第6話 復職

 リディアが目覚めると隣でレイヴァスが眠っていた。間近で見ると睫毛が長い。なんだか恥ずかしくなり慌てて起き上がろうとすると腕を引っ張られた。どうやら寝たふりをしていたらしい。真横に彼の顔がある。

「何で逃げようとした?」

「そんなこと…ない。」

 じっ、と見つめられそれ以上言葉が続かない。さっきからずっと心臓がドキドキしている。リディアは昨夜、レオンに言われたことを思い出した。好き、ってことじゃないか?

 その言葉がストンと胸に落ちてくる。だから彼らのことを報告しようかどうか迷ったのだと。

「レイヴァス、私、あなたたちのことを報告しないことにしたわ。」

 レイヴァスが驚いた顔でリディアを見る。冗談を言っている風はなく、真剣に言っているようだ。

 レイヴァスは起き上がり真顔まがおで問いかけた。

「リジー、それがどういう意味か分かって言ってるんだろうな?陛下、そして国家を騙すということだ。軽い気持ちで決めて判断を誤るな。」

 リジーと呼ばれるのは彼が初めてなのでまだ慣れずに赤面してしまう。リディアはベッドで半身を起こすと深呼吸をして気持ちを切り替え真っ直ぐ彼を見る。

「レイヴァス、─いえグレイス、ヴァイス・シュヴァルツがここまで強くなり鍛えられたのは貴方のおかげです。団内の士気を高め、彼らに騎士としての使命を取り戻させた。これは団長としての評価に値します。そんな方を失いたくありませんの。」

 リディアは私情しじょうを抜きに王女としてそう言った。グレイスはしばらく呆気あっけに取られていたがふ、と笑ってリディアの前に膝を折り騎士の礼を取る。

「仰せのままにリディア様。」

「頼むわグレイス。」

「かしこまりました。」

 と、扉がノックされ入って来たのはヴァイス・シュヴァルツの制服を着たレオンだった。

「レオン、どうしてあなたがそれを…?」

「─これ、オレのだから。」

 こちらに向かって歩きながらレオンはそう答える。

 どういうことか分からずにグレイスに説明を求める。グレイスは立ち上がると説明してくれた。

「レオンハルト・オルフェウス。ヴァイス・シュヴァルツの副団長だ。」

 衝撃的な告白にリディアは立ちくらみがする。レオンの力強い腕に引っ張られ彼のたくましい胸にもたれる形になった。ふわりと甘い香りが鼻先をくすぐる。頬を赤く染めながらお礼を言うとレオンは満足そうに笑う。

「どういたしまして…お嬢さん。」

 グレイスはその様子を腹立たしげに見ていた。

「レオン、彼女を離せ。」

「そんなにイヤか?取られるのが─?」

「─っ。レオン─…!」

 グレイスとレオンの手が同時に銃にかかる。

「─おやめなさい!」

 リディアは思わずそう叫んでいた。二人の動作がピタリと止まる。

「私に何かあれば父が黙っていません。お忘れかしら?」

 二人の手が銃から放れる。レオンは肩をすくめてみせた。

「…気の強いお嬢さんだ。確かにあの人は怒らせたくない類いだな。なぁ、レイ。」

「そうだな。お前に免じてやめてやる。」

 上から目線でそう言われたリディアは言った。

「ずいぶんと舐められたものね。まぁいいわ。部屋に戻ります。」

「送る。」

 グレイスの申し出にリディアは答えなかった。扉に近づくとレオンが何も言わずに開けた。

「気が利くのね。」

「レディーファーストは基本だろ?」

 レオンはさも当たり前のようにそう答えた。

「そう。」

 東棟から自室に戻る間、リディアの両サイドにはグレイスとレオンが並んでいた。行き違う侍女や兵たちが慌てて道を開け、礼を取る。三人が過ぎた後、侍女たちがヒソヒソと話している。

「グレイス様と一緒にいたもう一方は誰かしら?」

「制服を着てらしたから騎士団の方であることは間違いないのだけど、あまり見ない方ね。」

 そんな話をしていると侍女長らしき人物がわざとらしく咳払いをする。侍女たちはそそくさと持ち場に戻っていった。その姿を見送った侍女長はリディアたちが歩いていった方を見つめて呟いた。

「急がなければ…」

 侍女長は踵を返すと持ち場とは別の方向に歩き出した。


 その日うちにレオンが ヴァイス・シュヴァルツの副団長に復職したことがウェントスや大臣たちに伝えられた。彼らは長年、行方知れずだったレオンのことを半ば諦めていたのだ。

 だが、リディアはその彼を連れて来た。

 ウェントスは驚きと喜びがない交ぜになった表情で彼女を見た。隣に座っていたレティアも同様だ。

「─生きていたのか。よく戻ってきてくれた。」

 ウェントスは力強い口調でそう言った。

 レオンは一礼して続けた。

「─長らくの不在によりご迷惑をおかけしたことをお許しください。」

「気にするな。お前が生きていればそれでいい。これで騎士団も安泰だな。」

「ありがとうございます陛下。」

 もう一度深く一礼する。グレイスも一礼する。

「リリー、昨夜は何かあったのか?少々騒がしかったようだが。」

 リディアは返事に困った。助けを求めてグレイスを見るが彼は素知そしらぬ顔をしている。ひっぱたきたい衝動を押さえ込み反対にいるレオンを見ると彼は言えと唇だけを動かした。

 リディアは昨夜の出来事を簡単に説明した。突然、現れた兵たちがレオンを捉えようとしていたと。

「…それはなんとも。それよりなぜお前が娘の部屋にいたのか説明してもらおう。侵入したのか?」

「そう思われても仕方ないわなぁ…。ですが、侵入したわけじゃないですから。勘違いしないでください。オレは彼女に呼ばれただけです。」

 あろうことかレオンは全てリディアのせいにした。

「─あなたっ、」

 レオンは意地悪い笑みを口元に浮かべている。グレイスに似てこちらも相当、たちが悪い。

「違うのか?」

 ウェントスの強い口調にリディアは彼が本当は不法侵入したのだと言うわけにもいかずレオンの話に合わせることにした。

「違わないわ。私が商業に関して聞きたいことがあってグレイスに紹介してもらっただけよ。」

「…ならば仕方ないか。兵たちの処遇はどうしたものか?」

 ここで成り行きを静かに見守っていたレティアがはじめて口を開いた。

「リリー、ケガはありませんでしたか?」

「ええ、大丈夫です。グレイスが来てくれましたから。」

「そう。ありがとうグレイス。」

 グレイスは当然のことですと言ってうやうやしく一礼すると顔を上げる。

「陛下、彼らの処遇について私に一任していただくことは可能でしょうか?」

「何ですって?彼らがリリーの私室に侵入した時点で処刑ものです。」

「レティ、落ち着きなさい。」

 ウェントスが彼女をたしなめる。レティアはリディアのことになると干渉し過ぎなところがあると思うのは気のせいだろうか。そんなことを考えながらグレイスは続けた。

「陛下、王妃、正直に申し上げます。あなた方が手をわずらわせる必要がないと申し上げているんです。…私に一任して頂けますね。」

 反論を認めない口調でそう言い彼は小さく笑った。

「…わ、分かった。そうしてくれてかまわん。」

 ウェントスは背中に嫌な汗をかきながらそう答えた。レティアもえ、ええと少し怯えた感じで答えた。

「ありがとうございます。リディア様お任せください。では、失礼します。」

 グレイスとレオンはリディアたちに礼を取りその場をあとにした。

 彼らが扉の向こうに消えたあとウェントスとレティアは無意識うちに詰めていた息を吐き出した。

 リディアはその様子を驚きながら見つめた。

「お父様、お母様、どうなさったの?表情が強張こわばっているわ。」

 平然とそう言ってのけるリディアに対しウェントスたちは驚いた。あれだけの威圧プレッシャーの中で何も感じないとはある意味恐ろしい。

「リリー、何も感じないのですか?」

「え…ええ。」

 リディアは困惑気味こんわくぎみにそう答えた。

「…そう。度胸があるのね。羨ましいわ…。」

「え?」

 ボソリと呟かれた最後の言葉に聞き返す。だがレティアは何もなかったかのように振る舞った。

「─何でもありません。用件は済みました。下がりなさい。」

「─分かりましたわ。失礼いたします。」

 リディアが礼を取って立ち上がる。優雅な身のこなしでウェントスたちに背を向けると歩き出す。

「…リリー、彼─いや、彼らを信用してはならん。肝に銘じておきなさい。」

 リディアは振り向かずに答えた。

「…─分かっていますわ、お父様…。おやすみなさい。」

 リディアは返事を待たずに部屋を出た。

 いつもなら鋭い目付きの衛兵が立っている位置にグレイスとレオンが立っていた。グレイスの横には衛兵が寝かされていた。

「…何をしたの?」

 歩きながら小声で問いかける。

「少し気を失ってもらっただけだ。安心しろお嬢さん。」

 レオンがさらりと言う。

「…疑われないかしら?」

「職務中に寝ていたと思われるだけだ。問題ない。」

 グレイスがきっぱり、そう言った。

「…そうね。」

 グレイスは仕事があると言ってリディアのことをレオンに任せると東棟に戻っていった。

 レオンと歩いていると唐突とうとつにグレイスが言った言葉がよみがえる。

「『全ての元凶はヤツだと言うのに。』」その言葉の真意が分からない。リディアは私室ではなく中庭へと向かった。

「おい、どこに行く!」

 レオンの言葉を無視して中庭に出る。空を見上げると月が昇り始めていた。

「…ねえ、レオン、レイヴァスが言ったことは本当かしら?どうせ聞いていたのでしょう?」

 リディアの顔を見ることはできないがその背中はどこか悲しげだった。レオンは腕を伸ばし彼女を後ろから抱きしめた。レオンより頭一つ分低いリディアはすっぽりと彼の腕の中におさまった。

「何をなさるの!?」

 逃げようと身をよじるがビクともしない。必死で抵抗していると耳元で囁かれた。

「おとなしくしてろ。衛兵に見つかるぜ。」

「─ッた。」

 艶っぽい声が全身を支配し、次いで耳に軽い痛みが走る。どうやら甘く噛まれたらしかった。噛まれたところがじんじんと熱くなっていく。

「─…いい反応。レイは確証を得たことしか話さない。」

 リディアは抵抗するのを諦めされるがままになった。

「─素直だな。」

「どう頑張っても、男の方にはかないませんもの。レオン、信じるって難しいものね。」

 レオンの回された腕をぎゅっと掴みリディアはそう言った。

「ああ。そろそろ戻るぞお嬢さん。」

 レオンの腕が離れていく。思わずその腕を掴んでしまう。

「どうしたんだお嬢さん?さっきのじゃ足りなかったか?」

 愉しそうに笑いながらレオンが聞いてくる。

「…な、何でもないわ。ごめんなさい。」

 リディアは自分が何をしたのか思い至り慌てて謝った。

「…ふーん。」

 一方のレオンも顔に出してはいないが内心、驚いていた。まさかあんなことをされるとは思わなかった。お互いそれ以上言葉を交わすことなく歩いた。途中でセイラが合流してきた。

「リリー様…。」

 セイラは遠慮がちに声をかけてきた。

「あのときは感情的になってごめんなさい。1人なって落ち着いたわ。」

「…─ありがとうございます。」


感傷かんしょうひたるのはあとにしろ。動きは?」

 低い口調でそう言われセイラは本来の目的を思い出す。

「─予定通りよ。グレイスが見張ってるわ。」

「…分かった。」

 レオンは立ち止まりリディアを振り返る。

「あんたはこれから起こることを受け止めなきゃならない。その覚悟があんのか?」

 リディアはすぐに答えることができなかった。

「無理なら部屋に戻れ。止めはしない。」

「…大丈夫ですわ。行きましょう。」

「─いいんだな。」

 改めて聞かれたリディアは頷いた。レオンは何も言わずに歩き出した。


 この後、リディアは父であるウェントスの隠された秘密を知ることとなった。













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王女と海賊王 悠木葵 @Yuki-Aoi

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