テレホンカードと例の噂

 薄暗い部屋の中に浮かび上がるブラウン管の光。ドット絵で構成されたポップな画面は、少年と仲間達が地底大陸を冒険している様子を描き出している。


「ふあぁ、もう4時半か」

 白み始めた窓の外を眺めながら、レトロゲーム機『SSC』のコントローラーを床に置く。


 正面に鎮座するのは鮮やかな赤色の筐体のブラウン管テレビ。レトロゲームをプレイするのにぴったりだ。なお、テレビ放送は見られない。

 お稲荷さんのお弁当と、普段より幾分豪華なおかずで遅いブランチを済ませた後、いつも通り夜通しテレビゲームをプレイして、気づいたらこの時間になってしまっていた。


 ふと、ポケットに手を入れると、昼間アイスパンツの女の子が落としていった、テレホンカードが指に当たる。


「これもレトロゲーのキャラなんだよな」

 テレホンカードの券面には、ピンク色のゴムボールのような生き物が描かれている。


「午前4時44分に、ブロードウェイ4階の公衆電話から電話をかけると異世界に行ける……か。」

 以前聞いた、怪談のような噂話を思い出す。


 ……ああ、そうか!


 きっとアイスパンツの女の子は、こんな子供だましの噂話を信じてしまう、いじらしくも残念な子なのだ。端的に言うと厨二病ってやつ。今日こそ異世界に行くために公衆電話から電話をかけるべく、テレホンカードを準備していたに違いない。そしてブロードウェイ四階の公衆電話の前に到着してからテレホンカードがないことに気づき、「はわわぁ、テレホンカードがないですぅ(汗、汗」とか言って、いじらしくも無様な姿をさらすに違いない。


 今日は週末だといっても、女子中学生がこんな夜明けの薄暗い時間に出歩くのは健全だと思えない。

 預かったテレホンカードを返してあげて、おとなしく家に帰るように言い聞かせよう。

 方針が決まったのであわてて着替え、重い鉄の扉を押しのけて外に出る。

 部屋から中野ブロードウェイまでは徒歩30秒だ。


 中野駅北口アーケード商店街から続く、ブロードウェイの正面入り口に立ち、スマホを見る。午前4時38分。まだ少し時間がある。

 ブロードウェイ一階は、アーケードから向かいの大通りに抜ける通路になっているため、基本的にはいつでも通り抜けることができる。今の時間はいくつかの蛍光灯は消灯しており、内部は少し薄暗い。


「もしもし?」

「ひぅっ!」

 中に入ろうとしたその時、後ろから不意に声をかけられ、思わず変な声を出してしまう。


 とっさに振り返ると、そこにはモップを持ったおじいさんが立っていた。お化けや妖怪の類いではないことを確認し、ほっと胸をなで下ろす。

「お若いの、早いな。ブロードウェイに何か用かい?」


「ええ、ちょっと用事が……」

 面倒なことにならなければいいなと思いながら、理由になっていない返答をする。時間が迫っているのだ。


 薄暗い中、目をこらしてよく見ると、おじいさんの服の胸元には『ブロードウェイ管理組合』とプリントしてある。

「老人になると朝が早くての。まあお気をつけなされ」

 少しだけ会釈をしてから、踵を返して奥に向かう。思ったよりも話が早くて助かった。声をかけたのは老人の気まぐれだろうか。


 時間は4時41分。まだ間に合う!


 例の三階行き直通エスカレーターは夜間早朝のため停止中だ。エスカレーター右側の通路を百メートルほど奥まで走ると階段が見えた。

 仕方が無いので、階段を一気に四階まで駆け上がる!


 二階以上のフロアは夜中でも煌々と蛍光灯が点っている。店舗だけではなく事務所スペースもあるので、いつでも出入りできるようにしているらしい。ブロードウェイ内部は通路に窓が面しない構造のため、もし蛍光灯が消えると真っ暗になる。ダンジョンみたいな構造も相まって、それこそ魑魅魍魎が跋扈してしまいそうだ。


「はぁ、はぁ、っぐ……」

 息も絶え絶えになりながら、やっとの思いで四階にたどり着き、生唾を飲み込む。


 ちょうど階段を上がったところ、正面左手には、昼間も通ったゲームセンター『USG』が見える。営業時間外のため、ゲーム機の筐体の電気はすべて消えている。


「そもそも四階に公衆電話なんかあったっけ……」


 中腰になり息を整えながら周りを見渡すと、それはすぐに見つかった。


「居たっ!」

 階段から右手前方に、アイスパンツの女の子が見える。

 そして彼女の目の前には緑色の公衆電話。三階から続く吹き抜けが見下ろせる場所だ。あんな場所に公衆電話があったなんて、今まで気づかなかった。


 だけど、それ以外は、何もかも完全に読み通りだ。

 アイスパンツちゃんは、今から「はわわわ、わたしのテレカがみあたりません、ふええええんっ(泣、泣」とか言って、いじらしくも残念な姿をさらすはずだ。

 せっかくだから、テレホンカードを返すのはその様子を見届けてからにしよう。


 アイスパンツの女の子は相変わらずセーラー服の制服を着ていて、大きめのリュックを背負っている。

 リュックは柔らかそうな布製で、優しいピンク色だ。重い物を入れているのか底面が引っ張られて変形している。

 彼女はポケットからテレホンカードを取り出すと、公衆電話に差し入た。左手で受話器を耳に当てそして――――


「消えた……⁉︎」


 そこにいたはずの女の子が一瞬で姿を消した……様に見えた……多分。その証拠に、女の子の持っていた受話器が落下し、銀色のコードの先でブラブラと振り子運動を繰り返している。


 俺は自分の現実認識能力に疑問を感じ始めた。いつもあまり世界を見ないようにしているのが良くなかったのかな。


 なんだかもう帰りたくなったところだが、気を持ち直して公衆電話の目の前まで来てみる。

 緑色の四角い公衆電話が、銀色の金属の台座の上に鎮座している。同じく緑色の受話器は、相変わらず三十度くらいの弧を描いて揺れている。


 ――例の噂を試してみるしかない。

 時間を確認する。午前4時44分!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る