との折り合いや独断の捜査などで上層部の反感を買い、気付けば四課の警部になっていた。
ガタイの良い俺にとってはうってつけかもしれないと、今になって思う。頭は良い方では無かったし、何より似た者同士が集まった職場は仕事がしやすい。
二人の子どもにも恵まれ、俺の人生は何不自由なかった。
周りから若々しいと言われる親父も六十歳を過ぎれば歳も歳と言える。かといって特別どこか悪いわけでも無かったし、喫茶店の方も変わらず順調そうだった。だから今度は息子が珈琲を飲めるようになったら、足を運ぼうと思っていたんだ。
だが訃報というやつは、こっちの都合なんか御構い無し。突然過ぎるそれは、あまりに信じ難い事実だった。
キッカケは、弟の雄吾からの電話だった。雄吾は地元の商社でバリバリと活躍している傍ら、いつか親父の店を継ぐためにと珈琲の勉強もしているらしい。なら親父の店で働きながらの方がより早く身につくのではないかと思うが、あいつにも家族がいる。その時までは今はどちらも頑張るのだろう。
電話が来たのはあの日の午後五時時頃だ。血相を変えて話しているのが電話越しでも分かり、話を聞くと親父の店が火事にあったという。
『父さんが……亡くなった……!』
突然過ぎるその訃報を理解するのに、どれだけ時間がかかったことか。かと言ってそんなことを冗談で言うような弟でもない。
ただ信じたくなかっただけだったかもしれない。店が燃えた事も、親父が死んだことも。
訃報を受けて仕事も早退、家族揃って急いで地元へ戻った。しばらく会っていなかったといっても時たま弟の電話で元気なのは知っていた。
親父の変わり果てた姿に、言葉を失った。
お袋が入院中ということもあって、葬儀は俺が喪主を務めた。親戚も親父と親しかった人たちも、その死を受け入れられなかった。
親父の死因は一酸化炭素による中毒死。当時他の客も何人かいたが、親父と客で来ていた学生が逃げ遅れたそうで病院に搬送された時には亡くなっていたという。出火原因はてんぷら油の長期加熱による発火だそうだ。
要は調理中にホールに出ていたのだろう。出火原因こそ珍しいものではないが、それでも普通火を使っている最中そのそばを離れるだろうか。
擁護するというわけではないが、親父に限って信じられないことだった。確かに今はお袋がいない現状、さらにはバイトの学生もたまたま休みを取っていたということで店は親父一人で回していたが、休日や昼時に比べればさほど忙しくはなかったはずだ。例え調理中に呼ばれたとしてもそれなりの対応は出来たはず。
しかし実際親父は、客席の近くで倒れていた。恐らく客に呼ばれ厨房を離れてしまったのだろうという警察の見解だった。
だが、何度も言うが親父がそんな不注意をするような人ではない。長い間近くで見れていなかった俺が言うのもなんだが、その見解に未だ腑に落ちないでいた。
【一日目:音無拓郎】
葬儀の日と合わせて、俺は一週間の有給を取っていた。お袋も入院中で誰もいない実家に泊まり、懐かしい雰囲気に浸っていた。
葬儀の日の夜中、日付も越えようとしていた頃俺は喪服も着替えず親父の喫茶店に来ていた。高峰駅からスクランブル交差点を越えていくと、三件並んだ飲食店の一つが、親父の喫茶店だ。幸い隣の建物まで延焼は免れたが、燃え尽きた喫茶店は既に面影を失っていた。立ち入り禁止の黄色いテープが貼られているが、捜査は九割がた終わっているそうだ。
出火原因は親父の火の不始末によるもの、そうやって片がつくそうだ。捜査資料を確認したが、なんとも粗雑な調査だった。遺留品を見たいと署に申し出たが、開示は許されなかった。
おかしな話……だが良い噂をされない俺にはそれ以上は聞けなかった。
「まさか、こんなことになるなんてなぁ」
月夜が照らす中、俺はため息まじりに煙を吐いた。息子にもそろそろ止めたら?と言われている煙草だが、仕事柄なかなか止められそうにもない。ましてやこんな事があった後じゃあ、自然に手が伸びてしまう。
その時だった。
「やあやあ、こんばんは」
突然、背後から声を掛けられた。煙草を咥えながら振り向くと、そこには見慣れない少女がいた。
「?こんばんは」
周りに誰もいないこともあって、俺に声を掛けているのだと分かった。
中学生くらいに見えた小柄な少女だった……が、その割には奇抜な容姿であった。
服装は至ってシンプル、華奢な身体は真っ白なワンピースに身を包み、何故か裸足の彼女。透き通るような白い肌もそあだが何より目がいったのは、彼女の明るい髪色。肩より少し短めの少女の髪は、薄暗い今でもよく分かるピンク色だった。
思わず見入ってしまっていると、少女はニコリと微笑む。
「ここの火事、凄かったよねー。煙がモクモク出ててさ、みんな大パニックだったよー」
楽しそうに話す少女に少し苛立ちを感じたが、きっと悪気はないのだろう。ましてやここのオーナーの息子が俺だとも知らない。
「知ってるよ?」
「……!?」
あまりの反応の良さに、思わず息を呑んだ。まるで俺の考えていた事を見透かされていたかのように、少女の言葉は的を射ていた。
「音無拓郎41歳。警視庁の四課の刑事さんで、美人の奥さんと二人の子どもがいてー、ここのマスターの息子……そうでしょ?」
灰を落とすのも忘れ、俺の意思に反してそれはアスファルトの上に落ちてしまった。しばし我を忘れていた俺はそれを踏み消して、動揺を隠すように煙草を吸った。
「よく知ってるな君。……えっと」
親戚の誰かだと思った……が、葬式でこんな明るい頭をしていたらきっと忘れないはずだ。しかもいくら夏とはいえ裸足で出歩くような変わった子、俺の記憶にはない。
「あ、私カミサマね。よろしくー」
「あー……」
変わった名前だね、と言ってやれたならまだ気が利く方だっただろうが、生憎俺はそこまでお人好しではなかった。かと言って図々しく指摘するほど分からず屋でもない。
と、少し考えた後に思ったが、よくよく考えてみればあだ名というものがある、きっとその事を言ってるのだろう。勝手に見知らぬ少女を不思議ちゃん扱いするところだった。
「カミサマはカミサマ。あだ名とかじゃないよ」
「……そう、か」
さっきから見透かされているかのようにポンポンと話す彼女だが、俺はそんなに顔に出やすいのだろうか。いかんいかん、彼女のペースに乗せられては。
「ここの喫茶店の事を、知ってるのかい?」
正直なところ、こんな夜更けに薄着で出歩く彼女には帰ってもらいたいところだが、年頃の女の子ってのはとやかく言われるのを嫌う。きっと自由でも求めて夜更けに出てきたのだろう、少しばかり話に付き合えば満足して帰るはずだ。
「知ってるよ。あの日、中で何があったかも、ぜーんぶね」
「……」
興味を持った方が良いのか、少し考えた。あの日というのは少女がいつのことを指しているのか分からないが、自然と昨日の事だと思った。喫茶店で起きた火災、それは親父の火の不始末に起こった事故。しかし少女の言葉はそうでなかったような雰囲気を漂わせる。
虚言に聞こえなくもない……が。
「知りたくない?本当は〝誰のせい〟で火事になったのか」
「なんだそれ、あの店のマスターが火を見てなかったからじゃないのか」
「それは警察の結果でしょ?」
一つ一つの言葉が意味深だ。
「君は何を知ってるって言うんだ?」
「だから全部だよ。なんで火事が起こったか、なんでマスターは客席にいたのか」
「まるで見ていたように言うじゃないか」
あの時逃げ延びた人たちは皆記憶が無いと聞いている。少女はその時いた一人だったのだろうか。
「はいっ」
「ん……?」
唐突に彼女が差し出したのは、一枚の写真。写っているのは見覚えのない学生服姿の少女。
「……誰だ、これ」
「新多ちゃん!可愛いでしょ~」
ニコニコと微笑むカミサマは、心底嬉しそうに言う。
可愛い……というよりは綺麗系な印象を受ける。肩甲骨より少し長めの黒髪。色白で、端整な顔立ち。涼しげな切れ長の目に、その写真は本を読んでいるところを撮られたようだが、どこか知性を感じさせる。一言で言えば、美人だ。
左目に眼帯をしているのがまたミステリアスな雰囲気だ。
「この子がどうしたんだ?」
「新多ちゃんなら、何か知ってるかもしれないよ?」
「この子が?」
この写真の子が、火事の現場にいたのだろうか。
「なぁ、この子はあの時……」
喫茶店にいたのか?と尋ねようとして顔を上げると、そこには先ほどの少女はいなかった。不思議に思い辺りを見渡すが、いない。まるで今まで俺以外の人間が誰もいなかったかのように、その場は静けさに包まれていた。
「……なんだったんだ」
嵐のような少女だった。意味深な言葉だけ残して、屈託のない笑顔で消えてしまった少女はカミサマと名乗った。結局少女が何者か分からないまま、夜更けは過ぎていった。
これから始まる奇妙な体験の前触れだと、この時の俺は気付くことすらなかった。
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