花弁の手紙

λμ

あの子からの手紙

 僕の家の郵便受けに、白い花の花びらで封をした、小さな封筒が入っていた。

 差出人は、クラスの、ちょっと気になるあの子。丸くて、少し震えた字だ。


 僕はそれを持って家の階段を駆け上る。ドキドキする胸に手を当てて、深呼吸。

 優しく、花びらが裂けてしまわないように、封を開ける。

 爽やかな、少し涼しげで、でも甘みのある香りが、僕の鼻をくすぐった。多分、入っていた白いカードに、香水がつけてあるんだろう。

 カードに書かれている言葉はなんだろうか。取り出して、ひっくり返す。


『明日の夜、午後7時に、貴方のおうちに、伺います』


 僕の鼓動は激しくなって、苦しいような、でも弾むような、不思議な気分になっていく。自然と口元が緩んで、ニヤついてしまう。あの子は明日、日曜日の夜に、何て僕に言ってくれるのだろう。

 

 あの子は、クラスの中では、地味な子だった。でも、良く見ると、すごい美人。

 黒く、長い髪をして、肌は白磁のように白く、滑らかだった。薄い緑色の、丸い眼鏡をかけた女の子。いつも教室で静かに、本を読んでいた。

 机の上に残された本のタイトルを、盗み見たこともある。会話のタネにしようと思ったからだ。イギリスの推理小説だった。ちょっと子供っぽくて、可愛いと思った。

 

 あの子は本を読んでいるとき、はらりと落ちた横髪を、細い指でかきあげる。すると、彼女の小さな耳と、細い指、そして眼鏡のつるで、柔らかい曲線を描かれる。

 それを見ると、いつも僕は、胸が苦しくなって、ドキドキして、何度話しかけようと思っていたか、分からない。でも声はかけられずにいた。

 

 目が合う事もあったけど、情けないことに、僕は目をそらしてしまっていた。

 でも、話した事がないわけじゃあ、ない。

 

 あるとき僕が、カノジョが出来たばかりの友達をからかって、盛り上がっていたことがあった。みんなで笑って、騒いで。その後に、あの子が僕に話しかけてきた。


「彼と、仲がいいんですか?」


 小さく、静かな声だった。僕は慌てて、ちょっと吃もってしまった。


「うん。大親友さ。僕があいつに、友達の女の子を紹介してやってさ。そしたら、ほんとに付き合うことにしたんだってさ」


 彼女は淡いピンク色の唇を、小さく上げて「そうなんですか。おめでとう、と伝えてもらえますか?」と言った。

 彼女の、僕をじっと見る目は、大きくて、潤んでいて、僕の顔が映っていた。

 なんだか恥ずかしくなって、目を逸らした。でも、今がチャンスかも、と思いなおして、僕は勇気を振り絞り、振り向いた。

 彼女はもう、そこにいなかった。

 

 それが僕とあの子の会話。たった、それだけ。

 

 でも、それから彼女は、僕をいつも見ているようになった。

 目が合うと、はにかむように笑って、目をそらすようにもなった。

 なんだか、それが可愛くて、何度も何度も話しかけようと思っては、いた。

 情けない僕には、そんな勇気が出なかった。

 

 そんな、あの子から、手紙が来たのだ。

 わざわざ花びらの押し花まで作って、それを封筒に貼って。なんて嬉しいのだろう。これはきっと、きっとアレだろう。

 

 その日の夜は、眠れなかった。明日が待ち遠しくて、何度も何度も寝がえりをうって、それでも寝れない。たまにベッドから起きて、封筒の花びらを撫でたりしてた。

 そうやって夜を過ごして、朝になってしまった。目の隈が酷いだろうから、シャワーを浴びた。でも、眠気はなかった。今度は、夜が待ち遠しかったからだ。


 僕は家の皆に言って、街へ出た。何かをしていないと、落ち着かない。

 

 街の風景は、いつもより色鮮やかだ。

 普段はまったく気にしていなかったのに、花屋にまで目がいってしまう。

 花屋の店先には、白い花。あの封筒に封をしていた花びらと、良く似た形。

 

 僕は近付いて、それを眺めていた。すると、店員が近づいてきた。


「お花をお探しですか?」


 僕は彼女に同じ花を贈ろうかと思って、聞いた。


「この花の名前は何て言うんですか?」


「スノーフレークですよ」

 店員の女性は、柔らかい笑顔を浮かべて続けた。

「彼女さんに、贈り物ですか?」


 その言葉で急に恥ずかしくなって「違います」と言い、逃げるように立ち去った。

 しばらく街をぶらついて、勇気を出して、僕は本屋に寄った。彼女への贈り物を買うためだ。彼女の趣味は、もう知ってる。

 

 僕は調べておいたイギリスの小説を、ブックカバーと一緒に買って、家に帰った。

 

 時計を見ると、まだ少し時間がある。

 僕はパソコンを起動した。今日、花屋で聞いた、スノーフレークを調べるためだ。

 写真が出た。ちょっと地味な、白くて綺麗な花。彼女に雰囲気が良く似てる。

 花言葉は『純潔』『汚れなき心』。まさに彼女にぴったりだ。

 それに、花びらの先の、小さい緑色のアクセントは、彼女の眼鏡を思い出させる。


 あれ?


 僕はそこで、気付いた。

 

 彼女の手紙につけられた花びらには、花びらの先に、緑色が入っていない。

 

 改めてページを見ると、良く似た花に、スノードロップがあるそうだ。

 スノードロップの花言葉は、『希望』『慰め』。僕は胸が躍った。

 『慰め』の意味は分からなかったけど、『希望』は、きっと、きっと――

 チャイムの音だ! 彼女が来た! 

 

 僕は、今日街で買ってきた、彼女に送るためのイギリスの小説を手にとって、はやる気持ちを押さえきれずに、思わず部屋を飛び出していた。

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