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「おい勝手に飛び出すな!」
シュネーが物陰から飛び出した直後に、テオも泡を食いつつ通りへ飛び出した。
女の足ならすぐに追いつく。けれどもすぐさま彼女の後を追おうとした彼の視界の端に、見過ごせない”それ”が映りこんでしまった。
(王立騎士!)
急遽条件反射でまた物陰に身を隠す。
男の二人連れが特徴的な意匠の入った印章をゆらめかせながら通りを横切っていく。さいわいシュネーの向かった方角とは逆方向だが、ここで見逃してしまうと後々厄介の種になりそうだ。ちらりと海辺を目指していったシュネーの後姿が脳裏をよぎったが、すぐさま身を翻して男たちの後をつけはじめることにした。
―――あいつは強い。
ザフ村で弾き飛ばされたときはあまりに突然のことだったせいで、何が起こったのか冷静に分析している暇などなかった。けれどクシュで見た彼女の力の片鱗は、たしかに凄まじい何かをはらんでいた。話を聞けば本当に本能に任せてやったことらしいので、完全に使いこなせているわけではないのだろう。
それでも少しの間一人にしても大丈夫なほどの力を持っているのは確かだった。
見失うことは避けたいが、なにも誘拐してきたわけではないので気が済めば彼女のテオを探そうとするだろう。二人で互いを探しあえばそう迷子になることはない。
暗がりに身をひそめるようにして、獣らしい俊敏さでテオは王立騎士二人の後をつけていく。まだこちらに気づいてはいないようで、何事か言葉を交わしながら宿屋のひしめく方角へのんびり歩いているようだった。
(会話が聞き取れる距離まで―――詰められそうか?)
とんっ、と軽く助走をつけて屋根の上へ飛び乗った。
風の強い日で助かるが、できるだけわざとらしい物音にならないよう気をつかいつつ二人の真上近くにまで接近する。
(見たところ中、下程度の身分か……有益な話が効けるとも思わないが、知りたいことは山ほどあるしな)
黄金の眼を細めて、全霊を聴覚に集める。
知りたい情報は大きく三つ。
現在の狼種領の様子。
ザフ村からもたらされた自分たちに関する情報の量と、騎士団の今後の動向。
それから、何故今頃になって魔女狩り令が再発布されたのか、その理由。
三つめは狼種にとってさして関わり合いのないことだが、今後の狼種領までの道中では必要になってくるかもしれないことだった。
(そもそもおかしな話なんだ。現在目に見える形で表面化している他種族の反乱を最優先で鎮圧すべき時なのに、存在だって怪しまれていた魔女の討伐を今行う意味が分からない……)
例えば犲。ザフでも問題になっていたようだが、あいつらの凶暴性は特に近年目に余るものがある。狼種領に被害はなかったが、近くの鹿領や騎士団駐屯地などでは頻繁に畑が荒らされ家が焼かれていた。
ほかにも、野放し状態で放置されている紛争や内乱分子は多数存在している。
御伽噺の住人と化していた魔女をわざわざもう一度迫害する、その理由は。
(!)
思案に暮れかけていたテオの意識を引き戻したのは、追跡していた王立騎士が街の教会の扉に手をかけた音だった。
どの街にも大抵一つある教会は、どれもみな中央協会の息がかかったものばかり。
そのため協会に所属する者達や役人の中継基地として用いられることも多いのだが―――
(おかしいな。王立騎士と教会の仲間はよろしくないはずなのに)
二人の姿が荘厳な建物の中に吸い込まれて行くのを見計らい、音もたてずに屋根から飛び降りたテオは、裏路地に面した教会の側面で息を殺した。
出迎えに出たらしい司教の、驚きと疑念が混ざった歓迎の言葉と、王立騎士二名の名乗りが聞こえてくる。
ディーデリヒ=ファウルシュティヒ
リュー=アーベル
どちらも生粋の人間。かすかに聞き取れた名前を頭に強く焼き付ける。
彼らはどうやら、一夜の宿を借りに来たらしい。なにやらごちゃごちゃと交渉を始めている。
(まずったな…まさか王立騎士がこんなところにいるとは。明日の朝には出立するべきかもな。ザフの報せを聞いてこっちにも手を回された可能性は高い)
なにせシュネーはうっかり魔女の骨を持ってきてしまっている。
十中八九骨の存在はとても便利な魔女発見器として伝わっているはずだから、他の魔女の集落を探すより、こちらに手を回される数の方が多いと考えた方がいい。
教会の司教も、テオと同じ疑問を抱いたようで二人にガザへ来た目的を聞き出していた。彼らの答えは、予想通りだった。
ディーデリヒと名乗った方の男が軽薄そうな口調でぺらぺらとしゃべってくれる。
「いえねぇ、北で魔女が出たらしくってね。こっちにも来てないかなと…」
内心でテオは舌打ちする。
(くそ。読まれやすい場所には来るべきじゃなかったか)
司教は驚いたように――しかしやや半信半疑といった様子で――相槌をうっている。
「はあ…まさか本当に魔女がいたとは」
「でしょう?俺たちもびっくりですよ、百年ぶりに魔女が出たーっ!って上じゃ大騒ぎしてるみたいで。急遽近くにいたもんだから駆り出されてしまったってわけですよ。まったく、今さら出てきてくれなくてもよかったんですけどねえ」
「しかし魔女は国敵ですから。お勤めご苦労な事です」
「あーやっぱり教会の方は魔女を毛嫌いしてますよねえ」
「『冒涜の娘』と教典にはあります。見つけ次第即座に狩るべし――ツィーリ様も魔女は根絶されるべきものとおっしゃられておりますし」
「へえ、教皇様が?」
最後の返事にはどことなく棘が感じられたが、司教は特に気にしなかったらしい。こちらへどうぞと裏の宿坊へ二人を案内していくそぶりを見せたので、音を立てないよう気を配りながらテオも壁から離れた。
教会からしばらく離れてから、海に向かって走り出す。先ほど聞いた会話を脳内で整理しながら空気に混じったシュネーの気配を探る。
知りたかったことのうち二つは大体わかった。魔女狩りの理由はわからなかったが、一つ個人的に気にかかっていたことを知ることができたので良しとする。夜闇を疾走しながら、ぽつりとつぶやく。
「へえ…あの女、教皇なんてのになってたのか」
脳裏によぎるのは一人の女の立ち姿。
灰色の髪をしたそこそこ美しい若やいだ少女。伏し目がちで、肩をすぼめて、いつも何かに恐縮しながら生きているような女だった。
しかしテオが知る中で、最もタチの悪かった女。
「見にくいアヒルの子が白鳥になる、か。言いえて妙だが、今のお前は中身の詰まってないはりぼての白鳥だってそろそろ気づけばいいのに―――さっきの話じゃまだ分かってないみたいだったな」
ぶつぶつと独り言をもらす彼に、行違った通行人がちらりといぶかしげな視線を投げてよこした。それにはかまわず、わきの行燈が風に揺れるのを尻目に、ただ一人の少女を探してテオは駆けてゆく。
しばらく行くと、慌てたようにかつらをかぶりなおしているシュネーの姿を見つけることができた。
(何やってんだ)
彼女の前にいるのは、人魚だろうか。書物の中でしかお目にかかったことがない希少種に目を瞠る。さらに目を凝らすと、彼女たちの足元には伸びきって青あざを浮かせる人間の男たちが無数に倒れていた。
――大方シュネーがやったのだろう。男たちがびっっ処理と不自然に濡れているのが何よりの証拠になっている。
何やら話し始める二人を見下ろして、お優しいことだとひとつため息を吐く。誰かを助ける前に自分も相当危険な状態にあるということをわかっているのだろうか。まだ後ろに人間の船が止まっているのが見えないのだろうか。
浜辺に続く階段に足をかけざま、不自然に海水がかかった砂浜を見て、風に散らすようにテオは言葉を落とした。
「本当に、強い―――」
それゆえに、とても心配だ。
ブロイエの魔女 榊香(さかきかぐ) @19440704
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