変化

 竜吉公主に楊戩と呼ばれた男は、外見上は楊戩と僅かな一致すら見せなかった。優男で笑顔を絶やさない楊戩と比較して、男は無骨すぎる。醜男ではないが、輪郭がはっきりとしており、性根の強さを感じさせる。


 楊戩は策士肌であり、男は武闘派肌である。男の似ても似つかぬ風貌からは、楊戩の姿を思い浮かべることは困難である。


 それでいながら、竜吉公主は男のことを楊戩と言い切った。確信があると言わんばかりに断定した。


「ほう。説明してもらおうか。この私が楊戩殿であることを」


 男は堂々とした態度で訊いてくる。


「噂があるのじゃ。ここに楊戩が来ているという、な」

「しかし、噂だけでは根拠になるはずもなかろう」


 男が言い返すが、竜吉公主は淡々と話を続ける。


「わらわを捕えたのは紛れもなく宝貝の能力。それほどの力を必要とするわけでもないが、仙人しか使えないものじゃ」

「竜吉公主殿を捕えた仙人がいると?」

韜晦とうかいは不要じゃ」

「それほど我々が老獪に見えるか?」

「わらわが居場所を失ったのは、楊戩の仙術とは異なった類のものじゃ。とは言え、混乱したわらわに一撃を加えたのは、強力な術を行使できる仙人だったはずじゃ。おそらくは哮天犬の攻撃では。と推測しているのじゃ」

「成程、世にきく楊戩殿であれば、竜吉公主殿の霧露乾坤網の護りを打ち破ることができるかもしれん。だが、竜吉公主殿は旗の術に囚われていた身。背後から木刀のようなもので打ちつけられただけかもしれぬぞ」

「楊戩ならば……」


 竜吉公主は、男の言葉に反論するかのようで途中で止める。どうしたのか。と前のめりになる男のことを無視して天井を見上げる。


「楊戩殿ならばどうというのだ? やはり、証拠は無いのだろう」


 男が言うと、竜吉公主はふふふと声を漏らして笑う。


「何が面白いのだ」


 男が詰め寄ると、竜吉公主は息を整え直してから、


「楊戩ならば、女子が好きじゃ」


 と言い放つ。


「そ、それは楊戩殿だけではなくとも、男などと言う生き物は大抵は女が……」

「さしずめ、後宮に気に入った女子でも見つけたのじゃろう。その女子を手に入れるために北州総管をけしかけているのが関の山じゃ」

「たとえ、楊戩殿が無類の女好きだとしても、さすがにそこまではやりますまい」


 男が必死になる。今にでも机を倒しそうな勢いで竜吉公主に顔を近づけてくる。


「それにな、哮天犬の臭いがするのじゃ。上手く隠していると思い込んでもあれだけの存在。隠しきれぬものじゃ」

「そんなはずはない」


 男は自分の袖口を鼻に近づけて臭いを嗅ぐ。


「仙人が人に変化をすることは出来ようとも、仙人であることを隠すことは難しいもの。それに、何故に袖の臭いを気にするのじゃ?」

「それは、哮天犬が袖口に……」


 男は最後まで言葉を紡がない。大きく息を吸い込むと、椅子に座り直し天井を見上げる。腕を組んで先ほど吸い込んだ空気を大きく吐き出す。


「おかしいなぁ。哮天犬は臭いを消すこともできるはずなんだけどな」


 男が観念したかのように呟き、声を上げて唸ってから、慌てて姿勢を正す。


「もしかして、騙したのですか?」

「そんなことはしておらぬ。臭いがすると言うのは正しくなかったがな。正確に言うならば、哮天犬が気配を消し過ぎたのじゃ。そなたは全身から女人の臭いを放っているのに、左の袖口だけは臭いどころか、存在感すら薄らいでいるのじゃからな」


 男は小さく首を振ると、部屋の中にいた童女に、竜吉公主の服と霧露乾坤網を持参するように命じる。すると、童女は不満の表情を見せたものの不平を言うこともせずに、部屋から出て行く。


「楊戩よ。戦をするつもりなのかのう」

「それは、私が決めることではありません」

「じゃが、そなたがかかわるとなれば、戦の規模はいやがおうにも大きくなる。仙人が再び争うことにもなりかねんのじゃ」

「致し方ないでしょう」


 竜吉公主は頬杖をついて、上目づかいに男のことを見る。


「そなたの責任じゃ」

「いいえ、竜吉公主様のためを思っての行動です。婚約しておきながら、あろうことか他の女にうつつをぬかし、後宮から出ても来ない。世に戦乱を巻き起こすことになろうとも我関せずで部屋の中に立て籠もる。皇帝の器ではありません。国を悪い方向に導いているのですから、易姓が行われようとも致し方なしと思いませんか」

「よく考えよ楊戩。今の皇帝は何もしていない。何もしていない人物が、国を悪くしているわけがない。国を悪い方に導いているのは、強欲に囚われた一部の人間たちじゃ」

「それを正すのが皇帝の役目ではございませぬか」

「勿論じゃ。だがの、不正を罰する人間を変えるために戦を起こすのは本末転倒。そもそも、この戦を仕掛けている頭は、お互いに自らの利権のために動いている人物じゃ。どちらが勝ったとて現状より良くなるとは思えん」

「それでも、正されるものがあるはずです。彼らの下には、この前線の城を預かっているような優秀かつ人民の気持ちを知る部下もいます」

「そこまで言うならば、身を引くのじゃ。仙人が地上の政治にかかわるのは厳禁じゃ」


 男は唇を尖らせたが、言葉を発しなかった。無言で腕を組んで首を傾げると、婚約者として政治に関与した竜吉公主の批判をしているかのようにも受け取れる。だが、竜吉公主は涼しげな表情で話を続ける。


「もし、楊戩が北州総管に与せば、必ず皇帝に与する仙人が現れるはずじゃ」

「この機会に殺戒を破ろうとしたり、気に入らない人物を亡き者にしようと画策したりする仙人がいると」

「一人や二人ならば大事になるとは思えぬ。しかし、死傷者が出る度に関わり合いを持つ仙人が増えることになろう。そうなれば、立場上、沈黙を続けることが出来ない仙人たちが大騒ぎをして大変なことになるはずじゃ」

「つまり、竜吉公主様も戦に加われると」

「わらわは無益な殺生を減らしたいのじゃ。嬉々として参加するに違いないのは、わらわと言うより母の方じゃ。考えずとも瞼の裏にその姿が思い浮かばぬか? 嬉々として采配を振るう西王母の姿が」

「それは確かに嫌ですね。我が陣営に来ていただけるのならばまだしも」

「母は敵が多い。味方になれば心強いこともあるのだが、同じくらいの人数を自らの敵として相手陣営に送ることになるはずじゃ」

「仕方がありませんね。人をまとめる立場ですと、どうしても恨みを買うことが多くなりますからね」

「結果として、多くの必要のない殺生が行われることになると判っているのならば、沈黙すべきと思わぬものか」

「それが出来ないのが西王母様たる所以でしょう」

「はた迷惑なことじゃ」


 竜吉公主がうんざりとした声で返答すると、扉に視線を移した。両手で長い黒髪を後ろに流して耳を出す。部屋の外から聞こえてくる複数の足音に対して耳を澄ます。


「まさか」


 楊戩が立ち上がろうとするのを竜吉公主は、軽く左手を挙げて押し留める。この場での争いが起こらないことを知っているかのようだ。


 竜吉公主に制せられた楊戩は、瞬時に我を取り戻して椅子に座り直す。緊張をすぐに解いて湯呑茶碗に口をつける。


 扉が大きな音を立てて開かれた。


 扉の向こうに大男が立っていた。目算で九尺(約二メートル)を超える。皮鎧を身に着けて、既に戦場にいるかのような威圧感を放っている。鋭い眼光に長く伸ばされた髭、眉間に深い皺を刻んでいる壮年でありながら、不思議と人を魅了する風貌をしている。


 その横に竜吉公主の目前に坐している男と同じ男が立っていた。双子より相似している男の姿に、竜吉公主は改めて楊戩の仙術の質の高さに内心感心する。


「楊戩殿、竜吉公主殿をお招きしているとは聞いておらぬぞ」


 楊戩と同じ容姿の男が言うと、楊戩は立ち上がる。


 気が付けば、その姿は美丈夫の楊戩本来の姿に戻っていた。視線を集めていた中で、誰にも違和感を与えることなく、姿を変化させる芸術的な楊戩の仙術に、驚きの声を上げる人はいない。


 竜吉公主はその鮮やかすぎる変化の術を理解できる人間がいないことを楊戩が悔しがっているだろうと推測しながら、意識を大男に向ける。そして、


「久しぶりじゃの。北州総管、李林宗殿」


 と声をかけながら微笑みかけた。

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竜吉公主の婚約破棄騒動物語 夏空蝉丸 @2525beam

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