その11(終)

「……は?」



 体の周りを包んでいた光が消えた時、ゴシップ記者の体は何も見えない暗闇に包まれた。


 直前のマネージャーの説明を信じるなら、今の彼は常識が狂いそうなほど恐ろしいアイドルの事務所から抜け出し、元の外の世界に帰還する事ができたはずである。それなのに、周りには何一つ明かりが無い。いくら真夜中でも、帰還させるよう要望させたビル街ではたくさんの光が彼を照らしているはずである。一体どういう事なのか、本当にここはあのビル街なのか。そう思い、ポケットの中にあったスマートフォンを照らした、その時だった。


「……あれ!?」


 明かりの中に映し出されたのは、明らかに『外の世界』には置いていないはずのものだった。彼の知るビル街には、映画館にあるような赤色のリラックスチェアーなんて、ビル街のど真ん中にあるはずは無い。あったとしても、ゴミ捨て場に置いてあるぐらいだろう。それなのに、どうしてこんな映画館のような絨毯敷きの地面の上に――いや、それ以前にここはビル街なのか。必死に明かりを照らしても、辺りには一切の明かりも見えず、ただ目の前にリラックスチェアーがあるのみだった。



 ようやくゴシップ記者は気づいた。自分がまだ『脱出』出来ていない事に。



「だ……騙したなぁぁぁ!!」



 かすれ声で絶叫をした、その瞬間だった。暗闇が一瞬にして眩い光に包まれ、彼の目を眩ませたのだ。あまりの眩しさにバランスを崩したゴシップ記者は、目の前にあった赤色のリラックスチェアーに座り込んでしまった。そして、光が次第に収まっていくにつれ、彼は自分がいる場所がどういう状況なのか、どのように常識から外れているのか、嫌でも知らされる事となった。


 普通のコンサートホールの場合、まるで段々畑のように客席が上の方向に連なり、どこの席に座ってもステージに立つアイドルの姿がしっかりと見えるようになっている。だが、この妙な空間は全く逆の構造なっていた。彼が座り込んだリラックスチェアーがある場所が一番低く、そこから段々畑のように何十、何百、いや数え切れないほどの『ステージ』が上へ上へと数限りなく折り重なり続けていたのだ。まるで、ゴシップ記者がずっと見たがっていた、立ち並ぶビルのように。


 くしゃくしゃになった顔をさらに歪ませながら周りの異様な景色がゴシップ記者があんぐりと口を開いたとき、彼の目の前にあったステージに、今日何度も、嫌と言うほど見続けてきた人影が、明るく可愛い声と共に姿を現した。



「こんにちは。網乃メアリでーす♪」



 金色の髪に黄色のリボン、網目状の模様がついたミニスカート、黒い靴下からは滑らかな脚が、白いブラウスからも首周りがちらりと覗く――彼女こそが、アイドルグループ『Dolly`s』を率いるリーダー、努力家で頑張り屋という『装飾』が施され、次々に大量生産されていくクローン人間、いや人間とは明らかに違う『何か』――網乃メアリである。

 たった1人だけで現れた彼女に一瞬気を緩ませたゴシップ記者に向けて、メアリは明るい声で感謝の言葉を述べた。



「今日は、私たちの『事務所』を見学してくれて、ありがとうございまーす♪」

「は、はは……ど、どうもぉ……」

「そして、今までずーっと私を応援してくれて、本当にありがとうございます♪」

「う、うん……そうだなぁ……」


「そこで、最後に私から『お礼』をしたいと思いまーす♪」


「……お、『お礼』……」


 数日後に発売される、網乃メアリ・ソロデビューシングルに収録されている曲を、ゴシップ記者のためだけに熱唱し、しかもまだ秘密のPVの『再現』までしてしまう――まさに報道関係者にとっては最高のお礼であり、大スクープになるものだった。しかし、この場に至るまで、何度も何度も常識を逸脱した光景、そして恐怖の場所をめぐり続けてきたゴシップ記者には、この様子をスマートフォンにメモする事も、カメラに収める気力すらも残されていなかった。彼女からのお礼をただ受け入れ、それが早く終わり、この場から脱出できるのを望むだけだったのである。


 もうどうにでもなれ、と言う諦めの笑顔をゴシップ記者が見せた時、網乃メアリはマイクをもう一度しっかりと握った。



「それでは、私『たち』の新曲、お聞き下さい!」



 ――『ソロ』デビューのはずなのに、何故か複数形で気合を入れた、その時だった。

 複数形の理由と共に、ゴシップ記者はこの部屋が無限のステージを有する理由も同時に知る事となった。何故なら、遥か高く積み重なったステージと言うステージを――。



「はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」はーい!」……


 金色の髪に黄色のリボン、網目状の模様がついたミニスカート、黒い靴下からは滑らかな脚が、白いブラウスからも首周りがちらりと覗く――全く同じ姿形のアイドル、いやクローン生命体『網乃メアリ』が覆い尽くしたからである。

 そして、何万何億ものアイドルは、一斉に声を揃えて歌い始めた。



「うわあああああああああああ!!!!!!や、やめろおおおおお!!!!」


 ゴシップ記者は、叫び続けた。無限に耳に入り続ける歌声を、ギターサウンドが心地よいアップテンポの曲を、必死に受け入れないようにした。耳栓変わりに耳を指の中に入れ、必死に目を瞑り、必死に彼女を見ないように努力した。だが、それらはあっという間に無駄になってしまった。大量の網乃メアリは歌いながらステージの傍にある階段を次々に降り、希望に満ちた歌を口にしながら、ぞろぞろとゴシップ記者に近づいてきたのである。

 しかも、彼女の歌がより大きくなる理由はもう1つあった。何十、何百人もの網乃メアリが降りたステージに、新たな網乃メアリが奥から次々と補充され続けていたのだ。あの時ゴシップ記者が見た、『楽屋』の中で無数の透明な空間に詰め込まれ、無限の微笑を見せ続けるメアリの大群が次々に開放され、この空間に送り込まれていたのである。階段を降り、ゴシップ記者の周りを埋め尽くす度にまた新しいメアリが補充され、彼女たちが降りればさらに新しい彼女が現れ、そして――。


「わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」わーい♪」……



 ――全く同じ満面の笑みを浮かべ、全く同じ衣装を着こなし、数限りなく量産される網乃メアリの大群は異様な空間を容赦なく埋め尽くし始め、やがて折り重なりあいながら広大な『肉の海』へと変貌させていった。最早ゴシップ記者には、一切の抵抗手段も残されていなかった。


 右を向いても網乃メアリ、左を向いても網乃メアリ、上も下も網乃メアリ、前も後ろも網乃メアリ、天井の彼方も地平線の彼方も網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ、網乃メアリ――。


「あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」……


 


 ――無限に量産されていくアイドルの海に溺れた1人の『男』が意識を失うまで、そう時間はかからなかった。



~~~~~~~~~~~~~~~~


 

 あの出来事が起きてからすぐ、男はゴシップ記者を引退しこの職場から永遠に離れる事を、雑誌の編集長に自ら告げた。当然、編集長を含めた会社の全員がその発表に驚き、彼の意志を変えようと必死に説得した。だが、焦燥とした表情で訴え続ける男の意志は固かった。今まで幾度と無く隠された真実を暴き、秘密を世間に暴露し続けると言う自分の行為が一線を越えたとき、どんな災いとなって自分の身に返ってくるのか、嫌でも身に染みていたからだ。

 既に大事なカメラは質屋に売って生活費に買え、今後投稿したり発表したりする予定だったファイルも全て消去した。もう彼には、他人の生活を侵す勇気も気力も無かったのである。


 そして、あの日の出来事のせいでくしゃくしゃになった顔のまま、男は雑誌社を去っていった。



 それから数日後、人ごみで賑わうビル街の中を、男は歩き続けていた。町を取り囲む広告にも一切目もくれず、まるで何かから必死に逃げるように、歩き続けた。

 だが、その何かから完全に逃げ延びる事は、この世界で行き続ける限り不可能であると言う事実を、ビルの一角に設置された巨大なテレビの画面はまざまざと見せつけた。男が自らの仕事を辞めようとも、人々は秘密や真実を解き明かしてくれる事を望み、テレビ局や新聞、雑誌はそれに応え、さらに喜ばせて地位と名誉を頂こうと、一線を越え続けるのだ。

 そして、時にはアイドル本人から今まで「秘密」にしていた内容が明かされる場合もある。


「こんにちはー!」


  その声の主を目に入れてしまった瞬間、男は大声を上げてその場を逃げ出していった。周りに居た人たちも、何故あの人はそのような行動をしてしまったのか全く理解出来なかった――。


「それでは、私のソロデビュー曲、聴いてください♪」


 ――何千何万と自分が果てしなく増えていくと言う初披露のPVと共に、街頭のテレビの向こうで熱唱する人気アイドルグループ『Dolly`s』のリーダー、網乃あみのメアリを除いては……。



≪終≫

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ヒミツの量産アイドル 腹筋崩壊参謀 @CheeseCurriedRice

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