2.本田沙耶

淹れたてのコーヒーに、適当に焼いたホットケーキ。久しぶりにまともに食べる朝食だ。


天使は湯気の立つマグカップを手に取り、口に運んだ。

今触れているマグカップ、ホットケーキの乗った皿。どちらも少しだけ形が歪。しかしこの歪さが味だと思う。天使としては、嫌いじゃない。


この陶器、最近手に入れたものだ。

買ったのではない。譲ってもらったのとも、少し違う。


この間、仕事で−−−


***


ある魂の、最後の願い。それを叶えるために、天使はあるアパートの一室にいた。


−−−ごみを、捨ててきて欲しいんです。


そんな願いであった。

今回は、当事者自らの手によっての死ではない。だから色々と準備できなかったことがあるのだろう。

……ただ、ごみを捨ててくれとは珍しい頼みだけれど。


−−−市のごみ袋に入っていますから、すぐに分かるはずです。それを捨ててきてください。


なんだそりゃ。


と、思った。

この世と別れる前の最後の願いがそれかよと。


まあしかし、思うことなど十人十色、人それぞれだ。そこへ自分が文句を言う筋合いはない。

だからただ、分かりましたと一言返事をして、天使はここへ来たのだった。


そこまできれいでもないが、汚くもない部屋だ。

目的の黄色いごみ袋はすぐに見つかった。


これを捨てておけばいいのだな、と天使はそれへ手を伸ばした。アパートの入り口に住人用のゴミ箱があるだろう。そこへ捨てておけばいい。

ということは羽根をしまう必要があるな。この姿、人間に見られては面倒臭い………


−−−からん、


とくぐもった音がして、それと同時にずしりと重みを感じた天使は「うわっとと」と思わず声を上げた。

思ったより遥かに重い。これはただのごみではない。一体何が入っているのか。


気になって、袋を開けて中身を取り出してみた。出てきたのは、新聞紙に包まれたもの。その形状を見て、すぐにそれが何か分かった。陶器だ。


「…………」


新聞紙に手をかける。適当に梱包されたそれは、大した手間もなく剥がすことができた。やっぱり陶器だ。これはマグカップ、その他平たい皿や花瓶など、まだいくらも使われていないような陶器が、わんさかと出てきた。


なんでこんなに。しかも新品を。


台所の方へ目をやった。食器は揃っている。

となると、これは今回の魂が生活のために買ったものではないらしい。趣味か、とも思ったが、彼女は「ごみ」だと言ったのだ。自分の趣味で集めたものに、そんな言い方をするだろうか。


天使は部屋の中をもう一度観察した。本棚には、読み古した本が並んでいる。その背表紙には、「土の極意」「世界の名陶器」などなど…

半分ほど、陶器の本だ。

部屋の主は陶器が好きだったらしい。ではやはり、趣味の品なのか。数が多くなったから、捨てようとしていたのだろうか。

しかし、あの世へ行く直前に天使に頼むほどのものだ。どうでもいいようなものではなさそうだが……


「………」


分からない。どうしてこれらが「ごみ」なのか知りたいと思うけれど、天使の仕事はこれを捨てることだ。

とりあえず、あの魂が未練なく逝けるように仕事をこなさなくては。




「捨てて頂けましたか」


聞かれて、天使は「ええ」と答えた。−−−嘘だ。


本当は、捨てられなかった。なんだか捨ててはいけないような気がして、ひとまず自分の家に置いてきたのだった。

あの「ごみ」は、ただのごみではない。天使の予感がそう言っている。ではどんな「ごみ」なのだろう。どうしても気になってしまい、今回の魂、本田沙耶(ほんださや)から話を聞き出すことにしたのだ。


本当は、規則違反だ。沙耶をうまく導くことができても、後で何か厄介が起これば天使のせいになる。

それは、面倒だが………気になるものは気になるのだから、仕方がないじゃないか。


「あのごみ……一体、何なんですか?」

「何、って?」

「あ、いやあ、ガシャガシャ鳴るし結構な重さがあるもんですから、気になりまして」

「……あれは…その」


沙耶が天使から目を逸らして、言い淀む。やはり、何かあるな。


「と、陶器…です」

「趣味ですか」

「いえ……そういうわけじゃないんですけど」


だろうな。


資料に記された沙耶の年齢は、二十一歳。金にそこまで余裕があるわけでもないのだろう。こんな時分に陶器収集を趣味とするとは思えなかった。


「……割れたやつですか?」


天使は、あのごみが何なのか知らない者でなければならない。さらに沙耶から情報を聞きたく、当たり障りのない質問を投げかける。


「い、いえ」

「そうなんですか。じゃあ、曰くつき?」

「そんなんじゃありません。……ああでも、ある意味、そうかも…」

「え?」


どういうことだ。


「あ、す、すみません。忘れてください。とにかくあれはもういらないものですから、捨ててもらって良かったんです」


沙耶が、些(いささ)か焦ってそう言った。

陶器の話になってから、目を合わせてくれない。その様子が、これ以上この話に触れないで欲しいと物語っているようだ。


「そ、そうなんですか。なら良かったんですけど……」


これ以上掘り出すのは、得策ではなさそうだ。

素直にそう返して、話を終わらせた。怒らせてあの世へ行くのに支障が出てもいけない。


「……そろそろ、行きますか」


言うと、沙耶の目がこちらを向いた。すみませんあと一つだけいいですか、と言うので、どうぞと促す。


「家族に会ってからでも、いいですか?」

「あー、もちろん。ただ、相手はもうこっちのことは見えませんから、会うというか見るだけって感じになりますけど」

「はい。ありがとうございます」


天使は沙耶の手を取って、ばさ、と一つ羽ばたいた。ふわりと身体が浮く。「すご……」と沙耶が小さく呟くのが聞こえた。


*****


あの後家へ帰って、沙耶が「ごみ」と称した陶器たちを全て机の上に並べてみた。マグカップ二つ、平たい皿が一枚、深めの皿が二枚、一輪挿しが三つ。結構ある。どれもこれも、ベージュというか肌色というか。優しい色だ。

形は皆どこか歪だが、きっとそういうものなのだろう。


どうしたものかなあ、と考えながら、皿を一枚手に取った。

結局、その陶器たちが何なのかは分からなかった。沙耶のあの様子。ただのごみではないのだろうが、趣味でもなくて曰くつきでもない。


「…うーん」


適当に平たい皿を手に取り、何気なくひっくり返して裏を見てみる。−−−すると、


「……ん?」


中心に小さく、文字が並んでいることに気がついた。アルファベット二文字、「S.H」………


他の陶器も裏を確認する。やはりそこにも、同じ文字が並んでいる。たぶん作者のイニシャルだろう。これらは全て、同じ者の手によって作られたものらしい。


「………」


天使は、思い出す。これをごみだと言ったあの女性。本田沙耶。イニシャルは、

S.H−−−


そういえば、彼女の部屋には陶器の本があった。今思えば、土の本まであったのは、もしかすると彼女が制作者であったからかも知れない。


いや、待て。それならなおさら、これらが「ごみ」であるのがおかしい。普通、自分の作品を「ごみ」だなどと言うだろうか。

天使はものづくりの職に就いたことはない。せいぜい、人間として生きていた頃に魚を取るための網を編んだくらいである。その網でさえ、ごみだなととは言わなかった。

陶器というれっきとした作品であるなら、とてもごみだとは思わないのではないか。


「はあ……」


一体何だというのだ。


ふと、陶器を包んでいた新聞紙に目をやった。

堅い文字がびっしりと並んだ、灰色の紙。そこに青い色が見えて、手に取った。何だろう。手書きの文字だ。


新聞の本文よりも少しだけ大きい文字が、印刷された文字や画像の上から書いてある。


文章の始まりを探した。

くしゃくしゃになった新聞紙の、左上の端から横書きで文章が始まっている。その文章を、目でなぞる。


「もう無理」


そんな言葉から、始まっていた。


「才能なんてはじめからなかったのに。早く気づけばよかった。誰かもっと早くそう言ってくれればよかった。そしたら、もっと早くに諦められたのに」


「……あー………」


天使は一人で、呟いた。


彼女は夢を諦めたのだ。

陶芸家になりたかった。けれど、自分の才能の限界に気がついてしまった。

……いや、とっくの前に気がついてはいたのだろうが、諦められなかったのだろう。周りがなまじ応援してしまうがために、気がついていながら諦めるきっかけを持てずにいたのだ。


しかし死の直前、恐らくやっと、踏ん切りがついた。だから、気持ちを切り替えるために……もしくは、夢を追っていた頃の自分が馬鹿らしく思えて悲しくなるのが嫌で、作品を捨てようとしたのだろう。


これはあくまで、天使の推測だ。しかし筋は通ると思う。

沙耶の、「ある意味、曰くつきかも」という言葉にもまあ、合うと思う。制作者が若くして死んでいるのだし、見方によってはそうとも言えるかも知れない。


「………」


虚しいような、悲しいような、何とも言えない気持ちになる。


乱雑に書き殴られた、青い文章。これを書いていたときの沙耶の気持ちは、想像するに難くない。


「叶うか怪しい夢なんて、追い続けるのと諦めるのと……」


どちらが正解なのだろうなあ。


*****


空になった皿とマグカップを洗って、繰り返し使う。花瓶には花を挿して、机の上へ飾る。


店に売られたわけでもない。世に名が通ったわけでもない。けれど、少なくともここに一人、彼女の作った陶器を使う者がいる。


それを彼女に伝えることは、きっともう叶わない。


しかしそうすることで、少しだけではあるけれど彼女の夢を叶えてやれる気がする。そう、自分でも気がついている。これは彼女のためではなく、自分の気休めのためにしていることなのだ。


「……はは」


「天使」らしくない。よく言われる。長く天使をやっているくせに、いつまで経っても人間臭さが抜けないのだ。今のように、意味のないことだと分かっているのに、そうせずにはいられないことがまだまだある。


「どうしたもんかねえ」


窓の外を眺めながら呟いた声。誰かが答えることもなく、空気に溶けた。

だからそういうとこなんだよなと、天使はまたひとつ、溜め息を吐いた。

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天使のおしごと ROTTA @shirona_shima

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