Hello Me

目を覚ますと錆びついた鉄格子のついた窓から薄い光が差し込む。私のベッドは全方位からカメラで監視されており私の一挙手一投足を纏わりつくように見つめられている。こんな夜に目が覚めてしまったのか、それにしてもここはどこだろうか、ああ自分の家だ。机の上に投げ捨てられた潰れた煙草の箱を拾い上げベランダへと出る。近隣住民の嫌がらせによって鳩の白い糞に塗れている欄干が目に入る。こんな夜になっても東京という街は住宅街であっても明るいままだ。夜を切り裂くその光は私の目に入り込み脳へと突き刺さり正気を失わせていく。煙草に火をつけて吸い込むと味は感じないが喉を圧迫するあの独特の感触を得ることはできる。思えば吸い始めの頃はもっと重たいものを吸っていたがある時期からそれが辛くなって軽いものに変えた。しかしまた時がたつにつれてより重いものへとまた戻ってしまった。どうしたらここから抜け出せるのだろうか。病室なのだろうか、それともここは独房だろうか。きっとこの世界は私のために作られた作り物の世界で、皆がこの哀れな人間を嘲笑の対象にするためにここに閉じ込めているのだろう。抜け出さなくてはいけない、もう感覚は失われていてあいつらのシミュレーションの限界が来ていることがわかる。私は部屋を飛び出した。

どこに向かったらいいか、でも私はその場所をしっかりと把握していた。自分が入ることができる場所でどこよりも高い場所。そこにもう一度外に出るための出口があるんだ、きっとそうなんだ。夜の街には人がおらず、私がどうせ起きないだろうと高を括ってコンピュータの負荷を減らすために人の描画を少なくしている。昼間のように私の進路を妨害する存在は少なく、追跡されないように先に進むのも容易い。ただ旧白山通りの白山上の交差点、おそらくシミュレーションのバグだと思われるこの世界がシミュレーションされた現実であることを警告する人間がいつも立っている場所を超えると負荷を抑えて夜間でも攻撃を行うことができる装置に出くわす。橙色に輝く光線兵器。その光の波長によってマインドコントロールを行うための装置が整列して私を迎える。ここを抜けなければならない、私はその攻撃を振り払う、強い意志を持てば、この世界から必ず脱出するという鋼の盾を構えて前に進めばやつらの手抜きマインドコントロール攻撃を打ち砕くことなど容易い。こんなもの、ただの光に過ぎない、橙色の光は普段は黒灰色のアスファルトをもその色で染めていっている。まるで夜の間でも夕陽が挿しているかのような光景、あいつらのシミュレーションのミスだろうか、それとも夜間にストーカーを使うことはできないから少しでも継続的に私に対する攻撃を行うために出力を上げているのだろうか。でももう私にはそれは効かない。気づいたのだ、この世界が作られたものだということを。私はもう一度外に出て、安全な場所から私をあざ笑い続けている奴らを殺す。それが唯一の道だ、この嫌がらせに満ちた迷路で擦り減らされることなく自分自身がその意思で生きることを選ぶことができるようになるための。

深夜だからか私が普段作業をさせられている刑務所は鉄格子に囲まれている。上る、今の私ならそれも可能だ。さび付いた冷たい鉄をしっかりと握りこみ、自分の体を上へ、上へと持ち上げる。そして壁を超える、さあ、私が現実に戻るのも時間の問題だ。手のひらをじっと見てみる、ほら見ろ、あんなにも錆びついていた鉄格子を力強く握ってこの障壁を超えたというのに赤錆一つついていない。シミュレーションの限界は近い。目の前の銀杏の大木だってもうすでに葉は落ちて朽ちかけている。そしてこれを使う時が来たか、このIDカードは最後の鍵だ。出口に上るための階段の前の最後の扉が音を立てて開く。勝利の時が近づいている、息が切れても階段を駆け上がる。最上階、空調のラジエータが並ぶそこに現実への扉がある。内鍵を捻り重たいドアを押し込む。道が開いていた、私を導くように眩しい放電で描かれた道が現れる。そしてその先に開いた現実への扉、復讐の時は来た。私はその扉に飛び込んだ。




―――あと少しだけ残っている精神の蝋。わずかに残った正気をすり減らさないように自分を守りながら生きるよりも、その正気を力強く握りしめて、抱きしめてこの道を選ぶほうが賢いだろう。時は残酷に私の正気を削り取っていく、いくら守ろうとしても私の手の隙間を縫って奪い取って行く。そして全て燃え尽きれば私は白い抜け殻になる。もう私という言葉すら認識できなくなるだろう、私は存在しているということが分からなくなるのだ。ただ緻密に作りこまれた有機物の人形として存在するだけになる。生命活動ではなく慣性で動き続けるだけの人形に。仮面の男が見える。


「やあ、お前を見ていたのは僕だ。この仮面はお前を守るための防壁といっても良いだろう。生まれながらにしてこの世界を生きることに適していないお前を守ってやるための仮面さ。いやこの仮面は誰の中にも存在している、そしてそれぞれ自身を見ている。お前も例外ではない。間違いを犯さないように重く縛り付けてやっているのさ、その事でお前はこの世界を生きることができるからな」

いや、それは嘘だな。仮面のお前はその重さで私を傷つけて笑っているだけだろう。苦役を強いられた奴隷のように磨り減らされてそして物のように大地へと打ち捨てられる様を喜劇として眺めているだけの観客だ。いやそれどころか私自身を無理やりその喜劇の舞台へ拉致して投げ捨てた真の敵だ。

「そんなことはないさ、お前はこの仮面を喜んで被ったはずだ。考えてもみろ人と比べて、人並みの幸せだとかが手に入れることなど容易い、とこいつを被ったんだ。まぁ誰しもがそうなんだがな。人になるために必要なものだからだ、これを被らなければ獣とそう変わらないさ。獣になることを望んだとしてもこの世界にいれば獣は鞭打たれその傷の重さで大地に縛り付けられこいつを被らされる」

私の肩が捕まれる。鋭くそして凍てつくような冷たさを持った爪が私の肩に食い込み振り返らざるを得ない。そこにはまた仮面の男。

「言ってしまえばこれは小さな勘違いの積み重ねでやってきたんだ。お前はいま俺がつけているこの輝かしい仮面を被ろうとした。だけれどもお前はこの仮面に値するほど人間ではなかったのだ。私はお前をずっと見てきた、まぁこの仮面をお前に手渡したのは俺だからな。いや、本当に面白かったよ。少しずつお前は仮面に顔の皮を削られていくのさ、何か間違いを犯すたびにな。それでもお前は意地でもこいつを手放さなかった、滑稽だよ」

そいつの肩がまた別の仮面の男に捕まれる。ああ誰か私を守ってくれ。

「そんなことはないさ、彼にはその能力があった。少なくともお前みたいなやつがそれを手渡さなければそのうちその仮面通りの顔になることができた。お前が彼に重荷を背負わせすぎたから彼が本当の彼と剥離していっただけだ。彼は悪くないよ。その重さのせいで少しずつ超えるべき壁の高さをあと少しで越えられなくしていったんだ、彼の思い描く歩きたかった道を妨害して少しずつ捻じ曲げていったのはお前さ」

彼も味方ではなかった、結局のところ彼もあざ笑っている。身の丈に合わない選択したのは私であり、少しずつ足りなかった僅かな高さを重ねていって仮面と私の間の隙間を重ねていったのは私自身だろう?彼は味方のふりをして私を傷つける真の敵だ。

「考えてみろ、俺は奴が望んだからこいつを手渡しただけだ。何も俺が唆した訳でもない。奴が選んだ、奴がその理想と僅かに乖離した少しの隙間を許さなかった、奴がそれでも前に進もうとした。傷を癒すに立ち止まることもしなかった、それどころかまともに手当てしようともしなかった。隙間を埋めるために別のものを持ってきてもその隙間にぴったりはまるものなどないのに無理やりそれを詰め込み仮面を握りしめ続けた。そいつが時間とともに崩れ落ちて後から奴が気付いたのはより広がった隙間さ」

「分かるかい?仮面を愛しすぎて自分を愛さなかったのはお前自身だ、僕はこの仮面で良い言ったのにね」

「いや、その仮面は彼には釣り合わない。そして彼に重すぎる仮面を与えたお前も悪い」

「俺は悪くない、奴が悪い」

「僕のこいつをつければ良かっただけなのに何を高望みしているんだ?」

もういい、その仮面を外してくれ―――やぁ、私たち。別に悪い顔立ちではないけれど望んだよりも少しだけ左目の形が悪くて、人と比べれば優秀と言っても差し支えないはずだが私が望んだほどの能力を持たず、少しずつ私自身を許せなくなり愛せなくなりこの世界に憎しみを持ち始め、自分自身の心をその憎しみと失望で燃やし、過去の選択の間違いを毎日のように複写して私自身に見せつけ、写経のようにその失敗達を何度も心の中に書き綴り続けて、望んだ自分と寸分違わないか監視し続け、少しでも異なる部分があれば鞭打ち、火で炙り続けてきた私たち。身体の、そして心の内側から監視され、心を盗聴し、嫌がらせをされ、攻撃をされていては頭にアルミホイルを巻いたって私の心を守ることはできやしない。そして今まさに私は過去の届かなかったものの記録を脳内に映し出している。他のもので埋めることができなかった、埋めようとして色々な人を遊んで捨ててきても満たされなかった、その人が手に入らなければ満たされなかったのに届かなかった。結局自分を愛することを知らないのだから他人を愛することができない私は手に入れようと執着していただけにすぎないか。手に入らないのならば手に入るもので遊べばいい、そんな異物を詰め込んで満足した気分になったあとにそれを捨てればより広い隙間が開くだけに過ぎないのに。そんな君に呪いを込めて……。

「あ

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でも、アルミホイルを巻いて 姫百合しふぉん @Chiffon_Himeyuri

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