探索ときどきクマムシ

 アイスパンツの女の子が、腰に両手を当てて、仁王立ちのポーズになりながら、進み出る。


「ここは、裏ブロードウェイなのよ!」


 改めて彼女の全身を眺める。身長は150センチくらいか。

 腰のところまである長い髪が、ちっちゃいかわいさを引き立てている。後ろ髪を残したまま、両の耳の上あたりで、左右二つに束ねてある、ツーサイドアップとかいう髪型らしい。

 そして引き込まれそうな丸い大きな目がとても印象に残る。


 控えめに言っても、ものすごい美少女だ。ただ、言っていることの意味がわからない。


「その……、具体的に『裏ブロードウェイ』って何なんだ?」


「ものすごく簡単に言うと、『異世界』、みたいな?」


 まじか、あれだけ散々馬鹿にしていた怪談の世界に迷い込んでしまったのか。だけど、いや、そんなことがあるのだろうか。ここ二週間毎日、この女の子を屋上から見ていた罰だろうか。この子が好きすぎて、ついに妄想の世界に入り込んでしまって、現実の俺は精神病院のベッドに拘束されて、うんうんいっているとか?

 それともそれとも、暗転したときにクロロホルムをかがされて意識を失って、港にある古い倉庫に設置された撮影用セットに連れ込まれて、数時間後に意識を取り戻したとか? いやいや普通の大学生の俺にそんな大掛かりな仕掛けをしても得られる物は何も――――


「大丈夫?」


 下を向いて、最近の自信の生活態度を猛省していた俺を心配してか、彼女が少し腰を屈めて俺の顔をのぞき込む。焦っていた顔を見られたことが気恥ずかしく「ああ」とか短く言って有耶無耶にする。


 確かに、俺のガラスの精神がまだおかしくなっていないことを信じるなら、『異世界』に来てしまった事にでもしないと、周囲の状況の一瞬の豹変は説明がつかない。


「もし、ここが本当に『異世界』である『裏ブロードウェイ』だとして、なんでそんなことが分かるんだよ」


「私宛にメッセが来たのよ」


 彼女は、背負っていた、ちょっと大きめのピンクのリュックをごそごそやると、中からスマホを取り出した。

 最近みんなが使っているコミュニケーションアプリを開いてみせる。


【差出人】

 nnAISE

【本文】

 午前4時44分に中野ブロードウェイ4階の公衆電話から、テレホンカードで電話を掛けると異世界に行けるよん。試してみてね! 待ってるよ……ぐへへ……。



「このメッセものすごく犯罪の臭いがするんですけど! そしてこのスタンプ何なんだよ?」


 メッセージの次には、温泉饅頭に八本足が付いたような、謎のキャラクターのスタンプが押されている。


「これはね、調べたんだけど『クマムシ』ってやつよ。実際に居る、ミジンコみたいな小さな生き物なんだけど、それをキャラクター化したものみたい」


「へー、じゃあ、差出人の『エヌエヌ・エー・アイ・エス・イー』って誰か分からないのか?」


「…………知らない」

 彼女は目線を外して、ちょっとだけ髪を触る仕草をした。


「ちなみに『裏ブロードウェイ』っていうのは私が命名したの。いいネーミングでしょ!」


「通路の構造やお店の建ち並び方は、現実のブロードウェイと同じだしな、ただ違うところもかなりある。確かに、ゲームでよくある『裏面』みたいだ」


「ちなみに『裏ブウェ』っていう略称も認めるわ」


「それだと不意に大通りに出てみたら、見事にトラックに轢かれてしまったブタさんみたいになっちゃうだろ! 悲しいし、言いにくいし、『裏ブロ』でいいだろ」


「まあ、そこは個人の自由で結構よ」


「話を戻すけど、君は何で『裏ブロ』に来たの?」


 自身の提案した、前衛的な略称などまるで無かったように、言いやすい方の略称を使って話を進める。メンツに囚われない柔軟な思考をお持ちのようだ。


「『午前4時44分に…』っていう噂話を大学で聞いて、お前の落としていったテレホンカードを見て、もしやと思って来て見たら、お前が消えたから、俺も電話をかけたら、ここに居た」


 少し下心があって来たことは、隠し通す必要があった。いたずらをした理由を先生に問いただされている小学生みたいな回答になってしまったが、こう言うしかあるまい。


「噂話? そんなの聞いたことないけど」


「お前、友達いないだろ。いつも一人で歩いているし」


「そっ、そんなことないわよ! 休み時間に教室の机に伏せて寝たふりをしているときでも、そんな話をしている人は誰も居なかったんだから!」


 全俺が泣いた。自らそんな胸が苦しくなるような事実を告白することないのに。やっぱこの子は素直で優しい子なんだ。ちょっとコミュ力に難があるだけで……。この件にはもう触れないでおいてあげよう。


 でもこんなに可愛いのになんで友達ができないんだ? 普通なら男も女も放って置かないと思うけど……。


「きみ、その噂、誰から聞いたか覚えてる?」


「そりゃ覚えてるよ。大学の…………たまに会うあいつだよ、あいつ……」

 ……思い出せない。


「ほらね。どこかでサブリミナルか暗示か何かカマされたのね。君も私と同じで『招待』されたクチよ」


 突然、治安維持組織の全身機械化された大男みたいな言葉の使い方になる。


「誰が何のためにそんなことするんだよ」


「だから知らないって」


「いやちょっと待て、色々ありすぎて一つ大切なことを聞くのを忘れていた。さっきの、とんでもない爆発音は何だ?」


「ほんとに爆破してたのよ。シャッターを」


「私、裏ブロに『潜る』のは今回が初めてじゃないの。君より前から何回か『潜って』いたんだけど、そこの三階に行く階段があるはずの場所が、ずっと閉鎖されてるのよ。だから、このフロアからどこにも行けないし、お店のシャッターは開かないし――」


 そして爆破してみたと。自宅のガレージ爆破しちゃうアメリカの中学生みたいだな。


「ち・な・み・に、『潜る』っていう言い方も私が考えたのよ! いわゆる『ダイブ』ってやつ? サイバーパンクみたいでかっこいいでしょ!」


 『ち・な・み・に』にあわせて、顔の前に出した人差し指を、左右に振ってみせる。昭和のアイドルかよ…………まぁ、かわいいけど。


「このくらいで大体事情は共有できたと思うから、まずは、爆破したところを見に行きましょう!」


 自分だけでトテトテと駆けて行ってしまう彼女の後を追う。


 爆破箇所はさっきの公衆電話から、左、左、右、左、右、左の方向に行ったところにあった。……要するに迷路のような通路のとても奥の方だ。爆風で自分が被害を受けないようにということらしい。どんだけ大量の爆薬を使ったんだろう。


 爆破箇所のシャッターは黒く煤けているが、穴の一つも開いてはいない。


「やっぱり壊せないね。ハンマーとかトンカチとかバールのようなものとかで叩いても、どうにもならなかったから、ダメなんじゃないかと思ってはいたけど」


 シャッターは手で押したりすると、少したわんで、『がしゃがしゃ』と音がするが、下から開けようとしても決して開かない。外部からの力に対してそれなりのフィードバックを返すけれど、自身が壊れたりするような、ある一定以上の衝撃にはノーリアクションを決め込むといったところか。


「それにしてもバールのようなものとは物騒だな。ここに入れて持ってきたのか?」


 彼女が背負っている、ピンクのリュックの底面を上下に揺らしてみる。カラカラと金属のぶつかる音がした。


「やめっ」

 子供扱いされたように思ったのか、ちょっと嫌そうに、リュックから俺の手を振り払う。


「もうっ、とりあえず一周してみましょうか。案内してあげる」


 彼女の案内に従って少し歩いてみる。


 周囲を眺めながら進んでいくと、通路の壁面はシャッターばかりではないことがわかる。急に重そうな大理石の壁が現れたり、ヘンゼルとグレーテルのお菓子の家の入り口にあるような木の扉があったりする。


「ドアは……開かないな」


 ノブをがちゃがちゃやってみても、まるで手応えが無い。

 見ていくと、壁面には、たまに施設名が書いてあることがある。


「なんだこれ、ボイラー室?」

「あるんでしょうね、ボイラー室が」


「電脳稲荷寿司?」

「電脳化された稲荷寿司屋なんでしょうね」


 彼女も施設の詳細は全くわからないらしい。


「広さ、構造は現実のブロードウェイ四階とほぼ変わらす……か」


 一周して疲れたので、最初の公衆電話の近くにあるゲームセンター『USG』の椅子に座って休憩を取る。相変わらずゲーム機の電源は消えていて、画面は真っ暗なままだ。


「ねー、埒があかないでしょ」


 アイスパンツの女の子はゲーセン椅子に座りながら、脚をブラブラさせている。短めな制服のスカートから伸びる両の脚は、すらりとしていながらもプニプニしているように見える。

 もう退屈なのは我慢できないと、何か新しいことが起きるのを待ち望んでいるような仕草。


 ふと、彼女の脚から視線を上げると、細い通路の奥にぼんやりと黒い影が見えた。


「あれ、……何だ?」


 俺の視線の方向に気づいた彼女も、後ろを振り返り、薄闇に目を凝らす。


「あっ」

 刹那、彼女は床に置いていたピンクリュックを担ぎ上げ、黒い影の方向へ駆けだした。


 俺も慌てて腰を上げ、追う。


 黒い影に近づくにつれてその物体の異様さが明らかになっていく。

 通路の天井まで付きそうな真っ黒な巨体、これは、生き物か⁉︎


 黒い生き物から十メートル位まで近くに来て、やっと彼女は立ち止まった。俺もすぐに追いつく。


 黒い巨体は、ダンゴムシを大きくしたような四つん這いの体勢で、体が節によって分かれている。ただ、ダンゴムシよりももっと『動物』的な質感だ。

 脚が体の左右に四対づつ、計八脚。なので、正確に言うと『八つん這い』の体勢。背中の甲の部分から何本かの触手が出て、空中をうねうね飛び回っている。


「これは……クマムシよ」

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中野ブロードワールドゲート 迷光ろぼと @roboto3

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