2 妹は術後すぐ赤福をむさぼる
妹が入院した日、母親は付き添いで病院に泊まっていた。
手術当日の朝には、一度家に帰り、あれこれ準備に奔走していた。
その物音や話し声で目を覚ました俺は、気苦労をねぎらう言葉でも掛け、ついでに妹の様態について母の口からも聞いてみようと、一階へ下りていった。
ただ言葉を掛ける前に、母は俺を見つけるなり、スマホの充電器用延長コードといったものがあるかどうか質問してきた。
聞くと、妹の要望であるらしい。
「そこらへんの延長コードじゃダメなの?」と俺は近くにあった電源タップを手で示す。
「そんなのみっともないわぁ。iPhone用の。どこでも売ってるって言ってたから、お見舞い来る時、買ってきて」
「携帯ショップでいいの?」
「私もそう言ったら、公式のはボッタクリだってブツブツ言ってた。まあ何でもいいよ」
よくある妹のワガママである。
とは言え手術となれば、それは確かに一大事でもあった。
しかも妹は初めての手術なので、緊張もし、不安にうち震えていても不思議はない――そんな思いもあり、この日はそれ以上口答えせず了承した。
その後も、母は自身の身繕いと妹の言いつけとに慌ただしく取り組んでいた。
そして休む間もなく、荷物両手に家を
続けて、父親も見舞いと仕事のために出立した。
父は朝方で仕事を切り上げ、病院に向かうと聞いていた。
それと比べれば俺は大分薄情だなと少し後ろめたさを感じつつも、結局俺は手術の直前直後に立ち会うことはしなかった。
夕方、仕事を終えると、俺は延長コードを探しに街の電気屋へと直行した。
そして近くで差し入れのお菓子を購入し、病院へと赴いた。
病棟に入る前、「今着いた」と付き添っている母に連絡を入れたところ、「食事中だから少し待って」との返答を受けた俺は、同じく食事を避け一階のロビーにいた父と落ち合った。
「もうご飯食べれるんだ」
「先生がオッケーって」と父が説明する。
「麻酔もう切れてんの?」
「切れてるみたい」
「痛がってた?」
「痛いのは痛いらしいね。まあ悶絶したりはしてないけど」
そんな会話を10分ほど交わした後、2人で病室まで歩み出した。
いつもの調子で――と軽く意識しながら、俺は扉の開いた病室へと入っていき、カーテンで区切られた一角まで歩み寄る。
妹は枕とクッションを背もたれ代わりに、半分体を起こしたような格好で、ベッドの上に座っていた。
手術明けなので、てっきり憔悴しているものと思っていた。
が、目の前の妹にそういう様子は見られない。
それどころか、お菓子をポリポリ言わせながら
「何食ってんの?」
「じゃがりこ」
「それは……、見れば分かるけど……」
俺は差し入れの選択に際し、入院中ということもあるので、油っこいものや消化に悪そうなもの、ニオイのきついものは避けるように配慮していた。
実際に購入したのも、滋養強壮に効果の有りそうな梅干しやアーモンド系菓子、ゼリー状の健康食品などが主だった。
そんな気遣いとは裏腹に、この時妹が手にしていたのは、常食と言ってよいスナック菓子なのである。
ベッド横の
「そんなの食っていいの?」
「言っても聞かないから」と母は呆れ顔で説明する。
「気ぃ使ったの買ってきたんだけど」と俺は持参した袋を持ち上げた。
「何?」
妹は体を起こすのが面倒なのか、袋を寄こすよう手招きする。
要求通りに手渡すと、そのまま中をごそごそあさり始めた。
ただ俺が購入したものの多くは、やはり妹の好みに叶うものではなかったのだろう。
ひとつひとつ袋から掴み出しながら、「これ何?」「こういうの求めてないんだよねぇ」などと、ため息混じりに手厳しい言葉を加えていく。
「これは? 伊勢? 伊勢エビ? エビせん?」と妹は袋の中から箱を取り出した。
「それ赤福」
「赤福? 何だっけ? 聞いたことある気がするー」と箱の包を雑にほどいていく。
「デパートで物産展みたいなのやってたから、買ってきた」
「あ、赤福ってこれか!」
箱の蓋を開くや、妹はすぐに食べようとし始めた。
当然、母は後にしておけと忠告する。
が、食欲にスイッチの入っていた妹は、「ひとつだけ」と言って断行した。
お菓子を食べる様子を見ていても、やはり妹には何の変化もないように思われた。
顔色も決して悪くない。
髪がボサボサだったり化粧っ気がないのは、いつものこと。
パジャマ姿は、普段家で目にすることがないので、むしろ新鮮ですらある。
俺は決して妹の意識低い姿を確認しに来たわけじゃない。
しかしいつも通りの意識低い姿が、安心感をもたらしてくれていたのは確かだろう。
この状況を喜んでよいのか、感情の置き所を定めかね、しばらく俺は赤福を貪る妹を黙って見守った。
はじめはひとつと言っていた赤福を、妹は最終的に5つ平らげた。
さすがにそれで満足したのか、背もたれにしていたクッションを抜き出して、ベッドの上に横になった。
母は歯を磨けと、妹に歯ブラシを手渡し、水を注ぎに病室を退出した。
妹は
ここで初めて、俺は怪我や術後の具合について問い掛けた。
すると妹は、待ってましたとばかりに、如何にこの状況が辛いかを説明し始めた。
本来、ここで俺の取るべきスタンスは、同情や
ただ既に意識低い姿を見てしまっていたので、今更そんな念も湧いてはこなかった。
むしろ取り戻したのはいつもの感覚で、茶々を入れることにも、最早ためらいが介入してくることはなかった。
「
「ゴロゴロもできないからね、ここじゃ。足こうやって上げてないと、痛いし」と妹はタオルケットで作った台の上に置いた足を、軽く動かしてみせる。
「痛いんだ」
「寝返りだって、こっちしかできないから」と妹は右側に体を倒した。
「まあ大人しく過ごせばいいじゃん。入院、今日明日だけでしょ? それくらいならスマホひとつでも十分時間潰せるし」
「でもさぁ、この体勢でスマホ弄ると、コードが顔にかかんのよ」
と言って、妹は充電器と繋がったスマホを手にとり、実演してみせる。
「コンセントあっちだから、コードが顔にかかるでしょ? これすっごい邪魔なんだけど、コードの長さ足んないからよけれないし。しかもさぁ、コードこういう風に引っ張ってると、すぐ断線するでしょ? マジ困るんだよねぇ」
ここで俺は鞄に仕舞ったままにしていた延長コードのことを思い出し、「これ」と妹に箱を手渡した。
ただ俺が買ってきたのは、思っていたのと違ったらしい。
箱の説明を読みながら、妹は色や機能にいちゃもんをつけ始めた。
「無駄な機能多くない?」
「充電もできるから別にいいでしょ?」
「分かってないわぁ。こういう余計な機能付いてるのって、すぐ壊れるから」と妹は機器についているポートを覗き込む。
「どうせ2、3日もてばいんだから――」
「それじゃもったいないし」
「それ言うなら、そもそもだらだら過ごす方がもったいないって」
「好きでこうしてるわけじゃないから」
「たまには本でも読んでみれば?」
「本はねぇ、無理かなぁ……。今はそういう気分じゃないしぃ」
今日、俺は生活改善を訴えることを計画していたわけじゃない。
しかしいつも通りの意識低い姿を前にしていたせいで、訓戒じみた言葉が自然と口をついて出始めた。
「せっかく病院にいるんだし、生活見直すとか考えてみたらいいのに……」
「だからぁ、そういう気分になんないの」
「食べもんだって、そういうの、家に帰ってから好きなだけ食えるんだから」
「食べないと怪我治んないじゃん」
「宿題は? まだあるんでしょ?」
「そもそも学校行けるか分かんないのに……」と妹は渋い顔を作った。
「え、行けるんだよね?」
「行ける」と父親は頷いた。
母親は水を注いだコップを手に戻り、床頭台の上に置いた。
それを合図に、妹は寝転んだまま歯磨きに着手する。
が、いかんせん寝たままでは磨きづらいのか、手つきは遅々としていた。
母親は「起きて磨け」と、背もたれ用クッションを手渡した。
妹が起き直ったのを見て、俺は話を再開する。
「学校サボるつもりらしい」
「サボるつもりじゃないから。行けるかどうか分かんないって話で――」と妹が繰り返す。
「先生は問題ないって言ってくれたし、行けるわぁ」
妹は以前にも母に似たようなことを口にしていたのだろう、母親は呆れ顔で嘆息した。
が、妹はブラシを咥えたまま反論する。
「そりゃ、病院の先生的にはそうかもしれないけどさぁ。私の気持ちはどうなんの?」
「そんなもん、どうもクソもないでしょ」
妹の詭弁を感知した俺は、先手を打とうと冷たく言い放った。
邪魔された妹は、不満げに
「いやいやいや、気持ち、大事でしょー」
「大事でも、世間はそんなの待ってくれないんだから、覚悟するより
俺がそう
「注意したって、怪我する時はするからねぇ」
「それでもしないよりはした方がいい」と俺も譲らない。
「注意なんて意味ないから。なる時はなっちゃうんだって、マジで」
「そんな考えだから、こういうことになるんでしょ?」
「そんな考えでもどんな考えでも、一緒一緒」
妹はそう言って、歯ブラシで奥歯を雑に磨いた。
どうにも手応えがないので、俺の言葉も少しトーンダウンし始める。
「理心の場合、バチが当たったみたいなもんだわ……」
「もうバチとかそういうの、信じないことにしたから」
「何で?」
「8月いい運勢だったけど、こんなだし」
「とか言って、どうせ幸運とかだと、都合よく信じるんでしょ?」
「それも信じない」
と言って、妹はコップの水を口に含んで口の中をすすぎ、別のコップに吐き捨てる。
「ふーん。ま、そういうの信じないなら、尚更自分の力でやってかないと。いい機会だね」
「そうそう、いい機会」と母親が俺に同調する。
「じっくり考えてみればいいわ。時間はあるんだし」と父親も珍しく娘に対し助言を述べ上げた。
家族の変化、これも怪我の功名かと、俺は少しホッとした気持ちを抱かされた。
実際そう思ってベッドの周囲を見ると、俺たち家族には珍しい和やかなムードが拡がっているように映った。
しかし目の前に居るのは、意識低さ極まる妹である。
俺たちがサポートしてあげればどうにかなるだろうと納得し掛けた矢先、妹はこの平和を体現したような空気を破砕する言葉を解き放ち始めた。
「何でみんなそう言って
「そりゃ学校もあるし――」と俺は妹に言い返す。
「病人だからね? わたし」
「病人だから尚更気に掛けてるわけで――」
「分かってないわぁ。こういう時は口出さずに見守るのが一番だからね。あ、でも物は別。いくらでも持ってきてくれていいよ」
妹はそう言うや、あご先にたれた水を、パジャマの袖でグイと拭った。
理心の意識は下げ止まらない アブライモヴィッチ @kawazakana
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