裏ブロードウェイ
――例の噂を試してみるしかない。
時間を確認する。午前4時44分!
受話器を元に戻し、右手でポケットをまさぐりテレホンカードを取り出す。
再び取り上げた受話器を耳元に当て、挿入口にカードを差し込む。
『ぶつっ、ぶつぶつ、ぶつっ』
細かい接続音がする。
『ちゃん、ちゃん、ちゃちゃ、ちゃん、ちゃーちゃちゃ――』
そして受話器からは、お店の閉店時に流れる『蛍の光』のメロディが流れ出す。
開けてはいけない扉を開けてしまったような気がして、思わず背筋が凍る。
「うっ……!」
そのとき、体中の血液がすべて沸騰した! ような気がした。さらに血液が全量引っこ抜かれ、また全量注入されるような感覚が襲う。重力の方向がばらばらで、地球が一秒間に何十回もポールシフトしてしまったような。
一瞬の激しい吐き気とともに、視界が暗くなり、そしてまた回復する。
…………。
俺はまだちゃんと二本足で立っていた。目の前には相変わらず緑色の公衆電話。
……いや、相変わらずではない。緑色のプラスチックの外装がひび割れて、さっきよりも、ぼろぼろになってしまっている。後ろ側からは赤色と青色のコードが飛び出しぐちゃくちゃに絡まっている。
「なんだこりゃ……」
『ッツ、ダアアアアアアンン!!!!』
「っうわっ……っ!」
すさまじい爆発音がして、とっさに右下方に飛び退き、伏せる。
着地の衝撃を覚悟したことに反して、上半身が何か柔らかい物に受け止められる。
右手もプニプニしているし、左手もプニプニしている。
左手は誰かの手の上に乗っていた。白くて小さな手。プニプニしている。
右手は誰かの夏物の白い制服の胸部に押しつけられていた。プニプニしている。
右手の向こうの顔を確認しようと、視線をあげようとしたとき、腹部に思わぬ衝撃を受けた。
「ぎゃあああああ、なに⁉︎ やめて、ちかん!」
後ろ手をついた、仰向けの格好のまま、両足をばたばたさせている制服姿の女の子。
「ちょっ、やめっ、って、ふぐ」
俺は足技の猛攻を受けて、変な声をだしてしまう。
ばたばたしている太股の奥に、白地にアイス柄のパンツが見える。
尻餅をついたまま、後ずさりして距離をとり、呼吸を整える。蹴られたお腹が少し痛い。
「「はぁ、はぁ、はぁ……」」
同様にへたり込んだ姿勢のまま、荒い息をついている彼女。こちらの目をしっかりと見据えて牽制をかけてくる。やっぱり綺麗な目をしている。
「なんできみがここにいるの?」「今の爆発音は何だ?」
二人ともほぼ同時に質問を投げかける。
――ここは年上の余裕を見せるべく、ゆっくりと立ち上がる。腰は抜けて居ないようだ。かっこ悪いことにならなくて良かった。
公衆電話の排出口から顔を見せている、テレホンカードをむしり取った。
威圧的にならないように気をつけながら、まだ尻餅をついている彼女の目の前に立ち、手にした丸ピンク生物のテレホンカードを差し出す。
彼女は券面を確認した後カードをさっと奪い取り、ちょっとだけ笑顔を見せる。
そのまま右手を差し出すと、彼女は上品な所作でそれを掴んで立ち上がった。
「ありがとう……」
「胸とかいろいろ触ったことは、許してあげりゅ……大きな音でびっくりして、不きゃ抗力だったと思うから……」
すっごく素直なお礼の後に、小声でもにゅもにゅと許しの言葉をくれた。
「……ところで、どこでこれを拾ったの?」
「ブロードウェイ地下一階の魚正」
「あっははー、そっかー、あそこねー」
最後の半額パック寿司を強奪した後ろめたさでもあるのだろうか。ずっと、こちらの目を見ていた視線を横に反らし、気まずそうな表情を浮かべる。
「それにしても、ここはどこなんだ?」
気を取り直して周囲を見渡す。中野ブロードウェイの四階であるようにも見えるが、様相が普段とは違いすぎる。
間引いたように、蛍光灯が消えている薄暗い通路。一部の天井が落ち、配線やコードが蔦のように垂れ下がってしまっている。床のリノリウムもあちこち剥がれ、むき出しのコンクリートが見える。そして、天井一面には大小様々な太さの配管が張り巡らされている。まるで生き物の内臓や血管のような様子。こんな配管は今までなかったはずだ。
そして、今駆け上がってきた階段のあるはずの場所は、真っ赤に着色された鉄の防火扉のようなもので閉鎖されている。扉の上部には丸い機械のメーターみたいなものも確認できる。
ゲームセンター『USG』やその他のお店は少し古めかしくなっただけで、健在なようだ。ただ、ほとんどの店はシャッターが閉まったままだ。
アイスパンツの女の子が、腰に両手を当てて、仁王立ちのポーズになりながら、進み出る。
「ここは、裏ブロードウェイなのよ!」
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