意識低い妹の意識低下

1 妹は夏の終わりに自滅する

 高校に入って初めての夏休み。

 妹は自らの可能性を試そうともせず、自らに課された課題をひたすら先送りしながら、いつもと同じ意識低さで、だらだらと日々を浪費し続けた。


 とは言え、妹は基本小心者。

 なので宿題を完全に放棄するという選択肢は、やはり取り得なかったのだろう。

 休みの最終盤には、家に居ても、ついテレビを見たりパソコンをつけたりしてしまうと、街の図書館へ出向いたりもしていた。


 そんなある日の午後、母親から俺のもとに、とある連絡が飛び込んでくる。

 聞くと、妹が自転車でコケて足の骨を折った――との内容である。


 母親は続けて「これから入院するが命に別状はない」「詳しくはまた後で知らせる」と手短に言って電話を切った。

 忙しそうな様子は電話越しも察知できた。

 なので、俺は妹の様態を気にかけつつも、すぐ病院に駆けつけたりはしなかった。




 俺が妹の怪我をより強く実感するのは、家に帰ってからのことだろう。

 家には誰もいなかった。

 いつもなら鬱陶しい雑音も、食べ物のニオイも欠けていた。


 この物静かな異常は、俺の心に言い様のない不安を惹起じゃっきした。

 どうにも居たたまれなく感じた俺は、着替えもせず、「そっちはどんな感じ?」と母親にこちらからLINEを入れた。

 もっとも母はやはりまだ忙しかったのかだろう。

 ここで返ってきたのも「今日は付き添いで病院に泊まる」「今お父さんがそちらに向かってるから詳しくはそっちで聞いてくれ」との手短な返信だった。

 仕方なく俺は気もそぞろに、何をするでもなくリビングで父の帰りを待っていた。


 母とのやり取りから間もなく、病院から帰ってきた父親は、「ご飯買ってきた」とコンビニの袋をテーブルの上に載せて言った。

 俺はすぐ目下もっかの気掛かりについて問い掛ける。


「理心、どんな感じ?」

「意外と元気そうだったわ」

「折れたんでしょ?」

「うん」

「もうギブスとかしてんの?」

「いや、変な折れ方したみたいだから、手術必要だって。明日の午前中にやる予定」

「変な折れ方って……」と事情をよく知らない俺は動揺を禁じ得ない。

「何かねぇ、自転車漕いでる時にこけたんじゃなく、止まろうとしてバランス崩したって。歩道橋のスロープで」


 父親は手振りを交えながら、事故の状況を説明していった。


「自分で帰って来れたの?」

「途中までは自分で帰ろうとしたらしいよ。でも痛いから無理って、母さんに電話して迎えに来てもらったって」

「ふーん……。まあ、相手がいるような事故じゃなくてよかったねぇ」

「まあねぇ」




 冷めないうちに食べようとの提案を受け、そのまま食事に取り掛かる。

 珍しく静かな家の中で、これまた珍しい父と二人きりの夕食である。


 無事との情報を父の口から聞けたので、安堵あんどの念もあるにはあった。

 それでも実際の様態を見ていない俺は、いつもの如く小馬鹿にするような調子で妹を話題に上げてよいものか判断できず、探り探り口を開く。


「理心、痛がってた?」

「動かさなければそんな痛くないって。鎮痛剤飲んだって言ってたわ」

「夕飯も向こうで? ってか食べれんの?」

「さっき普通にご飯食べたって連絡あった」

「やっぱ病院食?」

「そりゃそうでしょ。でも面会に行った時は、ポテトチップスばりばり食べてた」と父は笑いながら院内の妹について説明する。

「いいの? そんなの食って?」

「さぁ。まあ内臓が悪いとかじゃないから……。今日の夜何時からだったかな? 絶食しないとダメらしいのよ、手術あるから。それでお菓子食いめするって――」


 父の話を聞く限り、妹の様子はいつもと大して変わらないらしい。

 それを受け、俺の緊張もほどけ出し、話も徐々に普段の調子に戻っていった。


「始業式には間に合うの?」

「病院の先生はいけるって言ってた。松葉杖つきながらになるけど」

「ってか、あいつ宿題終わってんのかな?」

「終わってないって。まあそれはしょうがないわ」

「だから早いうちにちょっとずつやっとけって言ったのに……。やってたら、こんなことにはならなかった」

「そりゃそうだわなぁ」

「でも理心のことだから、反省しないかもね」

「さすがに理心でも懲りるでしょ?」と父は苦笑を滲ませながら異論を唱えた。

「いや、甘いわ」と俺も持論を譲らない。

「甘い?」

「甘い。多分このせいでますます外出そとでなくなったりするんじゃない? 外は危険とか言って――」

「……、それは困る」




 その後も、話題は妹と事故を中心に展開していった。

 妹が路上に置いてきた自転車を父が取りに戻ったこと。

 病室は個室ではなく、同年代の子との相部屋であったこと。

 病室のテレビのチャンネル数が少ないと不満を述べていること。

 タブレット端末を持ち込んで暇つぶしをしていること。

 明日Amazonから荷物が届くのでちゃんと受け取っておくよう頼まれたこと――。


 父の語り得る情報があらかた出尽くすと、話題は妹からも離れ、単なる世話話へと移り変わった。

 話が再び妹へ戻ってくるのは、俺が見舞いのことを尋ねた時である。


「明日一応行った方がいいよね?」

「無理に行かなくてもいいけどね」と父親は淡々と答える。

「どうしよっか……。手術前だと仕事あるし」

「術後でもいいよ。面会時間は、確か夜7時までだったかな?」

「そうなの? ならその方がありがたい」


 俺は病室の部屋番号や、そこへのアクセスについて尋ね、スマホにメモを取る。

 それから具体的な訪問時間や、差し入れの有無についても相談を進めていった。


「タブレット以外に何か持ち込んでた?」

「さぁ。でもスマホも持ってたし、それで十分時間つぶせるでしょ、理心のことだから」

「クロスワードパズルの雑誌とか、どう?」と俺は入院時に定番のアイテムを提案する。

「理心やるかなぁ……」

「ま、やらないか」

「そんな長く入院するわけじゃないからね。今日入れて3日の予定だから」

「マンガとかだと、荷物になりそうだしねぇ……」

「まあ、欲しいものがあったら、また言ってくるでしょ?」と父親は起こるべき未来を予見した。

「……だね。それからでいっか」


 俺は父の予見に従うことにし、見舞いの相談を打ち切った。

 父は明日も朝から見舞いに行くとのことで、早々はやばや入浴を済ませると、すぐ寝床に向かった。

 俺は見舞いの予定を立て終え、気が楽になっていたこともあり、睡気ねむけがくるまで、リビングで妹のいない夜を独り堪能たんのうした。

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