魅惑の花嫁
@natuiro
魅惑の花嫁
彼女が死んだ。
僅か20歳という若さだった。
彼女は、たった一人、暗い部屋の中で死んでいた。
色とりどりのドレスと、部屋に彩を加える花々に囲まれて。
死んでもなお、美しい、安らかな顔を浮かべる彼女が、赤く染まっていた。
白いドレスが一番、似合う女だった。
空に映える、とても美しい僕の人生を彩る、女だった。
花嫁衣装に身を包んだ彼女を、つい昨日のことのように、思い返す。
二人が結ばれてすぐ、のことだった。
僕の小さな部屋の中で、僕は彼女を抱きしめた。
祝福もされない毎日だった。
彼女を幸せにできない毎日が続いた。
それでも、彼女は笑っていた。
僕を励ましてくれた。
仕事続きで、彼女と会えない日々が続いても、彼女は文句の一つも言わなかった。
ただ、僕の帰りをじっと待ち、僕を笑顔にさせてくれる、出来た女だった。
思い返せば思い返すほど、僕は彼女が愛おしくて、仕方ない。
自分の感情を抑えることができず、ただ泣くだけの日々が続いた。
彼女の葬式をしようかと思い、冷たくなった、彼女の体へ触れた。
最初は優しく、僕を癒した手。次に、僕と一緒に歩んでくれた、足。
最後に、美しい髪と、整った顔。
死んでもなお、美しい彼女がそこにはあった。
僕は一つの考えを導いた。
そうだ。彼女を永遠のものにしようと。
幸いにも、僕は医者であった。
知恵を巡らせ、僕は彼女を『愛す』ことにした。
*
わたしの元から、彼女が出て行ってから3年が経つ。
わたしの愛していた妻は、どこかの男と一緒に出て行った。
何もわたしに罪がない、と言えば嘘になる。
病気の妻の元を離れ、仕事に精を出していた。
妻の心が他の親身になってくれる者に向くのも、無理はない。
けれどわたしはそれでも、彼女と共に生きたいと思う。
彼女と共に思い出を作り、色を与え、与えられ、人生を過ごしたい。
そう思うからこそ、どんなことをしてでも、彼女を探そうと決心した。
まず人脈を使い、情報を探った。
女性に話を聞いたりもした。
金を渡し情報を売り買いもした。
そして、ついに妻と一緒に人生を謳歌する男にたどり着いた。
男は、街、国一番の医者で、彼に治せない病気はない、と言われるほどの腕前を持つ優秀な医者だった。
わたしも彼の優秀さを買って、妻の病気を治そうと雇ったのだった。
そんな彼は見事に、難病と言われる妻の病気を治し、妻の心までも、奪って消えたのだ。
そんな優秀な彼がどこに消えたのか、探すのにずいぶん時間がかかってしまった。
普通なら、諦めるかもしれない。
しかし、わたしは知っている。
時間をかければ、何事もできるということを。
妻との時間は無駄じゃあなかったと、思いたい。
あの3年間を、無色だと、現実と向き合いたくなかった。
わたしは医者である、男の家へ向かった。
トントンと、激しくノックをすると、無精ひげを生やした、やせ細った男が出てきた。
「お前がわたしの妻を奪ったんだな。妻はどこだ」
わたしが責め立てると、男は暗い部屋の中を指さした。
「私の美しい花嫁なら、この部屋の中におります」
わたしは全速力で駆け寄った。
しかし、彼女の顔が見えるくらいの近くへよった、瞬間、わたしは恐ろしいものを見た。
「彼女、美しいでしょう。旦那様」
男が彼女を抱きしめながら言った。
彼女、といっても、一応判別できるほどの原型を保った、死体だった。
肌は絹を思わせる、白い布へ。
見るも無残な胴体。あったはずの白く細い手足から、はみ出る液体と、血管。
青く美しい瞳は、青色のステンドガラスに。
髪は薬品くさい、腐りかけのものへ。
真珠やダイヤに包まれた純白のドレスを身にまとい。
それは、彼女の時間を止めるように、ここに存在していた。
「彼女は死んでもなお、僕と生きているんです。永遠に僕を愛しているんです」
わたしは、妻が自分から望んでここにいるのだという考えが、自分の中から消え去っていくのを実感した。
「狂っている」
ただ目の前の男に言えるのは、それだけだった。
男は瞳のガラスを磨きながら、
「狂っている?彼女と僕の恋を壊したのは、旦那様。貴方です。
死んでもなお、彼女を縛り付けようとするのですか?彼女の自由を奪った、彼女の父のように」
「妻が君と恋をしていたというのか」
「貴方と出会う、1年前のことです」
男は妻とのラブストーリーを愛おしそうに話した。
彼女との約束のことを。
『きっと迎えに行く』という約束を。
妻もきっと、望んでいたのであろう。
わたしとの初めの日々を思い返すと、思い当たるふしがあった。
彼女は嫁いで間もないころ、決して、わたしに心を開かなかった。
捨て犬のように、天を仰ぎ、ただ茫然と毎日を過ごしているようだった。
彼女のその毎日を、彩ってやろうと思った。
彼女へ毎日、花を贈った。
毎日、感謝の手紙を書いた。
どれだけ遅くなっても、お休みの言葉をかけた。
最初のうちは、うっとうしそうに、交わしていたが、時間が経つうちに、彼女から手紙の返事がくるようになった。
わたしはそれから、彼女を家の外へ連れ出した。
外の世界へ連れ出してやった。
彼女の好きな青色のドレスや、宝石を買い与え、話をした。
わたしの話ばかりから、彼女の話が増えていった。
彼女は非常に、おしゃべりで、わたしが話を聞くだけで疲れてしまうほどだった。
そんな彼女の口から、たった一つ、聞いていないものがあった。
家族の問題だった。
得意先のお嬢様であった妻。わたしたちの家族を見て、ただ遠くを見つめていた妻。
わたしは、何も聞かなかったが、うすうす感じていた。
この子は、愛を知らないのだと。
だから、時間はかかっても、確実に信頼を置けるように。
時間をともに過ごせるように。
言葉を共有できるように。
彼女からわたしの妻へと、実感させた。
そんなわたしの大事な妻が、こんな見るも残酷なものに。
バケモノに成り下がっていた。
そして、こんな見ただけで吐きそうなバケモノを大事に、優しく抱く、男がとても気味が悪かった。
今すぐにでも、走り去って、教会へ行って、告白をしたいほどだった。
わたしの恐怖など知らず、男は続ける。
「彼女はきっと、僕のことを忘れてしまうほど、幸せだったのでしょう。僕との約束を忘れてしまうほどに」
「彼女が幸せならそれでいいじゃないか。好きな人が幸せなら、それでいいと思うのが、本当の愛情だろう」
「確かにそうです。普通なら。けれど、僕たちの関係は恋のままで、止まったまま、時間だけが過ぎていったんです。恋のままだから、こそ、自分の幸せを他人よりも、優先するのはいけないことでしょうか」
「それでも、殺してしまうなんて・・・・・。
「殺した?僕が?自分から?そんなことするわけないじゃないですか。彼女は、自分から床に転がったガラスで、首を切ったんだ。それに、みすみす、自分から幸せを逃すような真似、するわけがない!旦那様じゃああるまいし。病気の妻を放って、仕事に逃げるような貴方と違って!
自分の命を優先するような貴方と違って!」
「違う」
「何が違うんですか。お見舞いだって、一回も来なかったじゃないか!あなたは、彼女を捨てたんだ!3年経って、今更、何をしにきたんだ!また僕から、彼女を奪うのか!この悪魔が!お前のような利益しか見ない男がいるから、彼女が幸せになれないんだ」
「違う!悪魔はお前の方だ!何が恋愛だ、何が幸せだ。お前のはただの自己満足じゃないか!お前の感情を、ただ妻にぶつけて、八つ当たりしているだけじゃないか!妻の手足の自由を奪い、逃げられないようにして。それが妻の、りんごの望んだことなのか」
「望んだこと?彼女の望みはたった一つだ。
――――愛されたかった。ただそれだけだ。僕はそれに従ったまでだ。・・・・・・・ねえ、りんご。りんご。りんご。僕といて幸せだったでしょ?ねえ。りんご。りんご。りんごりんごりんごりんごりんごりんご。ねえ。りんごりんごりんごりんごりんごりんごりんご。ねえ、返事をして。お願い、笑顔になってよ。お願いだよ。僕を見て。僕を否定しないでくれ。僕を無視しないで。・・・・・これ以上、僕を一人にしないでくれ」
男はバケモノの亡骸を抱きながら、泣いていた。
真のバケモノの涙は、赤い瞳から流れ出るので、まるで血のようだった。
赤い液体が、バケモノの偽の肌へ染みわたって、バケモノを赤く染めていった。
「ああ。ああ!りんごの白い肌が。ああ、美しい顔が・・・」
男が混乱を迎えている。
この世の終わりのような顔をして、絹の汚れを洗い流そうと、している。
わたしは言った。
「もうすぐ、警察がくる。君の悪事も裁かれることになるだろう。
――――早く、りんごを開放してくれ。死んでもなお、君に縛られ続けるなんて、りんごもごめん被りたいだろうからね」
「開放?僕とりんごは、一生、一緒なんだ!一緒なんだ。僕が死ぬまで!愛されたい彼女が願ったことなんだ!彼女の願いなんだ!ああああああああああああああああああああ・・・・・・」
醜い悪魔は泣きながら、弁駁(べんばく)を叫んだ。
わたしは暗い部屋に閉じ込められた、妻へ視線を移し、床に転がっていた、花をそっと、手に取り、口づけをした。
生気を吹き込むように。優しく、しっかりと。
その花を、私は明るい扉の向こうの世界へ、飛ばした。
花はゆっくり、弧を描いて、広大な宙の中で、美しく踊っていた。
生前の美しい、花嫁のように。
*
一人の男が、誰も知らないような、人気のない霊堂へ、足を運ぶ。
左手には、大きな黄色の花々がつまった、花束を。
右手には、美しい赤い宝石のついた髪飾りを。
男は小さな扉の鍵を開け、静かな霊堂へ足を踏み入れた。
男は、小さな祠に持ってきた花束と、髪飾りを置いてやった。
霊堂の中央には、祠の他に、小さなものがあった。
男はそれに近づくと、そっと生気を吹き込むように、キスをした。
世界が始まるようなキスをした。
「やはり、顔だけになっても、美しいね。ねえ、―――――りんご」
顔だけになったはく製のような美しさを秘めた、女性へ話しかける初老の男が一人。
白いタキシードに身を包み、優しく微笑む男が一人。
男は白くなったひげを触りながら、また幾度も、永遠にも近い愛をささやき続けるのだった。
誰にも、祝福されることのない愛と。誓いを。
明日も、明後日も、そのまた明日も。来年も。
呪いにも似た、感情を、彼女へ告白するように。
魅惑の花嫁 @natuiro
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