東京探角日記

橘 泉弥

東京探角日記



 この世界には、昔話や神話に登場する生き物が確かに存在する。彼らはいつも、私達のそばにいるのだ。



 この頭痛がいつからだったか、よく覚えていない。気付いたら、当たり前のように私の頭を抑えつけていた。

 原因は分かっている。職場の人間関係と仕事だ。

 自分のデスクでキーボードを叩いていると、今日も原因がやって来た。

「北野さ~ん、これ、お願いしていい~?」

 出た。加納さんの「お願い」だ。面倒な仕事は私に押し付ければいいと思っているのか、毎日のようにやってくる。いい加減にしろと言いたいが、彼は上司なので、無下にもできない。

「今は忙しいので、そこに置いといて下さい」

「いや~、助かるよ。新しいプログラムの使い方が分からなくてねえ」

 確かそれ、三日ほど前に説明したんですけど。でもここで引き受けなければ、変に処理されて後始末がもっと面倒になる。仕方がない。

 どうせ一緒に昼ご飯を食べる人なんていないので、昼休みは返上。それでも残業になり、帰路についたのは午後九時過ぎだった。

 頭は痛むし脚も疲れたし、早く帰ろう。念じるように帰ろう帰ろうと考えながら、暗い道を歩いていく。

 すると、電柱の陰に子供が立っていた。小学校の一、二年生くらいだろうか。うつむいた顔を両手で覆い、しゃくりあげている。

 時刻はもう十時をまわり、辺りには私以外の人もいない。放っておくわけにはいかなかった。

 交番はどこだったか思い出しながら、とりあえず声をかける。

「どうしたの?」

 男の子はすぐに顔をあげた。

 ほんの少しだけ、失敗したかな、と後悔する。その少年は、金髪に碧眼だったからだ。私は英語が得意ではない。さらに、その子はなぜか白い道士服を着ていた。コスプレにしても、違和感がありすぎる。

 でも、もう引き下がれない。私はそのまま続けて訊いた。

「迷子になっちゃったの? お名前は?」

 男の子は服の袖で涙を拭き、少しうつむく。

「志麒……」

「シキ?」

「名前……」

 そう言うと、シキ君はすぐ目に涙を溜めた。

「おうち、帰れなくなっちゃった。角がどっかに行っちゃったよぉ……」

「ツノ?」

 後半はよく分からないが、やはり迷子らしい。知らない場所が不安なのか、また泣き出す。

「一緒に交番に行こう。お巡りさんが、おうち探してくれるからね」

 親切心から言ったつもりだったが、シキ君は即座に首を振った。

「やだ!」

「どうして?」

「だって怖かったもん。ボクが角探してくださいって言ったら、ふざけるなって怒ったの」

 確かに、迷子がそんなことを言ったら、いたずらだと思われても仕方がない。しかし、シキ君にそんな様子は微塵もなかった。

 迷子は警察に頼めばいいと思っていたが、交番を拒否する場合はどうしたらいいのだろう。

 悩んでいると、シキ君が突拍子もないことを言い出した。

「ねえお姉さん、ボクの角、一緒に探してくれない?」

「え……」

「角があれば、家に帰れるから」

 参った。変な迷子を見つけてしまった。こんな夜中に子供一人置いて帰るなんてできっこないし、大人としては承諾するしかないじゃないか。

「わかったよ。一緒に探そう」

 私が言うと、シキ君の顔がぱっと明るくなった。

「ありがとう!」

 無邪気な笑顔がかわいい。

「どこで落としたの?」

「分かんない。遊んでたら、いつの間にか抜けてたんだ」

 抜ける? この子が探してるの、動物の角のオブジェとかじゃなく、自分の角?

「日本海で確認した時にはまだあったし、日本のどこかっていうのかは確かなんだけど」

 範囲広っ! それもう、見つけるの無理じゃないかな。ていうか、この子いったい何者?

 話についていけない。最近の子供の想像は、私の常識の範疇を超えているらしい。

「でも、今日はもう暗いし、難しいよね。お姉さん、今日ボクが寝る場所くれる?」

 それは、私の家に行ってもいいかということだろう。

「うん。まあ、仕方ないよね。私、独り暮らしだし、構わないよ」

「やったあ!」

 こういう訳で、私は迷子の子供を拾った。本人の希望もあるし、誘拐罪にはならないはず。多分ならないと思う。……ならないといいなあ。

「ねえ、お姉さん名前は?」

 手を繋いだシキ君が左側から訊いてくる。

「私の名前は、北野冬莉。よろしくね」

「こちらこそ、よろしくだよ」

 自宅に帰り、さっそく夕飯の準備をする。昨日の夕飯の残りがまだあった。

「シキ君は、お腹すいてない? にっころがしと焼き魚ならあるよ」

「んー、いいや」

 シキ君は、もの珍しそうに室内を眺めている。

「動物は他の生き物を食べるから。人間も、そうなんでしょ」

「人間もって、他人事みたいね。キミも人間でしょ」

「違うよ」

 少し怒ったような声が返ってきた。シキ君はくるりと私を振り返り、腕組みをして頬を膨らませる。

「ボクは麒麟なんだよ。角がないから元の姿に戻れないけど、本当はもっとかっこいいんだからね」

「……」

 どうしよう。本格的に電波な子を拾ってしまった。話を合わせてあげた方がいいんだろうか。子供の想像力と夢を大切にするのは大人の義務だが、中二病は対処に困る。

 とりあえず生返事を返し、用意した夕食を食べ始める。シキ君が見ていたのでもう一度食事を勧めてみたが、頑として口をつけなかった。

「麒麟の角って、抜ける物なの?」

 大人な対応を試みて、子供の話に付き合うことにする。これで嘘に決まってると馬鹿にされたら悲しすぎるけれど、相変わらずシキ君にふざける様子はなかった。私の食事を見学しながら、真面目な顔で答える。

「抜けるよ~。人間の歯が生え変わるのと一緒。ボクくらいの歳になると、乳角から永久角に生え変わるの」

「ふーん」

 シキ君は、ああもう、と呟いて頭を抱えた。

「かなりぐらぐらしてたから、気を付けてたつもりだったんだけどな~。夢中で遊んでたら、どっか行っちゃった」

 ちょっと懐かしい。私も小学生の時、同じような思いをしたことがある。歯が抜けたら縁の下に投げようと楽しみにしてたのに、ふと気付いたら口の中から消えていた。

「抜けた乳角がないと、帰れないの?」

「ううん。永久角が完全に生えたら大丈夫。もう少し生えてきてはいるんだけど、乳角を探す方が早いかなって」

「そっか」

 少し乗り気になる。自分の歯の代わりというわけではないが、その角を探してみたくなった。それに、シキ君の言うことがもし本当なら、面白そうだ。私は昔から、おとぎ話や神話、都市伝説に興味がある。

 その日はもう遅かったので、さっさと就寝した。翌朝もシキ君に食事を勧めてみたが、やはり断られる。

「ねー冬莉、ご飯食べたら、角探しに行こうね」

「ごめん。私、今日も会社なんだ」

「え~っ」

 シキ君は見るからに不機嫌な顔をする。約束したのに申し訳ないとは思うが、こればかりはどうしようもない。人間は、働かなければ生活できない。

「早めに帰ってくるから」

 そうは言ったものの、やはり難しい。仕事量は私が決める物ではない。

「北野さ~ん」

 今日も加納さんから「お願い」がきた。早く帰りたいのに、余分な仕事が増える。

 結局また定時では上がれず、残業になってしまった。急いでマンションに帰り、自宅の扉を開ける。

 枕が飛んできた。よける間もなく、それは私の顔面にぶつかる。

「冬莉のバカ!」

 怒った声も飛んできた。当たり前だ。外はもう真っ暗で、探し物などできそうにない。早く帰ると約束したのに、時刻は午後十時を回っている。

「ごめん」

 シキ君は、そっぽを向いて膨れていた。

「早く帰ってくるって言ったのに! ボク、ずっと待ってたよ! 寂しかったんだからね!」

 声が少し震えている。膨らませた頬が赤い。見知らぬ場所に一人で置いて行かれ、不安だったんだろう。

「ごめんてば」

 何度も謝り、なだめすかして機嫌をとる。少年はしばらく不機嫌だったが、明日は休みなので必ず角を探せると言うと、満足してくれた。

「約束だからね!」

「うん」



 次の朝、私は夜明け前に起こされた。やはり何も食べないシキ君の横で朝食を済ませ、身支度を整える。

「で、どこを探すの?」

「うーんと、その辺!」

「その辺て……」

 シキ君曰く、角は元々自分の一部だったので、ある程度まで近づけば分かるらしい。

「まあ、日本にあることは確かだし、探してれば何処かから出てくるでしょ」

「そういうものなの?」

「麒麟の角だからね。それくらいの霊力はあるよ」

 人間以外のことはよく分からない。まあ、本人が言うならそうなのだろう。

 とりあえず、今日は家の周りを探してみることにする。失くしたものが意外と近くにあったというのは、よくある話だ。

 マンションの外に出ると、シキ君はきょろきょろと辺りを見回した。。

「右に行くと公園で、左に行くと商店街だよ」

「じゃあ左! 下界の商店街って、行ったことないもん」

 近所の商店街は、近くに大きなショッピングセンターが無いせいか、いつも繁盛している。スーパーまでは少し距離があるし、車を持っていない私は基本ここで買い物をしていた。きちんとした商店街なら、大抵のものは揃う。

 今日も大通りは活気に溢れ、家族連れやお年寄りで賑わっていた。客を呼ぶ声が飛び交い、人々の話し声は喧騒となって、冬の冷気を追いやる。

「すごいねえ」

 シキ君が感嘆の声を漏らした。

「ボクんちの近所では、シャッター商店街がどうとかって大変みたいだけど、下界は大丈夫なんだね」

 そんなことないと説明を始める前に、好奇心旺盛な男の子は先へ行ってしまう。私は急いで後を追った。

「すごーい! 見たことない物いっぱい!」

 シキ君は、人の合間を縫ってうろうろし、時々店の前で立ち止まる。

「冬莉、あれ何?」

「あれは電化製品だね。私の家にも、テレビとか暖房とか、あったでしょ」

「じゃあ、あれは?」

「あれは花屋。珍しい植物でも見つけた?」

「初めて見るお花ばっかりだよ」

 あちこちの店に立ち寄っては商品を眺め、魚屋にも寄る。シキ君は、ここでもはしゃいだ。

「これ、変な魚~」

 彼が指さした軒先には、鯵の開きが重ねてある。どうやら開いた魚を見るのも初めてのようだ。

「変じゃないよ。魚の腹を取って、干してあるの」

「ふ~ん」

 しばらく平たい鯵たちを見つめ、シキ君はいたずらっぽく笑った。

「この魚、飛べそうだね」

「はい?」

 私が首を傾げた瞬間だった。並べてあった鯵の一匹が、ふわりと宙に浮いたのだ。開かれた体を羽のように動かし、ぱたぱたと商店街の空へ飛んでいく。

「あっ、見てママ、お魚!」

 通りから子供の声が聞こえた。

 何枚もの鯵の開きが、魚屋を飛び出していく。何か奇妙な夢でも見てるみたいだ。店の主人も慌てて出てきて、商品が羽ばたくのを見た。

「ね、飛んだ」

 隣からおかしそうに笑う声がした。

「シキ君、これ、君の仕業?」

「そうだよ! 楽しいでしょ」

 私は頭を押さえた。どうやらこの少年は、本当に人間ではないらしい。そして、人騒がせな性格のようだ。

「シキ君!」

 私は、下界の商店街に魚を飛ばしてはならないこと、人前で霊力を使ってはいけないということを言い聞かせた。

 魚を回収して棚に戻し、店の主人に頭を下げる。魚屋の店主は驚いていたが、シキ君が反省しているのを見て、許してくれた。

 午後は商店街を出て、近所を散策する。シキ君は相変わらず、物珍しそうにきょろきょろしていた。

「やっぱり、街並みもキミの住む所とは違う?」

 私はもうシキ君を人間外の生き物として認め、こことは別の場所から来たんだと思うことにした。でなければ、この金髪碧眼に道士服の電波少年を、理解することは出来ない。

「全然違うよ。ボクんちは中国に近いし、道は碁盤状なんだ」

「そうなの」

 住宅街を通り、さして広くない公園に着く。ちょうどシキ君と同い年くらいの男の子たちが遊んでいた。

「寒いのに元気だねえ。シキ君も一緒に遊んでくれば?」

 軽い気持ちで言ったのだが、シキ君は神妙な面持ちで首を振った。

「ボクは神獣だから、彼らには関われない。管轄外なんだ」

 またよくわからないことを言っている。

「日本の死霊は、黄泉平坂の担当でしょ」

「死霊?」

「ほら」

 シキ君は、遊んでいる子供たちを指さした。つられて目を向けると、いつの間にか男の子の中に、振袖を着た女の子が加わっている。

「あの子は妖怪。死んだ子供の霊が成仏できるまで、一緒に遊んであげてるんだ」

 驚いて目を凝らすと、少年達の姿は、目の前でふっと掻き消えてしまった。

「この町は住みやすいみたいだね。神様もいる」

 シキ君が空を見たので、私もつられて上を向く。すると、平安絵巻から抜け出して来たような、狩衣姿の男性が浮いていた。彼は高い位置から町を見下ろしながら、優雅に空を歩いていく。

「あれは何?」

 私は男性を目で追いながら、シキ君に訊いた。

「何とは失礼な。彼はこの辺の土地神様だよ。あんなに霊力に満ちて、立派だね。町の人に大切にされてるんだよ」

 確かに、地元の神社は毎年大きな祭りが開かれ、日頃から産廃や祈祷で賑わっている。それが土地神様の力になっているということだろう。

「私、幽霊も神様も初めて見たよ。珍しいね」

「珍しくなんかないさ」

 シキ君は、感嘆する私を見て嘆息した。どうやら呆れているらしい。

「幽霊も神様も他の妖魔も、いつでもキミのすぐそばにいるよ。見ようとすれば見えるのに、ほとんどの人間は見ようとしないんだ」

 私が見ようとしたから、幽霊も神様も見えたということだろうか。信じられなかったが、翌日会社へ出勤して、私はその言葉が本当なのだと思い知ることになった。

 朝の電車では人間に交じって信楽焼きの狸が乗っていたし、交差点では小鬼の一行が私の足元を通って行った。

 そして会社では、部長に幽霊がとり憑いていた。会議中だというのに、私は思わず見入ってしまう。落ち武者って実在したんだ……。

「北野さん?」

 同僚に呼ばれてはっとする。Jポップを口ずさんで踊る足軽を見ている場合じゃない。その場をごまかすのには苦労した。

 その日は加納さんが休みだったので仕事が増えず、定時に席を立った。シキ君が寂しがるし、さっさと帰ろう。

「あら、北野さん、今日は早いんですね」

 声をかけてきたのは、会議の時と同じ女性だ。

「ええ。最近、親戚の子を預かっていまして。早く帰らないとなんです」

「そうなの。この頃北野さんの雰囲気が柔らかくなったのは、親戚の子のお陰なのね」

「……そうかもしれません」

 自覚はないけど、周りから見て変わっているなら、それはきっとシキ君の影響だ。そういえば、いつの間にか酷かった頭痛も治まっている。これもシキ君の霊力だろうか。

 帰りの電車では、窓の外に四つ羽の大鴉や一反木綿がいた。人の集まる所に怪異も集まるのか、都心に行くほど変な生き物を見る。逆に地元の駅へ帰ると、ほとんど何もいなかった。

 家に帰り、さっそくシキ君に今日見たモノを話す。

「言ったでしょ、彼らはいつもそばにいるって。陰と陽は隣り合っているからね」

「陰と陽?」

 小説などで読んだことはあるが、詳しくは知らない。私が訊くと、シキ君は嬉しそうに説明してくれた。

「この世は、陰陽の二つが揃って成り立ってるんだ。人間とか動植物の暮らす世界と、人間が魑魅魍魎と呼ぶ者達が暮らす世界。互いに対立し、拮抗し、調和して神羅万象を保ってる」

「人間の世界が陽で、魑魅魍魎の世界が陰ってこと?」

「違うよ。互いに陰であり、互いに陽だ。調和を崩さないように、互いはなるべく関わらない方がいい」

 調和が乱れると、どっちの世界にも少なからず影響が出るらしい。それが大きくなると、世界が大変なことになるという。

「だから、見かけても話しかけたりしちゃダメだよ」

「分かった」

 前の私なら信じなかっただろうが、シキ君と会ってから、私はもう片方の世界を見ている。否定するには現実的すぎた。



 次の週末も、シキ君の乳角を探しに出掛けることにした。

「何処か、心当たりのある場所はないの?」

「えーとね、遊んでる時、色んな動物がいて、付喪神がいっぱいいて、大きい交差点があった!」

 難しいことを知っていても、子供は子供だ。シキ君の説明は大まかすぎる。

「色んな動物ってことは、動物園かな」

「どーぶつえん?」

「ライオンとか、象とかいなかった?」

「いたー! 猿とかパンダもいたよー!」

 東京で大きな動物園といえば、やはり上野だろう。まずはそこへ行くとして、さっそく駅で切符を買った。

「電車に乗るの?」

「うん。上野まで歩いてはいけないからね」

「やったあ! 電車って、一回乗ってみたかったんだあ」

 シキ君はとびきりの笑顔を見せ、揚々と車両に乗り込む。目的地に着くまで、窓に張り付いて景色を見ていた。

 休日の上野動物園は親子連れでごった返し、冬だというのに熱気があった。外国人の観光客も多いが、金髪碧眼に白い道士服というシキ君のいでたちは人目を引く。

「洋服でも買おうか。その服じゃ目立つよね」

「これは服じゃなくて毛皮なんだ。脱げないよ」

 仕方がないので、私のコートを着せる。かなりぶかぶかだが、視線は減った。

「どう? 角はありそう?」

「うーん……今の所、そんな感じはないかな。ちょっとそこのシマウマに、ボクの角を見なかったか訊いてくるよ」

 シキ君はあっという間に人だかりの向こうへ消え、すぐに戻ってきた。

「知らないってさ」

「シキ君、動物と話せるんだね」

 私が感心して言うと、シキ君は当たり前でしょという顔をする。

「麒麟は全ての生き物の王なんだ。だから、肉も魚も食べないし、草も踏まない」

 どうりで、人間の食事を嫌がるわけだ。物を食べるという行為は、シキ君にとって仲間を殺すようなものなのだろう。

 上野には角がないとすると、次はどこへ行けばいいのだろう。

「シキ君、付喪神がいっぱいいたって言ってなかった?」

「言った~。あのね、本の付喪神が空にいっぱい飛んでたの! あれだけ大勢集まってるなんて珍しいから、びっくりしたよ」

「そっか」

 付喪神は、古くなった物が霊力を持つことによって生まれる神様だ。古本といえば、もちろん神田だろう。

 また電車に揺られ、神田の古本屋街に行く。

「あ! ここだよ! ほら、付喪神がいっぱい!」

 確かに目をこらすと、体長二十センチ程の付喪神がそこかしこにいた。軒の本棚に座って居眠りをしたり、道端の鳩にちょっかいをかけたりしている。

「本体の本の時代と種類によって、見た目が違うんだよ」

 シキ君の言う通り、よく見ると様々な外見の付喪神がいた。小さな鎌倉武士や江戸商人、明治書生がふわふわと飛び回り、じゃれあっている。

「不思議な町だね」

「うん。でも、世界には、もっと不思議な所がたくさんあるよ。見ようとすればね」

 ここにも角はなさそうだと言うので、最後の心当たりに望みをかける。これで見つからなかったら、東京中、関東中、果ては日本中を探す羽目になるのだろうか。

 休憩に入った喫茶店で溜息をついていると、正面の席で水を飲んでいたシキ君が、何か言いにくそうに口を開いた。

「あのさ、もしボクが隠し事してたら、冬莉は怒る?」

「そんなことないよ」

 誰しも隠し事の一つや二つはあるだろうし、話せないこともあるだろう。麒麟の少年だって、同じことだ。

 私が言うと、シキ君は安心した表情で、隠していた事を話し始めた。

「乳角が見つかるか、永久角が完全に生えれば帰れるって言ったの、覚えてる?」

「うん」

 でも、永久角が完全に生えるのを待つより、乳角を探した方が早いと言われ、探し始めた。

「本当はね、とっくに永久角は生えてるんだ。もう、乳角が無くても大丈夫なの」

「……」

 私は驚いてシキ君の顔を見る。彼を拾ってから、二週間ほど経っていた。

「楽しいことが多いと、角は早く伸びるんだ。冬莉と一緒にいて楽しかったから、思ったより早く生えきったみたい」

 シキ君は自分の前頭葉の辺りを撫でた。そこが角らしい。

「それで、その……冬莉といるのが楽しくて、帰りたくなくて、もう大丈夫なのに探してもらって……ごめんなさい」

 少年はうつむいてしゅんとする。本当に落ち込んでいるようで、電車や動物園、古本屋街にいた時の明るい様子が微塵もない。笑うときには本気で笑って、反省するときには心の底から反省して、感情に正直で、子供ってかわいい。

「いいよ。私もシキ君といて楽しいからね」

「本当?」

「うん。だってキミがいなかったら、私は土地神様や幽霊や付喪神を見ることなんて、なかったんだから」

 自分のそばにいる不思議な生き物達に気付くこともなかっただろう。きっと他の人達と同じように、もう一つの世界を見ようともせず人生を送っていた。それは、今の私にはとてもつまらない事のように思えた。

「ありがとうシキ君」

 素直にその言葉が言えた。私の反応が嬉しかったのか、シキ君は笑顔になる。

「ボクも、冬莉にありがとうだよ」

 やっぱり子供ってかわいい。彼のような子とずっといられたらと、少し思った。

「でも、角が生えたんなら、ちゃんと家に帰らなきゃダメだからね」

「え~」

「お父さんとお母さんに怒られちゃうよ。何日も帰らないで、心配かけてるんだから」

「は~い」

 今日の夜には別れる約束をして、角探しを続行する。シキ君の角が生えきったならその必要はないんだけど、もう少し二人で遊んでいたかった。

「大きな交差点て、十字路?」

「違うよ。なんかね、道がぐちゃぐちゃしてて、周りに高いビルがいっぱいあった」

 形容しがたい形の交差点も高いビルも、東京には数えきれないほどある。それだけでは皆目見当もつかない。

「あ、あとね、ビルに大きいテレビがついてて、近くに犬の像があったよ」

「渋谷か」

 あのスクランブル交差点は有名だ。神田から銀座線に乗ってハチ公の駅まで行く。地下鉄なので外の景色が見えず、シキ君は

「景色の見えない電車なんて、電車じゃないよ。ボクは認めない」

 などと不満がった。

 渋谷に着く頃にはもう日は傾き、喧騒は夕闇に浮かんでいた。波のように押し寄せる通行人に交じり、やはり人ならぬ者達が歩いている。空では魔女やドラキュラが、唐傘お化けに連れられて渋谷観光をしていた。

 駅に着いてからシキ君が少し変だ。何も言わず、きょろきょろしては嘆息する。人ごみに圧倒されているのか、ぼんやりした様子で周囲を見回した。

「どう? 角ありそう?」

「うん。ある。こっち」

「あるんだ!」

 シキ君は驚くと同時に喜ぶ私に構わず、人々の間をすり抜けるように歩いて行く。

「待ってよ!」

 急いで追いかけると、横断歩道だらけの交差点の真ん中で脚を止めた。待ってくれたのだと思ったが、私が追いついてもシキ君は動かない。

「あれ」

 真っ直ぐに右手を挙げ、暗い空を指さした。私も星のない空を見上げる。

「あれ……って、あの光ってるやつ?」

「うん」

 ここからではよく見えないが、街の明かりが吸い込まれていく暗闇の中に、はっきりと白く光る物があった。

「まずいな」

 シキ君が呟く。

「あんなに高い所に落ちてるとは思わなかった?」

「違うよ。時空の狭間に落としてたらどうしようかとは思ったけどね。そうじゃなくて、ほら、角の上」

 目を凝らすと、その光る物のさらに上空に、大きな白いの塊があった。しかし、見るからに普通の雲ではない。竜巻のような形のそれは、光る物を先端に回転している。

「何あれ」

 私は本能的な不安を感じ、少し後ずさりした。

「ボクさ、冬莉に別の世界の生き物と関わらない方がいいって言ったよね」

「うん。二つの世界の調和が乱れるんでしょ?」

「そうそう。それで、ボクって人間の世界の生き物じゃないから……」

「ダメじゃん」

 互いに話すことさえ避けなきゃいけないなら、私とシキ君は考えるまでもなく関わり過ぎだ。

「あの雲、二つの世界のバランスが崩れてきてる証拠だね」

「ダメじゃん!」

 話している間にも、竜巻雲は徐々に大きくなっていく。もう、ビルに囲まれた空をほとんど覆っていた。

 いつの間にか赤信号になっていたのだろう。クラクションを鳴らされ、慌てて歩道に上がる。人にも人外にも見えているのか、何人も空を見上げて目を丸くしていた。

「どうするの」

「角を回収して、ボクが帰れば大丈夫だよ。なにせボク麒麟だから、霊力が大きいんだ」

「威張ってる場合じゃないでしょ。ほら、早く取ってきて!」

「分かったよ」

 シキ君が眼を閉じて深呼吸する。

 変化は一瞬だった。気付くと私の目の前には、不思議な生き物が立っていた。

 頭は竜で額には水晶のような角がある。体には鱗を持ち、馬の蹄で地面を踏みしめ牛の尾を振る。純白の体躯と金のたてがみは輝き、澄んだ碧い瞳には私を映していた。

 これが麒麟……。

 私はその美しさと神々しさに圧倒された。あらゆる動物の長だというのも迷いなく頷ける。凛とした雰囲気と優雅な威圧感は、まさに王者の風格だった。

「冬莉、乗って」

 麒麟に戻ったシキ君が言う。いつもの明るい調子の声だが、そこには有無を言わせぬ響きがあった。

 私は麒麟の横へ回り、白い背中によじ登る。

「行くよ!」

 シキ君が地面を蹴った。ふわりと宙に飛び、空を走る。私は急いで麒麟の首に捕まった。

 地上は見る見るうちに遠くなり、紺碧の空と竜巻雲が近くなる。雲の近くでは強い風が吹いていた。耳元で低い音をたて、麒麟のたてがみをはためかせる。落ちないよう捕まっているのがやっとだ。

「ボクの角、取って!」

 風の中シキ君が叫ぶ。夜空で白く光っていた物が、すぐそこにあった。

 片方の手で金のたてがみをしっかり掴み、身を乗り出して手を伸ばす。もう少しだ。

 取った! 

 掴んだと確信した瞬間、強風に煽られる。私は体勢を崩して麒麟の背から落ちた。

「冬莉!」

 今度は空が遠くなって、地面がどんどん近くなる。人と人以外の悲鳴が聞こえた。

 もう駄目だと目を瞑った時、何かに受け止められる。

「大丈夫?」

 恐るおそる目を開けると、目の前を人の波が通っていくところだった。

「うん。なんとかね」

 白い麒麟の背に乗りなおす。シキ君は良かったと呟いて歩調を緩めた。固唾を吞んで経過を見ていた妖怪や霊から、安心の声と拍手が起こる。シキ君は彼らに会釈してその場を離れた。

「ごめんね冬莉。怖かったでしょ」

「まあね。でも、角を回収できて良かった」

 麒麟の背に揺られながら黒い空を見上げると、さっきの竜巻雲は少し小さくなっていた。

 シキ君は高度を上げて、地上の喧騒から逃れる。冬の夜空は寒かったが、心地よい静けさに満ちていた。眼下に広がる東京の街は満天の星空のように煌めいて、今までに見たどんな夜景より美しい。

「ボクは帰るよ」

「うん」

「今までありがとう。すごく、楽しかった」

「私も」

 少しの言葉を交わし、後は黙って二人夜風を感じる。

 やがて、シキ君は私の家があるマンションの前に降り立った。背中から降り、私は地面に足をつける。

 手を開くと、白い水晶のような麒麟の角が町の明かりに温かく照らされていた。空に浮いていた時のような輝きはないが、優しい煌めきがある。

「その角はあげるよ。ボクのこと忘れないように、冬莉が持ってて」

「分かった。大切にするよ」

 この角もシキ君と過ごした時間も、私の大切な宝物になるだろう。変な物が色々と見えるようになったが、今はそれが私の当たり前だ。

「じゃあ、元気でね」

「シキ君もね。私、キミのこと忘れないから」

「ボクも、冬莉のこと忘れない」

「じゃあね」

「さよなら」

 シキ君は最後に笑顔を見せ、夜空へ駆けあがった。私はその姿が見えなくなるまで、ずっと手を振っていた。



 こうして、麒麟の迷子は家へ帰っていった。私は普通の生活に戻り、仕事に明け暮れている。

「北野さ~ん、これ分からないんだけど~」

 余分な仕事はなかなか減らないが、もう頭痛に悩まされることはない。

「じゃあもう一度やり方を教えますから、次からは自分でやって下さいね」

 そしてふと街中に神様や妖怪を見つけては、シキ君のことを思いだすのだった。



 彼らはいつも私達のそばにいる。見ようとすれば、ね。

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