第12話「奇蹟」

 俗っぽい興奮などとは完全に異質だった。まるで位相の違う世界にふいに降り立ってしまったかのような感覚。英治はそれを、使命感だと思ったのだった。

 

 俺は神と同化する。俺は、神になる。

 

 自分でも知らないうちにそう口走った時、涙が頬を伝って畳に落ちた。だがそのことに英治は気づかなかった。ただ異様なほど満たされた気持ちになっていた。

 

 小さく息を吸い込んだ後、英治は片方の腕を伸ばし、あらかじめそこに置いておいた道具をつかんだ。自分のほうにそれを引き寄せ、もう一方の手を添えて掲げ、少女の胸に、思いきり突き立てた。

 

 まな板の魚がびくんと跳ねるように少女の体が一度動き、それまで閉じたままの両目が、かっと開いた。だがその目はまっすぐ天井の一点を見つめたまま動かない。

 

 少し遅れて小さく開いた口からは、わずかな悲鳴も聞こえなかった。まるで目に見えない何かだけがぽっと洩れ出たみたいだった。

 

 英治は少女の胸に突き立ったままの包丁を握り直し、錠に差し込んだ鍵を回すように、それをひねる。そのまままっすぐ股先に向かって下ろし、腹を割いた。少女はもう動く気配もない。

 

 割かれた腹からは信じられない物量の中身がはみ出た。紫がかった赤みの内臓はまだ痙攣している。持ち主の少女とはまるで無関係に小刻みに脈打つその物体は、何か別の生き物のように見えなくもない。

 

 ふいにこれこそが、この脈打っている内臓こそが少女の本体だ、と英治は思った。少女の、というより、命あるすべてのものの、いわば本体のように思えた。

 手が、自然に動いてそれをつかんだ。ロープをそうする要領で、二つ折りにした内臓の折り目に包丁の刃を当てて力まかせに切断する。

 

 思ったほど血は噴き出さなかった。英治はその断面を、ちょうどホースからじかに水を飲むように口へ持っていって、歯を立てた。噛み切ろうとしたのだ。 

 だが思わぬ弾力に歯は押し戻されてしまう。しかたなく口から出すと、強く握り直した包丁の刃を当て直し、小さく切り離していった。

 

 それらの一つを指でつまみ上げる。目を閉じ、口を開け、つまんだ物をゆっくりと舌に置く。何度も噛んで、やがてひと息に呑み込むと、体の器官を下っていく熱を感じた。直後に、腹の底から喉に向かって、形容できないほどの圧倒的な感覚がせり上がってきた。それとほとんど同時に、英治は嘔吐した。たった今飲み下したばかりのものを、戻してしまった。

 

 嘔吐が収まると、まだ震えていて鈍い痛みを感じる胃のあたりとは逆に、頭の中に、心地よい痺れがさざ波のように広がった。射精とはまったく違う快楽だった。

 

 英治はその波を途絶えさせたくないと考えた。弛緩してしまって力の入らない腕を、どうにか伸ばす。少女のそばに散らばるものをつまんでは貪り、嘔吐し、口元を拭ってはまたつまんで口に運び、嘔吐する、それをくり返した。

 

 そうするうちに何も吐き出せなくなり、気づけばかなりの量を体内に取り込んでいた。

 

 立て続けの嘔吐のためか、それとも別の何かのためにか、英治は頭の中がぼんやりと白んでいくのを感じた。意識が遠ざかるというのとは少し違う。生まれ変わるような感じだ。誕生前夜のような感覚。手を止めることができない。口も同じだ。自分を動かしているのが自分ではないような気さえする。英治はふと、これがいつまで続くのだろうと思い、恐怖を覚えた。同時に、この奇蹟がいつまでもいつまでも続きますように、と願った。



(了)

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狂争 神谷ボコ @POKOPOKKO

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